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美の壺「旅を彩る 駅弁」<File 444>

全国4500個もの駅弁を制覇した達人が、
食べる電車や車窓からの景色・タイミングまでこだわる
「味わい方の極意」とは?!
 
 ▽ 日本各地に名物駅弁を生んだ「特殊弁当」の歴史
 ▽ “おばあちゃん”の家庭料理が詰まった、
   青森・津軽ならではの味とは?!
 ▽ 駅弁専門のデザイナーによる
   「掛け紙」の制作現場も紹介!
 
 

 
旅情溢れる鉄道の旅。
車窓とともに味わいたいのが、駅弁。
蓋を開ければ、箱一杯に広がる土地土地の味。
その土地で生まれた名物が、様々な景色を織り成しています。
中身は勿論、器や掛紙も駅弁の楽しみのひとつです。
バラエティー豊かな器は、駅弁をより楽しく演出します。
食べて美味しい、見て美しい、駅弁の魅力を味わいましょう。
 
 

美の壺1.小箱いっぱいに広がる景色

 

函館本線「森駅・森のいかめし」(駅弁ライター・望月崇史さん) 

 
駅弁ライター・望月崇史さん。
日本各地の駅を巡って駅弁を取材、
これまでに出会った駅弁の数は、何と4500以上にも上ります。
 
この日は東京から新幹線を乗り継いで、およそ5時間。
お目当ての駅弁を求めて、
函館本線「森駅」の駅前にある店にやって来ました。
 

 
「正直、森のいかめし、
 今なら東京駅でも 買えたりするんですけれど、
 やっぱり、森駅で食べてみたい。
 まだ 温かい、出来立てです。
 東京でも売ってますけど、このぬくもりを感じたいがために、
 森で降りるみたいなのがありますよね。」
 

 
望月さん、駅弁を食べる場所にもこだわります。
この日選んだのは、
国鉄時代につられた「キハ40」というディーゼルカー。
昔ながらの青いボックスシートは、
駅弁に合う座席、旅情を感じられる座席です。
 

 
「森のいかめし」は、昭和16年発売の森駅の名物駅弁です。
昭和16年、当時は食糧難の時代。
近くの港で「するめいか」が大量に水揚げされていました。
少ない米でも、いかに詰めれば腹持ちがいいものが
作れるのではないかと考案されたそうです。
醤油と砂糖の甘いタレで、
じっくりと煮込まれたいかの飴色の駅弁は、
旅する人々のお腹と心を 満たしてきました。
 

 
望月さんを乗せた列車は
森駅から内浦湾に沿って走っていきます。
この駅弁は、やっぱりこの海を眺めながら味わいたい。
 
 
「やっぱり旅って、
 その土地の人と会って、その土地の空気を吸って、
 その土地の水を感じて頂いて、それで食を頂く。
 それを丸ごと、この小さな小箱で頂くっていうのが
 やっぱり 駅弁なんだと思うんですよね。」
 
  • 住所:〒049-2326
       北海道茅部郡森町御幸町112
  • 電話:01374-2-2256
 
 

特殊弁当

 
明治から昭和にかけて、全国に鉄道網が張り巡らされ、
長距離列車が登場すると、駅弁が売られるようになりました。
 
まず、ごはんにおかずを添えた幕の内弁当風の
「普通弁当」出来ました。
それが明治の中頃になると、幕の内の他に、
地元の特産物を使った「特殊弁当」という駅弁が出始めます。
 
この、地域の特色を前面に出した
「特殊弁当」が本格的に普及するのは、
戦後の高度経済成長期に入ってからでした。
昭和30年代以降になると、「旅行ブーム」が到来。
スキーや登山が流行し、人々は各地の観光地を巡り、
それに合わせて、地域色を売りにした「特殊弁当」が増えていきました。
 
 

神戸駅「淡路屋・肉めし」

 
神戸の「特殊弁当」は、
ローストビーフをダイナミックに盛りつけた駅弁です。
 
昭和40年、当時はまだ珍しかった
「牛肉」を使った駅弁が発売されました。
牛肉を使うだけでもインパクトがあった時代。
「ローストビーフ」という手間の掛かる西洋料理にして、
他の駅弁との差別化を明確に打ち出した、
神戸らしい、画期的な駅弁でした。
発売から50年余り。
ハイカラな駅弁は、今も神戸の名物として親しまれています。
 
