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美の壺「絹の至宝 丹後ちりめん」<File 502>

<番組紹介>
誕生から300年
「海の京都」丹後地方で育まれた独特の光沢を持つ織物
 ▽玉三郎が語る歌舞伎舞踊の衣装に欠かせない
  しなやかな着心地
 ▽白生地に織り込まれた地紋・柄は吉祥文様など
  1万種類以上
 ▽江戸から続く「シボ」を生み出す驚異の技
 ▽京都の職人の手から手へ。
  地紋のある白生地に染めや模様を施し
  10の工程を経て生まれる京友禅の最高峰
 ▽丹後の植物で染め上げた草木染の着物に描かれた
  ヤシャブシの森
 
<初回放送日:令和5(2023)年月日(金)>
 
 
 
京都府の北部・丹後地方は「丹後ちりめん」の故郷です。
およそ300軒の機屋で「丹後ちりめん」が織られています。
 

 
丹後で織られているのは、主に「白生地」と呼ばれる、
染める前の反物です。
その特徴は、柔らかな光沢を生む「しぼ」と呼ばれる凹凸。
そして織り込まれた多彩で美しい地紋「柄」です。
 

 
「丹後ちりめん」の多くが、
京都の職人の手から手へ渡って美しく彩られ、
日本の伝統的な着物になります。
 
地元の老舗旅館「万助楼(まんすけろう)
女将、大町益美さんは一年中、
「丹後ちりめん」の着物を着て働いています。
「体も楽ですね」
 
「丹後ちりめん」が誕生して、今年で300年。
確かな技術が育んだ 美しさの秘密を紐解きます。
 

 
 
 
 

美の壺1.多彩な表情をたのしむ

 

吉村商店 峰山支店・支店長 吉岡 均さん)

 
京都府京丹後市峰山町にて天保元(1830)年に創業した、
約190年の歴史を持つ「丹後ちりめん」の
総合問屋「吉村商店」には、
地域で織られた「丹後ちりめん」の白生地が集まります。
 

 
吉村商店」峰山支店の支店長の吉岡 均(よしおか ひとし)さんは、
「丹後ちりめん」を商って50年になります。
吉岡さんに「丹後ちりめん」の魅力について伺いました。
 
「丹後ちりめん」は、京都府・丹後地方で織られている、
生地表面に「シボ」と呼ばれる凹凸を表した後染めの織物です。
 

 
ちりめんは「シボ」があることにより、
シワがよりにくく、しなやかな風合いに優れ、
凸凹の乱反射によって着物に立体感や柔らかい光沢が生まれ、
深みのある色を醸し出すことが出来ます。
しかも、さらりとした肌触りの良い織物です。
 
一口に「シボ」と言っても、
細かい「シボ」から、「鬼シボ」と呼ばれる大きな「シボ」など、
その種類は実に多様です。
 
 

 
一方、「柄」いわゆる「地紋」(じもん)は、
1万種類に上ると言われています。
こちらは古典的な吉祥紋様を織り込みました。
近頃は「和モダン」と呼ばれるオリジナルの柄も人気です。
こうした「シボ」や「柄」が、着物に光沢や深い味わいを与えるのです。
 

 
吉村商店 峰山支店
  • 住所:〒627-0032
       京都府京丹後市峰山町浪花17
  • 電話:0772-62-1100
 
 

「玉三郎好み」(坂東玉三郎さん)

 
人間国宝・坂東玉三郎さんも
「丹後ちりめん」に魅せられた一人です。
坂東玉三郎さんは、
幼い頃から「縮緬」(ちりめん)に親しんできました。
 

 
「私は”シボ”の立った、いわゆる織り目の細かい波の
 ”シボ”の立った縮緬が大変好きでですね。
 小さい時から、肌触りの良い、
 夏はちょっとひんやりとした座布団の上に座ってるのが、
 大変、好きだったんですね。」
 
坂東玉三郎さんは、毎年、
丹後ちりめんの一大産地である京丹後で、
『坂東玉三郎京丹後特別舞踊公演』を行っています。
 
ここで「丹後ちりめん」との新たな出会いがありました。
偶然、「吉村商店」に立ち寄った時のことです。
この問屋の蔵で、これまでに見たこともない、
珍しい縮緬に出会ったのです。
 
「ようけの在庫の中から、2~3点、持ってこられてですね。
 これはいいものだと、びっくりしましたね。
 こういうものを染めて、
 美しく皆さんに装えればなと思いましたし、
 私の世界では、衣装に豊富に使えるということで、
 大変な喜びだったんです。」
 
