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美の壺スペシャル「和食」

<番組紹介>
星を獲得する名料理人が語る割烹料理の極意
 
 ▽まるでオブジェ!職人の技が光る若鮎の塩焼き
 ▽人気料理研究家・大原千鶴さんの買い物に密着
 ▽大原さん直伝・おいしい家庭料理のコツ
 ▽銀座・行列の人気店が美味しいごはんの炊き方を大公開!
 ▽木村多江が柴漬け発祥の地で伝統の漬物作りを体験
 ▽修行僧が漬ける10年ものの沢庵
 ▽きつねうどん発祥の店の黄金のだし
 ▽江戸の伝統を守る醤油蔵
 ▽醤油の驚きの使い分けをご紹介!
 
<初回放送日:令和4(2022)10月29日(土)>
 
 
 

美の壺1.食卓を彩る日本の心

 

割烹(銀座の割烹「銀座小十」奥田透さん)

 
平成15(2003)年より東京・銀座五丁目で
日本料理・懐石料理の「銀座小十」(ぎんざこじゅう)を営む
奥田透(おくだとおる)さんは、
全国各地から厳選して集めた食材に対して
極力手を加えることなく、滋味を十二分に引き出す、
いわば「引き算」の仕事を心掛けていらっしゃるそうです。
 
日本料理の割烹店や料亭の仕事は、
昔から「割主烹従」(かっしゅほうじゅう)と言われ、
「割」(さく)
すなわち包丁を使って切ったり裂いたりする仕事が第一で、
次に「烹」(にる)
すなわち火を使って煮たり焼いたり蒸したりと火を通すことが
これに続くとされています。
 

 

 
また「椀刺」(わんさし)と言って、
「椀」(「吸物」)と「刺」(「刺身」)を食べれば、
その店の料理人の腕前を確かめられるとも言われています。
「刺身」で包丁の冴えを見極め、
「吸物(椀)」で味付けを確認するという訳です。
 
 
世界の中で、「切る」ことに重きを置く料理は珍しいそうです。
「割」(さく)を表現する代表は、「刺身」です。
包丁の切る技が光ります。
鯛とアオリイカのお造りを厳選した織部焼の器に盛ります。
奥を高く、手前を低く盛る美しい盛り付け方も大切です。
 

 
「椀」は季節感漂う物を使い、食事を提供する空間は、
「侘び寂」の世界を演出します。
 
 
「烹」(にる)は、鮎を炭火で焼きます。
鮎の脂が落ちて戻り、香りとなります。
1時間をかけて「若鮎の塩焼き」が出来ました。
 

 
奥田さんにとっての「和食」とは、
日本を表現するための一番分かりやすい手段だと
おっしゃっていました。
 

 
銀座 小十
  • 住所:〒04-0061
       東京都中央区銀座5-4-8
       カリオカビル 4F
  • 電話:03-6215-9544
 
 

家庭料理(人気料理研究家・大原千鶴さん)

 
大原さんが作る料理は、シンプルな家庭料理です。
料理を美味しくするためには、
手近な材料を最低限の手当てをするだけでいいと
大原さんはおっしゃいます。
 

 
自転車でスーパーに向かう大原さんのお買い物に密着しました。
スーパーに行くと新しい発見がいろいろあるとおっしゃいます。
選ぶ食材は、どこにでもある身近な食材です。
安売りの食材も購入します。
高級な材料を使ったから満足がいくという訳ではなく、
何でもない材料で、何でもなく作る方が美味しく出来るのだそうです。
 

 
 
購入した食材をもとに作った料理は、
イワシをカリカリに焼いた「魚料理」に
「肉じゃが」と「金糸瓜(そうめん南瓜)」の和え物です。
大原さんは、調味料も手に入りやすい市販のものを使っています。
 

 
盛り付けは、天盛りや色を意識した工夫を凝らしました。
特別なものでなく身近なものの方が、
体に馴染むと大原さんは考えています。
 
 
 

美の壺2.大地の恵みに無限の可能性

 

棚田(新潟県の農業法人「越後ファーム」近正宏光さん)

