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美の壺「心を聞く 和の香り」 <File 561>

<番組紹介>
目に見えない香りに親しむため、
日本人は様々な形を編み出してきた。
室町時代には芸道「香道」が確立、
500年に渡って受け継がれてきた。
その源である「香木」は、輸入品で元々希少な上、
近年は環境の変化でほとんど手に入らなくなっている。
志野流香道では今年5月、
家宝である香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を
徳川家康公に供える献香式を執り行った。
そのドキュメントと日本人のと香りとのかかわりを描く。
 
初回放送日: 令和4(2022)年7月15日(金)
 
 
 

美の壺1.時を超えて伝える

香りを放つ樹木(山田松香木店・山田英夫さん)


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京都市上京区、烏丸通りを御所と反対側に一筋入ったところにある
香木専門店「山田松香木店(やまだまつこうぼくてん)は、
江戸・寛政年間の創業の香木の老舗専門店です。
落ち着いた店内には、
香道に使われる伽羅などの香木から、
香りを手軽に楽しめるい匂袋や
手紙に香りを忍ばせる「文香」(ふみこう)
練香や印香、香炉や香立といった和の香りの道具が並んでいます。

香りは、目に見えなく、時の流れと共に消える儚い存在です。
江戸時代には、この目に見えない香りに親しむため、
いくつかのお香を聞いて、その香りが何なのかを当てる遊びである
「組香」(くみこう)に使われる道具が生まれました。
 
「組香」は単に香りを当てて楽しむだけでなく、その中に
古典文学や有職を盛り込んでいて、代表的な組香としては
「源氏香」、七夕伝説をテーマにした「七夕香」「星合香」、
古今和歌集の歌を題材にしたものなどがあります。
「組香」は具体的には、
香元がその日味わう香木をいくつか用意し、任意の順で
一つずつ「聞香炉」で焚いて連衆に回していきます。
連衆は代わる代わるその香りを聞き、
各々でその香りを記憶に留めます。
最後に香元が実際に焚いた順を読み上げ、
自身の記録した順と照らし合わせ、成績をつけます。
多くの教養が身につくだけでなく、
季節の移り変わりも楽しむことが出来ます。
 
 
「香木」を入れる袋「香袋」の結び目も単に紐を結ぶだけでなく、
様々な「結び」が伝承されています。
例えばかつて香席では、香りの妨げになるという理由で
「生花」を活けない決まりがあったため、
梅などの「花結び」にして花に見立てるなど
せめてもの季節感を取り入れる手法としました。
細やかな日本人独特の感性が溢れています。
 

 

 
 
香りの源は、「香木」です。
「香木」とは。広義には、樹木より採れる香料全般のことで、
通常は「伽羅」「沈香」「白檀」を指し、
「香木」は用途に合わせて使い分けます。
 

 

 
「香木」は、限られた地域でしか産出されません。
更に採取するためには、
森林やジャングルに分け入って樹木を伐採し、
その中から取り出す必要があります。
しかも極めて少量です。
産地の違いから、香りの特徴も異なります。
粉まで大切に使われるのは、
希少価値が高く、限られているためなのです。

山田松香木店」の会長・山田英夫さんに、
「香木」がどうやって出来るのかについて教えていただきました。
樹木は、雨風に晒されたり、動物や虫に傷つけられたりすると、
その部分に「樹脂」を分泌して腐敗が進むのを防御します。
長い年月の間に樹木自体は枯れていく中で、
その「樹脂」は凝結し、酸素に触れずに熟成され、
香りを発するようになって来ます。
このようにして香木が出来るのです。
 

 
「香木」は、日本では採れません。
「沈香」は東南アジアのベトナム、カンボジア、
インドネシア、ミャンマー、ラオスなどですが、
「伽羅」はベトナムの限られたところになり、
そしてそのほとんどが、20世紀に採り尽くされてしまったそうです。
また環境保全の世界的な政策から、
「ワシントン条約」によって、輸出入には厳しい管理体制が採られています。
 

 
 
