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美の壺「輝きに心映して 月」<File 574>

<番組紹介>
テーマは月!
花鳥風月と称され古より人々に愛でられてきた月。
その美は様々な絵画や工芸に表現されてきた。
今回特別に撮影が許された月の名所・桂離宮!
圧巻の国宝も続々!
 
必見!特別撮影が許された桂離宮に浮かぶ名月
 ▽日本庭園の傑作に秘められた
  月を見るための仕掛けとは?
 ▽国宝!聖徳太子のために作られた
  日本最古の刺繍に「月とうさぎ」
 ▽国宝・源氏物語絵巻には恋を呼ぶ月が!
 ▽スティーブ・ジョブズが愛した
  版画家・川瀬巴水が描く「月」
 ▽月のパワーを身にまとう!伊達政宗の甲冑
 ▽圧巻の美しさ!国宝・三日月宗近
 ▽刃文に浮かぶ“三日月”の秘密とは!
 
<初回放送日:令和5(2023)年2月10日(金)>
 
 
 

美の壺1.月と向ひて 心を澄ます

 

京都・桂離宮(庭守・川瀬昇作さん)


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京都・桂離宮(かつらりきゅう)は、
国内外より日本が生んだ美の極みと称えられている、
建築当時の建物が今も現存する貴重な庭園です。
 
17世紀に、修学院離宮を造営した後水尾ごみずのお上皇の叔父で、
後陽成ごようぜい天皇の弟の八条宮はちじょうのみや 智仁としひと親王と智忠としただ親王・親子が精魂を込め、
約50年の歳月を費やして完成させた八条宮の別荘(古書院)です。
 

 
智仁親王は、幼少期から学芸に優れた才能を発揮し、
早くから戦国武将で歌人の細川幽斎に師事。
古典文学や漢学、絵画、琴、茶道を嗜む文化人でした。
 
智仁親王は、豊臣秀吉の猶子(ゆうし)となり、
豊臣家の継承者として期待されますが、
側室淀君に男子鶴松が生まれたために解消となり、
八条宮家を創設し、式部卿に任ぜられました。
 
 

 
貴族にとって、「月見」は極上の楽しみでした。
「桂離宮」は、月を見て和歌を詠む建物として
「月」にこだわり抜いて作られています。
 
例えば、襖の取っ手は「月」の字のかたち、
欄間は「月」の字を崩したもの、
灯篭にも月が模られています。
 
古書院の北の小高くなったところに建つ
茶屋「月波楼(げっぱろう)は、
名前の通り、観月の茶室として建てられました。
 
「月波楼」の名は、
白居易が西湖の春の風景を詠んだ漢詩「春題湖上」の
『月点波心一顆珠』(月は波心はしんに点ず一顆いっかの珠)から来ています。
 
月点波心一顆珠
月がさざ波に映り、真珠のようだ
 
茶室は、月が正面に来るように設計されています。
土間の右手の部屋は、池を眺めて見晴らしが良く,
土間の奥の座敷から北を見ると
池は隠れて見えない趣向になっています。
 
 

宮内庁で庭園管理をしていた
庭守の川瀬昇作(かわせしょうさく)さんは、
庭守をすることで気づいたことがあるそうです。
 
「飛び石」は一つだけ異なる形の石にしてあり、
それにより、立ち戻り、景色の再確認をする時を与えてくれます。
 
遠近感を狂わせた橋は、整え過ぎない庭の美学があるそうです。
月と向き合う真髄が込められています。
 
 
桂離宮
  • 住所:〒615-8014
    京都府京都市西京区桂御園
  • 電話:075-211-1215
 
 

桂離宮で見る十三夜の月


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旧暦の9月13日の夜、「十三夜」は、
十五夜の次に美しいと言われています。
 
今回、令和4(2022)年10月8日に開かれた
「桂離宮観月会」の撮影を特別に認めていただきました。
 
「桂離宮」に十三夜の月が昇りました。
「月波楼」から見ることの出来る月は
庭と調和して美しい景色です。
 
月を観賞するために、
古書院二の間の正面に作られた古書院の「月見台」は、
月を見るために広縁から池にせり出しています。
ここは、月の昇る様子を見ることの出来る特等席です。
月という友と向かい合って、
桂離宮の特別な夜が更けていきます。
 