 
新潟県と福島県の県境に位置する阿賀町は
昔から「奥阿賀」とも呼ばれ、
江戸時代に山を切り開いて作られた「棚田」が広がっています。
 
「棚田」は平坦地の水田に比べて、
2倍の労力を必要とする一方、
収穫量はわずか半分程度と生産性が低く、
ほとんどの「棚田米」が
平坦地のお米と区別されることなく同価格で流通するため、
高齢化が進む「棚田」地域にとっては、
肉体的にも経済的にも維持が難しくなっています。
 
越後ファーム」は、
そんな阿賀町の「棚田」で米を生産する農業生産法人です。
 

 
代表取締役の近正宏光(こんしょうひろみつ)さんは
新潟県の最北端で日本海に面した村上市の出身。
東京の不動産会社でサラリーマンとして働いていましたが、
未来の子供達に美味しい日本のお米を食べさせてあげたい、
不揃いでも旬野菜で季節を感じて欲しい、
農業は素晴らしい‼そう思ってもらいたいと、
平成18(2006)年に農業生産法人「越後ファーム」を立ち上げ、
新潟県東蒲原郡阿賀町を拠点に米作を開始しました。
 

 
また、米穀販売店「お米場田心」を展開し、
全国各地の生産者が「田んぼに心を込めて」作り上げたお米や、
各地のブランド米を取り揃えて、販売しています。
 

 
 
阿賀町は、日本一の米どころ新潟県の中でも、
特別山深く、雪深いところです。
また山間の盆地であるため、
年間を通して気温差は35℃以上、
稲が成熟する頃には昼夜の気温差が12℃を超える、
寒暖の差が激しい土地でもあります。
ですがこの厳しい寒暖差が、
お米にモチモチ食感と甘さを与えてくれます。
 
また町には、美味しいお米づくりに欠かせない
清らかな水が流れる湧水ポイントが200以上あります。
 
更に日照条件の良い「棚田」で育てられる稲は、
昼にしっかり光合成をしてデンプンを蓄えるため、
甘みの強いお米になります。
 
近正さんの栽培方法にも特徴があり、注目を集めています。
例えば苗を植える際にも、苗と苗の間の間隔を空ける
「尺隔植え」をしているため風が通りやすくなり、
病気になりにくく、より多くのデンプンを取り込む米が
出来るそうです。
 
収穫量は少なくても、
本当に美味しいお米を作りたい思いが伝わってきます。
風土や知恵が、美味しい米を作っていくのですね。
 

 
また近正さんは、お米の鮮度にもこだわっていて、
「雪蔵精米工場」を竣工し、玄米を雪蔵保存しています。
「雪蔵」とは積もった雪を倉庫に溜めて
その冷気を利用する、雪国ならではの貯蔵施設です。
高い湿度と安定した低温環境により、年間を通して
新米レベルの美味しさを維持することが出来ます。
 
   
  • 住所:〒959-4418
       新潟県東蒲原郡阿賀町野村1751-1
  • 電話:0254-92-5588
 
 

お美味しいご飯の炊き方
(米料亭「八代目儀兵衛」総料理長・橋本晃治さん)


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京都の老舗米屋「八代目儀兵衛」が
京都の祇園や東京銀座で展開する米料亭「八代目儀兵衛」は、
行列の出来る人気店です。
 
総料理長・橋本晃治さんに
美味しいご飯の炊き方」を教えていただきました。
お米にストレスをかけずに、素材を引き出すかがポイントだそうです。
 
 


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まず、洗ったお米を傷つけないように
握っては離す作業を1分程度します。
次に水を入れて軽く混ぜる作業を繰り返した後、
特別な土鍋に米を入れて炊きます。
土鍋は遠赤外線を発する土鍋を独自に作りました。
米の芯まで熱が入ることで、
米の外側はしっかり、内側はやわらかく炊き上がります。
(「外硬内軟」(がいこうないなん)
 

 
橋本さんは、2年の歳月をかけて、
米の保管・研ぎ方・炊き方を研究したそうです。
更に自慢のご飯を盛る時も、米の粒を潰さないことで、
旨味や甘みを引き出すことが出来るそうです。
仕上げにおこげを載せてごはんの白さとの対比も表現し、
見た目にも「美味しいご飯」が出来ました。
 

