ノスタルジック!和洋折衷のアンティーク
▽西洋のコンパクトの装飾に金蒔絵の技が
▽大正ロマンなファッションで踊るタンゴ倶楽部
▽モボやモガも飲んだ!?
大正生まれのカクテルにあのお漬物が!
▽驚きのデザイン!女学生を魅了した銘仙
▽モダンボーイが愛したステッキに宿る職人技
▽今回は草刈正雄さん出演の土曜ドラマ
「探偵ロマンス」(総合・土曜夜10時)とコラボ!
草刈邸にあの名探偵がやってくる!
<初回放送日:令和5(2023)年2月3日(金)>
美の壺1.時を超えた 和と洋の出会い
和洋折衷(「東京蛍堂」店主・稲本淳一郎さん、奥様・陽子さん)
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令和4(2022)年11月12日公開の映画
『ゆめのまにまに』の舞台にもなった
東京・浅草六区にある古物商店「
東京蛍堂」
(とうきょうほたるどう)。
店内に入ると、レトロな雰囲気が漂っています。
そして、着物やランプ、食器、ラジオなど、
往年の浅草を思わせるレトロな品がぎっしり並んでいます。
「東京蛍堂」のテーマは「大正ロマン」。
店主の稲本淳一郎さんと奥様の陽子さんご夫妻は、
夫婦で全国各地から日本の小道具を買い付け、
使えるように修理して販売しています。
お店の建物も、
元は食堂(野口食堂)だった建物を改築したものです。
レンガも床も、店主夫婦が自分達で仕上げました。
稲本さんは、日本人が生み出した
和洋折衷の魅力を知ってもらいたいとお店を作りました。
「江戸時代の着物だとコスプレになっちゃうけど、
大正ロマンなら和洋が融合する。
今の時代にとっても合ってるんですよ。」
稲本さんによると、
大正の人達は、西洋の文化を理解した上で
自分の中に取り込んで表現しているそうです。
ビーズバッグやクロッシェ帽子の装飾には、
金蒔絵の技法が施されています。
「トンビマント」は、袖が大きくなっていて
着物でも洋服でも着られるよう工夫がされている
和洋折衷の代表的な一品だそうです。
店内の奥には、半地下のダンスホールがあり、
月に1回、稲本さん主催の「クラシックタンゴ倶楽部」が
開かれています。
お店の常連や大正ロマンに魅せられた人々が集い、
和洋折衷を生み出した日本に思いを馳せています。
- 住所:〒111-0032
東京都台東区浅草1丁目41−8
- 電話:03-3845-7563
- 営業時間:11:00〜20:00(水〜日)
(祝日は営業)
- 定休日:月・火
カフェー(「The Bellwood」オーナー・鈴木敦さん)
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渋谷駅から徒歩で約9分、
「奥渋谷」と親しまれている宇田川町に
大正時代のモダンな「カフェー」をコンセプトにした
「The Bellwood」(ザ ベルウッド)があります。
夜だけでなく、モーニング、ランチ、喫茶としても
利用することが出来ます。
オーナーの鈴木敦さんは、国内外のバーで研鑽を積み、
平成29(2017)年には、
カクテルの世界大会「The CHIVAS Masters」に出場し、
世界チャンピオンにもなっています。
鈴木さんは、令和2(2020)年に、
大正時代に「カフェー」と呼ばれた特殊喫茶をコンセプトに
自身初プロデュースとなる「THE BELLWOOD」を開業しました。
鈴木さんは、海外にいた時に日本のバーの歴史に興味を持ち、
詳しく調べていました。
海外ゲストをもてなすためのホテルバー主体から、
市民のためのバー文化が根づき始めた時代。
「それをレトロに寄り過ぎず、
現代ならではの形で表現しようと思いました。」
フード&ドリンクもコンセプトに忠実です。
オリジナルのカクテル「モガティー」は、
モダンガールをイメージした爽やかな甘さのお酒です。
銀ブラをかけた「宇田ブラ」という名のカクテルもあります。
ホテルでカクテルを楽しんでいた文化が町場に出てきて
日本人のバーテンダーが日本人のゲストにカクテルを振舞うことに
魅かれたそうです。
鈴木さんにとって大切な日本人バーテンダーがいます。
日本のバー文化の礎を築いた、前田米吉です。
前田米吉は当時、東京・四谷の「カフエライン」という店に勤める
バーテンダーでした。
そして、大正13(1924)年に、
当時の最新287種のカクテルのレシピを分量を表記して紹介した
