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美の壺「もののあはれ 鈴」<File 560>

<番組紹介>
「チリン」「シャリン」「ガラン」♪
鈴の音色は実に多彩。
北斎も描いた馬鈴に
音楽学の専門家が日本人の感性を読み解く。
巫女が用いる神楽鈴製作の舞台裏へ。
音の秘密は鈴の中に。
1600年前、鈴鏡が奈良の古墳群から発掘!
その音色とは?
国学者の本居宣長が鈴に託した思いとは。
ジャズドラマーで作曲家の平井景さんが
鈴をドラムと即興演奏!
奈良、天河神社に神代の頃より伝わる
御神宝の鈴、テレビ初公開! 

<初回放送日:令和4(2022)年年7月1日(金)>
 
 

美の壺1.いつの時代も寄り添うお供

ハレの日の鈴
(「京都おはりばこ」北井 香里さん)

 

 
京都紫野、大徳寺の門前にある
戦後、糸問屋から始まった和装小物店です。
つまみ細工の「北井」としても有名です。
 
店内には、職人の手作りの桜や梅、菊など、
四季折々のつまみ細工の「簪」(かんざし)
溢れています。
おかみの北井香里さんが店内にある
「簪」(かんざし)を披露して下さいました。
藤の花の簪には、
花びらの先に雫のような鈴がついていて
動く度にかわいい音が鳴ります。
 

 
「簪」(かんざし)は、成人式や結婚式などの節目に
必須の小物です。
着飾るだけでなく、特別の日の小物です。
今まで育った恩や、
「これからも幸せに・・・」と願う
縁起の小物としての役割もあります。
 
 
 
成長を祝う土山久美さんと娘の花歩さん母子の姿が
ありました。
花歩さんは7歳。
 

 
髪には「簪」(かんざし)を挿して、
足には「ぽっくり下駄」を履いています。
「ぽっくり下駄」の楕円形の木製台の底は
くり抜かれていて、鼻緒を通して台の内部に
小さな「鈴」が下げられています。
花歩さんが歩く度に「鈴」の音が鳴り、
場は清められています。
「鈴」には「厄払い」の意味もあります。
花歩さんのますますの成長をお祈りします。
 

 
  • 住所:〒603-8243
    京都府京都市北区紫野今宮町21
 
 

鈴の音色
(上越教育大学名誉教授・茂手木潔子さん)

 
日本の伝統音楽の研究家で上越教育大学名誉教授の
茂手木潔子(もてぎ きよこ)さんは、
日本各地に足を運んで
多種多様の「鈴」を集めています。
そのコレクションの数は何と100余りにも及びます。
 
コレクションの中で最も多いのは、
馬につける「馬鈴」(ばれい)と呼ばれる鈴です。
江戸時代、葛飾北斎も多く描いています。
 
茂手木さんが新潟の古道具で見つけた「鈴」を
見せていただきました。
とても大きな「鈴」です。
その大きな「鈴」の中には、
更に10個近くの「鈴」が入っていますが、
「鈴」が入っているのは、
中に神様がいらっしゃるからだそうです。
 
 
 
 

美の壺2.神を呼ぶ響き

 

神楽鈴の匠たち
(錺金具職人・森本安之助さん、大井健志さん)


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奈良県にある春日大社
巫女が神楽舞(かぐらまい)を舞う時に
手に持って鳴らす「神楽鈴」(かぐらすず)には、
小さな鈴が山なりについています。
「神楽鈴」の鈴は三段の輪状に付けられ、
下から七・五・三、合計十五個の鈴がついているので
別名「七五三鈴「とも呼ばれています。
「鈴」には、その清らかな音色で神様をお招きし、
その場を清める役割があります。
この「神楽鈴」は、神社仏閣や神輿、仏壇などの
装飾に欠かせない「錺金具」(かざりかなぐ)
技術を用いて作られています。
「錺金具」は、美しく見せる役割だけでなく、
補強の役割も果たしています。
 