 


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  • 住所:〒104-0061
       東京都中央区銀座5丁目4番15号
       エフローレ銀座 1階
  • 電話:03-6280-6383
 
  • 住所:〒605-0073
       京都府京都市東山区祇園町北側296
  • 電話:075-708-8173
 
 

京都で100年以上も続く老舗米問屋「八代目儀兵衛」(橋本隆志さん)

 
橋本晃治さんの実家は、京都の老舗米屋
八代目儀兵衛(はちだいめ ぎへえ)です。
現在はお兄様の隆志さんが「橋本儀兵衛」として、
家業を継いでいます。
 

 
八代目儀兵衛」のルーツは、
「寛政の改革」が始まった天明7(1787)年に
初代・橋本儀兵衛が創業した庄屋でした。
その後230年に渡って、名立たる料亭や割烹などに米を納めてきました。
 

 
八代目儀兵衛」の米の美味しさの秘密は「ブレンド米」。
以前、「ブレンド米」は、国産米と安い外国産米を混ぜたものという
印象を持たれていましたが、
5ツ星お米マイスターである隆志さんが自らの舌で確かめ、
五感を通して本当に美味しいと感じる米を数種厳選し、
店の要望に合わせた味になるよう独自の配合でブレンドし、
究極の「ブレンド米」は大ヒット。
ミシュランの三ツ星店などに卸すようになりました。
 
隆志さんはこの究極の「ブレンド米」を更に広めるため、
飲食業への参入を決意。
有名旅館や料亭で修行した後、
料理人として腕を振るっていた弟の晃治さんを総料理長に
平成21(2009)年に「米料亭 八代目儀兵衛」をオープン。
ランチ時になると「白いごはん」目当てに、
連日行列が出来ています。
 

 
 
更にギフト業界にも参入。
「料理に合わせてお米も変えてみませんか」という提案をギフトにした
「料理別お米12種類の詰め合わせ」を発売すると大ヒット。
 


 
大手家電メーカー「日立」の炊飯器の監修を行うなど、
新たな取り組みに次々と挑戦しています。
 
 
八代目儀兵衛」の倉庫には、
全国から100種類に及ぶ米を仕入れて収められています。
隆志さんによると、お米は産地によって味が違うそうです。
 

 
おにぎりのお米のブレンドについて紹介していただきました。
おにぎりには、宮崎県産と石川県産のお米をブレンドします。
石川県産のお米は甘さが強いのですが、
粒離れが悪いため、おにぎりの加工には使いづらいそうです。
そのため粒離れの良い宮崎県産のお米を入れるのだそうです。
 
 
隆志さんは、
白さ・ツヤ・香りなど五感で米の配合をチェックします。
無限の組み合わせから、米の新しい味わいを生み出し、
多くの人に届けたいとおっしゃっていました。
 

 
八代目儀兵衛
  • 住所:〒600-8883
       京都市下京区西七条北衣田町10
  • 電話:075-201-5684
 
 
 

美の壺スペシャル「木村多江さん 漬物の旅」

 

漬物のまち京都へ

 
炊きたてのごはんの友と言えば「漬物」です。
長野県野沢温泉の「野沢菜漬」(のざわなづけ)
鹿児島県指宿市の「山川漬」(やまかわづけ)
滋賀県日野町の「日野菜漬」(ひのなづけ)など、
全国各地では、地域の特性を活かした漬物が作られています。

 
 
「漬物」の起源は不明ですが、
「漬物」が日本で初めて記録に現れたのは、奈良時代です。
「長屋王邸跡」から出土した木簡に
 進物加須津毛瓜(たてまつりものかすづけうり)
 加須津韓奈須比(かすづけかんなすび)
とウリとナスの粕漬けの文字が登場します。
 

 
 
続く平安時代には種類も増え、
宮中の宴や儀式に登場するようになりました。
10世紀半ばに編纂された『延喜式』(えんぎしき)には、
春の漬物14種類、秋の漬物35種類が記されています。
ウリなどの野菜から果物、野草、山菜まで、
そのバリエーションは驚くほどに豊かでした。
 
