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美の壺「大地の母 山」<File 549>

<番組紹介>
日本人の心のふるさと「山」。
北アルプスの女王と呼ばれる、燕岳。
雲の上の楽園では日の出や星空など
移ろう時が天空の大スペクタルとして現れる。
南アルプス、地蔵ヶ岳の頂に屹立する巨岩、
オベリスク。
縄文時代から人々は、この山に神を見出して
きた。
さらに、関東平野の北西、妙義山の幽玄なる
岩峰。
山水の理想郷を題材にした江戸時代の文人画
まで。
日本人が愛し、仰ぎ見てきた生命の源、
山の魅力に迫る。
 
<初回放送日:令和3(2021)年8月27日>
 
 
天高くそびえる山、
威風堂々として、気高く美しく。
山は、古くから日本人の心のふるさとです。
その懐に宿された様々な命。
天に接する大絶景。
大自然のエネルギーが凝縮された山は、
命の源です。
今回は、大きな山の世界へご案内します。
 
 

美の壺1.雲の上の楽園

 

燕岳
(山小屋「燕山荘」主人・赤沼健至さん)


www.youtube.com

 
長野県の北西部にある、
日本最大級の山々が連なる北アルプス。
まずは、3000m級の峰々に広がる
天空の世界へ。
目指すのは、
標高2763mの「燕岳」(つばくろだけ)です。
 
山の中腹で出会ったのは、山頂の近くで
山小屋「燕山荘(えんざんそう)を営む、
赤沼健至(あかぬま けんじ)さんです。
 
燕山荘(えんざんそう)
大正10(1921)年に創設されたアルプスでも
有数の歴史を誇る山小屋のひとつです。
赤沼健至さんは、千尋さん、淳夫さんに
続く三代目のオーナーです。
 
 
  • 住所:〒390-0874
    長野県松本市大手2−3−10
 
 

北アルプスの山々とコマクサ

 
学生時代から50年近く燕岳に登ってきたという赤沼健至さんに山を案内していただきました。
 
まず現れたのは、日本で5番目に高い山、
北アルプスを代表する岩峰「槍ヶ岳」(やりがたけ)です。
樹林帯を抜けると、高山植物が天空の世界へと誘います。
登山口からおよそ5時間で、燕岳の稜線に
到着しました。
 

 
今回は全部見えたことから、
慣れているはずの赤沼さんも思わず
「すごい世界ですよ」と興奮気味です。
稜線の奥には
アルプスの女王と称えられる「燕岳」、
そして谷の向こうには
「立山」「水晶岳」「鷲羽岳」「笠ヶ岳」「槍ヶ岳」など
北アルプスの名峰が一望のもとに出来ます。
その絶景を見守るように建つのが、
赤沼健至さんの山小屋「燕山荘」です。
 
雲をも凌ぐ稜線で可憐な花を見つけました。
高山植物の女王と言われる「コマクサ」です。
他の植物を寄せつけない花崗岩の砂礫地に、
強風吹き荒ぶ冬を越え 花を咲かせるのです。
これを見つけると「夏が来た」と思うのだとか。
 
「コマクサ」
 
他の植物が生育出来ない稜線の砂礫地のような過酷な環境下で可憐な花を咲かせることから、「高山植物の女王」と呼ばれる代表的な
高山植物です。
10~15cm程伸びた花茎の先端に、
花弁の先端が反り返った淡紅色の花を
下向きに数個咲かせます。
地下には50cm~1mにもなる長い根を張っています。
花言葉は「高嶺の花」「誇り」「気高い心」「貴重品」。
 
 

アルプスの天体ショー:天空の楽園

 
日が落ちると、アルプスの天体ショーが
開幕します。
煌めく月、その光を浴びて神々しい輝きを見せる山々。
夜更け過ぎ、月は山の端に消えていきます。
夜空を埋める満天の星で溢れ、
やがて朝を迎えます。
 
夜明け前に山の頂きにやって来た
赤沼健至さん。
「朝は最高ですね。
 下の方に雲海が出来ている。
 上から下を見ると
 何とも言えない気持ちですね。
 この青空を持つ地球というのは
 本当に大切なんですね。
 こんな素晴らしい星はないと私は思います。
 ですから大切にしなきゃいけないですね。
 一つ一つ大切にする、
 自然と共存するってことでしょうかね。
 その中に私達の心が満たされていく。
 そんな思いが致します。」
 
天空の楽園。
そこは人知を超えた自然の芸術です。
 
 
 

美の壺2.大いなる山と我が身を重ねる

 

文人画家たちの山水画

 
山はいつの時代も 芸術家を魅了してきました。
江戸時代中期、Chinaの影響を受けて生まれた
「文人画」(ぶんじんが)の多くは
山の風景を題材にしています。
東京国立博物館の学芸員の大橋美織さんに
お話を伺いました。
 
「文人画家達は、
 隠者のように暮らすことに憧れ、
 山の中の理想の風景を
 山水画に表しました。」
 
18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍した
文人画を代表する画家・
浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう)
重要文化財「山雨染衣図」(さんうせんいず )には
雨に煙る森と雨上がりの山里が
リズミカルな筆遣いと墨の濃淡を用いて
表現されています。
この作品をよく見てみると、
左下に小さな人物がいることが分かります。
この人物に自分を投影させ、
玉堂が描いた自然の中を遊び、
楽しむことが出来ます。

artmatome.com

 
旅する画家・池大雅の「浅間山真景図」は、
自ら浅間山に登った体験をもとに描いた
作品です。
浅間山山頂から関東平野を望む景色を描いた
この作品には、不思議なことに
「浅間山」そのものも描き込まれています。
文人画家達は、
見たものを写実的に描くことよりも
自分の思いを込めて表現することを
重視していました。
 