~桂離宮を建てた八条宮智仁親王の歌~
 
月をこそ 読みしあかぬ 思ふこと
言はむばかりの 友と向ひて
 
~訳~
 月こそ飽きることのない思ったことを言える友だ
 
 
 

美の壺2.月の明かりに心を映す

 

月の美術史(「松濤美術館」学芸員・平塚泰三さん)

 
東京・渋谷区松濤美術館(しぶやくりつしょうとうびじゅつかん)
学芸員・平塚泰三さんは、
月の美術史について研究してきました。
 
平塚さんによると、
月は動きがあるため、鑑賞になり得るものとなったそうです。
 
奈良県斑鳩町の法隆寺に隣接してある中宮寺は、
聖徳太子が母后のために創建した尼寺です。
ここに、日本最古の刺繍遺品として知られる
天寿国曼荼羅繍帳てんじゅこくまんだらしゅうちょう」があります。
聖徳太子の妃、橘大郎女たちばなのおおいらつめ
聖徳太子の冥福を祈るために作らせたものです。
 
左上には月に「うさぎ」がいます。
日本最古の「月にうさぎ」の意匠だそうです。
餅を搗いていると思っていましたが、
不老不死の薬をうさぎが作っている場面だそうです。
 


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中宮寺
  • 住所:〒636-0111
    奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北
    1丁目1−2
 
 
『竹取物語』、『源氏物語』など、
月は物語の中で効果的に登場してきました。
 

 
特に、『源氏物語』には夜の場面が多く、
夜にストーリーが進行していきます。
『源氏物語』第四十五「橋姫」の段には、
光源氏の息子の薫は、恋する姫の顔を一目見ようと
月の明かりに照らされた場面が描かれています。
 
 
  • 住所:〒150-0046
    東京都渋谷区松濤2丁目14-14
  • 電話:03-3465-9421
 
 

川瀬 巴水が描いた月(作家・林望さん)


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大正から昭和にかけて活躍した川瀬 巴水(かわせ はすい)は、
近代風景版画の第一人者であり、
新版画運動の旗手として活躍した版画家です。
巴水は、日本各地を旅行し、
旅先で写生した絵を原画とした版画作品を
数多く発表しました。
その日本的な美しい風景を、叙情豊かに表現した作風から、
「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと称されます。

 

米国の鑑定家ロバート・ミューラーの紹介により、
欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、
アップルの創設者「スティーブ・ジョブズ」が
川瀬巴水の作品コレクターというのは有名な話です。
 
川瀬 巴水は、月を好んで描きました。
深い青のグラデーションに浮かぶ月が、
儚げで多くの人の心を掴みました。
 

 
作家の林望さんも
川瀬巴水の版画に惚れ込んだ一人です。
林さんは、巴水の作品の良いところは、
無言なことだとおっしゃいます。
静かで静謐、情緒深く、
月の陰影を際立たせて描いています。
そして、その光と影は、日本独自の美学だとおっしゃいます。
 

 
林さんのお気に入りの作品は「笠岡の月」です。
タイトルには「月」とありますが、画中には月はありません。
月をほのめかすシーンがあるだけです。
建物と道、そして人物だけが描かれています。
林さんは、こんな真っ黒な版画はないとおっしゃいます。
そしてこの絵を
「もうほとんど闇に沈んでいこうとする人生」と例え、
「この絵の翳は、即ち巴水の命終への予感」と予言しています。
 
絵の暗がりには、ほとんど闇との区別がつかないほどの人物が
弱々しく佇んでいる様子が描かれていますが、
林さんはこの人物像には「巴水自身の影がある」と指摘しています。
歳を重ねた巴水の希望、生への願いや未来が描かれているかのようです
 
 

美の壺3.月とともに生きる喜び

 

戦国大名の甲冑の月(「井伊美術館」館長・井伊達夫さん)

 
伊達政宗甲冑には、「竹に雀」の家紋が施されています。

 
頭上には、左右非対称の金の三日月型の飾り前立てが
掲げられています。
 
 
京都にある「井伊美術館」の館長・井伊達夫さんに
伊達政宗の甲冑について解説していただきました。
 

 
「前立て」は、
伊達政宗がデザインしたと言われています。
躍動感があり、オシャレな兜です。
左右非対称なのは、
太刀を振り上げた時に邪魔にならないように
作られたためだそうです。
 
