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美の壺「たおやかに咲く藤」<File 556>

<番組紹介>
700年の時を刻む、春日大社の圧巻の藤!
衣・かんざし・文化財なども藤づくし!
 
 ▽栃木にある600畳もの大藤。
  前代未聞の移植プロジェクトとは?!
 ▽広重らも描いた藤の名所・亀戸天神社。
  その藤を職人が切子で表現!
 ▽気鋭の染色家による「藤染め」。
  フレッシュな若葉が生み出す極上の色!
 ▽長年“幻の布”とされてきた「藤布」。
  職人が30年かけて習得した技とは?
 ▽草刈正雄邸には“藤娘”?!
 
<初回放送日:令和4(2022)年5月13日>
 
 
 

美の壺1.時をまとい華やぐ

 

藤の花を散りばめて(奈良県・春日大社)

 
4月から5月にかけて見頃を迎える「藤」の花。
藤はマメ科の植物で小さな花が集まり
垂れ下がるように咲く、日本固有の植物です。
他の樹木などに巻きつきながら蔓を伸ばし成長します。
藤が「不死」に繋がることから、
長女や子孫繁栄の花とも言われてきました。
 

 
 
奈良県にある「春日大社(かすがたいしゃ)
奈良時代の創建から藤原氏と縁が深いことから、
藤原氏の象徴である藤の花が様々な文様となり、
各所に散りばめられています。
 

 
社紋は「下り藤」です。これは御守にも織られています。
4月の春の神事・上巳節供祭(じょうしせっくさい)で纏う衣装にも
藤があしらわれています。
狩衣(かりぎぬ)に浮かぶのは「藤巴紋」(ふじともえもん)
巫女さんの衣を飾る「藤棚紋」(ふじだなもん)など、
次第に定紋化されました。
御巫の簪(かんざし)、また「春日若宮おん祭」の「日使」の冠にも
藤の造花が見られます。
 

 
境内随所には古くから藤が自生していて、
とりわけ御本社の「砂ずりの藤(すなずりのふじ)は、
名木として知られています。
五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)
筆頭の近衛家の献木と伝えられ、
『春日権現験記』にも書かれている古い藤であり、
花房が1m以上にも延び、
砂にすれるということからこの「砂ずりの藤」という
呼名がつきました。
樹齢700年以上と言われます。
4月初旬に蕾が膨らみ始め、4月下旬に見事な藤の花が咲きます。
 

 
また、境内の萬葉植物園内にある「藤の園」には
20品種、約200本の藤が植栽されており、大変豪華に開花します。
 

 
春日大社国宝殿の学芸員・渡邊亜祐香(わたなべ あゆか)さんに、
藤にまつわる春日大社の宝物について解説していただきました。
まずは春日大社の藤にまつわる名宝で、
重要文化財の『藤花松喰鶴円鏡』(ふじはなまつくいづるかがみ)です。
平安時代に藤原氏が奉納したと伝えられる
鏡の中に藤の花があしらわれている銅鏡(どうきょう)です。
「神様に奉納した鏡はたくさんありますが、
 藤の意匠が組み込まれているのは、
 春日大社ならではものなのです」
 
鎌倉時代に描かれた絵巻物
『春日本・春日権現験記』(かすがごんげんけんき)にも、
様々な場面で藤が登場しています。
本殿の庭に松に絡まるように咲く藤。
めでたい場面に藤が描かれています。
蔓を伸ばし上へ上へと伸びていく藤は
藤原一族の繁栄の象徴でもありました。
 
  • 住所:〒630-8212
       奈良県奈良市春日野町160
  • 電話:0742-22-7788
 
 

あしかがフラワーパーク物語(樹医・塚本 こなみさん)

 
 
栃木県足利市にある植物園「あしかがフラワーパーク」は、
四季折々の花が咲き乱れる花のテーマパークなのですが、
人気は何と言っても「藤の花」です。
藤の到来は薄紅色から始まり、紫、白、黄色と続き、
およそひと月に渡る藤の競演となります。
中でも圧巻なのが、「あしかがフラワーパーク」のシンボル
紫の「大藤」です。
あしかがフラワーパーク」は、昭和43(1968)年に、
栃木県足利市堀込町(現・朝倉町)に
「早川農園」 (はやかわのうえん)として開園しました。
以来 「250畳の大藤」として愛されてきましたが、
市街地の再開発に伴い、
平成9(1997)年に現在の足利市迫間町(はさまちょう)に移転し、
あしかがフラワーパーク」 としてオープンしました。
 
