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美の壺「跳ねて幸よぶ うさぎ」<File 577>

<番組紹介>
数百匹の野生のうさぎが暮らす「うさぎ島」
 ▽写真家が捉える豊かな表情
 ▽特別撮影が許された京都・大覚寺の野兎図
 ▽描かれた19匹のうさぎの創作秘話
 ▽知る人ぞ知る!鳥取の白兎伝説
 ▽左甚五郎の作と伝わる魔よけのうさぎ
 ▽伊万里焼には吉祥をよぶ月と波うさぎ
 ▽上杉謙信も!?うさぎの兜に勝利の祈り
 ▽国宝「鳥獣戯画」のうさぎ・
  生き生きした表情の秘密とは
 ▽飛躍への願い!墨絵のうさぎが躍動する!
 
<初回放送日:令和5(2023)年4月5日>
 
 
 

美の壺1.しぐさは語る

 

うさぎ島の自然とうさぎ
(うさぎ写真家・中村隆之さん、麿矢さんご夫妻)


www.youtube.com

 
広島県竹原市の忠海港(ただのうみこう)から
フェリーで約15分の所にある
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま)は、
別名「うさぎ島」と呼ばれています。
周囲約4kmのこの小島には、
野生のうさぎが約400匹ほど棲息しており、
うさぎの楽園になっています。
そして国内外を問わず、
多くの観光客が癒しを求めて訪れています。
 
島外の小学校で飼われていた8羽のうさぎを
放したところ野生化して繁殖し
増えたそうです。
 

 
うさぎ専門の写真家ユニット「uta」(うた)の
「うたおさん」こと中村隆之さんと
奥様の「うたこさん」こと麿矢さんご夫妻は、
20年程前の平成12(2000)年に
初めて「うさぎ島」に訪れて以来、
毎月訪れては、厳しくも豊かな自然の中で
生きるうさぎの姿を写真に収めています。
 

ameblo.jp

四季折々、花や草や果実を
ただ生きるために食べるのではなく、
その時期にしか食べられないものを
嬉しそうに食べる姿は
見ている方も嬉しくなります。
そして、島の自然とうさぎを一つのものとして
捉えていければとおっしゃいます。
 
中村さんは、色々なうさぎの表情を
捉えてきました。
子うさぎが母うさぎの元へ駆け寄っていく様子、
ただごろごろと寝転ぶ様子、
丸まって目を瞑って寝てしまった様子、
時にはオス同士が激しくぶつかる
闘志むき出しの姿を見せることもあれば、
カップルが仲良く寄り添って
グルーミングしてあげる様子・・・。
うさぎは泣いたりしないので、
意思表示が乏しいと思われがちですが、
表情や仕草を見ていると考えていることが
理解出来るようになるとおっしゃいます。
 
例えば、耳の動き。
うさぎは聴力が優れていると言われ、
耳から多くの情報を得ています。
そんな耳を寝かせ、足を投げ出しているのは、
リラックスしている証だそうです。
 
この日、「uta」(うた)のお二人は、
以前から記録している
うさぎの親子の撮影をしていました。
天敵が多い島では、以前出会ったうさぎと
再会出来るとは限りません。
ですが、母親と2匹の子うさぎは
元気に育っていたようです。
母と子の、命煌めく、一瞬を切り取ります。
次第に母親と似てくる子うさぎの仕草。
成長感じる瞬間です。
 

rabbit-island.info

 
 

大覚寺『野兎図』
(大覚寺執行・岡村光真さん)

 
京都市右京区にある「大覚寺」には、
普段、非公開のうさぎの日本画があります。
時の幼い門跡(住職)のために、
渡辺始興(わたなべ しこう)
正寝殿の腰障子に描いた
重要文化財の『野兎図』を精緻に模写したものです。
今回、特別に撮影が許可されました。
腰障子には、愛らしくも躍動感のある
19羽のうさぎが描かれています。
後ろを向くうさぎや黒いうさぎ、
月を見上げているうさぎもいます。
 
渡辺始興は、江戸時代の絵師で
円山応挙にも影響を与えました。

 
描かれた経緯を大覚寺執行の
岡村光真(おかむらこうしん)さんに伺いました。
 
「41代・門跡猊下616-8411 (もんぜきげいか)
 寛深(かんじん)様が入山された年は
 わずか12歳だったと言われております。
 まだまだ親御さんの元に帰りたい寛深様の
 生まれ年、干支で言います「うさぎ」。
 これをこの部屋に描いて、
 お慰めになったのではないかと
 伝えられております。」
 

