MENU

美の壺「鬼」<File 391>

今週のお題「鬼」

<番組紹介>
 ▽魔除けの「鬼瓦」。
  迫力を出すための造形の秘密とは!?
 ▼寺社の本殿や五重塔など、
  大事な建物を支える「邪鬼」と呼ばれる鬼。
  神聖な場所で働く理由とは!?
 ▼集落ごと100もの「鬼の踊り」がある佐渡島。
  神とあがめられる鬼の面に
  角が生えていないのはなぜか!?
 
本人にとっての「鬼」を見つめ、意外な魅力を鑑賞する。
 
<初回放送日:平成28(2016)年10月14日>
 
 

美の壺1.より怖く、より強く

 

国宝「知恩院 御影堂」の鬼瓦


www.youtube.com

 
平成29(2017)年2月20日、国宝・知恩院御影堂(みえいどう)で、
修理のために取り外されていた国内最大級の鬼瓦が
屋根の最上部、高さ約28mの大棟(おおむね)の東西に
据え付けられました。
 
鬼瓦は、高さ2.27m、幅2.94m、奥行き0.39m、
重さが約930㎏と国内最大級の大きさを誇ります。
頭と鰭合わせて九つのパーツから出来ています。
 
東側にある鬼瓦の額には「太陽」が、西側は「月」が描かれており、
陰陽を表しています。
鬼が目を見開き、邪気を払う姿が甦りました。
鬼瓦の鬼の顔は
下から見上げた時に丁度良くなるように作られているそうです。
 
知恩院は、浄土宗の開祖・法然が亡くなった地に建つ
お寺です。
江戸時代に徳川家康が生母・伝通院の菩提寺と定めたことから寺域が拡大され、慶長8(1603)年に知恩院の中心、本山の中心をなす法然上人の像(御影)を安置する「御影堂」が完成しました。
寛永10(1633)年の火災で一度は焼失したものの、その6年後の寛永16(1639)年に三代将軍・家光によって再建されました。
平成14年には国宝に指定されています。
300年程前の元禄期と、100年程前の明治末期にそれぞれ大修理が行われましたが、瓦の傷みが激しく、屋根の重みで屋根を支える部分に歪みを生じるようになってきたため、平成23(2011)年10月から、過去最大規模の「平成の大修理」が行われました。
そして令和2(2020)年10月25日、国宝御影堂落慶奉告法要が厳かに執り行われました。
 


www.youtube.com

 
 


www.youtube.com

 
  • 住所:〒605-8686
       京都府京都市東山区林下町400
 
 

「北川鬼瓦」(鬼瓦製作所の鬼師・北川鬼瓦製作所)

北川富江さんは、
現存する最古の鬼瓦流派「立川流」を正統に受け継ぐ
全国でも稀な鬼師です。
 
従来の鬼瓦の製法に加えて、
深い陰影や 立体感を持たせた技法を取り入れるとともに、
過去の鬼瓦には無かったモチーフの研究を行い、
日本画の名作等を鬼瓦で表現するなど熟練の技を発揮しています。
 
国宝・重要文化財指定の神社仏閣の鬼瓦の復元も
多数手掛けています。
 
 
六代目の順一さんも逞しく美しい鬼瓦を製作しています。
低迷する伝統工芸の未来を憂い、
WEBでの鬼瓦和置物の販売も行っています。
 


www.youtube.com

 
鬼瓦は時代によって形が変わっているそうです。
白鳳時代の鬼は角がありません。
一方、角の生えた鬼は
北野天神縁起絵巻(きたのてんじんえんぎえまき)の雷様が
ルーツのひとつと言われています。
   
北野天神縁起絵巻(きたのてんじんえんぎえまき)は、
北野天神を題材とした鎌倉時代の絵巻です。
非業の死を遂げた菅原道真(845〜903)にまつわる生前の出来事、薨去後の怨霊譚、北野社の創建や霊験譚を内容とする天神縁起の絵巻です。
 
  • 住所:〒915-0873
       福井県越前市池の上町8-5-1
  • 電話:0778-23-5744
 
 

彫刻家・東京藝術大学大学院教授・籔内 佐斗司さん

 
薮内さんは、平城遷都1300年記念事業のマスコット
「せんとくん」の生みの親。
大学では、保存修復の専門家として、
仏像の修復や復元など、長年、仏像研究を行ってきました。
東京芸術大学大学院教授を退任後は、
奈良県立美術館の館長に就任し、
東大寺の国宝「執金剛神」の完全復元プロジェクトを指揮する他、
唐招提寺、西大寺にも仏像を奉納されているようです。
 
薮内さんには、せんとくんファミリーの「平成伎楽団」だけでなく、
「無邪鬼」と名付けられた棍棒を手に寝そべる鬼など、
ユーモラスな働く鬼たちの作品が多くあります。
薮内さんによると、
鬼は人間を改心させるためにわざと怖くしているのだそうです。
 


www.youtube.com

 
 

美の壺2.汚名返上、面目躍如の活躍

 

奈良・東大寺の邪鬼足外香炉

古来、天変地異を起こしてきたと言われる鬼。
「鬼」と言えば、
日本の妖怪、民謡や郷土信仰に登場する悪い物、
恐ろしい物、強い物を象徴する存在です。
 
他方、鬼には仏教を守護する神のひとつとしての面もあります。
高名な僧が寺を開く際、その徳を感じた日本の寺では
鬼瓦や塔の四隅を守る天邪鬼など、
護法神としての鬼が数多く活躍しています。
 