平成6(1994)年、植物園移転により、
そのシンボルだった
「紫の大藤」も移植の話が持ち上がります。
しかし一本600㎡の広さまでに
蔓枝を広げた樹齢130年の4本の大藤。
当時直径1m、幹周り3.6mの大藤を
20km先まで移動させるのは
前例がなく、無理だと言われていました。
 

 
 
白羽の矢が立ったのは、
日本の女性樹木医第一号の塚本こなみさんでした。
大藤を見た塚本さんはその生命力とエネルギーを感じて
「これは動く」と直感したそうです。
 
塚本こなみさんは、平成18(2006)年に
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に
出演されています。
 
 
塚本さんが移植に選んだ方法は前代未聞のやり方でした。
元々湿地帯だった場所に移設するため、
園内には250tを超える量の炭を敷き詰めて土壌を浄化、
活力を高め、全ての生命体の活性化を図りました。
 
また、移動の際に幹に傷が入ると
そこから腐り致命傷になるため、
塚本さんは、人間が骨折した時に使用する石膏で幹を固定して
移動しました。
 
大藤の移植は成功。
こうした常識を超えた移植プロジェクトは全国から注目を集め、
日本で初めての成功例となりました。
 

 
現在、藤棚の面積は、1000㎡(600畳)にまで広がり、
8万房ものの花をつけるようになりました。
 
大藤 4本(野田九尺藤3本、八重黒龍藤1本)と
80mに及ぶ白藤のトンネルは
「栃木県天然記念物」に指定されており、
これらが見頃を迎える
毎年4月中旬から5月中旬の1ヵ月間は
「ふじのはな物語~大藤まつり~」が開催されて
います。
 
また10月下旬より開催される
イルミネーション「光の花の庭」は
夜景コンベンションビューローが認定する
「日本三大イルミネーション」に選ばれている他、
全国の夜景観光士が選ぶ
「全国イルミネーションランキング」の
「イルミネーション部門」で
平成28(2016)年から令和3(2021)年まで
6年連続で全国1位を獲得しています。
 

 
 
あしかがフラワーパーク」では、美しい花を咲かせるため
1年中きめ細やかな手入れが行われています。
藤を担当する村岡伸朗さんは、
邪魔になる枝を取って手入れをしていました。
 
樹医の塚本さんは園長に就任しました。
「治療は”手当”ですから。まず手を当てることから始まる」
とおっしゃっていました。
 
  • 住所:〒329-4216
       栃木県足利市迫間町607
  • 電話:0284-91-4939
 
 
 

美の壺2.暮らしの中に咲く

 

藤をガラスに刻んで

 
藤の名所「亀戸天神


www.youtube.com

 
東京都江東区にある「亀戸天神社かめいどてんじんしゃ」、通称・亀戸天神かめいどてんじんは、
菅原道真を祀り、受験生などを中心に学問の神として
親しまれています。
 
亀戸天神には15の藤棚が設けられていて、
例年4月中旬から下旬にかけ、
50株以上の藤の花が咲き始め、境内には甘い香りが漂います。
そしてこの頃、「亀戸天神 藤まつり」が開催されます。
日没後には、ライトアップもされ、
藤棚の向こうには東京スカイツリーが見え、
幽玄な亀戸天神のライトアップとの対比も楽しめます。
 

 
そんな亀戸天神は江戸時代より「藤の名所」として知られ、
大鳥居を潜ったところにある心字池(しんじいけ)に掛かる
太鼓橋と藤をモチーフとした浮世絵が、
多くの浮世絵師によって描かれてきました。
特に、歌川広重の『名所江戸百景 亀戸天神境内』は有名です。
 

 
  • 住所:〒136-0071
       東京都江東区亀戸3-6-1
 
 
花切子(目黒硝子美術工芸社の二代目・目黒祐樹さん)
 