山田松香木店」では要予約ですが、
香りを聞き分ける遊び「聞香体験」や、
平安貴族も楽しんだ「薫物」などを調合出来る体験コースなどが
複数開催されています。
また、「葵祭」「祇園祭」「時代祭」の時期には、
それぞれの祭りをテーマにした香飾りが限定販売されます。
 
 
  • 住所:〒602-8014
       京都市上京区勘解由小路町164
  • 電話:075-441-1123
  • 営業時間(短縮営業中)
        :10:30~17:00
  • 定休日 :年末年始・盆休暇
  • オンラインショップ
 
 

和の香りのルーツ(梅薫堂の職人・鯉住清八郎さん)

 
兵庫県淡路島は、線香の生産量日本一です。
そして、和の香りが始まった場所でもあります。
『日本書紀』によると、
推古天皇3(595)年の4月、「沈水、淡路島に漂着」と記されています。
 
“  推古天皇三年の夏四月に 沈水淡路嶋に漂着れり
 其の大きさ一圍(ひといだき)
 嶋人 沈水といふことを知らずして
 薪に交てて竈に焼く 其の烟気遠く薫る
 即ち異なりとして献る ”
(『日本書紀』より抜粋)
 
- 訳 -
推古天皇三年(595年)4月に、淡路島にひとかかえほどもある沈水(香木)が流れ着いて来ました。
島の人々は、ただの流木だと思い、かまどに薪と一緒にくべたところ、たちまち大変かぐわしい香りのする煙が立ち昇った。
これに驚いた人々は、この木片を朝廷に献上した。
 
聖徳太子は朝廷に献上されたその木をすぐに香木だと見抜き、
その香木で手箱と観音像を作ったと言われています。
そしてその観音像は今も
淡路島の「枯木神社」にご神体として祀られています。
 
因みに、4月18日は「お香の日」なのですが、
それはこの香木伝来の4月と
「香」の漢字を分解した「一十八日」から
平成4(1992)年に全国香物線香組合協議会
(現:日本薫物線香工業会)が制定しました。
 

 
 
線香の町として知られる兵庫県淡路市の港町・江井は、
江戸末期、冬場に船乗りの仕事が減ってしまうことへの対策として、
大阪の泉州堺から線香作りの技術を導入しました。
この地独特の「西風」は線香作りには最適であったことから、
この地に根付きました。
更に職人が技術を磨いたことにより発展。
昭和30年代には日本最大の産地となりました。
 


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その淡路島の港町・江井にある
嘉永3(1850)年創業の線香メーカー「梅薫堂(ばいくんどう)があります。
調香は「梅薫堂」の5代目・吉井康人さんが手掛けています。
昔は杉の葉を粉にしたものを練って成形した「杉線香」が中心でしたが、
今はタブノキの樹皮の粉に、白檀や沈香などの香木や香料を調香した
「匂い線香」が主流だそうです。
 

 
 
工場では、この道50年のベテラン職人の鯉住(こいずみ)清八郎さんが
機械から押し出されたまだ軟らかい細長い線香を
盆板で支えるように取り出し、折れているものを選別する
「盆切り」という作業を行っていました。
 
それを大きな乾燥板に移し替え、
竹ベラ一本でぴっちり整列させるのは鯉住通代さんです。
気候や湿度によって変化する肌触りを、ヘラと手の感覚だけで見極めます。
 
この後、約2週間かけて自然乾燥させます。
淡路島の気候や風土が線香作りに活かされています。
「べかこ」と呼ばれるスライド状の格子窓を開け閉めして
海から吹き込む風を取り込み、線香を乾燥させます。
この時の乾き具合は、音で確認するそうです。
 

 
  • 住所:〒656-1531
       兵庫県淡路市江井2853-1
  • 電話:0799-86-1005
 
 

香りの開発者 癒しの香りを求めて(大発・土川真子さん)

