<番組紹介>
走る芸術品と称えられる「馬」。
すらりと伸びた足に、艶やかな毛、
そして引き締まった身体…愛らしさと美しさを兼ね備える馬の魅力に迫る!
▽圧巻の走りで
人々を熱狂させるサラブレッド。
その歴史はなんと300年!
▽時代劇&漫画に欠かせない名脇役!
▽漫画家原哲夫が語る黒王号、誕生秘話
▽人と馬の濃密な関係、岩手・遠野
▽絶滅の危機にある沖縄・与那国馬など、
馬が続々登場!
<初回放送日:令和5(2023)年3月3日>
美の壺1.人が作り出す芸術品
サラブレット
名馬「タイトルホルダー」
令和4(2022)年春の天皇賞の栄冠に輝いた
名馬「タイトルホルダー(Titleholder)」は、
デビューから2年でGⅠレース3勝の成績を収めた
「サラブレッド」です。
「サラブレッド」は、馬の中で最も速く走る
芸術品と称されます。
競馬の本場の英国では、紳士淑女の嗜みとして
馬が愛されてきました。
「競走馬」の大まかな定義としては、
「連続8代に渡り
「サラブレッド」が交配された馬」と
決められているんだそうです。
「サラブレッド(Thoroughbred)」は、英国で
より速く走る馬を王に献上することを目的に、
「東洋種」と「イギリスの在来種」を
交配してつくられた馬の品種のひとつです。
「純血」という意味があり、
語源は「Thorough」(完璧な、徹底した)と「Bred」(品種)に由来します。
語源にもあるように、「サラブレッド」には
馬1頭1頭に厳格な血統登録がされています。
「タイトルホルダー」も例に漏れず、
父・母・祖父母から初代のサラブレッドまでの
300年を辿ることが出来ます。
血統の内容は、サラブレッドの血統書
『ジェネラルスタッドブック
(General Stud-Book、略称GSB)』に
記されています。
『GSB』は、18世紀末に序巻が出版され、
その後、現代に至るまで
続巻が刊行され続けています。
サラブレッドの血統にはその基準に
細かな規定が設けられています。
日本一のサラブレッドの産地・北海道日高地方
(「岡田スタッド」オーナー・岡田 牧雄さん/厩務員・山田 晃平さん)
北海道日高地方は、
日本一の「サラブレッド」の産地です。
「タイトルホルダー」を輩出した
「岡田スタッド」も新ひだか町静内目名にある
競走馬の生産牧場です。
オーナーの岡田牧雄さんは、優れた血統を
より強くするための育成に力を入れています。
1歳馬になると、丈夫な心肺機能や足の筋肉を
鍛えるため、人を乗せる練習を始めます。
練習以外の時は、「昼夜放牧」と呼ばれる
放し飼いをして育てます。
厳しい自然環境に身を置くことで緊張感を与え、
本能を目覚めさせることで、強さを身につけることが狙いです。
岡田さんによると、能力が高いのは、
「絶えず周りを気にして、
自分の立ち位置を推し量っている馬」
だそうです。
厩務員の山田晃平さんは、
サラブレッドのスピードには、
夢や希望やドラマが詰まっていると言います。
そこに携われるのが、この仕事の良い所だとおっしゃっていました。
岡田スタッド
- 住所:〒056-0001
北海道日高郡
新ひだか町静内目名92−2
美の壺2.迫力の名シーンに名馬あり
役馬(馬術指導者・田中 光法さん)
時代劇の名場面「合戦のシーン」に
なくてはならない存在が「馬」です。
ドラマに出演する専門の馬を
「役馬」(やくうま)と言います。
「馬のまち」として知られる
山梨県北杜市小淵沢町にある
乗馬クラブ「ラングラー・ランチ」には、
大ヒット映画やドラマに出演した役馬が
多数います。
「鎌倉殿の13人」で小栗旬さんと共演を果たした
「バンカー」さんも
「ラングラー・ランチ」所属の役馬さんです。
大河の常連として知られ、
主演俳優のパートナーを3度務め、
大河だけで10本以上出演し、映画などを含めると
出演作品は50本以上にも上るそうです。
そんな大物役馬の「バンカー」さんは、
御年20歳、人間なら70歳位になります。
甲斐国の馬は「甲斐の黒駒」と称され、
『日本書紀』の中にも記されるほど
駿馬としてのブランド力を持っていました。
