MENU

美の壺「うぐいす」 <File 475>

<番組紹介>
「ホーホケキョ」の鳴き声は、
個体によって音の高さが違ったり、
「ホーホケキョキョ」などと鳴き方が異なっていたり…
バリエーションの秘密とは!?
 
 ▽喜多川歌麿や歌川広重など、
  そうそうたる絵師が描いてきた
  「梅の木とうぐいす」の絵。そのモチーフに、
  現代の日本画家が新たな発想で挑む!
 ▽春の定番「うぐいす色」。
  着物や帯、和菓子などを紹介!
 ▽江戸家小猫さんの名人芸も必聴!
初回放送日: 平成31(2019)年4月26日(金)
 
 
 

美の壺1.心に宿る春のさえずり

 

うぐいすの鳴き声(江戸家子猫さん)

 
動物の鳴きまねの名人、江戸家子猫さん。
小指を口にくわえて鳴き声をまねる「鶯」(うぐいす)
江戸家伝統の芸です。
舞台映えする「鶯」(うぐいす)の鳴き声は、
リアルな鳴き声ではなくデフォルメが必要だそうです。
 
 

うぐいすのさえずり(国立科学博物館附属自然教育園研究官・濱尾章二さん)

 
うぐいすのさえずりを研究している
国立科学博物館附属自然教育園研究官・濱尾章二さんによると、
うぐいすの鳴き声には
「メスへの求愛」と「縄張りを主張する」という
2つの意味があるのだそうです。
 
多くの場合、鳥はオスがさえずります。
メスを引きつけるためです。
そして、縄張り内で同種の他のオスがさえずると、
縄張りに侵入したライバルを探し、追い払おうとします。
他の種の音声には反応しません。
これは、「縄張り防衛」や「メスの獲得」に専念するためと思われます。
 
そして一般的には、
鳥はつがいになるとさえずりが急に不活発になるのですが、
うぐいすのオスの場合、
早春から真夏まで繁殖期を通じて活発にさえずり続けます。
実は、うぐいすのオスは一夫多妻。
藪の中に作られる巣はヘビや哺乳動物に襲われることが多く、
巣立ちに至るのはわずか27%程度だそうです。
そのため、メスのつがい相手を変えるため、
一方、オスは多くのメスを獲得するために、
さえずり続けているのです。
 
うぐいすにの鳴き声がだんだん上手になっていくのは、
鳴き方のバリエーションを増やして
オスとしての魅力を高めるためのようです。
 
 

美の壺2.万葉の時代から受け継がれる春の息吹

 

「梅にうぐいす」(日本野鳥の会理事・松田道生さん)

 
花札や浮世絵でお馴染みの「梅にうぐいす」のモチーフ。
浮世絵師の広重も、構図を変えて何枚も描いています。
なぜこんなに魅力的なんでしょう。
 
日本野鳥の会の理事・松田道生(まつだみちお)さんによると、
「梅」も「鶯」もそれぞれ春を思わせるモチーフなので、
この二つを組み合わせて
春のイメージを強調したのではないかとおっしゃいます。
 

 
ところが現実には、
うぐいすが梅の枝に留まっている姿は滅多に見られないそうです。
なぜなら、普段、
うぐいすは地面の近くにいて地面の上にいる虫を食べているので、
枝に留まる必要がないからだそうです。
 
 

万葉集に収められた「梅にうぐいす」

 
それでは、なぜ「梅にうぐいす」のモチーフが生まれたのでしょうか。
「梅にうぐいす」の由来は『万葉集』の和歌にありました。
 
梅の花 散らまく惜しみ
   わが園の 竹の林に 鶯鳴くも

 <訳>
   梅の花が散ることを惜しんで、
   私の庭園の竹の林ではうぐいすが鳴いています。
 
作者は、小監阿氏奥嶋(せうけんあじのおくしま)
大宰師の大伴旅人(おおとものたびと)邸で開かれた
梅花の宴にて詠まれた「梅花(うめのはな)の歌」三十二首の歌のうちの
ひとつです。
 
 

日本画家・上村 淳之さん


www.youtube.com

 
上村淳之(うえむら あつし)さんは、
現代花鳥画の礎を築き上げた日本画家です。
上村松篁の子として京都市に生まれ、
祖母は女性として初めて文化勲章を受章した日本画家・上村松園と、
三代続く日本画家です。
 