 

野兎図のうさぎと月
(学習院女子大学教授・今橋理子)

 
『野兎図』に描かれたうさぎについて、
学習院女子大学教授の今橋理子さんに
お話を伺いました。
 
 
「18世紀半ばになると、
 多くの自然物を観察し、それを楽しみ、
 研究もするという風潮が色濃くなりますね。
 当時の資料には、
 既に海外から様々なうさぎがもたらされ、
 人々が飼っていたことが伺えます。
 渡辺始興(わたなべ しこう/もとおき)は、
 本物のうさぎを細やかに観察し、
 描いたと考えられます。」
 
 
後ろ向きになったうさぎに、
体をのびのびと後ろ足まで伸ばして寛ぐ
黒いうさぎ。
「あれを見て、
 心が和込まないという方はいませんよね。」
 
月を見上げるうさぎもいます。
月見の名所として知られる
大覚寺東を向く部屋に座れば、
野に遊ぶうさぎに囲まれながら
月見が出来るしつらえになっています。
 
「うさぎとともに月の出を待つという、
 そこにはないけれども、
 見上げているうさぎの
 視線の先にあるであろう月に
 自分達も照らし出されているような。
 わずか12歳で仏門へ入り、
 大覚寺の住職となった寛深さんへ捧げるには
 本当に相応しい内容のテーマの絵だったなと
 思われます。」
 
心を慰めてくれるうさぎ。
時代を超え、静かに佇んでいます。
 
  • 住所:〒616-8411
    京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
 
 
 

美の壺2.吉祥を運ぶ神の化身

 

もう一つの「白うさぎ伝説」
(「成田山青龍寺」住職・城光寺照進さん)


www.youtube.com

 
鳥取市白兎海岸(はくとかいがん)は、
神話「因幡の白兎」の舞台となったこの海岸です。
 

linderabella.hatenadiary.com

 
ケガをしたうさぎを助けた
神様・大穴牟遅神おおなむちのかみ大国主神おおくにぬしのみこと)と同様に
恩返しをするうさぎも神として尊ばれ、
白兎神社(はくとじんじゃ)
神話に因み皮膚病や火傷などに効く神社として
最近では、大国主神と八上姫(やかみひめ)
縁結びの神様として信仰されてきました。
 

 
  • 住所:〒689-0206
    鳥取県鳥取市白兎603
 
 
鳥取県東部の山間にある八頭町(やずちょう)には、
もう一つの「白兎伝説」があります。
 

 
 
明治時代、「大本山成田山新勝寺」より
お不動様を勧請した
因幡の「成田山青龍寺(なりたさんせいりゅうじ)
元々は、奈良時代の和銅3(710)年に
行基菩薩が開いた「花喜山浄光寺」という
お寺でした。
 
成田山青龍寺」には、
『城光寺縁起』という書物が残されています。
 
縁起によると、
「その昔、中山に天照大神が降りてこられ、
 行宮あんぐう(仮の宿)を探していらっしゃた時、
 一匹の白いうさぎが現れ、
 天照大神の装束を加えて道しるべをしました。
 天照大神はそこにお住まいを構えられ、
 しばらく留まられた後、氷ノ山の氷ノ越えを
 通って因幡を去られました」と
記されています。
 
そして道しるべをした白いうさぎは消えていました。
それは白兎は、天照大神の兄弟神の
「月読尊」(つくよみのみこと)でした。
その後、白兎は「道祖白兎大明神」と言い習わし
祀神(としがみ)としてこの中山の尾続きの
四カ村の氏神として崇められました。
 
 
青龍寺の内陣(ないじん)の厨子には、
波間を跳ぶ「波兎」が彫られています。
江戸時代の作とされ、
共に彫刻されている「烏」・「鷺」(う・さぎ)
と共に、今もなお、その姿は健在です。
 
成田山青龍寺」住職の
城光寺照正(じょうこうじしょうしん)さんによると
この地域では月の暦を大切にしているそうです。
うさぎは多産であることから、
五穀豊穣の象徴として大切にされてきました。
同じく八頭にある西橋寺には、
左甚五郎が彫ったと伝わる白兎があり、
魔除け・火事除けとして崇められています。
 