 
(もりもとかざりかなぐせいさくしょ)は、
明治10(1877)年の創業以来、
宮内庁・文化庁・神社庁・重要文化財保護課御用達
として「錺金具」を制作してきました。
四代目で錺金具師の森本安之助さんは、
平成6(1994)年の下鴨神社東西本殿を始めとして、
数々の国宝・重要文化財の錺金具工事に従事。
平成25(2017)年の伊勢神宮・式年遷宮の際には、
古式に倣って錺金具を製作しました。
選定保存技術保持者に認定されています。
 
そんな森本さんは、注文主は人だけど、
神様仏様へお納めするものなので
どこかで見ていらっしゃるという思いで
作っているとおっしゃいます。
 
 
 
錺金具職人の大井健志さんは、
この道18年の神楽鈴の匠です。
鈴の丸みを損なわない程度に均等に打ちます。
叩くことで金属は強くなり、
清らかな音色になるのだそうです。
なかなか見られない鈴の中身は鉄を使います。
丸過ぎても角過ぎてもダメなのだそうです。
大井さんは、先輩方から受け継いだ伝統の音を
守っています。
 
 

古代の鈴

粘土を焼いて作られた土の鈴「土鈴」(どれい)
日本の鈴の歴史を遡ると、
縄文時代の「土鈴」に行き着きます。
山梨県にある縄文中期の「釈迦堂遺跡」からは、
小さな「土鈴」が出土されています。
 
 
 
縄文時代の「土鈴」は、
現代の「土鈴」のように口が開いておらず、
密閉された土球の内部には
2個から5個の土玉が入っていて、
手で振って音を鳴らしていたようです。
祭祀に使われていたと考えられています。
 
古代の日本人は、神霊に呼びかける鈴の音色を
「さやさや」と表現しました。
柔らかく、どこか涼しげな手打ちの鈴の音は、
祈りの場に相応しい清浄さがあります。
 
 
奈良県橿原市の南西部にある
新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は、
4世紀の終わり頃から古墳が造られ始め、以後、
6世紀後半までの約200年という長期に渡って、
古墳が造られ続け、約600基もの古墳から成る
日本を代表する群集墳になっています。
古墳の大半は直径約10~20m程度の円墳ですが、
前方後円墳や前方後方墳、方墳、長方形墳など
バラエティ豊かな古墳が存在します。
 
副葬品も多数出土していて、その中に、
5つの鈴のついた鏡「五鈴鏡(ごれいきょう)があります。
「鈴鏡」(れいきょう)とは、
古墳時代後期(5~6世紀)に製造・使用された
「銅鏡」の一種です。
五鈴鏡」は日本製で、その大きさは手のひら大。
鏡本体の周縁には「鈴」が5つ付設してあります。
「鈴」の中には小石などの玉が入っているので、
振ると音が鳴ります。
 
 
 
収蔵されている
1600年前の「土鈴」の音色が紹介されました。
まるで虫が、鳴いているような音色です。
神様との対話に使われていたそうです。
 


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また、同時代の巫女の埴輪には、
腰の周りに鈴鏡をつけているものがあり、
神舞など神事の所作に音響効果を添える効果がありました。
 
 

本居宣長の愛した鈴「柱掛鈴」

  

 
三重県松阪市には、『古事記伝』で有名な
江戸時代の国学者の本居宣長が
12歳から72歳で亡くなるまで60年間暮らした
旧宅「鈴屋」(国指定特別史跡)があります。
 
 
本居宣長は、木綿商の家に生まれましたが、
医師となり医師として働く傍ら、
『源氏物語』など言葉や日本古典を講義したり、
現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、
35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆しました。
 