亀戸周辺は昔から「江戸切子職人の街」としても知られています。
多くのガラス工場や工房が集まっています。
そのうちのひとつ、「目黒硝子美術工芸社めぐろがらすびじゅつこうげいしゃ」は、
都内でも数少ない「花切子」(はなきりこ)を専業とする工房です。
先代の跡を継いだ二代目の目黒祐樹(めぐろひろき)さんが
自宅兼工房で、お母様と奥様の家族3人で制作しています。
「花切子」は簡単に量産出来るものではありませんが、
その唯一無二の仕事ぶりに惚れ込んだ顧客からの注文は
後を絶ちません。
 

 
「花切子」とは、江戸切子の手法のひとつです。
「花柄の切子」ではありません。
一般の江戸切子のように、
モチーフをパターン化してカットしていくのとは違い、
「花切子」は小さな砥石を筆のように操り、
ガラス面をキャンバスのように使って
独自の世界を描いたものです。
浅いカットと深いカットの組み合わせだけで、
輪郭や陰影、遠近感までを表現しています。
そのための道具は数えきれないくらいあり、
専門的な技術や道具を要するため、
「花切子」を生業とする職人は年々減少しています。
 
 
目黒さんは、子供の頃から馴染んできた亀戸天神の藤の
幻想的な花の雰囲気を魅力的な紫の色のガラスに刻みたいと
おっしゃいます。
 

目黒さんが専門とする「花切子」(はなきりこ)は、
「金剛砂」(こんごうしゃ)と呼ばれる研磨剤をつけた
ダイヤモンドホイールを筆のように使って、
水墨画のごとくガラス面を削って花鳥風月を描いていきます。
藤の蔓は粗めのタッチで削り、
藤の花は抑えて膨らませてふっと抜きながら削っていきます。
花びらの重なりも一枚一枚立体的に浮かび上がらせます。
絵画を描くように一彫一彫丁寧に、まさに職人技です。
見る目にも鮮やかな亀戸天神社の「藤花切子」が出来上がりました。
 
「(ガラスに刻まれた亀戸天神の藤は、
 風に待った状態とか揺らいだ感覚がとても幻想的、
 別世界に吸い込まれていくような感覚。
 それをみんなにも見て欲しい」
 
目黒硝子美術工芸社
  • 住所:〒136-0074
       東京都江東区東砂1-3-9
  • 電話:03-3640-8681
 
 

藤の若葉を染めて(染色家・星名 康弘さん)

 
新潟市の越前浜で
染色工房「植物染め 浜五(しょくぶつぞめ はまご)を構える
星名康弘(ほしなやすひろ)さんは
何と建築コンサルタントの職歴を持つ異色の染色家です。
植物の持つ色に魅せられ、
様々な自然素材での染めに挑戦しています。
星名さんがよく染めるのは、
莢蒾(がまずみ)の枝を使った淡い紅色や
待宵草(まつよいぐさ)の葉と茎を使ったネズミ色です。
 
 
「どんな草や木にもそれぞれの色が潜んでいるのが
 とても興味深いです。
 周りの草むらが色の宝庫に見えてきます」と星野さん。
地元の新潟県立植物園と共同で染めた草や木の色見本が
ずらりと並んでいます。
毎年色は増え、現在91種類を数えるまでになりました。
 

 

botanical.greenery-niigata.or.jp

 
そんな星名さんが心待ちにしている植物が「藤」。
藤の若葉のイエローは、1年に1度出会う鮮やかな色だそうです。
染色に使うのは摘み取ったばかりのフレッシュな若葉です。
「藤の若い葉で染めた時に、
 とてもハッとさせられるような色が出て、
 それ以来、いつも染めている」と虜にする魅力がある色だそうです。
 
葉を煮出して染液(せんえき)をつくり、
地元特産の絹織物に染めていきます。
発色と色の定着をさせるための「媒染液」(ばいせんえき)には
椿の灰を沈殿させた上澄みを使います。
灰の成分と藤の葉の色素が反応して
鮮やかなレモン色が姿を現しました。
 
