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沖縄県「琉球漆器」

沖縄の土産品店に立ち寄ると、艶のある黒地や明るい朱色に
ハイビスカスやゆうなの花模様、
光沢のある貝を使って装飾する螺鈿細工(らでんさいく)を施した
「琉球漆器」の皿や椀を見かけます。
 
「琉球漆器」
朱塗りと黒塗りのコントラストの大胆さ、斬新さと相俟って、
その鮮明さ、華麗さは多くの人に親しまれています。
 
沖縄の年平均気温22.4℃、湿度77%。
沖縄は漆器を作るのに非常に優れている環境です。
 
沖縄の漆器の歴史は長く、
Chinaとの貿易が盛んであった琉球王国時代の
14~15世紀頃にChinaから伝わったとされています。
15世紀に統一された琉球王国には
王府の中に「貝摺奉行所」(かいずりぶぎょうしょ)を設け、
そこで漆器の制作を管理。
技術・芸術性が高く評価されて、
献上品・貿易品として最も喜ばれた品物の一つとなりました。
 
慶長14(1609)年の薩摩の侵攻以降、
更に「琉球漆器」の生産に力を入れるようになっていきます。
これは薩摩藩が琉球王国を間接統治するようになってから、
当時の琉球王府が直営としての「貝摺奉行所」を拡大強化したためです。
徳川将軍が代替わりをした時などに、
徳川家や大名家へ琉球漆器などが献上されるようになりました。
 
琉球漆器の技術は、
16~17世紀は、 朱や緑の漆に細かな沈金技法を用いた作品や
朱漆に螺鈿の作品などが多く見られ、
17~18世紀には
黒漆に夜行貝の赤や青を活かした 細かな螺鈿の作品が中心でした。
18~19世紀にも、黒漆螺鈿も作り続けられましたが、
朱漆に「沈金」(ちんきん)や「箔絵」(はくえ)
「堆錦」(ついきん)といった技法が盛んに用いられるようになりました。
 
明治12(1879)年の琉球処分(廃藩置県)により
「貝摺奉行所」は廃止されましたが、
民間工房や漆器会社により、
技術的にも芸術的にも更に水準の高い工芸品を生み出すべく、
「螺鈿」や「蒔絵」、「沈金」など様々な技法を駆使して、
琉球漆器は成長し続けました。
 
 
琉球漆器の木地には、
亀裂の少ないデイゴやエゴノキ、センダン等などが使われます。
下地は豚の血等を使った「豚血下地」(とんけつしたじ)
上塗りは天然の漆を用いた塗り立てで、
特に朱の鮮やかな美しさは他に例を見ません。
デザインや塗りに規定がある訳ではないので、
伝統の技を用いながら、
よりカジュアルでモダンに変身した漆器が登場してきています。