 
  • 住所:〒658-0025
       兵庫県神戸市東灘区魚崎南町3-6-18
  • 電話:078 – 431 – 1682
 
 

美の壺2.彩りに込められた もてなし

 

新発田三新軒えび千両ちらし」(イラストレーター・なかだえりさん)

 
 
 
新発田三新軒(さんしんけん)の「えび千両ちらし」、
こちらの掛紙を描いたのはイラストレーターのなかだえりさんです。
 
上には卵が敷き詰められていて、
「えっ?まさか、卵しかないの!?」って思ったら、
この駅弁には仕掛けがありました。
えびをメインに、鰻など豪華な具材が一杯入った、
海の幸を卵焼きで覆った駅弁です。
絵に描くことで、出会った時の記憶が鮮やかに蘇ってくるそうです。
 
「味のことも思い出しますし、
 観光して見て回ったものこととかも思い出しますし・・・。
 駅弁をきっかけに、
 いろんな旅の思い出が出てきて、すごい楽しいです。」
 
日本各地を鉄道で巡ってきたなかださん。
8年前から、旅先で出会った駅弁を水彩画で記録するようになりました。
300余りもの、様々な駅弁を見詰めてきました。
 
 
 
駅弁を描くうちに、ある事を実感したと言います。
 
「色をいろいろ使ってるっていうのは、
 やっぱり海のものも山のものも野菜とかも入っていて、
 本当におかずのバラエティーが豊富で、彩りも鮮やかになるっていう
 作った方の、その地域の気持ちが込められているような気がします。」
 
  • 住所:〒956-0864
       新潟県新潟市秋葉区新津本町1丁目2-43
 
 

弘前駅・サンパレス秋田屋津軽ばっちゃ御膳

 
津軽平野の南に位置する、
世界自然遺産「白神山地」への玄関口として
観光客が行き交う弘前駅には、
旅人をもてなしてくれる駅弁があります。
その名も「津軽弁」。
 
どの弁当にも津軽の食材が盛り込まれているのですが、
中でも、根強い人気を誇るのが
津軽の家庭で食べられてきた9種類のおかずが並ぶ
 
 
「考案したのは、地元で仕出し店を営む秋田麗子さんです。
 田植えの時に、田んぼで食べたお昼に入れたものとか、
 優しい味でしたいなと思って作りました。」
 
ところが、昔ながらの料理は保存食が多いため、
色は茶色いものばかり。
また、駅弁の食材にしては貧弱だと思われ、
周囲の評判は今一つでした。
 
色合いをどうするか・・・、
そこで秋田さんが目をつけたのは「人参」でした。
津軽には、畑に植えたままひと冬越させてから掘り出す、
雪国ならではの栽培法があります。
雪の下で眠らせることで、色が濃く、甘味が増すそうです。
鱈の子と和えた、津軽の正月料理「人参子和え」を加えることで、
彩りを添えました。
 
更に、普段の料理からもヒントを得ました。
味噌を溶いた出し汁に、卵を入れて作る津軽の帆立入り貝焼味噌 は、
秋田さんも朝ごはんに作るという、おばあちゃんの味です。
心尽くしのおかずで、駅弁が更に華やかになりました。
 
「お金さえ出せば、美味しいものは食べられるんですけれど、
 この駅弁だけは、
 どこのデパートに行っても売ってないようなお弁当だと
 私は自負しております。」
 
旅人を温かくもてなしてくれる 優しい色の駅弁です。
 
 

美の壺3.食べる前も 食べた後も

 

駅弁の器(デコレーター・猪本典子さん)

 
駅弁のもう一つの楽しみは器ですね。
 
「新幹線弁当」は「E6系秋田新幹線 こまちランチ」。
 

 
 
薄い木で作った曲げ物は、
笹の葉に包まれた富山駅の駅弁「ます寿司」。
 

 
 
「会津蔵出弁当」は会津塗の漆黒の器のお弁当で、
中は一転、彩り豊かな山の幸が詰まっています。
 
 
 
