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美の壺「風土を織り込む 紬」<File 537>

<番組紹介>
 
絹糸を染めて織り上げる着物、紬(つむぎ)
 
 ▽繭から真綿を作り、手で糸を紡ぐ結城紬
 ▽奄美大島で絹糸を染めるのは島の泥。
  清流で泥を流すと現れる艶めく黒。
  大河ドラマ「西郷どん」の
  テーマ曲を歌った里アンナさんが
  祖母から受けつぐ泥大島を着て歌う
  「糸繰節」
 ▽長野県安曇野で守られてきた、
  絹のダイアモンド、天蚕糸。
  神秘の輝きが紬に。
 ▽古美術鑑定家中島誠之助さんも登場。
  紬と古美術の共通点とは?
 
<初回放送日:令和3(2021)5月7日>
 
 

美の壺1.平らかに積み重ねる糸の温もり

 

古美術鑑定家が語る紬(中島誠之助さん)

 
 
東京・赤坂にあるホテルニューオータニの庭園を
長年「紬」を愛用しているという
古美術鑑定家の中島誠之助さんが散策して
います。
今日も、25年間着ているという「結城紬」で
登場です。
 

 
中島さんは、「紬」はその土地の風土、
作った人達、紡いでくれた人達の技が
直接肌に伝わってくるのが魅力だと
おっしゃいます。
 

 
中島さんは、500年前の古美術品を見ると
500年前の人と対話が出来るのですが、
「紬」にもそれと同じような感覚があると
おっしゃいます。
そして、手仕事で紡いでくれた人達の技が
肌に伝わり、その土地の風土が伝わってくる
のだそうです。
 
中島さんの「いい仕事してますね」という
常套句も、見た目だけでなく、
その物を作る人とその物を形作ってきた
何十年何百年という文化の積み上げに対しての
言葉なのだそうです。
 
 

結城紬の魅力
(呉服問屋「奥順」店主・奥澤武治さん)

 
栃木・茨城両県にまたがって流れる
鬼怒川(きぬがわ)は、
かつては「絹川」とか「衣川」呼ばれ、
栃木県側の生産の中心地は、
「絹村」「桑村」と呼ばれるなど、
桑畑が広がる一大養蚕地でした。
 
「結城紬」(ゆうきつむぎ)は、
茨城県結城市を中心として、主に茨城県と
栃木県の鬼怒川流域にて作られてきた
絹織物です。
 
「真綿」(まわた)から一本一本、手で紡ぎ出して
作られる上質な「紬糸」(つむぎいと)を使って
織られた「結城紬」は、ふわりと軽くて柔らかく、
保温性に優れ、丈夫でしわになりにくいという
特長があります。
 
「真綿」(まわた)
 
蚕の繭を煮て柔らかく広げたもので
空気をたくさん含むため、心地良く優しい素材です。
 
その丈夫さは「三代着て味が出る」と言われる
ほどで、着るたびに味わいが増していくので、
一生物の着物として大切に着続ける人が多いと
言われています。
 
また経年変化による風合いが魅力となり、
代々受け継がれていく最高峰の絹織物です。
 
精緻な「亀甲模様」や
複雑な「絣柄」で構成された柄も美しいです。
 

 
 
贅沢が禁止されていた江戸時代、
質素で堅牢な「結城紬」(ゆうきつむぎ)
武士や町人に好まれました。
 
「結城紬」の製作は、
現在でも全て手作業で行われ、中でも
『真綿(まわた)からの糸つむぎ』、
『絣くくり』、『地機(じばた)での機織り』の3つの工程は、紬織りの原点と評価されて、
昭和31(1956)年に国の重要無形文化財に指定、
昭和52(1977)年には国の伝統的工芸品に指定
されました。

また、卓越した技工は
世界的にも守るべき貴重な技として認められ、
平成22(2010)年にはUNESCO無形文化遺産にも
登録されました。
 

 

