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イッピン「夢幻にきらめく彩りのガラス 鹿児島・薩摩切子」

<番組紹介>
繊細なカットが施され、
移ろう光を封じ込めたような
幻想的なガラス。
鹿児島の薩摩(さつま)切子だ。
幕末に誕生しながら十数年で途絶え、
長らく幻の輝きと言われたイッピン。
それが30年前に復元されたのだ。
復元の手がかりは写真と実物のみ。
不可能を可能にした職人の驚くべきワザとは?
近年では、いっそう身近な薩摩切子も登場。
かわいらしいアクセサリーや、
黒くシックな“大人の”切子まで。
女優・内山理名が徹底リサーチする。
 
<初回放送日:平成27(2015)年9月29日>
 
 
「薩摩切子」は、江戸時代末期、
薩摩藩第28代藩主の島津斉彬が、
外国に輸出するために開発した工芸品です。
 
先代の斉興(なりおき)
弘化3(1846)年に製薬を始めましたが、
それにはガラス器が必要であるとして
江戸から「江戸切子」の祖のガラス問屋
「加賀屋久兵衛」(かがやきゅうべえ)の徒弟で、
ガラス職人の四本亀次郎(しもとかめじろう)をスカウトしました。
 
斉彬は亀次郎に「薩摩切子」を日本の特産品とすべく
着色ガラスの研究に着手させ、
様々な色 (紅・藍・紫・緑等) を発色させることに成功。
中でも日本初の発色に成功したガラスは
「薩摩の紅ガラス」と呼ばれ、
暗紅色の中に透明感も併せ持つ「銅赤」は、
「薩摩切子」を代表する色となりました。
ところが安政5(1858)年 に島津斉彬は49歳という若さで急逝し、
薩英戦争 (1863) や明治維新、西南戦争 (1877) などの勃発など、
更に激しい時代の波に飲まれて、
「薩摩切子」は30年足らずで一度途絶えてしまいました。
 
当時作られた「薩摩切子」は現在150余り見つかっており、
サントリー美術館」などに百数点が保管されています。

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そして100年後、再び、島津家の手により蘇りました。
現在、「薩摩切子」は
4つの町にある5つの工房で製作されています。
 
 

1.復元「薩摩切子」(薩摩ガラス工芸・中根櫻龜さん)


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鹿児島市にある名勝「仙巌園」に隣接して、
工房「薩摩ガラス工芸(さつまがらすこうげい)があります。
ここで、「薩摩切子」のグラスを製作する作業を見学しました。
 

 
 
40℃を超えることもあるという工房では、
「吹き師」と呼ばれる職人達が2人1組で
0.2~0.3㎜程というごく薄い色ガラスの内側に
更に透明なガラスを吹いて切子の模様を美しく引き立てる
「ポカン工法」という技法を用いて、汗だくで作業していました。
 
完成したガラスの生地を削っていたのは、
切子師の中根櫻龜(なかね おうき)さんです。
中根さんは、幻となった「薩摩切子」を
100年ぶりに現代に甦らせた立役者です。
 
「櫻龜」(おうき)という雅号は、
復元25周年を機に、
現在の島津家当主から賜ったものです。
江戸時代の切子職人・四本亀次郎から
「亀」の字を受け継ぎました。
 
 
100年以上という月日を経て、幕末の動乱を経て
技術が途絶えた「薩摩切子」を復興しようとする動きが出てきます。
 
きっかけは、昭和57(1982)年に鹿児島の百貨店で
ガラスの歴史を研究していた先生が
研究の成果として「薩摩切子」を復元して展示会を開いたことでした。
この頃になると、鹿児島に切子があったことすら知らない人が多く、
その蘇った姿は話題になり、復刻の機運がにわかに高まりました。
 

 
島津藩の末裔である「島津興業(しまづこうぎょう)は、
鹿児島県からのオファーを受けて、
展覧会から3年後の昭和60(1985)年には
薩摩ガラス工芸」を設立して
「薩摩切子」復刻プログラムは始まりました。
 
そして、展覧会を開いた先生の繋がりで、
現在、切子師として活躍する中根櫻龜(なかね おうき)こと、
中根総子さんがット職人として採用されました。
 
100年も途絶えていたので、中根さんはまず、
当時のものを復元することにしました。
島津家に残されていたわずかな関連資料や
尚古集成館」に収蔵されていた
薩摩切子「藍色切子脚付蓋物」を実測。
写真しか残されていない状態から図面を起こし、
ひたすら試作を続けました。
 

