<番組紹介>
日本茶インストラクター直伝!
お茶の味わいを引き出だす驚きのテクニック
▽炭酸からくず粉まで!?
オリジナルのアレンジで軽やかに楽しむ
▽中国からの渡来僧がもたらした煎茶文化と
鮮やかな普茶料理
▽修行僧たちの茶礼に込められた教えとは
▽黄檗売茶流・煎茶道に宿るのもてなしの精神▽お茶好き!徳川家康をしのぶ
お茶壺道中行列・口切の儀に密着
▽600年の歴史を持つ黒茶・そのお味は?
▽お茶がつなぐ人と人
<初回放送日:令和5(2023)年6月17日>
美の壺1.自由に、軽やかに楽しむ
シングルオリジン
(日本茶専門店「表参道 茶茶の間」オーナー・和多田 喜さん)
現在、流通しているお茶の多くは、
複数の茶園で栽培された茶葉を
ブレンドしたものです。
ブレンドすることで、一定の品質と味わいを
得ることが出来ます。
ブレンドとは、
その道のプロが独自の味に仕立て、
理想の味を追求する職人的な作業とも
言われています。
今、「シングルオリジン」と呼ばれる
「1つの農園、1つの品種で作られたお茶」が
注目されています。
生産の技法や封入の技術が進化して、
この10年程の間に、
「1つの農園、1つの品種で作られた」
質の高い「シングルオリジン」のお茶が
楽しまれるようになりました。
日本全国のいろんな産地から
良質な茶葉を幅広く選べるようになって、
お茶もワインと同じように、
その深い世界を楽しむようになっています。
「シングルオリジン」と言えば、
コーヒーの世界では既に浸透している言葉です。
コーヒー豆をブレンドするのではなく、
1農園・1品種のみを使う
「シングルオリジンコーヒー」は、
豆の個性が際立つのが魅力です。
コーヒーの他にも、
チョコレートや紅茶など様々な食材
「シングルオリジン」の流れが広がっています。
東京・渋谷区にある日本茶専門店
「表参道 茶茶の間」のオーナー、
日本茶ソムリエの和多田 喜(わただよし)さんは、
「シングルオリジン」のパイオニア的存在です。
和多田さんは、20代前半に
アトピー性皮膚炎を患った際、
そのストレスを
日本茶で和らげられたことをきっかけに
お茶の世界に入りました。
平成17(2005)年に「表参道 茶茶の間」を開店。
20年近く、新しいお茶の楽しみ方を
追求してきました。
そんな和多田さんに
オリジナルのお茶の淹れ方を教わりました。
煎茶は、一煎毎に風味を楽しむことが出来ます。
ゆっくりと低い温度のお湯を少量注ぐと
茶葉が開いていきます。
まず1煎目は、お茶の濃厚な味を楽しみます。
二煎目は葉っぱの奥にある清々しい香りを、
三煎目はスッキリした味わいを楽しむことが
出来ます。
香りを手軽に楽しむなら、
水出し冷茶がオススメです。
まずワイングラスを準備します。
急須に少量のお湯と氷を入れて、
ワイングラスに注ぐと、
お茶の香りが広がり引き立ちます。
和多田さんは、お茶の葉の見た目にも
注目をして欲しいとおっしゃいます。
お茶を作るのに手間暇がかかっているのだから
時間や手をかけて楽しむ方が深く感じるから
だそうです。
茶葉独自の個性的な香りや味わいが楽しめます。
煎茶のレシピ
(日本茶インストラクター・本間節子さん)
神奈川県川崎市でお菓子教室
「atelier h」(アトリエ エイチ)を主宰する
お菓子研究家の本間節子さんは
日本茶のファンです。
お菓子に合う飲み物、お茶にも造詣が深く、
『日本茶のさわやかスイーツ』
『ほうじ茶のお菓子』
『あたらしくておいしい日本茶レシピ』
といった本を出しています。
また日本茶好きが高じて、
「日本茶インストラクター」として
日本茶イベントや講習会などで活躍しています。
本間さんは、家にあるものを使うことを
心掛けています。
日々の暮らしの中でお茶のアレンジが出来れば
間口も広がると考えているからです。
気分をリフレッシュしたい時には、
緑茶に炭酸水を入れます。
余分なものは入れません。
緑茶に柚子やすだちのスライスを浮かべると