「レモン色のような明るめの黄色は、
 芽吹きの印象を受け元気が出ますね。」
 
1年に1度出会う特別な色。
若葉のパワーを宿した鮮やかな「藤染」(ふじぞめ)です。
 
  • 住所:〒953-0012
       新潟県新潟市西蒲区越前浜5408-1
  • 電話:080-3191-1256
 
 
 

美の壺3.古の思いを織り上げて

 

藤布伝承の町(井之本 泰さん)

 
京都府宮津市にある「京都府立丹後郷土資料館きょうとふりつたんごきょうどしりょうかん 」、
愛称「ふるさとミュージアム丹後」には、
海と山に囲まれたこの土地ならではの民俗資料が展示されています。
その中に、藤の蔓から糸を取り織り上げた
「藤布」(ふじふ)が展示されています。
 
藤の蔓から作る「藤布」(ふじふ)は、
古くは縄文時代から存在したとされる
日本最古の原始布と言われています。
春に美しい花をつける藤の強い生命力は人々の憧れでもあり、
その繊維を織物として身につける事は縁起が良いともされたそうです。
 

 
全国で盛んに織られていましたが、
近代になると木綿などの普及、
更には戦後の過疎・高齢化の進展により、
日本各地で「藤織り」が途絶える中、
唯一、制作技術が受け継がれ続けているところがありました。
京都府宮津市上世屋(かみせや)地区です。
上世屋では、女性達の農閑期の仕事として
「藤織り」が続けられてきました。
京都府の「無形民俗文化財」や「伝統工芸品」に指定されています。
 

 
 
丹後地方の宮津市の上世屋(かみせや)地区は、
丹後半島の中心付近に位置する山あいの小さな里で、
宮津湾を望むことが出来る「上世屋・松尾の棚田」は、
「つなぐ棚田遺産 ~ふるさとの誇りを未来へ~」に
選定されています。
 
つなぐ棚田遺産」(主催:農林水産省)
棚田地域の振興に関する取組を積極的に評価し、
棚田地域の活性化や棚田が持つ多くの役割に対する
より一層の理解と協力を得ることを目的として、
優良な棚田を認定する取組で、
令和4(2022)年2月14日に全国271地区の棚田が
選定されました。
 
 


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「藤織り」が受け継がれてきました。
標高350mを超える山間部にある寒冷地の上世屋では、
綿は全く収穫出来なかったためと言われています。
上世屋では、冬、雪に閉ざされた家の中で囲炉裏を囲み、
女性達は寄り集まって藤糸を作り続け、
次の春までに布に織り上げたのでした。
 

一時期は京都・西陣などから注文を受けて
帯や座布団、暖簾といった品々を作っていましたが、
織り手はだんだんと減り、他の地域と同じく、
途絶えてしまう寸前となりました。
 
しかし昭和37(1962)年に、京都府教育委員会の民俗資料調査により、
上世屋の「藤織り」が再び脚光を浴びると、伝承の動きが始まります。
昭和58(1983)年には、文化庁の
「記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されます。
 
平成元(1989)年には「丹後藤織り保存会」が発足。
平成22(2010)年、「丹後藤織り保存会」の活動拠点として
廃校となった旧・日置中学校世屋上分校が
「藤織り伝承交流館」(ふじおりでんしょうこうりゅうかん)として開館。
藤布の講習会などを行って、
「藤布」(ふじふ)の魅力や作り方を多くの人に伝えています。
 
丹後藤織り保存会」の井之本泰(いのもと とおる)さんは、
「京都府立丹後郷土資料館」の民俗担当の学芸員として
上世屋に藤織りの調査に入り、それをきっかけとし上世屋に移り住み、
平成14(2010)年から平成20(2018)年には藤織り保存会の三代目会長として
上世屋に受け継がれてきた貴重な「藤布」の普及活動を
行ってきました。
 
ふるさとミュージアム丹後
(京都府立丹後郷土資料館)
  • 住所:〒629-2234
       京都府宮津市
       国分小字天王山611-1
  • 電話:0772-27-0230
 
 

藤布を織る(織元「遊絲舎」小石原 将夫さん)