カニを全面に盛りつけたのは、
鳥取駅の駅弁、アベ鳥取堂の「山陰鳥取 かにめし」です。
 
 
 
駅弁の容器を収集している人がいます。
店舗のディスプレーや美術制作を手掛ける
デコレーターの猪本典子さんです。
猪本さんは、全国の駅弁の容器を20年余りかけて集めてきました。
 
 
「割といろんな所に行く機会が多く、
 駅弁を食べるのが楽しみの一つでもあるので、
 行った先々で買って、
 ホテルできれいに洗って持って帰るっていうふうにしてるんですね。」
 
猪本さんは、集めるだけではなく、
駅弁の容器を弁当箱として再利用しています。
 
 
岡山駅の三好野本店桃太郎の祭ずし」の容器には、
桃の形のおにぎりに、
きびだんごをイメージして肉だんごを入れます。
 

 
 
広島駅のしゃもじ型をした駅弁「しゃもじかきめし」には、
浮世絵の大首絵をイメージしたお弁当を作ります。
 

 
 
「自分が持っているお弁当箱とかだと、
 割と入れ方とかが決まってきたりするんですね。
 だけど、「山陰鳥取 かにめし」の容器とかだと、
 日頃、自分が作らないものとかを作って
 入れてみようみたいな気になります。
 予定調和じゃない面白さが、駅弁の容器にはあるのかなと思って、
 集めてるのかもしれないです。」
 
駅弁の器には、人を楽しませる工夫が凝らされています。
 
 
 

駅弁の掛け紙(デザイナー・小川英恵さん)

 
日本で初めて販売されたと言われる駅弁は
竹の皮に包まれた「おにぎり弁当」です。
日本初の駅弁には諸説ありますが、通説は、
明治18(1885) 年の宇都宮駅が初めてと言われています。
日本鉄道(現JR東日本)の東北線宇都宮駅開業と同時に、
宇都宮駅前で旅館を営んでいた
白木屋が販売を始めたという記録が残っています。
ごまをまぶしたにぎりめし2個とたくあんを
竹皮に包んだもので、ひとつ5銭だったそうです。

 
明治時代中頃には、ごはんやおかずを詰めるため、
木を薄く削って作る経木の折箱が使われるようになりまりました。
 

 
そして弁当の内容を伝えるために、掛紙が生まれます。
掛紙は、広告としての機能も兼ね備えており、
その土地の観光名所を掲載したり、
鉄道の記念イベントを盛り立てたり、
旅を一層盛り上げる役割を果たしてきました。
 
ところで、駅弁の掛紙はどのように作られているのでしょうか?
駅弁専門のデザイナー・小川英恵さんを訪ねました。
小川さんは、これまで 300種類以上もの弁当の掛紙を手掛けてきました。
 
「店頭映えを見ながら、
 淡くありつつもぼけない程度にっていうのを
 画面で確認しながら調整をしています。」
 
 
大正時代から売られてきた湘南鎌倉大船軒鯛の駅弁」の掛紙は、
小川さんがデザインによるものです。
発売以来、これまで100年近い間、デザインは何度も変えられてきました。
小川さんが新たなデザインを考えるために見直したものがあります。
大正時代に彫られた掛紙の版木です。
 
「表情があるじゃないですか。
 この鯛って、どこ見てるか分かりますよね。
 昔の絵とか文字には味わい深いものがあるので、
 これを生かして掛紙のデザインをする、
 そういうことをしています。」
 
小川さんは、伝統の絵柄を使いながら、
現代に相応しいデザインを考えます。
 
まず鯛をイメージさせるオレンジを全体に、
鯛の跳ねるポーズはそのままに、スッキリとした印象にしました。
「鯛」の文字は大きく、
「めし」の2文字は江戸の火消し「め組」の印を基に考案しました。
駅弁や器の掛紙。
その一つ一つが旅の思い出の1ページに刻まれていきます。
 
  • 住所:〒247-0072
       神奈川県 鎌倉市岡本2-3-3
  • 電話:0467-44-2005(代表)
       0120-01-4541(フリーダイヤル)
 

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