東大寺大仏殿二月堂には「邪鬼足外香炉」と呼ばれる
三体の鬼(天邪鬼:あまのじゃく)が支える大香炉があります。
 
「天邪鬼」とは天の邪魔する鬼であり、
本来は仏教とは関係のない、
『古事記』にも出てくる日本古代の悪い精霊です。
それが古代Chinaの「海若」が「あまのじゃく」と訓読されることから、
日本古来の天邪鬼と習合し、
足下の鬼類をも指して言うようになったと言われています。
寺で見かける邪鬼は、四天王の部下であり、
お釈迦様の説法や仏法を邪魔するためにやって来る
悪魔達を追い払うためにいる夜叉神(善神)であり、
護法神です。
大香炉を支える「邪鬼」は、
一見、苦役に甘んじているように見えるのですが、
実は力自慢で、自ずから進んで大香炉を背中に乗せているのです。
 
 
  • 住所:〒630-8211
        奈良県奈良市雑司町406−1
 
 

京都・仁和寺 五重塔の邪鬼

京都仁和寺の五重塔の尾垂木の先端をよく見ると、
小さな鬼が屋根を必死になって支えている姿が見えます。
これらの邪鬼も「夜叉」(やしゃ)であり、
塔の四方に配することで、四方の邪を退けると言われています。
 
 
  • 住所:〒616-8092
       京都府京都市右京区御室大内33
 
 

奈良・興福寺 国宝「龍燈鬼」「天燈鬼」

国宝「天燈鬼」・「龍燈鬼立像」(てんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)は、
奈良市にある世界遺産・興福寺の国宝館に安置されています。
鎌倉時代、四天王像に踏みつけられる邪鬼を独立させ、
興福寺西金堂の仏前を照す役目を与えたものです。
鎌倉時代を代表する仏師である運慶の三男、康弁の作と
言われています。
 
「天燈鬼像」は、2本の角と3つの目を持ち、
口を大きく開き、やや横目で前方を睨み、
左肩に乗せた燈籠を左手で支えます。

「龍燈鬼像」は、腹前で左手で右手の手首を握り、
右手は上半身に巻きついた龍の尻尾を掴み、
頭上に乗せた燈籠を上目づかいに睨んでいます。

  • 住所:〒630-8213
       奈良県奈良市登大路町48
 
 

美の壺3.鬼の舞の神々しさ


www.youtube.com

 

佐渡ヶ島の鬼太鼓

4月の佐渡では島内各地で春祭りが行われます。
特に島開きの「4月15日」には約40ヶ所の集落で祭礼が行われ、
集落が賑やかになる1日です。
地元の鬼太鼓が、
朝早く、場所によっては夜中に神社で打ち出しを行った後、
「門付け」(かどづけ)を行い、
門付けされた家では、振る舞いの料理やお酒で一団をもてなします。
 
「鬼太鼓」は「おにだいこ」ではなく「おんでこ」と読み、
読んで字の如く、鬼が太鼓の音に合わせて舞い踊る伝統芸能です。
 
その起源ははっきりと分かっていませんが、
18世紀後半に記された『佐渡年中行事絵巻』には、
相川の祭りとして「鬼太鼓」の様子が紹介されています。
厄払いや商売繁盛、五穀豊穣にご利益があるとして、
各地で行われるようになり、
毎年4月に行われる佐渡の恒例の行事となったのです。
最近では海外へも進出し、多くの外国人からも注目を浴びています。
 
鬼の踊り方は地域によって異なり、
大きく「豆まき流」「一足(いっそく)流」「前浜流」「花笠流」「潟上流」の
5つに分けられると言われていますが、
同じ型でも鬼の踊りや太鼓の叩き方は微妙に異なり、
一つとして同じものはありません。
120種類もの踊りが存在すると言われています。
番組では、佐渡下久知地区の鬼太鼓が登場します。
 
毎年5月には両津港のそばの「おんでこホール」では、
佐渡ヶ島において一年を通じて最も盛り上がりを見せるお祭り、「佐渡國鬼太鼓どっとこむ」が行われます。
毎年1万人近くを動員する、島を上げての一大イベントです。
名物の「鬼太鼓」に「佐渡おけさ」「大黒舞」「相川音頭」など、様々な佐渡伝統芸能が披露されます。
 
 
最も古い潟上(かたがみ)地区の鬼太鼓には、
能の「運び」と言われるすり足の所作が残っています。
世阿弥が佐渡から能楽師の娘婿に書き送った
『宝山寺観世世阿弥能楽伝書 佐渡状』には、
「私は心をもった鬼を演じている。
 恐ろしいだけの鬼を演じるのは他の流派のすることだ」
と書いています。
 


www.youtube.com

 
 

世阿弥が伝えた鬼の面「神事面べしみ」

 
佐渡市金井町にある曹洞宗の正法寺は
世阿弥に関係した寺院です。
佐渡は、現在でも数多くの能舞台が残る
「能の島」と呼ばれています。
 
世阿弥は佐渡に配流された折、正法寺に移り住みました。
正法寺には、世阿弥の姿を世に伝える木彫の『世阿弥像』や
世阿弥が腰かけたと伝わる腰掛石が保存されています。
 
 
また、鎌倉時代後期に作製された『神事面べしみ』という面も
残っています。
黒目の縁、眉間、唇の境は朱色、白眼の部分には金泥が塗られた
群青色の面は異様で、強いパワーを感じさせます。
島では鬼の面と伝えられてきました。
 
 
この面は雨乞いの面として知られています。
干ばつの年に世阿弥がこの面をつけて舞ったところ、
大雨になったことから、
以後、雨乞いために用いられるようになったそうです。
 
正法寺
  • 住所:〒952-1212
       新潟県佐渡市泉甲504
  • 電話:0259-63-2032
 

f:id:linderabella:20210513110059j:plain