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京都府北部に位置する海辺の町、
京丹後市にある織元「遊絲舎(ゆうしんしゃ)さんは、
100年以上に渡り、絹織物を製造してきた織元です。
 
四代目・小石原将夫(こいしはら まさお)さんが
「藤布」(ふじふ)に出会ったのは30年前。
上世屋地区で細々と伝承されていた「藤布」の存在を知り、
絹とは違った素朴さがあり、織物の原点だと思ったそうです。
小石原さんは上世屋の山奥に通い、「藤布」について教わり、
「丹後藤織り保存会」のスターティングメンバーとなりました。
 
 
地元のおばあちゃんから先祖代々の技術を学んだ小石原さんは、
藤布の魅力を後世に伝えるべく工房を立ち上げ、
藤蔓の伐り採りから、全ての工程を昔ながらの技法で
手間と時間をかけて行っています。
 
 
京都府宮津市上世屋(みやづしかみせや)の女性達の「藤布」つくりは、
まずは「藤刈り」から始まります。
たっぷりと水を含んで皮が剥ぎやすくなる4月頃、
藤の蔓を刈り取るために山に分け入ります。
小石原さんも息子の充保(みつや)さんと共に藤の蔓を切りに
山に向かいました。
大樹に絡みつくようにして成長している藤蔓を採集するには、
山深く分け入り、時には木に登って切り取らなければなりません。
日本の原始布の中では、工程に最も手間が掛かると言われるのは
この採集の困難さもあると言われています。
春から夏にかけて藤の蔓は水分を含み、しなやか。
蔓の切り方も教わった通り、
次の世代に残すため地面から30cm残して切ります。
 
上世屋の女性達の作業は理論的ではなく実践的。
教えを乞う小石原さんに
「わしの言う通りにやったらええ」と言って見せてくれました。
小石原さんは理解出来ず、見よう見まねで分からないままに
何年も通ったとおっしゃいます。
ただ、女性達の作業を目に焼けつけるようにして学びました。
 
良い繊維が採れるとされる「赤藤」(あかふじ)という
赤みを帯びた縞のある藤です。
始めは見分けられなかった小石原さんですが、
今では親子2人で刈っていきます。
 
 
採集した藤蔓は、すばやく表皮を剥ぐ「藤剥ぎ」を行います。
蔓は3層からなっていて、「藤織り」に使うのは
「アラソ」と呼ばれる芯と表皮との間の部分です。
重みのある木槌でゆっくり蔓を叩き、
剥ぎやすくした後、引っ張るように剥いでいきます。
この繊維「アラソ」が後に糸となります。
乾燥させたら、「灰汁あく炊き」といって、
「アラソ」を灰汁で煮上げたら川でさらします。
「コウバシ」という竹で作った道具を指に挟み、繊維をしごき、
灰汁や余分な細かい繊維、汚れ落とします。
 
それを繊維を柔らかくして滑りをよくするため、
米ぬかを溶かした湯に浸して、竹竿などに掛けて乾燥させる
熨斗のし入れ」を行います。
 

 
春から秋の間は農作業に勤しみ、
冬の足音が聞こえ始めたら藤の加工を再スタートします。
繊維を糸に適した太さに裂いて、
滑らかな糸にするため結び目を作らない独特の繋ぎ方をして
1本の糸に仕上げる「藤み」を行います。
繊維を裂いて一日にめる量はわずか10もんめ(37.5g)です。
この糸に撚りをかけて織っていきます。
途方もない時間と手間をかけて藤の糸が作られていました。
 

 
そして小石原さんは藤から採った糸を使って、
様々なものに展開しています。
経糸に絹、横糸に藤を織り込んで洗練されたモダン帯をつくります。
 
「藤の蔓には生命力が宿っている。
 先人は強い生命力のあるものを身に付けたいと思ったのではないか。
 藤の糸をお守りのように織り込んでいます。」
 
古代のロマンが現代に生き続ける、パワーみなぎる藤の織物です。
 

 

www.fujifu.jp

丹後の藤布遊絲舎
  • 住所:〒629-3102
       京都府京丹後市網野町下岡610
  • 電話:0772-72-2677
 

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