 
線香づくりに新たな動きもあります。
大発」は堺を出発点とし、その後淡路島に拠点を移した老舗です。
創業当時から、フランスの香水メーカーが
お線香、お香のために特別に調合した香りで線香を作るなど、
革新的なものづくりを続けてきました。
 

 
 
土川真子さんは香りの開発に携わって25年。
土川さんの仕事場には、フランスのハーブオイルなど
世界中からの香りの原料がズラリと並んでいます。
 
液体と香木の香料をブレンドして
火を灯した後に、どのように香りが変わるのかが難しいそうです。
 

 
 
土川さんはご自宅でも香りを楽しんでいるそうです。
その楽しみ方を拝見しました。
朝は、ハーブ系のすっきりしたお香を焚き、
夜は、香木系で気持ちを落ち着かせます。
暮らしのシーンに合わせて香りを使い分けています。
仏事だけでなく、日常の生活の中に香りを取り入れ、
日々癒しを求めています。
 

 
  • 住所:〒656-1521
       兵庫県淡路市多賀73−2
  • 電話:0799-85-0325
 
 
 

美の壺2.香りに心をあそばせる

御家流(二十三代宗家・三條西 堯水さん)

 
「香道」は、熱を加えて「香木」そのものの香りを嗜みます。
「香炉」に小さな「香炭団」(こうたどん)を埋め、
その上に「銀葉」(ぎんよう)という雲母板を置き、
そこに3㎜角程の小片に切った「香木」をのせて焚き、
かすかにくゆる香りを聞きます。
 
室町時代中期、八代将軍・足利義政を筆頭として、
武家、公家、禅僧らの文化が融合した「東山文化」が花開きました。
当時は応仁の乱に代表されるように、
戦乱に明け暮れる時代でもありましたが、
一方で能、茶道、華道、庭園、建築などの
多様な芸術が確立された時代でもありました。
 
 

 

 
「香道」は、そんな義政を中心とする文化サロンで、
皇室や将軍・義政と親交があり、歌人、書家として名を成していた
公家の三条西実隆(さんじょうにし さねたか)により
「茶道」や「華道」と並ぶ芸道として確立されました。
 
その三條西実隆(さんじょうにし さねたか)を祖とする「御家流」は、
平安時代、公家の間で行われてきた和歌と香遊びなどといった
貴族文化を背景とするため、
優美さや心の余裕、遊び心を得ることを基本としています。
香の道具に華やかな蒔絵を好み、
作法は比較的ゆるやかで、のびやかさを特徴としています。
 

 
 
三條西 堯水(さんじょうにしぎょうすい)さんは、
香道の流派「御家流」の二十三代宗家です。
少年時代より父と祖父に香道の手ほどきを受け、
平成9(1997)年、二十三世を継承しました。
 
「御家流」では、
二通りの「香炉」を準備するのも「御家流」の特徴です。
二つの香炉で世界の二層を表しているのだそうです。
 
 
 


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<「聞香」の香りの起こし方>
 
1. まず聞香炉に香炉灰を入れ、
 火箸で全体をかき混ぜて灰を柔らかくします。
2. その中に電熱器などで火を起した「炭団」(たどん)
 埋め込みます。
3. 香炉を反時計方向に回しながら、「火筋」(こじ)
 灰を掻き上げます。(炭団は表面から隠れます。)
4. 続けて反時計方向に香炉を回しながら、
 「灰押」で軽く押さえ灰を山型に整えます。
5. 滑らかになった灰の表面に「火筋」(こじ)をそっと押しつけ、
 それを平行移動させながら「箸目」(はしめ)という筋目を
 つけていきます。
6. 灰の中心に「火筋」一本を真っ直ぐに立てて、
 灰の中心から炭団に向けて突き通し、「火窓」(ひまど)
 空けます。ここからの熱で香木を香らせます。
7.「羽箒」(はぼうき)で香炉の縁を掃き清めます。
8. 香炉が出来上がったら、
 「火窓」(ひまど)の中心に「銀葉」(ぎんよう)を置きます。
 「銀葉」は雲母の板に銀線で縁取りしたもので、
 香木を間接的に暖める道具です。
9. 「銀葉」を通して火窓の真上に来るように
 「香筋」(きょうじ)を横にして「香木」を載せます。
 
