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鹿児島「薩摩焼」

 

国の伝統的工芸品にも指定されている「薩摩焼」の歴史は、
今から約400年前の朝鮮出兵の際に、
薩摩藩主・島津義弘が
陶工を薩摩に80人以上の朝鮮人陶工を連れ帰ったことに始まります。
串木野、市来に上陸した
陶工・朴平意(ぼくへいい)や金海(きんかい)らは
藩内各地に窯を開きました。
各窯場では、
立地条件や陶工のスタイルによって異なる種類の焼き物が焼かれ、
それぞれ、多様な展開をすることとなります。
薩摩焼の古窯跡は50箇所ほどあり、
「苗代川(なえしろがわ)系」「竪野(たての)系」
「龍門司(りゅうもんじ)系」「西餅田(にしもちだ)系」と
磁器系の「平佐焼(ひらさやき)」の5系統に分けられ、
これら全てを「薩摩焼」と呼びます。 
現在も残るのは、
「苗代川系」「龍門司系」「竪野系」の3窯場です。
 
 
「薩摩焼」は、
「白もん」と呼ばれる「白薩摩」と、
「黒もん」と呼ばれる「黒薩摩」の2つに大別できます。
 

白薩摩

「白薩摩」は、
乳白色(白に近いクリ-ム色)の温かみのある生地に、
きめ細かな貫入(ヒビ)があり、
赤や青、緑や金彩で動植物などの文様を施した、
繊細で気品のある逸品です。
その絢爛で高貴な美しさから
藩窯の「苗代川系」と「竪野系」で焼かれ、
藩や島津家だけが使用し、
一般の人の目には触れることがありませんでした。
 

 
藩は文化振興策の一環として京都に職人を派遣し、
色絵技法や金襴手を学ばせるなど技術の習得に努め、
慶応3年(1867)年、島津藩単独で「パリ万博」に出品すると、
その高い芸術性が絶賛を浴び、
「SATSUMA」の名は広く知れ渡りました。
 
 

黒薩摩

 
「黒薩摩」は、
漆黒の光沢を持ち、素朴で重厚な面持ちが特徴です。
桜島を擁する鹿児島は、
火山地帯特有のシラス土壌で鉄分を多く含んでいるため、
地元の土を使うと真っ黒い焼き物が出来上がります。
また高温で焼き締めるため、素朴で頑丈な仕上がりになります。
まさに普段使いにはうってつけ。
 

 
藩主御用達の「白薩摩」に対して、
「黒薩摩」は庶民の生活道具として親しまれてきました。
特に「黒ぢょか(黒千代香)」と呼ばれる独特の土瓶は
焼酎の燗をつけるのによく愛用される酒器です。
本来、「薩摩焼」はこの「黒薩摩」が主流で
「苗代川系」の陶工達が完成させたと言われています。
 

 
因みに、このかつお節も「黒薩摩」。
鹿児島県は、かつお節生産量日本一です!