結城紬を扱う問屋「奥順」では、
明治40(1907)年の創業以来、
産地の機屋と連携しながら、結城紬の企画と
デザイン及び販売流通を請け負ってきました。

 
奥順」の店主・奥澤武治(おくざわ たけじ)さんに
「結城紬」について伺いました。
 
「結城紬」は「真綿」(まわた)から人の手で
紡ぎ出すことで、素材の良さを損なわない、
最上質の糸が出来上がります。
 
「真綿」は蚕の繭を煮て柔らかくして
広げたものです。
柔らかく、空気をたくさん含むために
温かく、とても心地良く優しい素材です。
 
奥澤さんは、子供の頃に風邪をひくと、
お母さんやお祖母ちゃんに
首の周りに真綿を巻いてもらったそうです。
 

「結城紬」が出来たのも
こんなに温かくて軽い糸を紡いで織ったら、
いいものが出来るのではないかという
生きるための知恵から生まれたのでは、
と語って下さいました。
 
日本全国に数ある紬の中でも、
経糸・緯糸の両方とも「手つむぎ糸」を
使うのは「結城紬」だけです。
 
「奥順」では、平成18(2006)年に
結城紬のミュージアム「つむぎの館」を
オープンさせました。
番組撮影も行われたこのミュージアムには、
「結城紬」が展示されている他、染め織り体験も出来ます。
 

 
 結城紬のミュージアム
 「つむぎの館
  • 住所:〒307-0001
    茨城県結城市大字結城12-2
  • 電話:0296-33-5633
 
 

紬が織りなす技「真綿かけ」
(結城紬の糸紡ぎの伝統工芸士・植野知恵さん)


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植野知恵(うえのちえ)さんは、
繭から袋真綿を作る「真綿かけ」50年の、
希代の名人です。
植野さんに「真綿かけ」の工程を見せて
いただきました。
 

 
「真綿かけ」とは、ふっくらと煮上げ、
よく洗い落とした繭をぬるま湯の中で
袋状に広げる作業です。
表に現れた蛹(さなぎ)や脱皮殻を取り除き、
それを5枚程重ねたら、両手を八の字にして、
厚みが均一になるよう伸ばしていきます。
「平らに平らに。いい糸が紡げますように」と
心を込めて願いながらの丁寧な作業です。
 
拳を入れて引き伸ばしながら、
巾15cm長さ30cmの大きさの袋状に
形を整えます。
袋状にするのは、弾力のある上質な糸を
とるための先人の知恵だそうです。
 

 
ところで、植野知恵さんは
北村織物(きたむらおりもの)さんの
製糸部門に在籍されています。
北村織物」さんは本場結城紬の織元です。
こちらでは、重要無形文化財に指定された
結城紬の製造工程「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り」の3工程全てが見学出来る
数少ない工場のひとつです。
 
  • 住所:〒307-0001
    茨城県結城市結城3564
  • 電話:0296-33-3567
 
 
 
次は、「糸紡ぎ」(いとつむぎ)の工程です。
「紬」(つむぎ)の語源は、「真綿」から
糸を紡ぐ手作業に由来しています。
 
乾燥した「真綿」(まわた)を引き伸ばし、
一辺を「つくし」という道具にひっかけます。
その端から糸を紡ぎ出し、唾液をつけながら
節と汚れを取り除きながら、途切れないように
撚って、どこまでも続く1本の糸になります。
糸は手元の「オボケ」に溜められます。
真綿50枚分の糸を「1ボッチ」と数えます。

1着の「紬」に必要とされる繭は、
何と約2000個。
その長さはおよそ30kmにもなり、
そのため3か月程の時間を要します。
 

この「真綿」の魅力を最大限に生かした
「紬糸」によって織られた「結城紬」は、
ふわりと軽く、温かな着心地と肌触りと
美しさ、そして丈夫さを併せ持っています。
 
 

「亀甲模様」を織りなす技「絣くくり」
(伝統工芸士・野村孟さん)

「結城紬」を代表する模様は、亀の甲羅を
かたどった「亀甲模様」(きっこうもんよう)です。
 

 
六角形の中に十字を描く絣模様で、
染め上げた糸を織り上げることで生まれます。
「絣」とも呼ばれる
この模様を織り上げるための糸の染め分けにも
匠の技が生かされています。
 

 
野村孟(のむらたけし)さんに「絣くくり」の
工程を見せて頂きました。
ピンと張られた絹糸の、模様になる部分には
予め墨で印が付いています。
「絣くくり」とは、その印を寸分違わずに
木綿糸で結んでいく工程です。
その糸を染め上げると、糸を結んだ部分は
染まらずに模様として残ります。
 
1つの着物の紬にくくりつける糸は、
平均でも10万か所に及ぶそうです。
心穏やかに、平らに括り付けることを心掛けているという野村さん。
集中力が問われる作業です。
 