カクテルブック『コクテールkokuteeru』を発表しました。
洋酒に関する情報や材料が乏しい時代に、
実用的で、仕事に役立つカクテルブックだったに違いありません。
日本に「カクテル」が初めて伝わったのは、
明治の開国直後です。
万延元(1860)年、横浜の外国人居留地に開業した
「横浜ホテル」に我が国初のバーが誕生し、
明治43(1910)年)に、銀座に日本で初めての街場のバー
「カフエ・プランタン」が生まれました。
大正時代に入ると、
大都市に相次いでカフエやバーが開店。
そして大正13(1924)年に、日本人の手によって初めて
体系的で本格的な「カクテルブック」が2冊の生まれました。
秋山徳蔵著の『カクテル(混合酒調合法)』と
前田米吉著の『コクテール』です。
前田米吉のオリジナルカクテル「ラインコクテール」を
鈴木さんに再現していただきました。
ジン、フレーバーワイン、リキュールなどをベースに
「らっきょう」が1粒入っています。
カクテルを飲みながら、どんな時を過ごしたのでしょうか。
ラインコクテール【注67】
コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に
ジン 三分の一オンス
ベネヂグチン【注68】 三分の一オンス
伊太利ベルモット 三分の一オンス
アンゴスチュラビタ 二振り
を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、
之に小さいラッキョ一個をつぶし加えてすすめる。
【注67】「ラインコクテール」は、
現時点では前田氏の本にのみ見られるカクテル。
「ライン」という名は、前田氏の勤務先だった
「カフエライン」に由来するのかも。
【注68】「ベネヂグチン」とは言うまでもなく、
ハーブ系リキュール「ベネディクティン」のこと
(8頁の【注8】参照)。
The Bellwood
- 住所:〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町41-31
- 電話:03-6452-5077
美の壺2.時代を映し 軽やかに美しく
「銘仙」
大正末期、女学生をきっかけに
日本中に広まったファッションアイテムがあります。
「銘仙」(めいせん)と呼ばれる平織りの絹織物の一種です。
元々は、養蚕農家の織子が売り物にならないくず糸を使用して
自らが着用するものを織り上げたものです。
その着心地の良さと軽さ、安さが受けたことで、
明治・大正・昭和と徐々に庶民の間に浸透していきました。
取り分け発展し浸透したのは、
1800年代後半から1900年代前半にかけての明治・大正のことです。
きっかけを作ったのは、陸軍軍人の乃木 希典(のぎ まれすけ)でした。
この頃、当時の学習院などのお嬢様学校の女学生は
友禅などを着用して学校に通っていましたが、
当時、学習院院長に就任した乃木の目には、
高価な振袖は贅沢だと感じたようです。
制服を銘仙程度の服装にすることが定められました。
ですが、質素で絵柄も少ない「銘仙」は、
女学生にとって着用したいものではありませんでした。
これを受け、伊勢崎の呉服商と機屋が共同して、
それまでの地味なものとは違った、
色鮮やかで多彩な柄の模様「銘仙」を生み出しました。
この後、伊勢崎に加え、
埼玉・秩父や栃木・足利といった地域でも「銘仙」が仕立てられ、
大正末期から昭和初期の10年の間に1億反の銘仙が売れたそうです。
1950年代には最盛期を迎えました。
なお、当初は平仮名の「めいせん」でしたが、
明治30(1897)年、東京三越での販売に当たって
「各産地で銘々責任をもって撰定した品」ということで
「銘撰」の字を当て、
その後、「銘々凡俗を超越したもの」との意味で
「仙」の字が当てられて「銘仙」となったと言われています。
現在「銘仙」は、その特徴的な風合いから
「アンティーク着物」と呼ばれることもあり、
幅広い年齢層から支持を集めています。
銘仙蒐集家の桐生 正子さんは、
学生時代より「銘仙」のコレクションを始め、
その数は600点以上になります。
桐生さんは、
ポップでモダンな100年前のものとは思えないデザイン性に
魅力を感じるとおっしゃっていました。
「銘仙」の代表的な産地としては、
栃木・足利、群馬・桐生、群馬・伊勢崎、埼玉・秩父、東京・八王子と、
多くは関東で作られています。
その中でも最も有名な産地が埼玉県秩父市です。