ハーブティー風にもなります。
冬に最適のレシピを考案し、料理教室の生徒、清水裕子さん、馬目祐子さんに
試飲してもらいました。
葛湯にお茶を注いだ「くず湯入り煎茶」です。
反応は上々なようです。
お茶の封を開けると
最後まで使い切るのが大変なことから
思いついたそうです。
お茶の風味を生かし、
新しい飲み方を提案出来ればと
抱負を語ってくださいました。
美の壺2.親しく交わり、心を交わす
煎茶文化
(黄檗宗大本山萬福寺 教学部部長・吉野 心源さん)
煎茶文化は、京都府宇治市にある
「黄檗宗 萬福寺」(おうばくさん まんぷくじ)から始まりました。
「黄檗宗 萬福寺」は、Chinaからの渡来僧・
隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師により
江戸時代初期の1661年に創建された
黄檗宗大本山の寺院です。
隠元禅師は、禅の教えや多くの技術・文化を
日本にもたらしました。
「煎茶」も隠元禅師によってもたらされた
文化のひとつです。
茶葉にお湯を注いでエキスを飲む
「淹茶法」(えんちゃほう)を伝え、
この喫茶法が日本に広く普及し、
日本茶の主流になりました。
またChinaの精進料理
「普茶料理」(ふちゃりょうり)も広めました。
「普茶料理」は元々は法要などを終えた後に、
関係者が一同に会して茶をいただく
「茶礼」(されい)という儀式の後に
振る舞われた料理です。
そして、「食べ物を一つ残らずムダにしない」
という考えのもと、
僧侶が法要のお供えもので調理するというもの
でした。
「普茶料理」は野菜を中心としたもので、
季節の素材が使われます。
胡麻油をよく使い、
植物性油の揚げ物や油炒めが多く、
葛粉を使ってとろみを付ける調理法が多いのも
特徴です。
箏羹(シュンカン)
旬の野菜や乾物の煮物などを
大皿に盛り合わせた一皿で、
普茶料理の中の華とも言えます。
麻腐(マフ)
ごま豆腐の元祖とも言うべき
洗練された逸品です。
ゴマの旨味と香りが口の中に広がります。
浸菜(シンツァイ)
普茶料理の中で淡味の一皿。
季節感のある食材を用いて
他の料理を引き立てます。
油茲(ユジ)
一見てんぷらのようですが、
素材や衣自体に味がついており、
唐揚げに近い料理。
梅干しや饅頭などの変わり食材もあります。
もどき
精進の食材を使って
鰻の蒲焼やカマボコに見立てた料理。
寿免(スメ)
清湯(チンタン)ともいわれる澄まし汁。
具に唐揚げが入っていて
なんとも珍しい一品ですが、
淡味で非常にあっさりしています。
雲片(ウンペン)
調理の際に残ったへたなども余すことなく、
細かく刻んで葛でとじ、
雲に見立てています。
普茶料理の代表的な料理です。
水果(スイゴ)
料理の最後をしめくくるデザートです。
果物と甘味で
口の中をすっきりとさせてくれます。
萬福寺教学部部長・吉野 心源さんによると、
「お茶」と「普茶料理」には、
立場など関係なく、
仲睦まじく時を過ごす思いが
込められているのだそうです。
「普茶」とは、
「普 く大衆と茶を供にする」という意味を
示すところから生まれた言葉です。
食の前では身分は平等なりという考え方が
あります。
席に上下の隔たりなく、四人で一卓を囲み
大皿に盛り付けた料理を平等に取り分けて
食べるのが作法とされています。
今回、「摂心茶礼」と呼ばれる儀式に密着しました。
「摂心」とは「接心」とも書かれるが、
心の散逸を防ぎ、公案に全神経を集中して
坐り抜くこと。
坐禅に集中した修行をした後は、
皆んなでお茶をたしなみます。
心身が和らぐひと時です。
萬福寺では、節目にお茶を嗜みます。
お茶を通じてお互いを敬い、感謝をして
心がひとつになる瞬間です。
- 住所:〒611-0011
京都府宇治市五ケ庄三番割34
煎茶道
(「黄檗売茶流」家元・通仙庵孝典さん、
煎茶道師範・唐木岱仙さん)
煎茶道「黄檗売茶流」(おうばくばいさりゅう)は