平安後期には、夏野菜を刻んだ赤紫蘇の葉で塩漬けにした
「しば漬(紫蘇漬)」が誕生したと伝えられています。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、京都の大原に隠棲していた
建礼門院徳子が我が子も失い悲しみにくれる中、
慰めにと地元の村人が献上した「夏野菜と赤紫蘇の塩漬」を気に入り、
「紫葉(しば)漬け」と名付けたという言い伝えが残っています。
 

 
 
江戸時代になると様々な漬物の製法が確立されました。
 
京都は、全国でも有数の漬物の消費量を誇ります。
夏野菜をしその葉とともに塩漬けした「しば漬」、
「聖護院かぶら」を薄く切って
昆布と漬け込んだ京都の冬の風物詩「千枚漬」、
「すぐき菜」を伝統的製法で乳酸菌発酵させた「すぐき漬」、
この三つの漬物は総称して「京都三大漬物」と言います。

 

「ちりめん赤紫蘇」
(老舗漬物店「土井志ば漬本舗」の社長・土井健資さん)


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漬物が大好きという木村多江さんが、
「しば漬け」の故郷、京都・大原にやって来ました。
 
木村さんが訪れたのは、赤しその最盛期の7月。
創業120年の老舗漬物店「土井志ば漬本舗」の自社農園には、
「ちりめん赤しそ」のいい香りが畑一面に漂っていました。
 
土井志ば漬本舗」の社長・土井健資(どいけんすけ)さんに案内されて、
木村さん、こちらで収穫のお手伝いです。
 
 
土井志ば漬本舗」では、大原の自然が守り続けてくれた
紫蘇の原種「ちりめん赤紫蘇」を用いて「志ば漬」を作っています。
「ちりめん赤紫蘇」には、葉の柔らかさや香り、色など、
「志ば漬」作りは欠かせない特性を備えています。
 
 「ちりめん赤紫蘇」は、2月の寒い時期に種を撒いて、
手作業による間引きや植え替えなどを経て、
6月の後半から9月にかけて、
その日の「志ば漬」づくりに必要な分だけを刈り入れ、
新鮮なものだけを漬け込んでいます。
 

 
 
収穫には、なかなか力が必要なようです。
収穫した赤しそは、工房へと持ち込まれて、
創業以来、変わらない製法で漬け込み作業がされます。
材料は、塩とナス、赤しそのみのシンプルなものです。
塩加減、樽の敷石を配置するのも職人技です。
樽は100年程使い込んだものを使います。
桶が保湿管理をしてくれます。
乳酸菌も入っていて発酵を助けます。
樽一つに漬けるしば漬けの量は1tです。
同等の重さの石を置ける面を探りながら敷いていきます。
1か月が経つときれいな紫色の「しば漬け」が出来上がります。
 

木村さん、出来上がった「しば漬け」をいただきます。
塩とナス、しそのみでいろんな味が重なっていると大感動です。
ごはんが欲しくなりますね。
 
    
  • 住所:〒601-1251
       京都府京都市左京区八瀬花尻町41
  • 電話:075-744-2311
 
 

漬物とお寺の関係(達磨堂圓福寺住職・政道徳門さん)


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木村さんの「漬物の旅」は続いて、
京都・八幡市にある「達磨堂圓福寺(だるまどうえんぷくじ)
やって来ました。
住職の政道徳門(まさみちとくもん)さんに、
特別に中を拝見させていただきました。
 
達磨堂圓福寺(だるまどうえんぷくじ)は、
天明3(1783)年創建の臨済宗最初の専門道場です。
雲水(うんすい)と呼ばれる禅宗の修行僧が集まって
座禅や托鉢などの修行に励んでいます。
重要文化財で日本最古と伝えられる「達磨大師坐像」が
坐禅堂の聖僧として安置されているので
「達磨堂」とも呼ばれています。
 
 
圓福寺では、毎年12月20日頃に「大根干し」を行っています。
修行僧達は、托鉢先などから寄せられた
約2000本の大根を数本づつ束ねて、
境内にある高さ15~20mのイチョウの木に丁寧にかけて
天日干ししていきます。
 
