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イッピン「維新のふるさと志を受け継いで 山口・工芸品と菓子」

<番組紹介>
萩焼の香炉。硬くて熱にも強いグラス。
そして夏みかんの形そののままの和菓子。
山口県萩市には、激動の幕末・維新の時代にゆかりの深い、
魅力的な工芸品や菓子がある。
 
山口県萩市は、幕末・明治維新の時代、
新しい日本を切り開いた人々のふるさとだ。
今も、新しいものを生み出そうとする精神が、
工芸や菓子作りに息づいている。
萩焼では、それまでなかった香炉。
幕末の長州藩士が作ろうとしてできなかった、
硬くて熱にも強いグラス。
そして、維新後、萩が活気を取り戻すきっかけになった
夏みかんを、その形のまま和菓子に仕上げたもの。
職人たちの繊細微妙な技と、萩の歴史への熱い思いに迫る。
 
<初回放送日:令和2年(2020)年12月1日>
 
 
 
山口県萩市は、幕末・明治維新の時代、
新しい日本を切り開いた人々の故郷です。
新しいものを生み出そうとする精神は、
今も工芸や菓子作りに息づいています。
 
 
 

1.萩焼「本郷窯」(萩焼作家・廣澤洋海さん)

 
「萩焼」とは、山口県萩市を中心に作られている陶器です。
慶長年間に渡来した、
朝鮮人陶工の李勺光(山村家)、李敬(坂家)の兄弟が
1604年に藩主・毛利輝元の命で、城下で御用窯として開窯し、
高麗風の茶陶を制作したことに始まります。
以来今日まで、この伝統は400年以上の歴史とともに受け継がれ、
育まれています。
 

 
そして古来より茶人の間で「一楽、二萩、三唐津」と賞され、
数ある茶陶の中でも深く愛されてきました。
茶道の世界では、古くから茶人の抹茶茶碗の好みの順位、もしくは格付けとして
「一楽・二萩・三唐津」(いちらく・にはぎ・さんからつ)」と
言われてきました。
 
これは、
  • 1位: 楽 焼(京都)
  • 2位: 萩 焼(山口県萩市)
  • 3位: 唐津焼(佐賀県唐津市)
を意味します。
 

 
「萩焼」の特徴のひとつは焼き締まりの少ない
「柔らかな土味」です。
そしてもうひとつは、高い「吸水性」です。
「吸水性」が高いことから、長年使っていくうちに
器の表面にある細かなヒビ「貫入」(かんにゅう)から
茶が滲み込んで茶碗の趣が変わり、
茶人の間では「茶馴れ」とか「萩の七化け(ななばけ)」と言って
珍重されています。
 
戦後の高度成長に伴い、「萩焼」は発展を続け、
昭和32(1957)年に「選択無形文化財」に選ばれました。
また昭和45(1970)年)には三輪休和(十代三輪休雪)が、
昭和58(1983)年には三輪壽雪(十一代三輪休雪)が「人間国宝」に認定され、
平成14(2002)年には「伝統的工芸品」の指定を受けています。
 

 
 
廣澤洋海(ひろさわひろみ)さんは、
「萩焼」の伝統的な色合いの生地に
繊細な透彫を施した香炉や花瓶などの作品を製作し、
数多くの賞を受賞。
明治神宮にも奉納されています。
 
 

2.萩ガラス工房


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「萩硝子」を制作している「萩ガラス工房」は、
幕末に長州藩士の科学者であった
「中嶋治平」(なかしまじへい)が興した
硝子工房をルーツとしています。
 

 
1823(文政6)年に萩で朝鮮通詞を務める家に生まれた中嶋は、
安政3(1856)年に朝鮮語やオランダ語、英語を学ぶために
私費で長崎で遊学していた際、
その頃大流行していたコレラの予防法を萩藩に提出。
その功により公費遊学、オランダ人からの直接の伝習が認められ、
軍医・ポンペからは「分析術」を、
長崎製鉄所主任技師・ハルデスからは
「蒸気機関学理論」や「冶金学」などを学びました。
 

 
そして安政6(1859)年に萩に帰藩すると、
藩に産業の振興奨励として鉄工局の開設や化学の必要性を訴える
建白書を提出、ガラス製造所の開設に関わります。
 
ガラス製造の目的は、治平が長崎で修得した化学知識を生かして、
火薬、医薬品などを研究、製造するためのフラスコ等の道具類を
作るためでした。
 
中嶋は、藩命により薩摩藩に赴き硝子製造や反射炉などを視察、
長崎では英国製の蒸気車模型を買って帰り、
文久元(1861)年に藩主毛利敬親の御前で試運転を行い、
蒸気の力を披露しています。
 
そして当時の最先端技術である蒸気機関を駆使した
硝子製造所が藩主別邸の南園(萩市江向)内に設立され、
長州藩に硝子産業を興しました。
 

 
こうして生まれた「萩硝子」は、
やがて上質なガラスとして食器やグラスとなり、
天皇家や公家に献上するにまで
その質を向上させ一時、隆盛の時代を築きました。
 

 
中嶋はその後も分析術の必要性を藩に説き続ける一方、
文久3年の下関攘夷戦で撃沈された蒸気軍艦「壬戌丸」の引き上げ、
藩内鉱区調査などに奔走した他、
写真術・パン製造・染色・人工硝石などの実用化を図り、
慶応2(1866)年2月には舎密局(理化学の研究所)の総裁となりました。
 