この「前立て」は、
半月型の前立てに付け替えられる仕様になっていて、
戦の時には、半月型の前立てを身に着けて、
他の者に紛れ込んだようです。
そして三日月型の大弦月の前立ては、
出陣や凱旋の時に身につけたと考えられています。
 

 
 
 

 
ところで彦根藩・井伊家では、
甲冑や旗などの軍備の全てを朱色で統一した
「井伊の赤備あかぞなえ」として広く知られています。
藩主から家臣に至るまで、全ての甲冑は朱漆塗で、
兜には金色の「天衝」(てんつき)をつけるように
決められていました。
藩主のみが金色の「大天衝」(おおてんつき)
脇立(兜の脇に備える)とし、
家臣は「前立」としました。
 

 
「天衝」で全体で月を表しています。
井伊さんは、戦国武将にとって、月は戦と同じだと言います。
満ちることもあれば欠けていることもある。
欠けるばかりでなく丸く復活することもある。
そんな縁起担ぎもあったのでは教えていただきました。
 

 
  • 住所:〒605-0811
    京都府京都市東山区小松町564-53
  • 電話:075-525-3921
 
 

三日月宗近」(刀匠・石田國壽さん)

 
国宝「太刀 銘三条」(名物 三日月宗近みかづきむねちか)は、
平安時代の終わりに京都の三条で活躍した
刀工・宗近の作で、
この太刀の由来は、焼刃の模様である刃文(はもん)
三日月状のものがあることに因みます。
 

 
「天下五剣」(てんがごけん)の1つに数えられ、
その姿形の優美さは、日本一の美しさと評する人もいます。
 
天下五剣
  1. 「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)
  2. 「三日月宗近」(みかづきむねちか)
  3. 「鬼丸国綱」 (おにまるくにつな)
  4. 「大典太光世」(おおでんたみつよ)
  5. 「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)
 
伝来については諸説ありますが、
確かな史料に登場するのは、
豊臣秀吉の正室・高台院が亡くなった際に、
江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に贈られたとされるところからです。
その後は徳川将軍家の重宝として
第二次世界大戦後まで伝わり、
個人の収集家の手を経て、
「東京国立博物館」に寄贈されました。
 
その美しさは、三日月模様の刃文(はもん)にあります。
二重刃を研ぎ出した結果、三日月の模様が浮かび上がるのです。
 

emuseum.nich.go.jp

 
群馬県富岡市で刀鍛冶として活動している
石田國壽(いしだ くにひさ)さん。
奈良県吉野の刀匠・河内國平の下で修業後、
平成14(2002)年に群馬県富岡市に
「國壽鍛刀場」を開設し、作刀だけでなく、
日本刀の魅力を広く伝えるための活動も
積極的に行っています。
 
石田さんは、この三日月模様の刃文について、
作為的に無作為を作っているイメージが強いとおっしゃいます。
最初は、三日月模様が連続して作る二重刃風だったのではないかと
想像しているそうです。
 

 
石田さんは、平成28(2016)年、
ゲーム「刀剣乱舞」の企画で、
「三日月宗近」を作刀当時の姿に推定復元する
プロジェクトに参加しました。
 

 
このプロジェクトは、石田さんのキャリアの中で
最も困難な挑戦だったとおっしゃいます。
現存する「三日月宗近」は800年以上前のもので、
かなり研ぎ減っていました。
ですが、文献が残っていなかったためです。
 

 
なかなか美しい三日月が出てきませんでした。
完成までに8振りの刀を試作し、
平成30(2018)年に3年の歳月をかけて
三日月が浮かび上がる前の「生ぶ」な状態の
「推定復元 三日月宗近」を完成させました。
石田さんは、刃の美しさを共有出来ることは尊いことだと
おっしゃいます。

 
色々なものを「月」に見立て、今も私達を魅了し続けています。
 
「河内一門と日本刀のこれから
 〜刀剣乱舞「復元 三日月宗近」登場〜」展
 
刀匠の河内國平と、その門下で修行し、技術を磨く
若手現代刀匠4名、髙見太郎國一、石田四郎國壽、
小宮六郎國天、金田七郎國真の刀剣を
展示販売しました。
また今回、名立たる刀剣が“刀剣男士”へと姿を変える
PCブラウザゲーム・スマートフォンアプリ
「刀剣乱舞−ONLINE−」とコラボレーションし、
刀剣の魅力をより幅広くご紹介します。
「復元 三日月宗近」他、展示予定。

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