そして戦国時代、甲斐の象徴的存在である
武田信玄の躍進は
「武田の騎馬隊」と共に在り、
甲斐国=馬のイメージを決定づけるものになりました。
第二次大戦後、八ヶ岳南麓では大
規模な開拓事業が行なわれ、
多くの入植者が山間部の森を切り開き、
その開拓地では
牛の飼育が多く行なわれるようになった他、
昭和49(1974)年には、
田中茂光氏が乗馬クラブの
「ラングラー・ランチ」を開業しただけでなく
町内いくつものクラブ誕生にも関わり、
馬で人を集めるという、
この地域の観光に繋がっていきました。
その勢いは昭和58(1983)年の
「山梨県立馬術競技場」の開設に繋がり、
昭和61(1986)年の「かいじ国体」の成功を経て、
「ブリティッシュ」に分類される
馬術競技に於いても重要な拠点となりました。
馬術競技場では、
「八ヶ岳ホースショーinこぶちさわ」が
開かれています。
【八ヶ岳ホースショーinこぶちさわ】
— 八ヶ岳ホースショーinこぶちさわ (@y_horseshow) June 11, 2019
事務局より、「有料観覧席」販売のお知らせです。
インターネット販売:申込受付は6/18より
事前窓口販売:7/13生涯学習センターこぶちさわ にて
当日販売:7/27会場内の本部テント にて
詳細は公式HPにて https://t.co/TpIwUtFigP
更に田中茂光さんは、黒沢明監督の映画『影武者』に
馬術指導で参加したことを皮切りに、
以降、映像業界での馬術指導の第一人者として
多くの作品に関わるようになりました。
NHK大河ドラマ『武田信玄』では撮影地となり
町内にオープンセットも組まれたことで
撮影中は連日観光客で大変な賑わい、
交通網の整備や小淵沢のペンションブームの
波と共に、現在の高原リゾートとしての姿が
形成されていきました。
現在「ラングラー・ランチ」のオーナーである
息子さんの田中光法(たなか みつのり)さんも、
乗馬クラブを経営する傍ら、「役馬」を育てています。
NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』
『武田信玄』『真田丸』や
現在放送中の『鎌倉殿の13人』まで
数々の映像作品で馬術指導を担当しています。
「役馬」の育成には、少なくても3年はかかるそうです。
馬は鉄砲などの大きな音が苦手ですから、
「役馬」になるには、まず大きな音に慣れる練習をします。
訓練中の馬「オレゴン」は、鉄砲の音に恐がりますが、
大物「バンカー」さんは動じることはありません。
また、たとえ人間が刀や槍を持っていても、
危害を与えられることはないということを
「役馬」さんに判らせることが大切だとおっしゃいます。
なお、「バンカー」さんは令和5(2023)年2月23日、
スタッフや会員らに見守られる中、息を引き取られました。
昨年10月に撮影したNHKドラマ『大奥』で、
主演の女優の冨永愛さんを乗せたのが最後の仕事となりました。
今週の【美の壺】人と共に在る_馬
— NHK びじゅつ委員長 (@nhk_bijutsu) February 27, 2023
大河ドラマ「軍師官兵衛」「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」など
数々の作品で活躍した役馬の #バンカー 君が今月23日に病気で亡くなりました。
役馬バンカー、最後の雄姿をご覧ください。
バンカー君、どうか安らかにお眠りください。
3日(金)19:30~ BS4K/BSP pic.twitter.com/5am3gVZCRP
ラングラー・ランチ
- 住所:〒408-0041
山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3332 - 電話:0551-36-3269
- 営業時間:9:00~日没
[無休](冬期は10:00~日没)
※要予約 - 料金:[馬場内レッスン]5,000円~
[引 馬] 1,000円
[親子引馬] 1,500円
「黒王号」(漫画家・原 哲夫さん)
漫画の世界でも
強烈な存在感を放っている馬がいます。