ところが同年12月急逝。
「萩硝子」も施設の焼失や激動の中で、
わずか数年で潰えてしまいました。
そしてその後は再興されることなく、
以後、長きに渡って忘れられていました。
 

 
それが、セラミック関連の技術者であった藤田洪太郎さんによって、
平成4(1992)年に「萩ガラス工房」が
椿原生林(かさやまつばきぐんせいりん)で有名な萩市「笠山」に設立され、
治平遺品や残存している記録から当時の復刻品の製作を開始しました。
 

 
萩ガラス工房」の美しい淡いグリーンが特徴のガラス素地は、
地元・笠山で採掘される玄武岩「石英玄武岩」(安山岩)から
出来ています。
この原材料の石英玄武岩を独自で精製し、
1520℃という超高温度域で製作した製品は、
硬くて熱にも強い国内最高レベルの品質です。
 
 

 
また、繊細なヒビ割れが特徴の「内ヒビ貫入ガラス」。
これは、熱膨張率の大きいガラスを
耐熱ガラスで両側から挟み込んだ「3重構造」になっていて、
間に挟んだガラスだけが膨張と収縮を繰り返し、ヒビが入ります。
そしてこのヒビが熱膨張を繰り返して、
3年程かけて自然にヒビが成長して出来たものだそうです。
 


 
約30年前にハンガリーで出会ったというこの手法を
日本で再現し完成品にするまでには、
10年以上と歳月が掛かったそうです。
 
  • 住所:〒758-0011
       山口県萩市大字椿東越ヶ浜
       1189-453
  • 電話:0838-26-2555
  • オンラインショップ
 
 
 

3.夏みかん(光國本店)

 
 
萩と言えば「夏みかん」!
5月上旬から中旬にかけては、
「夏みかん」の白い可憐な花が咲き、
歩いているとフワっと甘く、爽やかな香りに包まれます。
昭和天皇が皇太子の時、大正15(1926)年5月に萩に行啓した際、
市街に「夏みかん」の香りが溢れていたのを
「この町には香水が撒いてあるのか」と下問されたという話も
残っています。
 
そしてこの頃に、かんきつ公園では
「萩・夏みかんまつり」が開催されます。
 

www.hagishi.com

 
 
「夏みかん」は、今からおよそ300年前に
山口県長門市の大日比(おおひび)の海岸に流れ着いた果実の種を、
西本チョウという人が蒔いて育てたのが始まりとされています。
この原木は昭和2(1927)年に国の「史跡および天然記念物」に
指定されています。
 

 
萩には、およそ200年前に大日比から送られ利用されていたようで、
江戸時代の終わり頃には、萩の武士や大きな商人などが
自家消費として家の庭などに植えていたそうです。
 

 
それを日本で最初に経済栽培したのが、
小藩高政(おばたたかまさ)でした。
小幡高政は、文化14(1817)年に周防国吉敷郡恒富村(現・山口市)に
生まれました。
長州征討にも出陣し、維新後は、宇都宮県参事、
小倉県参事、小倉県権令と要職に就きましたが、
明治9(1876)年に母親の看病の為に官を辞して萩に帰り、
平安古町(ひやこまち)に住みました。
 
 
 
新政府樹立後、毛利藩藩主は萩から山口に移り、
士族の「給禄奉還」や明治9年の「萩の乱」の勃発・鎮圧により、
萩士族は失意は大きく、また経済的にも大打撃を受けていました。
 
小幡は、生活の術を失った士族達を救うため、
空き地となった武家屋敷での「夏みかん」栽培を思い立ちます。
「耐久社」(たいきゅうしゃ)を設立して、
明治9(1876)年に初めて「夏みかん」の種子を蒔き、
翌・明治10(1877)年には苗木10,000本を接木し、
明治11(1878)年には士族に「夏みかん」の苗木の頒布を開始しました。
明治20(1887)年頃には、「夏みかん」は萩の特産物に成長しました。
 

 
 
そして明治20年代初めの頃、
長州萩町漁人町(りょうどまち)の釣道具及び砂糖商の
森重正喜という人が
「夏みかん」の皮を煮て砂糖漬けにした菓子
「橙菓子」(だいだいがし)を初めて製造しました。
 
 
それを安政5(1858)年創業の菓子司・光國作右ェ門が
苦心研究の結果、改良して明治13(1880)年に売出しました。
それを2代目・光國貞太郎が
明治23(1890)年の「内閣々益大博覧会」へ出品して、一等金牌を受領。
更に光國貞太郎は、実弟福五郎と共同して
萩乃薫(はぎのかおり)と改名して、商標を登録しました。
 
 
また、大正5(1916)年には3代目・光國義太郎が
夏蜜柑丸漬(なつみかんまるづけ)を創製。
夏蜜柑丸漬」は、夏みかんの中身をくり抜き、
皮をあく抜きして糖蜜で煮込んだら、
中に白羊羹を流し込んで、グラニュー糖をまぶしたものです。
 
夏みかんは一つ一つ大きさや形、皮の厚さなどが異なるため、
夏蜜柑丸漬」は職人さんの全て熟練の技によって手作りされていて、
完成には5日間要します。
そしてみかんの皮を漬けている蜜は、
大正5(1916)年から継ぎ足して使っているうちに、
エキスが混ざって独特の旨味を生み出したものです。
夏みかんの皮に含まれる風味とほろ苦さはそのままに、
その上品な甘さで全国にファンを持つ逸品です。
 
他に、夏みかんマーマレード缶詰があります。
 
 

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