染め分けた糸は、
経糸と緯糸に張り織り上げられ、
「亀甲模様」が浮かび上がりました。
 
 

結城紬「地機織」
(伝統工芸士・小島美佐子さん)


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伝統工芸士の小島美佐子(こじまみさこ)さんに
「地機織」(じばたおり)の工程を見せていただき
ました。
 
結城紬は「地機」で織られています。
「地機」は経糸を腰で吊り、
製織者が腰を使って張力を調整します。
織り手の微妙な腰の動きで、
経糸に張り具合が変わると言われ、
そのため独特の風合いが出ます。
「結城紬」は、人機が一体となって
糸から布へと織り上げられているのです。
 
 
 

美の壺2.土が染める黒の味わい

 

「糸繰節」に育まれて(里アンナさん・島唄歌手)

 
大島紬の故郷・奄美大島。
大河ドラマ「西郷どん」でメインテーマを
歌った里アンナさんが登場しました。
 
奄美大島で育った里さんにとって、
大島紬は常に身近な存在です。
「島唄」と「機織りの音」は
いつもの生活の音でした。
ご家族は大島紬の仕事をしていて、
祖母の恵オリさんが機織りをしている時、
その傍らで、お祖父さんと島唄「糸繰節」の
練習をしていたのだそうです。
 
祖母様から受け継いだ「大島紬」を着て、
唄を披露して下さいました。
 
里さんが着ていた大島紬は、
「杉木立柄」(すぎこだちがら)といういうもので
島の泥で黒く染めたものです。
地味で繊細なのに、凛とした強さや艶やかさを
感じます。
 
「この着物を着ていると、
 おばあちゃんと一緒にいるような、
 おばあちゃんに守ってもらっているような
 気がします」
 
里さんはお祖母様を懐かしみ、
「大島紬」の魅力を語って下さいました。
 
今回の撮影は、「西郷どん」の撮影にも使われた
薗家住宅主屋(そのけ じゅうたくしゅおく)
行われました。
 
薗家住宅主屋」は、明治期に建造された
「登録有形文化財(建造物)」です。
個人所有のため、
家屋内への立ち入りは禁止ですが、
庭園の見学は可能だそうです。
 
薗家住宅主屋
  • 住所:〒894-0508
    鹿児島県奄美市笠利町大字用安85
 
 

大島紬「絣締め」(伝統工芸士・元允謙さん)


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江戸時代、大島紬は税としても納められていた
貴重な織物でした。
着ることを禁じられていた島民は
持っていた紬を田んぼに隠したところ
黒く染まったことが「大島紬」の由来になったそうです。
 
大島紬の伝統的な柄「龍郷柄」(たつごうがら)
この柄は、江戸末期に薩摩藩から
「奄美大島を一番良く表現した大島紬を献上せよ」との命が下り、
図案師が月夜に庭を眺めていた時に
たまたま一匹の金ハブが月
の光で背模様をキラキラと輝かせながら
青々とした蘇鉄の葉に乗り移ろうとした
その一瞬の神秘的な美しさを図案化した
ことから始まっています。
蘇鉄やハブの模様は、
点のように細かく染め上げられた糸を繋げて
柄となっています。

 
全て絹糸で織られる「大島紬」は、
何百という複雑な工程を経て、完成します。
その工程は分業作業となっていて、
それぞれの工程をその専門の職人さん達が
担います。
 
まず、白く染めを残す部分を
木綿糸で締め込んで、それを布状にします。
8代続く大島紬の織元の「はじめ商事」の
伝統工芸士・元 允謙(はじめ ただあき)さんに
「絣締め」(かすりじめ)という工程を
見せていただきました。
「締機」(しめばた)という織り機で、
白く染め残す部分を木綿糸で締め込み
布状にします。
しっかり締まってないと
色がかぶってしまうため、
強く打ち込まなくてはいけません。
こうして精緻な柄を出す準備を経て、
次は「染め」の作業へ移ります。
 
  • 住所:〒894-0062
    鹿児島県奄美市名瀬有屋町30−1 
  • 電話:0997-52-1741
 
 

大島紬「泥染め」
(伝統工芸士・肥後英機さん、純一さん)