 
 

写真家・野川かさねさん

 
長野県と山梨県に跨る八ヶ岳をフィールドに
している写真家・野川かさねさんは、
これまでに50回以上も八ヶ岳を訪れています。
 

 
野川さんは、いわゆる「山岳写真家」とは
違った視点で山を見詰めています。
野川さんは自らを山に委ね、
その姿に迫ります。
野川さんの目には、山は一つの塊ではなく、
人間も含めた多くの生き物や光景を
包み込んだ存在として映っているのです。
野川さんは、自らが山と重なり合う瞬間が
あると言います。
 

 
 

美の壺3.神仏宿る生命の源

 

妙義山

古から人々は、その威容に慄き、山を神として崇めてきました。
関東平野の北西にある「妙義山」は、
「日本三大奇勝」(にほんさんだいきしょう)の一つに数えられています。
 
「日本三大奇勝」
(日本三大奇景・日本三大渓谷美)
 
妙義山(みょうぎさん)
    :群馬県下仁田町・富岡市・安中市
寒霞渓(かんかけい) :香川県小豆島町
耶馬渓(やばけい)  :大分県中津市
 
「奇景」とは、非常に優れた風景、珍しい景色、
絶景という意味です。
 
選者も不明ですし、いつ頃「三大奇勝」が
選ばれたのも定かでありませんが、
他に自称「日本三大奇勝」の候補もないため、
この3ヶ所が通例となっています。
 
 
そこに広がるのは、奇岩や怪石が林立する
風景です。
いくつもの岩が連なる荘厳な景観に
人々は霊的な存在を感じ、
この山を祀ってきました。
その信仰の中心となるのは「妙義神社」です。
その歴史は、1500年以上。
江戸を守護する神として繁栄を極めました。
 

 
「磐座信仰」(いわくらしんこう)は、
山や石・岩などを依り代として
信仰することを言いますが、
更に大きな岩山そのものへの信仰を
「岩社信仰」と言います。
妙義山全体が信仰の対象となっています。
 
妙義神社の裏手に
「奥の院」と呼ばれる聖地があります。
いくつもの巨石が折り重なり生まれた
岩窟には、神や仏が祀られています。
人々はこの岩の中に籠り、神仏に祈りを捧げたのです。
 
 
 

地蔵ヶ岳オベリスク
(比較宗教学者、僧侶・町田宗鳳さん)


www.youtube.com

 
 
南アルプス北東部にある
地蔵岳、観音岳、薬師岳の三山は
「鳳凰三山」と呼ばれる
山梨県南アルプス市・韮崎市・北杜市に跨る
日本百名山のひとつで、
古くは「鳳凰山」と呼ばれて、
信仰の山として開山されました。
 
 
 
三山の中で最も北に位置する「地蔵ヶ岳」は、
頂上に「地蔵仏岩」とか「オベリスク」と
呼ばれる尖った形をした
花崗岩の巨岩を持つことで知られています。
甲府盆地からもよく見えるそうです。
古くから庶民信仰の山で、
地蔵岳にはたくさんの小石仏が安置されていて
ここに子供に恵まれない人が
小石仏を借りて下山し、
子が授かるとお礼にもう一体を献じたと
言われています。
 
 
 
麓にある縄文時代の遺跡
女夫石遺跡(めおといしいせき)は、
古代の人々が大地の神に豊穣の祈りを捧げた
「祭祀場」であったと考えられています。
 
   
遺跡からは、巨石を中心に土偶が
100 点以上出土していて、
その巨石からは、春分・秋分の日に、
「オベリスク」に日が沈むように見えます。
 

 
比較宗教学者で僧侶の町田宗鳳さんと、
オベリスクの造形に迫りました。
様々な命を育む山は、
古代の人々にとって、原初の生命体であったと
町田さんはおっしゃいます。
 
「山は本当に生き物なんですよ。
 日本は火山がたくさんある訳ですからね。
 轟音を立てて溶岩が噴き出る姿。
 これは、人間を超絶した
 凄まじい生命力を持った
 生き物であるという見方ですね。
 彼らにとっては、
 崇高なものだったと思いますよ。」
 
山の奥深く2000mの高みで、
人知れず吹き乱れる命の飛沫を、
古代の人々は、滝を崇高な獣から流れ出る
体液と捉えていたのかもしれません。
 

 
 
険しい山道を進むこと 8時間。
地蔵ヶ岳のオベリスクが姿を現しました。
 
2764mの地蔵岳の頂に屹立する威容。
太古の人々は、天高くそびえるこの山を
豊穣の大地を司る女神「地母神」として崇めていたと考えられています。
 
狩猟採集をしていた人達は、山で獲物を獲り、木の実を集めていたのですから、
山は命の糧です。
その命の糧の一番神聖な崇高な場所として、
このオベリスク、地蔵ヶ岳に対する命の信仰が
現代の世へと受け継がれてきました。
そして仏教文化が入ってくると、
巨岩は地蔵仏に見立てられ、
子宝の恵みを与えてくれる
命の象徴として祀られるようになりました。
 
日本人の暮らしを潤してきた、
命の源泉である山。
神秘を宿すその姿に、
人々は畏敬の念を感じてきたのです。
 
「山岳だと思ってるんですよ。
 やはり山のおかげで、
 日々の営みが成り立つ一つになってると、
 私は思ってます。」
 

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