以来、玉三郎さんは毎年、丹後で踊りの公演を開き、
昨年は丹後ちりめんで作った黒の打掛け着て、
地唄の「由縁の月」(ゆかりのつき)で踊りました。
 


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また、玉三郎さんは「縮緬」の良さを多くの人に知って欲しいと、
300色もの好みの色で染めた反物を作りました。
反物は吉村商店さんで
「玉三郎さん好みの色」として展示されています。
 
「丹後の方々といろいろお話ししましてね、
 もっとこういうものがいいんじゃないかとか、
 ああいうものがいいんじゃないかって、
 相談しながらね、作ってきましたんですね。
 豊富な色合いというものを揃えて、
 どういうふうに着ようかなという喜びというものは
 特別なものですね。」
 
蔵の中での偶然の出会いは、
「丹後ちりめん」に新たな光をもたらしました。
 

 
 
 

美の壺2.300年続く織の知恵

 

丹後ちりめん独特のシボ(「高美機業場」3代目・高岡 徹さん)


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「丹後ちりめん」の凹凸、「シボ」は
どのようにして生まれるのでしょう?
 
昭和24(1949)年に創業した
高美機業場(たかみきぎょうじょう)
3代目・高岡 徹さんに伺いました。
 
「シボ」は、
撚りのない「経糸」と撚りが強くかかった「緯糸」を織り、
精練(せいれん)する際に緯糸の撚りが戻ることで生み出される
風合いです。
緯糸に撚りをかける作業を「撚糸」(ねんし)と言いますが、
この時、「八丁撚糸機」(はっちょうねんしき)を使って、
糸切れを防ぎ、撚りを戻さないために、
常に水を噴霧状にかけながら
緯糸1mにつきおよそ3000回から4000回の強い撚りをかけます。
ちりめん作りには、湿度が欠かせないのです。
 
 
 
ちりめんは丹後地方の湿潤な気候によって育まれました。
丹後地方は基本的に湿度が凄い高い地域です。
「浦西」(うらにし)と呼ばれる季節風が吹いて
一日の気候の変化が激しいような場所です。
 
「浦西」(うらにし)とは、晩秋から冬にかけて
日本海側の北近畿や山陰、北陸地方などで見られる、
季節風を伴う時雨の特徴的な天気を指す言葉です。
1日の中で非常に天気が変わりやすく、
晴れていると思えば急に雨が降ったり、
雨が降ってきたと思ったらすぐに止んだり、
空がコロコロと表情を変えます。
あまりにもコロコロ変わるので
「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほどです。
 
 
強い撚りがかかった緯糸に、
経糸を組み合わせて生地を織り上げます(製織)。
丹後地方の機屋で織った生地は1か所に集められます。
織られた布をお湯に入れ、
生糸のタンパク質(セリシン)や汚れを落とす
「精練」という作業を行います。
そうすると、ヨリのかかった緯糸が大きくうねります。
こうしてちりめんの凹凸 の「シボ」が出来上がるのです。
 

 
「丹後ちりめん」は、
享保5(1720)年に丹後出身の職人・森田治郎兵衛(もりたじろうべえ)
京都・西陣から持ち帰ったのが始まりと言われます。
それから300年。
当時の技は、今も脈々と受け継がれているのです。
 
  • 住所:〒629-2262 
       京都府与謝郡与謝野町字岩滝1882
  • 電話:0772-46-3315
 
 
 

ジャカード機(「田勇機業」3代目・田茂井勇人さん)


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「丹後ちりめん」のもう一つの特徴、
多彩な「柄」はどのようにして作られるのでしょうか?
京丹後市網野町にある
昭和6(1931)年創業の機屋「田勇機業」(織元たゆう)さんの
3代目の田茂井勇人(たもいはやと)さんにお話を伺いました。
 

 
 
田勇機業」では、これまでに「ジャカード織機」を使って
数百種類もの柄を織ってきました。
工場内にはガシャンガシャンという音が響いています。
 
「ジャカード機」は、
1801年にフランスの発明家・ジョゼフ・マリー・ジャカール
(Joseph Marie Jacquard)によって発明された自動織機です。
明治期に紋織り装置のジャカード機が導入されると、
生地に複雑な模様を織り込んだ「紋ちりめん」が普及します。
立体感のある「紋ちりめん」の人気は高く、
現在では丹後で生産されるちりめんの7割以上が
「ジャカード機」を使った「紋ちりめん」だそうです。
 
田茂井さんの工場では、
今も当時と同じ仕組みで柄を織っています。
「ジャガード機」は、
「紋紙」(もんがみ)と呼ばれる穴のあいたボール紙によって、
生地に模様を織りなしていきます。
「紋紙」とは、経糸の上げ方を具体的に指示するもので、
生地の模様の繰り返しが長くなればなるほど
紋紙の枚数が増えます。
「ジャカード機」でなければ出来ない柄も多いため、
田茂井さんはこの機械を使い続けています。
 