 
香炉の灰に「火筋」(こじ)で付けた
大きな三角形の形をした1区画のことを「合」(ごう)と言います。
そしてその中にある筋のことを「箸目」(はしめ)と言います。
 
この「箸目」(はしめ)は3種類あって、
「草」は三合(大きな三角の部分が3つ)のみ、
「行」は五合(大きな三角の部分が5つ)で中の「箸目」は簡略、
「真」は五合(大きな三角の部分が5つ)で、
更に「合」の中には9~13筋の「箸目」があるものです。
正面下にある細長い三角の部分が「聞き口」(ききぐち)となり、
そこから香りを聞きます。
「真」には、時計回りに筋を入れる「陰」と
反時計回りに筋を入れる「陽」があります。
 

 
 
これで準備が整いました。
じっくり聞きましょう。
右手で香炉の横を取り、左手で皿のように受けて、
右手で香炉の縁を丸く覆って、
親指と人差し指の間に出来た隙間に鼻を近づけて聞きます。
立ち昇る香りを逃がさないために手を覆います。
 
 
二十三世・三條西 堯水(さんじょうにしぎょうすい)さんは、
歴史上の人物が聞いた香りを聞くことで
時代を超越していると感じるそうです。
「聞香」とは、香木が話しかけるのを聞くことだと
その真髄を語って下さいました。
 
 

香道のアイテムいろいろ

香道は、500年の歴史があります。
主な流派には、「御家流」と「志野流」の二大流派があります。
「御家流」は貴族・公家の流派で、「志野流」は武家の流派です。
「御家流」は、香りを楽しむ事が主で、
「志野流」は、精神修行や心の鍛錬を目的としています。
 
 
茶道同様、香道の道具類も様々なものがあります。
 
「乱箱」(みだればこ)は、「乱盆」(みだれぼん)とも言う、
香道の香道具一式を入れるための、深さ7cm程度の箱様の盆です。
「御家流」では蒔絵のものが多く、「志野流」は桑生地もあります。
 
 
「重香合」(じゅうこうごう)には
香木を置くための「銀葉」(ぎんよう)が収められています。
 
「銀葉」(ぎんよう)
香木を間接加熱するための隔火具として
雲母板に銀の縁取りをしたもので、
香炉に埋けた「炭団」(だどん)の上にのせ、
その上に香木を置いて香りを聞きます。
かつては、銀製の薄葉を使ったところから
この名前があります。
 
 
「本香盤」(ほんこうばん)は「銀葉盤」(ぎんようばん)とも呼ばれ、
「銀葉」(ぎんよう)を並べるための盤で、唐木または漆塗りです。
10か12の区画に分かれ貝や象牙の花形の小片が貼付してある「本香盤」と、
試香の為の5か6に区画された小型の「試香盤」があります。
因みに「志野流」では、「試香盤」は使用しません。

 
 
 

美の壺3.長き眠りから解き放つ

志野流香道(蜂谷宗玄・宗苾さん)

 
もう一つの流派である「志野流」の始祖は、
室町時代、東山文化の隆盛を導いた室町幕府の八代将軍・足利義政の
同朋衆(将軍の側で芸能を扱った者)として仕えた志野宗信です。
宗信は「香道」や「茶道」に精通していたことから、
義政から香の様式を考案するよう命じられ、
将軍家所有の名香を整理しそうした過程の中で
「六国五味」(りっこくごみ)という香りの分類を定めました。
 
「六国五味」(りっこくごみ)
 
香木を産出地名などから、
伽羅・羅国・真南蛮・真那伽・佐曽羅・寸門陀羅の
六つに分類し、
更にその香りを酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛い)の
五つの味で表現しました。
 
 
当時の香道には流儀という意識がなく、
時代が下った桃山時代になってから流儀や流派が意識され始めたようです。
戦国時代から安土桃山時代に活躍した
堺の豪商・山上宗二が記した『山上宗二記』には、
「公家にては三條殿、武家にては篠殿」という記述があります。
 