『北斗の拳』に登場する
「世紀末覇者拳王」ことラオウの愛馬
「黒王号」(こくおうごう)です。
「黒王号」は、大柄なラオウが
唯一その身を預ける巨体を誇る黒毛馬で、
その蹄は象の足程もあり、
道を妨げる者がいれば
一踏みで圧死させてしまうほどです。
そんな「黒王号」の生みの親、
漫画家の原哲夫さんに
「黒王号」を描くに当たっての
こだわりをお尋ねしました。
原さんは、
「黒王号」を心の眼で見た大きさで描いたとおっしゃいます。
蹄を大きくデフォルメして、
リアルな絵で表現しました。
「黒王号」には、モデルの馬がいるそうです。
アメリカのイラストレーターで、
ファンタジーアートの第1人者・
フランク・フラゼッタ(Frank Frazetta)の
画集に登場する、幻想的な馬です。
フランク・フラゼッタ(Frank Frazetta)
[1928年2月9日-2010年5月10日]
主にSF、ファンタジー分野の挿絵などで活躍した
アメリカ人のイラストレーター。
特に『英雄コナン』『ターザン』『火星シリーズ』等々の一連のシリーズ作品の表紙や挿絵を手掛け、
アメリカ国内は元より世界中で人気が爆発した。
今なお、多くのプロのイラストレーター達から
「心の師匠」として尊敬と賞賛を集めている。
その画風は、筋骨隆々としたいわゆるマッチョな男性と、それにかしずく美しい女性キャラの対比構図などが特長で、非常に重厚な画面を作り出す。
原さんは、自身が描いた中で
ユリアの城に突撃するシーンが
特にお気に入りだそうで、
黒王号がラオウと
人馬一体となって迫ってくる場面は
まるで画面から飛び出るかのようです。
原さんは、「ダイナミックな迫力感を
ノリノリで描いた」と
当時のエピソードを語ってくださいました。
美の壺3.馬と在る暮らし
日本有数の馬産地・岩手県遠野市
(馬方・見方 芳勝さん/写真家・浦田 穂一さん)
岩手県遠野市は、日本有数の馬産地です。
古くは「南部駒」の産地として隆盛を極め、
数多くの優良な「南部駒」を輩出されてきました。
山林が多い遠野では、「馬搬」(ばはん)と言って
馬と人が山から木材を運ぶ小規模木材搬出作業が伝統的に用いられてきました。
かつては日本全国で見られた伝統技術ですが、機械化の進展により衰退。
けれども遠野では
今も現役で「馬搬」が存続しており、
平成22(2010)年には、岩手県、遠野市、
森林組合、NPOなどによって、
「馬搬」の継承、普及、宣伝を目的とした
「遠野馬搬振興会」が設立されました。
そして「馬搬」の技術を継承する
「馬方」(うまかた)さんが3人いらっしゃいます。
大先輩の2人に弟子入りして
馬搬技術継承に力を尽くす岩間敬 です。
馬方(うまかた)の見方芳勝(みかた よしかつ)さんは、
「地駄引き」(じだびき)と呼ばれる
馬搬技術を使って
山から切った木を馬で運び出します。
馬による山からの木出し作業は、機械と違い、
山を荒らさないと昔から言われてきました。
大きな機械を使えば、
あっと言う間に木を切り倒し、重たい木を
何十本もトラックに乗せて運び出せますが、
大きな機械を運ぶためには、
機械が通るための道を作らなければならず、
道を作るためには、
木を切って山を削らなくてはなりません。
また、日に何度も大きな重機が通り、
土を踏み固めていくと、
その道は元に戻らなくなってしまい、
山を傷めてしまいます。
馬ならば、機械が通れない場所にも
入ることは出来ますし、
運び出すためにに道を作る必要もなく、
石油も使いません。
山を傷めることもない、
自然に優しい搬出作業です。
今でも山を大事にする人の中には、
「地駄引き」で木材搬出をお願いする人も
いるそうです。
「地駄引き」で活躍するのは、太い足に
尻の筋肉が発達した重さ1tもある馬です。
サラブレッドや乗馬に使われる馬よりも
ずっと大きいそうです。
車も道もない時代から馬は、
材木や食材を運び、
人間と共に暮らしていました。
馬と人とが顔を合わせて暮らす
「曲がり屋」のひとつ屋根の下で、
家族同然の扱いで、見方さんと一緒に暮らし、
心を通わせながら、ともに働きたのです。