そんな宣長は「鈴」をこよなく愛し、
鉄製の鈴や茄子の型をかたどった古鈴などを
愛用していたそうです。
 

 
そんな本居宣長が特に大切にしていたのは、
息子に作らせた「柱掛鈴」(はしらかけすず)です。
 
「柱掛鈴」(はしらかけすず)は、
真鍮製渡金の鈴を大2個小4個一組としたものを
糸で縛って6つ作り、それらを赤い紐で繋いで
柱などに掛けたもので、垂らした紐の端を引いて
36個の鈴を振り鳴らしました。
この鈴のため、書斎は「鈴屋」と名付けられ、
宣長は、通称「鈴屋大人」(すずのやのうし)と呼ばれ
ました。
 
宣長は、勉学の合間に書斎の柱に掛けた鈴を振り、
その音色に一時の疲れを瘉しては
再び学問に励むのが習いであったと言います。
 
「鈴屋とは、三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれて、
 はしらなどにかけおきて、
 物むつかしきをりをり引ならして、
 それが音をきけば、
 ここちもすがすがしくおもほゆ」
と記しています。
 
この三十六鈴の柱掛鈴の実物は残っていませんが、
本居宣長記念館」には、
宣長の長子・春庭(はるにわ)が作ったとされる
レプリカが保存されています。
 
本居宣長記念館」には他にも、
自筆稿本や自愛の品約16000点が収蔵されています。
 
 
  • 住所:〒515-0073
    三重県松阪市殿町1536-7
  • 電話:0598-21-0312
 
 
 

美の壺3.自然ととけ合う

鈴とのコラボレーション
(ジャズドラマーで作曲家の平井景さん)

 
ジャズドラマーの平井景(ひらいけい)さんは、
テレビCMの他、NHK「テレビで外国語」、
NHKラジオの語学番組の他、
内閣府ビデオのテーマ曲も手掛けるなど、
作曲活動も積極的に展開されています。
 
平井さんが作曲した曲
「changing~チェインジング~」では、
世界各地の鈴が作品作りに活かされています。
 
番組では、曲の中に「鈴」が入っているものと、
入っていないものとを比較して聴いていました。
「鈴」が入っていることで深みを感じます。
 
平井さんにとって「鈴」とは、
心地良い「違和感」だそうです。
「違和感」と表現したものは、
移りゆく時間や希望、願いといった
心の叫びのようなものだそうです。
 
そんな平井さんが、
鈴の音色に触発された場所があります。
奈良天川村にある天河神社です。
拝殿のすぐ隣に能舞台があります。
神や自然の接点に「鈴」があるように、
平井さんには感じられるそうです。
 
 
 

音の神様(宮司の柿坂匡孝さん)


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代々継承した社家です。
柿坂匡孝(かきさか まさたか)さんで66代目になります。
 
天河神社の拝殿には、古来より伝わる
独自の御神宝の「五十鈴」があります。
五十鈴(いすず)は、
天照大御神が天岩屋戸に籠られた時、
天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、
茅纒之矟ちまきのほこ」(神代鈴をつけた矛)を持って、
岩屋戸の前にて舞を舞われ、
神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、
岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照り輝いた
という伝承に登場する、天宇受売命が使用した
「神代鈴」と同様のものであると伝えられています。
 
なぜ「五十鈴」と呼ばれるかというと、
天河神社には、50の神様がいらっしゃるからだそうです。
五十音の「ア」から「ワ・ヲ・ン」までは
50の音があって、それぞれに神様がいらっしゃいます。
日常の生活の言葉の中の神様が「言霊」なのです。
五十鈴」からなる言葉と鈴の音を重ね、
八百万の神が宿ると信じられていました。
 
その御神宝「五十鈴」が今回初めてTV公開
されました。
鈴をかたどった御神宝の表面には、
渦のような溝が描かれています。
辨財天は、水の神様です。
水が流れて清められるように、
災いを払う鈴の音は、
古より日本人の心に宿る音色です。
 
 
 
  • 住所:〒638-0321
    奈良県吉野郡天川村坪内107
  • 電話:0747-63-0334

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