京都・宇治にある黄檗山萬福寺の茶礼から
発展した流派です。
家元の通仙庵 孝典(つうせんあん たかのり)さんに
お茶席を催す時の大切な精神を教えていただきました。
千利休が「侘び茶の祖」「茶聖」と
称されるのに対し、
「煎茶の祖」「茶神」と呼ばれるのが
「売茶翁」(ばいさおう)です。
「売茶翁」は黄檗山萬福寺で修業した
黄檗宗の僧です。
晩年、洛中に「通仙亭」という庵を構え、
茶を売りながら禅や人の生き方を説きました。
煎茶道「黄檗売茶流 」は、売茶翁の志とともに
美しいお手前を受け継ぐ煎茶道の流派です。
大阪府高槻市を中心に煎茶道の普及に努めて
います。
お茶席を催す時の大切な精神・・・、
それは、掛け軸に書かれている禅語
「喫茶去」(きっさこ)であると
通仙庵 孝典さんはおっしゃいます。
「喫茶去」とは、「お茶でもいかがですか?」
という意味です。
馴染みの客であっても、一回限りのお客様でも
質を変えてはならないという意味だそうです。
お客様を迎える「床の間」には、
茶会を催す「亭主」による設(しつら)えが
されています。
「喫茶去」の掛軸の下には、
縁起物や季節感漂う「盛り物」があります。
準備が整うと、
師範・唐木 岱仙(からき たいせん)さんにより
お点前が披露されました。
煎茶道「黄檗売茶流」では、
椅子に座り、テーブルの上でお手前を行う
「立礼」(りゅうれい)が正式な作法です。
正座をする必要はありません。
袱紗で場を清め、お湯を沸かし、
急須の中に茶葉を入れると
茶葉の香りが部屋中に広がります。
お茶の空気に包まれる幸福の一端です。
通仙庵孝典さんは、
親子や大切な人との語らいの中心に
煎茶はあるべきだとおっしゃっていました。
美の壺3.味わいと思いは、時を超えて
口切りの儀
(煎茶道「静風流」家元・海野 俊堂さん)
静岡県は、全国の茶園面積の約40%を占める
日本一の茶どころです。
県内には、牧之原・磐田原・愛鷹山・小笠山山麓、
安倍川・大井川・天竜川流域の山間部など、
20を超えるお茶の産地があります。
1日の寒暖差が大きいという
お茶づくりに適した気候と
高い生産技術により、
各種品評会で数多くの賞を受賞するなど、
品質の高いお茶を生産しています。
静岡市は、江戸幕府を開いた徳川家康が
晩年を過ごした地として知られています。
1607年、駿府城に居城した大御所・徳川家康は、
この地のお茶を愛飲しました。
そして、新茶の時期に茶壺にお茶を詰め、
夏の間、海抜1200mの
冷涼な井川大日峠にあった
「お茶壺屋敷」で保管・熟成させ、
晩秋になると駿府城へ運び、
茶壺から取り出し、
お茶会を開いて楽しんだそうです。
この故事に倣い、静岡市では、
毎秋(10月下旬頃)に
久能山東照宮に眠る家康にお茶を献上する、
「駿府本山 お茶壺道中行列 ・口切りの儀 」が催されています。
当日は、午前中に井川大日峠にある
平成14年10月に復元された「お茶蔵」で
「蔵出しの儀」を行い、
半年間保管していた茶壺を蔵から取り出します。
そして午後、大名行列さながら、
時代衣装を身に纏った御一行により
茶壺は久能山東照宮拝殿まで運ばれ、
本殿で「口切りの儀」を行って
茶壺の封を切り、熟成茶を奉納します。
令和4(2022)年、「口切りの儀」で
点前を披露した
煎茶道「静風流」(せんちゃどう せいふうりゅう)の
家元・海野 俊堂(うんの しゅんどう)さんは、
ここまでお茶を美味しくするために考えた人は
いないだろうとおっしゃいます。
「口切りの儀」において海野さんは
茶壷の封を切り、
誰よりも早くお茶の香りを嗅ぎます。
そして新しい年に向けて、
茶葉で字をしたため、神前に奉納しました。
書いた文字は「徳」。
昨年の「福」と合わせて「福徳」です。
他の人に恵みを与え、己は徳を積むという
意味なのだそうです。
「本山茶」は、静岡市を縦断する安倍川と
その支流である藁科川の流域周辺で
作られるお茶で、
江戸後期には「安部茶」として