 
仙巌園に隣接し、江戸時代に薩摩藩が築いた工場の跡地にある「尚古集成館」は、薩摩藩第28代当主・島津斉彬によって始められた集成館事業の一環として、大正12(1923)年5月22日に開館した博物館です。
現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されています。
なお本館は慶応元(1865)年に建てられたもので、
国の重要文化財になっています。
 
※「尚古集成館」は、令和4(2022)年5月9日から
 令和6(2024)年10月末まで休館。
 

 
ガラス職人や研究家、関連工場などの協力を得て
斉彬の想いを受け継いだ「島津薩摩切子」として
見事に復元に成功。
平成元(1989)年には復刻した「薩摩切子」が
鹿児島県の伝統的工芸品にも指定されました。
 

 
「薩摩切子」は「江戸切子」のように
技術が継続せず復刻生産であるため、
国の伝統工芸品には認定されませんが、
その技術力と芸術性の高さが徐々に話題となり、
今や鹿児島県を代表する工芸品の一つとなっています。
 
なお、「古薩摩切子」を復元したものを「復元薩摩切子」、

 
「古薩摩切子」と同じ技法や文様に、
新しい文様を組み合わせて創作したものを「創作薩摩切子」と
呼んでいます。
 

 
紅色の発色にも成功し、
「薩摩切子」が現代へ蘇ることとなりました。
 

 
「江戸切子」は、無色透明または透明ガラスに
薄い色ガラスを被せて彫るので、模様がシャープです。
一方「薩摩切子」は、「色被せ」と呼ばれる
透明なガラスに色ガラスを被せて作られた生地を用いたものが多いため、
重厚感があることが特徴です。
そしてガラスが分厚い分、切り込みの角度や深さによって、
色のグラデーションを出す「ぼかし」の表現が出来るのが特徴です。
 

 
 
 
 

2.ecoKIRI(「ガラス工房 弟子丸」弟子丸努さん)


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鹿児島市内から車で約1時間にある霧島市に工房を構えるのは、
 
代表兼切子師の弟子丸 努(でしまる つとむ)さんは、
長い間製造が途絶えていた
「薩摩切子」を復興させるプロジェクトにおいて、
切子師の第1期生になった方です。
 
弟子丸さんは、平成23(2011)年に霧島市に自ら工房を構え、
伝統的な技法をトレースするだけではなく、
これまでの「薩摩切子」にはなかった
ブラックやクリスタル(透明)といった新しいカラー展開や、
伝統的な文様と斬新でモダンな文様を組み合わせた独自のデザインの
霧島切子」を生み出しました。
 

 
 
そして「霧島切子」の廃材で、
ecoKIRI(エコキリ)というアクセサリーを製作しています。
高価なイメージのある「薩摩切子」を何とか手軽にしたかったと
おっしゃいます。
 

 
ecoKIRI(エコキリ)では、女性向けのアクセサリーは勿論、
ゴルフマーカーやカフス、ループタイといった
男性向けのアイテムもあり、全14種類のラインナップ。
そしてカラーは単色6色、
グラデーションが美しい二色被せ3色の全9色展開です。
 
  • 住所:〒899-4304
       鹿児島県霧島市
       国分清水1丁目19-19-27
  • 電話:0995-73-6522
 
 
 

3.薩摩黒切子のグラス
(薩摩びーどろ工芸・吹き師の野村誠さん)


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鹿児島県の北部に位置する自然豊かな町、
さつま町で業界初の黒い薩摩切子「薩摩黒切子」が開発されました。
開発したのは、「薩摩びーどろ工芸」の吹き師・野村誠さんです。
 

 
野村さんは、昔からものづくりが好きで、
何か手に職をつけたいと考えていた18歳の頃、吹き師の仕事を知り、
熱いガラス相手に切磋琢磨する吹き師の世界に魅了されて、
島津興業「薩摩ガラス工芸」の門を叩きました。
その後「薩摩びーどろ工芸」で働いていた野村さんは、
海外向けにインパクトがある色を探していた折、
鹿児島県には黒豚、黒牛、黒酢など
「黒」モチーフの商品がたくさんあるのに、
「薩摩切子」には黒がないということを思い立ち、
黒の切子を作ることにしました。
従来に無い色の「薩摩黒切子」は、
「かっこいい」「スタイリッシュ」とたちまち人気になりました。
「黒」は光を通さないために、
カットをする際に回転するグラインダー刃の動きが全く見えず、
音や振動を頼りに手探りで作業を行うため、
とても高い技術が必要になります。
他の色のカットより2から3倍時間が掛かるそうです。
野村さんは他にも、
やはり薩摩切子にはなかった茶色の「薩摩ブラウン」、

 
若い人にも薩摩切子の魅力を知って欲しいという思いから、
外部のデザイナーとコラボして「grad.シリーズ」を開発しました。
 
 

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