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肥後染色(ひごせんしょく)の伝統工芸士・
肥後英機(ひご ひでき)さんと
弟の肥後純一(ひご じゅんいち)さんに
「泥染め」(どろぞめ)の工程を見せていただき
ました。
 

 
大島紬の醍醐味「泥染め」の工程の前には、
もうひとつ大切な工程があります。
それは「染め」の工程です。
材料は、島に自生する樹齢10年以上の
「テーチ木」(和名「車輪梅」(しゃりんばい))。
 

 
その「テーチ木」から抽出した染料で
染めるのですが、
テーチ木には「タンニン」が含まれていて、
その「タンニン」の量で染め具合が決まります。
奄美に自生するテーチ木には
特にタンニンが多く含まれていますが、
それは雨風に晒され、厳しい環境で育ったため
だそうです。
 
そのテーチ木を細かく砕き、2日間煮出し、
1週間寝かせて発酵させた抽出液に
布をつけます。
染まり具合を確認しながら、
何回も繰り返し揉み込むことで、
鮮やかな赤土色に染まりました。
 

 
こうして、いよいよ切り立った山裾に位置する
「泥田」(どろた)へ向かって、
「泥染め」の作業に入ります。
 
肥後さんが50年来通うこの泥田は
鉄分が豊富です。
泥の中に含まれる鉄分がテーチ木のタンニンと反応し、黒く変化していきます。
「鉄媒染」(てつばいせん)と呼ばれる染色方法で
テーチ木と泥田に染める工程を何度も繰り返し
最後に川で泥を洗い流して染色の完了。
漆黒の黒が現れました。
自然と人とが織りなす偶然の賜物の、
それが「大島紬」です。
 

 
  • 住所:〒894-0107
    鹿児島県大島郡龍郷町 戸口2176 
  • 電話:0997-62-2679
 
 

美の壺3.自然が宿る糸の輝き

 
長野県安曇野の北アルプスの麓には、
「絹のダイヤモンド」と呼ばれる紬があります。
「天蚕」(てんさん)
別名「山繭」(やままゆ)からとれる希少な糸で、
天然の萌黄色と光沢が特徴です。
日本在来種の天蚕は
クヌギの葉を食べ、緑の繭を作ります。
 

 
 

「絹のダイヤモンド」
(安曇野市天蚕振興会・会長・田口忠志さん)


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北アルプス有明山の麓のクヌギ林で
「天蚕」は地域の人達に守られています。
 
江戸時代、農家の人々は
保湿性と輝きを併せ持つ「天蚕」を育て、
糸をとり、機織りを始め、
明治30年代に最盛を迎えます。
ところがそんな矢先、広大な山林が
陸軍の演習地として開墾されたことにより、
天蚕は姿を消してしまいました。
 
安曇野で生まれ育った「安曇野市天蚕振興会」会長の田口忠志さんにとって、クヌギ林は
遊び場でした。
子供の目にも、「ヤマコ(山繭)」は緑で
キレイな虫だと思っていたとおっしゃいます。
 
戦後、僅かに残ったクヌギを育てることから
始まった「天蚕」の糸作り。
今、田口さん達は、昔ながらの方法で
「天蚕」の糸を紡いでいます。
「天蚕」は誰かが世話をしないと消えていく
運命。
そして、クヌギと共存していかないと
「天蚕」も生きられないと、穂高天蚕の保護と
後継者の育成にも努めています。
 
安曇野市の「天蚕センター」では、
天蚕飼育の様子や糸繰・機織り作業を
見学することが出来ます。
入場料は無料です。
 
  • 住所:〒399-8301
    長野県安曇野市穂高有明3618−24 
  • 電話:0263-83-3835
 
 

「風土が生んだ煌めき」
(伝統工芸士・武井豊子さん)


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武井豊子 (たけいとよこ)さんは、
松本で45年間、地元の草木で染めた糸で
「松本紬」を織っています。
 
天蚕(てんさん)が持つ天然の色と輝きを、
経糸をすくいながら絵を描くように
織り上げていきます。
早朝の藍や茜色に染まる空に差し上昇る、
一筋の朝日を天蚕の糸で表現し、
ヨモギなど草木染めの糸で織った紬には、
天蚕の糸が生かされています。
 
「素材の絹にしても
 自然の恵みをいただいて織っている。
 自分が持っていた以上の美しさが出たり
 不思議な力がある」と
武井さんはおっしゃっていました。

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