2代目・新井教央さんは、
秩父銘仙の伝統的な技法「ほぐし捺染」を守って
今も作り続けています。
「
新啓織物」で使われている機織り機も大正時代のものです。
「ほぐし捺染」は、揃えた経糸に粗く緯糸を仮織し、
そこに型染めをし、製織する技法です。
製織の際に仮織りした緯糸を手でほぐしながら織っていくため、
「ほぐし捺染」とか「ほぐし織り」と呼ばれています。
糸に型染めをするため、表裏が同じように染色され、
裏表のない生地が出来上がります。
また、経糸の型染めの色と緯糸の色との関係で
角度によって色の見え方が異なる
「玉虫効果」が見られる場合もあります。
新井さんは、同じ秩父市内にある「イチローズモルト」の
「株式会社ベンチャーウイスキー」の吉川由美さん、
ラベルデザインのグラフィックデザイナー・吉田武志さんと3人で、
ウイスキーをイメージした銘仙の新柄を作りました。
吉田さんがデザインしたのは、
ウイスキーの原料の大麦の形を抽象化して矢羽根に見立てた柄、
「大麦矢羽根」です。
新井さんは、変わっていくことも銘仙の魅力だと言います。
時代を映し出すのも銘仙なのですね。
- 住所:〒368-0022
埼玉県秩父市中宮地町37−9
- 電話:0494-22-3140
美の壺3.受け継ぎ 守ってきた思い
モダンボーイのステッキ(銀座タカゲン)
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大正時代から昭和初期、お洒落なモダンボーイが、
スーツ姿に身を包み、頭には山高帽子、
手にはステッキを携えて、街を闊歩していました。
銀座の中央通りに
元々、刀剣類古物商を営んでいましたが、
「廃刀令」が施行されたことから、
明治15(1882)年に初代高橋源蔵さんが、
日本で最初のステッキ・洋傘の小売商として
髙橋商店を開業しました。
店内には、男性用と女性用共に種類豊富で、
300〜400本のステッキがずらりと並んでいます。
実用性は勿論、ファッションアイテムとしての人気も高く、
男性用は勿論、女性用の華やかなデザインも目を引きます。
知識豊富なスタッフが、
それぞれの体形に合わせた使い勝手の良いステッキを
提案してくれます。
4代目社長の高橋源一郎さんに
商品をご紹介していただきました。
銀製の持ち手に黒檀の柄のステッキ、
竹の根を用いて持ち手の部分を熱で曲げた
手製のステッキなどがあります。
南米の材木、スネークウッドで作られたステッキは
柄の部分が蛇皮のような木目で100万円を超えるものだそうです。
故・吉田茂首相も利用したお店です。
高橋さんは、いいものを作ってお客様に喜んでいただくことが
何よりも大切なことだとおっしゃっていました。
- 住所:〒104-0061
東京都中央区銀座1丁目9−18
ぎんざ姿ビル 1階
- 電話:03-6263-9515
ステッキ製作(「ステッキ専門 T・HIDEO」高橋英雄さん)
ステッキの維持・発展のために、
木製のステッキを専門に作る、日本に数少ない職人のお一人です。
東京江戸川区に工房「ステッキ専門 T・HIDEO」を構え、
実用的な用途だけでなく、
ファッションアイテムともなりえる新たなステッキ作りも
行っています。
高橋さんは、
「使ってもらう人がいるので真面目に作りたい。
自分の納得するものを届けたい」とおっしゃいます。
高橋さんのオリジナルのステッキの製作する様子を
見せていただきました。
まず、板の状態の木から持ち手の柄の型を切り抜きます。
角を滑らかに削ったら、持ち手と柄を繋ぎます。
後は、最後に塗装をするだけです。
細かい部分は全て手作業で調整していきます。
全工程1人で行いますが、ここまで実質2時間です。
高橋さんが残している木材を見せてくれました。
「スネークウッド」の木材です。
自分以上に優れた技術の持ち主が現れた時に
使ってもらうために残しているそうです。
ステッキ作りに込められた思いが伝わります。
蛇の鱗の様な美しい模様をもつ
「スネークウッド」は
別名「豹麗木」「レターウッド」とも呼ばれる
世界最高峰の銘木材です。
南米のギニア周辺のみで生育しており、
産出量も少ないため、希少な木材です。
気乾比重が1.22と非常に重いため、
世界一重い木のひとつだと言われています。
ステッキ専門T・HIDEO
- 住所:〒132-0025
東京都江戸川区松江4-30-8
- 電話:03-3652-2469