江戸の町で一世を風靡しました。
山茶の高い香りとバランスのとれた味わいは
秋になると一層深みを増します。
「熟成本山茶」は家康公の故事に倣い、
本山茶の中から厳選したものを
井川のお茶蔵に預け
秋まで半年間熟成したものです。
富山で600年続くお茶の文化「バタバタ茶」
新潟県との県境に程近い
富山県朝日町蛭谷(びるだん)地区には、
室町時代から600年続く
独自のお茶の文化があります。
蛭谷(びるだん)にある
「バタバタ茶伝承館」では、
地域のおじいちゃんおばあちゃんが集い、
「バタバタ茶」と呼ばれるお茶を
楽しんでいます。
準備は当番制です。
本日の当番は松原千代子さん。
鍋に湯を沸かし、「朝日黒茶」と呼ばれる
茶葉を木綿袋に入れて投入し、
20分程度煮出すと真っ黒なお茶になりました。
「バタバタ茶」は、お茶を茶筅で泡立てて飲む「振り茶」です。
「五郎八」(ごろはち)と呼ばれる茶碗に
煮出した真っ黒いお茶と塩を一つまみ入れ、
3年ものの「チシマザサ(別名:ネマガリダケ)」
と呼ばれる煤竹で作られた
「夫婦茶筅」(めおとちゃせん)で泡立て、
大きい泡がだんだん細かく白くこんもりと
盛り上がるまで茶筅を振り続けます。
茶筅で泡立てることで
口当たりがまろやかになり
適温で美味しくいただくことが出来ます。
茶筅を振る動作が
あせぐらしい(慌ただしい)ことから、
「バタバタ茶」と名付けられました。
発祥は定かでは有りませんが、
富山県黒部農業改良普及所の
宇田秋子さんの説では、
「真宗本願寺第8世蓮如上人が
文明4年(1472年)
新川郡清水に堂宇を構え説法す」という
記録に出てくる講に伴う酒・飯・茶の一つとして、
既にこの地で飲まれていたようです。
昔は「茶のみにござい」と
お茶会をふれまわる言葉が交わされ、
「バタバタ茶」の香りが村中に漂っていました。
黒い「バタバタ茶」のお茶になる茶葉
「朝日黒茶」は、「緑茶」と同じものです。
紅茶や烏龍茶の様に
茶葉の「酵素」の力ではなくて、
自然界の菌の力で
「乳酸発酵」により作られるお茶で、
「後発酵茶」の黒茶に分類されています。
(緑茶は「不発酵茶」)
商工会に勤める平木利明さんは、
30年、「朝日黒茶」茶を作ってきました。
7月の下旬、真夏の一番暑い時期に
お茶を刈り取り、
その後、約一ヶ月かけて発酵させて作られます。
不発酵茶の緑茶と同様に、
茶葉を蒸して酸化酵素の働きを止め、
その後、茶葉を約40日かけて発酵させます。
そして9月上旬。
天日に干して乾燥させ発酵を止め、
黒い茶葉が出来上がります
生まれも育ちも蛭谷地区の谷口邦子さんに
「バタバタ茶」の飲み方を
教えていただきました。
蛭谷では、この泡を飲んで
黒茶を味わうだけではなく、
当番の方が作った
地元で採れた山菜や野菜を使った
お煮しめや漬物などのお茶請けを食べながら、
一服や二服にとどまらず、
話の続く限り飲むという面白い風習です。
平木さんによると、30年前までは、
各家庭で1日2〜3時間をかけて
世間話などをしていたそうです。
黒いお茶「バタバタ茶」は
「文化」として捉えて守るべきだと
おっしゃいます。
「バタバタ茶葉」は、昭和52(1977)年までは
福井県若狭町で、
平成3(1991)年までは富山県小杉町でも
作られていました。
30年前、バタバタ茶の文化を伝承して行こうと
朝日町商工会は村おこし事業として
朝日町でバタバタ茶の製造に取り組み始め、
試行錯誤しながら技術を受け継いでいます。
今でも、家族の月命日や、
結婚、出産などのお祝いなど、
様々な集いの際に茶会は開催されています。
人と人との繋がりが、
古くから続くお茶の風習通じて
今日も大切に受け継がれていきます。
バタバタ茶伝承館
- 住所:〒939-0711
富山県下新川郡朝日町蛭谷484 - 電 話:0765-84-8870
- 営業時間:10:00~15:00
- 定 休 日
・火・木・日曜定休
・12月中旬~2月末まで冬期間は閉館 - 料 金:無料