更に時代が下り江戸時代になると、
「香道」は貴族や武家といった特権階級の人々の嗜みとなり、
「志野流」は徳川家の庇護を得て、この時代に成熟しました。
 
「志野流」の伝統は「父子相伝」(ふしそうでん)という形によって
20代に渡り連綿と守られ続けています。
十五代・宗意まで、宗家は京都にありましたが、
幕末の混乱期に尾張徳川家の庇護を受け、尾張に移りました。
 
二十代家元・蜂谷宗玄(はちやそうげん)さん、
次期後継者の蜂谷宗苾(はちやそうひつ)さんは、
今日も精進を重ねています。
 
武士文化を背景とする「志野流」は、
形の完成を通して心の鍛練を図ることを目的とする
「精神修養」として香を取り扱う流派です。
簡素な中にある厳しさや格式を重んじるスタイルが特徴で、
「武家の流派」と言われています。
 
二十代家元・蜂谷宗玄(はちやそうげん)さんは、
「香木の香りを楽しみながら、深い精神世界へと誘う「香道」では
 香りを「かぐ」ではなく「聞く」と表現します。
 それはおよそ目に見えぬ、香りというものに集中し、心を澄ませること」
と語ります。
 
 

蘭奢待を聞く(東京都港区・増上寺)

 
流祖・志野宗信没後500年を来年に控えて、
今年、令和4(2022)年5月28日、東京港区芝の増上寺において
徳川家康公追善法要として「献香式」が執り行われました。
 
「献香式」とは、神仏に香を捧げる大切な儀式です。
儀式に使う道具も特別なものを選びます。
ここで炷かれたのは、
家木として守り継がれてきた「蘭奢待」(らんじゃたい)です。
足利義政が截り取った「蘭奢待」の
更にその一部を志野流の祖・志野宗信が賜ったものです。
 
蘭奢待(らんじゃたい)
 
正倉院に収蔵されている「沈香」という種類の香木で、
全長156㎝、最大径は43cm、重さ11.6㎏。
正倉院の目録上の名前は「黄熟香」(おうじゅくこう)
聖武天皇によって「蘭奢待」と名付けられました。
良い香りを意味する「蘭麝」(らんじゃ)という言葉を捩ったものと考えられ、「蘭・奢・待」の各文字にはそれぞれ
「東・大・寺」の文字が隠されていることから、
別名「東大寺」とも言われています。
いにしえより「天下の名香」の名をほしいままにしてきました。
足利義政、織田信長、明治天皇の3人のみが
その一部を截(き)り取っています。
 
 
この150年間、蘭奢待を聞いたという記録はありません。
室町時代から大切に伝わってきた名香中の名香を炷くことは、
「この身を切る思い」と宗玄宗匠が吐露されるほど稀有なことです。
しかし、宗苾さんは、「蘭奢待」を徳川家康に献香することを提案しました。
260年に及ぶ戦のない礎を築いた尊敬の念によるものです。
「蘭奢待」で世界の闇を吹き飛ばしたい気持ちもあるそうです。
 
激動の時代を迎えた今、人々の安寧と幸せを祈るため、
日本から世界に向けて散華のように芳香を降り注がせたいという願いから、
前代未聞の「献香式」が行われたのです。
 
献香の当日、全国から500人以上の人が訪れました。
静かに漂う香りは穏やかで心の安らぎを与えてくれます。
次に「蘭奢待」(らんじゃたい)の香りを聞くのはいつのことなのでしょうか。
 

www.zojoji.or.jp

 
  • 住所:〒105-0011
       東京都港区芝公園4丁目7−35
  • 電話:03-3432-1431
 
でも・・・。
徳川家康は信長の最期を想い、不吉なことが起こると考えて、
「蘭奢待」(らんじゃたい)は切り取らなかったという説があるけど。
・・・ただの独り言です。
 

 

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