 
  • 住所:〒680-0421
    鳥取県八頭郡八頭町下門尾46
 
 

器の意匠の中のうさぎ

 
うさぎは「飛び跳ねる」「飛躍する」として
吉祥のモチーフに使われてきました。
 
伊万里「染付波兎文皿」
(「戸栗美術館」学芸員・黒沢愛さん)

 
「うさぎ」は、美術品・工芸品の文様としても
古くから親しまれてきたモチーフです。
江戸時代の古伊万里にも初期から見られます。
中でも「月兎」(つきうさぎ)と「波兎」(なみうさぎ)
特にポピュラーな主題です。
 
 
戸栗美術館(とぐりびじゅつかん)の学芸員、
黒沢愛さんに解説していただきました。
 
「今でこそ、鑑賞の対象ということも
 ありますけれども、
 当時は実際に使う器でした。
 縁起の良いイメージというのが
 うさぎに重ねられていたのではないか
 というふうに考えられます。」
 
 
  • 住所:〒150-0046
    東京都渋谷区松濤1丁目11−3
  • 電話:03-3465-0070
 
 
「銀箔押張懸兎耳形兜」
(「国立歴史民俗博物館」教授・日高薫さん)
(かぶと)のモチーフとして、
意外にも人気が高いのが「うさぎ」です。
動きが俊敏で繁殖力が強いことから、
戦国武将も好んでうさぎの意匠を取り入れました。
 
軍神・上杉謙信所有と伝えられている兜
「銀箔押張懸兎耳形兜」
(ぎんぱくおしはりがけうさぎみみなりかぶと)は、
うさぎの耳をかたどった印象的なものです。
 
国立歴史民俗博物館」教授の日高薫さんに、
解説していただきました。
 
「戦場は武士にとって、生死を賭けた
 真剣な場であるんですけれども、
 同時に晴れの舞台でもあったので、
 戦場に赴く装いというのに、
 いろいろな工夫を凝らしていたようです」
 
「うさぎの耳の部分は、
 金属で出来ている訳ではなくて、
 和紙を何枚も漆を塗りながら、
 張り重ねてこういう形を作っているんです」
 
そして仕上げに銀箔で全体を覆ったことから、
月に照らされたこの兜は、
銀箔の威厳のある輝きを放っていたことでしょう。
 

 
  • 住所:〒285-0017
    千葉県佐倉市城内町117
 
 
「兎耳形変り兜」
(「井伊美術館」館長・井伊達夫さん)
 
験を担ぐ武将の間で、
うさぎの兜は支持を得ました。
井伊美術館にある「兎耳形変り兜」は、
兜の飾り立物(たてもの)が兎の耳になっています。
徳川家に仕えた渡辺半蔵(わたなべ はんぞう)家の
伝来品と伝えられています。
 
甲冑や武具などの研究者でもある
館長・井伊達夫(いいたつお)さんは、
「大きい立物を使うというのは、
 自分の存在を大きく見せるためですわ。
 狙われやすいですけども、
 目立つのは武士にとっては大事なことで、
 命の惜しい人は
 あんな格好しなくていい訳ですわ。」
とおっしゃいます。
 
「下がらない。うさぎは前にしか行かない
 という観念があるんですね。
 侍は特に戦場では下がること、
 1番嫌ったんですよ。
 一番恥だ、どういう理由があっても
 下がってはいかんのですよ。」
 
「可愛らしいところを見せるというのは、
 つまりはゆとり。
 これはいわゆる兵法の極意。
 平時の心を持つというかね、
 それを志して行こうというのが
 侍たちの信念ですね。」
 
うさぎの出で立ち。
それは武将の心意気を今に伝えています。
 
 
  • 住所:〒605-0811
    京都府京都市東山区小松町564−53
 
 
 

美の壺3.生き生きと跳ねる

 

京都・高山寺の国宝『鳥獣戯画』のうさぎ
(北九州市立大学教授・五月女晴恵さん)


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京都市右京区の栂尾(とがのお)にある
古刹「高山寺(こうさんじ)には、
誰もが一度は目にしたことのある、
日本絵画史上、最も有名な作品があります。
擬人化した動物達や人々の営みを
墨一色で躍動的に描いた、
国宝『鳥獣戯画』です。
 