 
 
「丹後ちりめん」の歴史が育んだ技は、
今も第一線で活躍しています。
 

 
 
 
 

美の壺3.美のリレー 手から手へ

 

京友禅染匠(「吉川染匠」京友禅意匠考案技能士・吉川博也さん)

 
丹後地方で生産された白生地は、
たくさんの職人の手から手に渡り、着物に仕立てられます。
その全行程を統括してプロデュースするのが「染匠」です。
 
明治30(1897)年創業の「吉川染匠」は京手描き友禅の染匠
の、京友禅の職人を束ねる染匠(せんしょう)です。
4代目・吉川博也さんは、京友禅の伝統を大切にしながら、
今の時代にも合う着物をプロデュースしています。
 
 
白生地が着物になる最初の工程は、「下描き」。
吉川さんの指示で、職人が柄を描いていきます。
ごく細い筆で直接、白生地に下描きします。
白生地は和モダンの柄で、細かく複雑です。
 
「下描き」されたちりめんは、次の職人の手に渡され、
「糸目」と呼ばれる糊を真鍮の道具に入れて、模様の輪郭を描きます。
その後は、「色付け」。「染め」や「洗い」、「刺しゅう」など、
およそ10の工程を経て、「丹後ちりめん」が一枚の着物になるのです。
 
伝統的な地紋の「丹後ちりめん」には、
京友禅の伝統的な柄を施すのが古くからの慣習でした。
しかし近年は、「丹後ちりめん」も「京友禅」も、
共に新しい柄の組み合わせが誕生しています。
 

 
誰でも簡単に着ることが出来る着物や
友禅の柄を用いた高級チョコレートの開発、
手描き友禅のアート作品など、
きものと友禅の可能性と表現の幅を広げています。
 

 
  • 住所:〒602-8158
       京都府京都市上京区下立売通
       千本東入下ル中務町490-12
  • 電話:075-823-3858
 
 

草木染め(「木象舎」堤木象さんご夫妻)


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「海の京都」と呼ばれる丹後地方。
この地で「丹後ちりめん」を染めるのは、
染織工房「山象舎」(もくぞうしゃ)の草木染作家、
堤 木象(つつみもくぞう)さんと奥様の東(あずま)かおりさんです。
丹後の自然に魅せられ、夫婦で移住し、30年以上になります。
 
堤さんはそれまで誰もやらなかった
「丹後ちりめん」の「草木染め」した作品、
採集した植物の繊維を使った手織り作品を制作しています。
 
 
堤さんは「植物からいただいた色で、その植物を描く」ことに
しています。
これまで、丹後地方に自生するおよそ50種類の植物で染めてきました。
深い緑は「よもぎ」の色。
丹後の春をイメージしています。
桜模様の振り袖の花びらの部分は、山桜の幹の皮で染めました。
堤さんが特にこだわってきたのは「ヤシャブシ」です。
「ヤシャブシ」は西日本に多く自生している
日本固有のカバノキ科の落葉高木です。
 
 
東京の美術系大学院を修了後、油絵を描いていた堤さんは、
アートプロジェクトに参加するために丹後を訪れます。
時は昭和63(1988)年、バブル絶頂期でした。
 
活動の拠点となる小屋を建てようと仲間と相談していた時に、
何となく選んだ木こそ、
地域の人に「ハゲシバリ」と呼ばれる「ヤシャブシ」でした。
 

 
「ヤシャブシ」は赤土で栄養のない土地に
一早く根を張り土を肥やし、
他の草や木を呼んで、まわりが育つと枯れていく・・・。
地元の人にそう教えてもらって以来、
そのフロンティア精神に惚れ込んだ木象さん。
丹後の地で初めて染めた植物は勿論、「ヤシャブシ」でした。
 
「ヤシャブシ」の実を煮ること、およそ30分。
明るい茶色の染料が出来上がりました。
そこに、「丹後ちりめん」を浸け、地色を付けていきます。
この丹後の海に見立てた、
波のような市松模様の地紋の「丹波ちりめん」は
地元の仲間が織ったものです。
細かな柄のちりめんに、堤さんは
海辺で逞しく育った「ヤシャブシ」を描きました。
 
着物に仕立てると、
一本の「ヤシャブシ」から森が広がる模様になっています。
堤さんはその様に、「丹後ちりめん」の未来を託しました。
 

 
山象舎
  • 住所:〒629-3104
       京都府京丹後市網野町浅茂川1077
  • 電話:0772-72-5696
 

《参考》 イッピン「輝く絹“しぼ”の奥深い世界 京都・丹後ちりめん」

omotedana.hatenablog.com

 

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