写真家の浦田穂一(1933-2004)さんは、
昭和41(1966)年に青森市から遠野市に移り住み、
以来ひたすら遠野に取り憑かれ、
高度成長の中での、変わるものと変わらない
遠野を撮り続けました。
遠野の人と馬の暮らしも
写真に収められています。
人と馬が寄り添い、共に過ごす1コマが
映し出されています。
遠野市内には馬を祀る神社が点在し、
絵馬や馬のお札が今も残っています。
「附馬牛」(つきもうし)町にも、
およそ700年前から馬を祀る神社
「荒川駒神社」(あらかわこまがたじんじゃ)が
あります。
大正時代に奉納された「千本絵馬」には、
ぎっしりと馬が描かれています。
人と馬との関係が色濃く残された町の証です。
「荒川駒形神社」で馬産の神を祀るきっかけとなった
エピソードがあります。
およそ700年前、東禅寺の無尽和尚が、
境内に水を引きたいと早池峰山の神に祈願したところ、
早池峰山の神様が祈願に応じ白馬に乗って現れ、
東禅寺の境内に早池峰妙泉寺の水を分与したそうです。
和尚は、現れた神様の姿を書き写そうとしたたのですが
写し終わる前に姿が消えてしまっため、
白馬の片耳を写し残してしまいました。
その片耳が欠けた白馬と神様を描いた絵馬を奉納したところ、信仰を集める場所となったとされます。
なお、「東禅寺」はかつて200人以上のお坊さんがいて、東北で一番大きなお寺でしたが、今はありません。
沖縄県南城市「与那国馬」
(「ヨナグニウマ保護活用協会」久野雅照さん)
沖縄県与那国島には、日本に8種類しかいない
「日本在来馬」(にほんざいらいば)内の1種の在来馬がいます。
「与那国馬」(よなぐにうま)です。
昭和44(1969)年3月25日に、
与那国町の天然記念物に指定されています。
- 北海道 :北海道和種(道産子)
(道の文化遺産) - 長野県木曽地域:木曽馬 (県の天然記念物)
- 愛媛県今治市 :野間馬 (市の指定文化財)
- 長崎県対馬市 :対州馬
- 宮崎県 :御崎馬 (国の天然記念物)
- 鹿児島県 :トカラ馬
- 沖縄県宮古島 :宮古馬 (県の天然記念物)
- 沖縄県与那国島:与那国馬(町の天然記念物)
「与那国馬」(よなぐにうま)は、
日本最西端の離島・与那国島に生息するため、
他品種との交配や品種改良が行われなかった
ため、その系統が保たれてきました。
「与那国馬」は体高が110から120㎝で
体重200kgと小型ですが馬力があり、
また蹄が硬いので、蹄鉄がなくても
足もとの悪い山道でも平気なため、
与那国島で古くから、
農耕、農作物や薪の運搬など、
人と一緒に働いていました。
飼い主は、「ウブガイ」と呼ばれる
木製の頭絡(とうらく)を自作してつけたり、
馬の耳に「耳印」と呼ばれる切込みを入れて、
自分の馬を区別していました。
また、沖縄の伝統の馬乗り競技である
「琉球競馬」にも用いられていました。
その「与那国馬」が、現在、
絶滅の危機に瀕しています。
農機具や自動車の普及などにより
その役割を失い、
昭和50(1975)年には
「与那国馬」は59頭にまで減少。
同年に「与那国馬保存会」が設立され、
保存と増殖への取り組みが始められた結果、
平成28(2016)年の馬事協会発表のデータによると
約130頭に回復しています。
在来馬の中では比較的数が多いほうだそうです。
現在、「与那国馬」は、
島内の北牧場や東牧場などで
半野生状態で放牧されていますが、
保護と同時に活用も行われています。
主として観光用ですが、
大人しくて、人懐こい性格を活かして
動物療法にも利用されています。
「ヨナグニウマ保護活用協会」の
久野雅照(ひさのまさてる)さんは、
長崎県出身で、40年程前には
神奈川・湘南に住んでいたのですが、
「与那国馬 絶滅の危機」という
新聞記事が目に止まり、与那国島に移住。
サトウキビの刈り取りや泡盛づくりなどで
生活費を稼ぎながら、
無償で借りた山を開墾し、
平成4(1992)年にふれあい広場を設立しました。
久野さんは、島の子供達に
「与那国馬」の魅力を伝える活動をしています。
馬と触れ合うことで馬を感じて欲しいと
おっしゃいます。