 
上村淳之さんは大学進学を機に、
松園が晩年を過ごした奈良市にある「唳禽荘」(れいきんそう)に移り住み、
好きだった鳥の飼育を始めたことが花鳥画制作のきっかけなのだそうです。
 

 
このように鳥の愛好家としても知られる上村淳之さんは、
自宅で鳥を飼育しながら、花鳥画を描き続けています。
 
アトリエの一部は鳥小屋になっていて、
市に特別な許可をもらい、
ジョウビタキやシジュウカラを飼っています。
更に、自宅の庭で1800羽以上の超える鳥を飼い、
その生態を観察し、
鳥への温かな目線を通して、人間の内面をも映し出すような
 

 
「梅にうぐいす」のモチーフを手掛ける上村さん。
案外地味な色合いのうぐいすは、
梅の花を白くすることによって、際立ってきます。
出来上がったうぐいすのモデルは、なんと上村さん自身。
上村さんの描く鳥は、写実を超えたオリジナルです。
 
 

美の壺3.色で感じる春

 

本家菊屋のうぐいす餅「御城之口餅


www.youtube.com

 
奈良名物「御城之口餅(おしろのくちもち)は、
粒餡を餅で包み、青大豆のきな粉をまぶした
ヘルシーな1口サイズの「うぐいす餅」です。
 

 
大和郡山市に風格ある本店を構える「本家菊屋」は
創業が天正13(1585)年と、
歴史ある奈良県で400年以上続く老舗御菓子です。
 
郡山城に、秀吉の弟・秀長が入城した際に付き従った
菓子職人・初代菊屋治兵衛は、
「兄の豊臣秀吉公をもてなす茶会をするから
 何か珍しい菓子を作るように」と命じられました。
そこで、粒餡を餅で包みきな粉をまぶしたお菓子を献上したところ
秀吉は大層気に入り、天正年間(1580年代)に「鶯餅」と命名、
以来、この「鶯餅」は400年以上受け継がれてきました。
一説には、全国の鶯餅の原型とも言われています。
 
時が経ち、「本家菊屋」が
御城之大門を出て町人街の1件目にあることから
いつしか、お城の入口で売っているお餅、
御城之口餅」と通称が付き、現代に至っています。
 

 
  • 住所:〒639-1134
       奈良県大和郡山市柳1丁目11番地
  • 電話:0743-52-0035

 
 
 

「うぐいす色の染色」染織史家・吉岡幸雄さん


www.youtube.com

 
 
京都・伏見にある江戸末期に創業の染屋「染司よしおか」。
奈良・東大寺で1260年以上続く伝統行事、
「修二会」(しゅにえ)の「お水取り」の造り花を始め、
暖簾や和装小物など、様々な品を天然の染料のみで染め上げています。
 

 
明治時代にヨーロッパから化学染料が伝わると、
安定して大量に染められる化学染色が導入されましたが、
5代目当主で染織史家の吉岡幸雄(よしおかさちお)さんは、
再び、天然染料のみを使った染色に回帰、
染師・福田伝士さんと二人三脚で
植物染による日本の伝統色の再現に取り組みました。
 


www.youtube.com

 
 
吉岡幸雄さんは、残念ながら
令和元(2019)年9月30日に逝去されました。
現在は、お嬢さんの吉岡更紗(さらさ)さんが6代目となり、
父・幸雄さんが大成した「よしおか」流の植物染めを受け継ぎ、
毎年行われる寺社の行事はもちろん、
近年はイベントのインスタレーションやロビーのディスプレーなど、
多方面に発表の場を広げています。

  • 住所:〒605-0088
       京都府京都市東山区西之町206−1
  • 電話:075-525-2580
 
 

うぐいす色の紬を扱う呉服店(銀座 もとじ

吉岡さんが染めた布は、呉服の生地になります。
銀座にある呉服店「銀座 もとじ」には、
吉岡さんが染めた上げた紬の着物が並びます。
 
そこに白っぽい大島紬をまとって現れた女性。
白っぽく見える中には、
細かくうぐいす色の幾何学模様が織り込まれていました。
 

(参考)白大島
    吉岡幸雄さんとも銀座もとじさんとも関係ありません。

f:id:linderabella:20210513110059j:plain