 
国宝『鳥獣戯画』は今から800年程前、
平安時代終わり頃から
鎌倉時代の初め頃にかけて描かれた作品です。
全4巻からなり、
兎や蛙、猿の登場する「甲巻」が有名で、
この他に動物図鑑のような「乙巻」、
人物戯画・動物戯画から成る「丙巻」、
人物中心の「丁巻」があります。
この4巻を合計すると、44m超にもなります。
 
描かれた目的や作者は不明です。
マンガの原点だとも言われています。
北九州市立大学教授の五月女晴恵さんは、
30年に渡り、『鳥獣戯画』を研究しています。
 
「それはもう見て
 可愛らしくて楽しいというところが、
 1番の魅力だと思います。
 全体的にすごく笑い声が聞こえてきそうな
 画だなという気がします。」
 

 

生き生きとした表情は、
繊細な筆致が可能にしているのだといいます。
例えば、『鳥獣戯画』の甲巻で最も有名な
「賭弓」(のりゆみ)と呼ばれる
的を射る競技のシーン。
戦うのはうさぎのチームとかえるチームです。
 
「賭弓」(のりゆみ)
平安時代の宮廷年中行事のひとつで、
天皇の御前で「近衛府」と「兵衛府」の武官が弓の腕を競い、勝者は舞を奉納し、
賭物(勝負事にかける金品)を賜るが、
敗者は罰盃を強いられた。
 
「まさに矢を射ろうとしている
 うさぎの目を見ると、
 半月形になってるんですね。
 真剣な表情を表現しているのではないかなと
 思います。」
 
「うさぎチームには、
 控えのうさぎが3羽描かれていますけれども、
 1番向かって右側のうさぎの目をよく見ますと
 筆の穂先が上になるように
 目の点描を描いていることが分かります。
 これはこのうさぎのテンションが
 上がっているというのを表現したかった
 のかなっていう気もしてきますね。」
 

 
一方かえるというと、
敵方のうさぎの矢が的である蓮の葉に
見事命中しているため、茫然自失の表情です。
 
これまた有名な、
相撲をするうさぎとかえるのシーンでは、
かえるがうさぎの耳を噛んで、
うさぎを投げ飛ばしています。
投げられたにも関わらず、
うさぎからは笑い声が聞こえてきそうです。
 

 
 
更に、絵巻ならではの仕掛けもあるそうです。

うさぎときつねが振り返る場面は、
「これは、我々鑑賞者の視線を
 左に誘導する表現かと思います。」
逃げる猿、追ううさぎ、
更に巻き進めると倒れたかえるが現れます。
これは先程、大慌てで逃げていた猿の仕業でしょうか?
追いかけるうさぎも飛ぶように走っています。
 

「跳躍力というか、うさぎの生体を表現したいがために
 飛ぶように走るように描いてるのかなっていう気がします。」
 
鳥獣戯画には、自然や動物を見る
日本人のまなざしが映されています。
 
  • 住所:〒616-8295
    京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8
 
 

鳥獣戯画から触発されて
(墨絵アーティスト・西元祐貴さん)

 
「鳥獣戯画」は、現代アーティストにも
刺激を与えています。
墨絵アーティストの西元祐貴さんは、
大胆さと繊細さを持ち合わせたタッチで
「躍動感」「力強さ」を追求した作品を
展開しており、
龍や侍などの古典的なモチーフから、
現代のアスリートやミュージシャンまで、
躍動する命を墨絵で表現しています。
 

 
 
西元さんが鳥獣戯画の線に迫ります。
 
「なんか普段自分が描いている作品と
 重なっている感じがあったので、
 このシーンのうさぎだというのは
 パッと決めました。
 凄い流れるように描いていると思います。
 線1本1本に嘘がないというか、
 本当に描きたいものというのは、
 描きたいんだと思って描いているのかも
 しれないっていうのは凄いありましたね。」
 
「絵師はこれまで、
 物凄い数の線を引いているなと思いました。
 線の切れ方とか、その肉体その関節とか、
 何かああいう所の描き方が、
 線1本の強弱で、凄い描かれている姿は
 ちょっと怖って思いましたね。」
 
大画面にうさぎを一気に描きます。
西元さんは、一発勝負を心情として
制作をしています。
その時間、その場所、
自分の心情を筆に込めて描きます。
リズムに乗って、
うさぎが跳ねる躍動感を描きます。
描く時は、敢えてバランスを崩すそうです。
 
月とうさぎの眼を入れて、
西元さんの「うさぎ」が完成しました。
勇ましいうさぎです。
 
 

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