この「大根干し」の光景が、昨今、
SNSで「大根ツリー」と採り上げられ、
京都の冬の風物詩の一つとして定着しつつあります。
 
 
大根を約1ヵ月間天日干しした後、樽で漬け込みます。
出来上がった「たくあん」は
僧侶の食事に供される他、
毎年4月と10月に行われる「萬人講(まんにんこう)の際に
精進料理として参拝客に振る舞われます。
 
萬人講(まんにんこう)
修行中の雲水が毎月決まった家々(日供講)を廻り、
托鉢でいただいたお米やご志納などのお布施を
年に2回、日供講の方々をお寺に招待して法要を営み、
精進料理として召し上がって頂く仏事。
圓福寺では、日供講以外の方々にも広く門戸を開いている
ことから、大勢の参拝客で賑わいます。
赤膳でいただく精進料理は、
厄よけや開運の御利益があるとされています。
また、「萬人講」の日にだけ、重要文化財の秘仏、
木造「達磨大師坐像」が特別開扉されます。
 
 
漬物小屋には、修行僧が漬けた漬物が納められています。
塩分を多めに漬け込んで、早くても3年までは食べないそうです。
1年、3年、10年漬けた「たくあん」を見せていただきました。
より古いものは茶色をしていて、味もそれぞれ違っていました。
時間の経過が奥深い味に変化していくのですね。
 
  • 住所:〒614-8056
       京都府八幡市八幡福禄谷153
  • 電話:075-981-0142
 
 

「一汁一菜」修行僧体験
臨済宗・大本山妙心寺・津田章彦さん)


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木村さんの漬物の旅、
最後は、京都・右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山
妙心寺(みょうしんじ)で修行僧の食事作法を体験しました。
教えて下さったのは、「妙心寺」法務部の津田章彦さんです。
 
生活の全てを修行とみなす禅宗では、
「食事」をとても大切にします。
修行僧の食事はとても質素で、
「麦飯」と「味噌汁」に「おかず」一品と「たくあん」2枚の
「一汁一菜」です。
 

 
初めに「生飯」(さば)と呼ばれるお供えをします。
生きとし生けるもののために、
自分だけではなく、お裾分けのお供えです。
 
「生飯」(さば)とは、仏教や修験道で見られる食事作法で、
食べる前に自分の飯椀の中から飯の一部を取り分け、
幽界の衆生や鬼神、鳥獣などに供するもの。
自分達だけで食べるのでなく、他に施しをする心、
思やりの心を持つ為の作法でもあります。
「三飯」「散飯」「三把」とも書きます。
この「生飯」の分も考えて少し多めにご飯の準備することを
「サバを読む」と言ったことから転じて、
モノを数える時に数をごまかすことの意味として使われるようになった、という説もあるようです。
 
 
その後食事をしますが、音をたてないのが作法です。
たくあんを食べる時も
音を立てずにいただかなくてななりませんが、
木村さんには難しいようです。
 
2枚あるたくあんのうち、1枚は食べますが、
もう1枚は残して「お茶碗を洗う」ために使います。
 
おこげが入っているお茶が碗に注がれると、
たくあんで「飯茶碗」「汁椀」「おかず椀」を洗った後、
たくあんをいただき、そして最後にお茶をいただきます。
全てに感謝し、無駄なくいただく作法を
たくあんを通じて学びました。
 
  • 住所:〒616-8035
       京都市右京区花園妙心寺町1
  • 電話:075-461-5226
 
 
 

美の壺3.滋味をうみ出すハーモニー

 

出汁(「うさみ亭マツバヤ」宇佐美 芳弘・聖司さん)

家庭料理から懐石まで、
和食には欠かせないものに「出汁」(だし)があります。
和食の「だし文化」は世界中からも注目されています。
 
 
江戸時代、北海道で収穫された昆布は、
「北前船」で北海道から福井を経由して
下関から瀬戸内海を経由する西廻り航路で
「天下の台所」大坂に運ばれたことで、
大阪に「だし文化」が広まったと言われています。
 

 
大阪・南船場の心斎橋筋から1本東を南北に走る
丼池(どぶいけ)筋にある「うさみ亭マツバヤ」は
明治26(1893)年に創業した、
「きつねうどん発祥のお店」として有名な町のうどん屋さんです。
120年変わらない味を、店主の宇佐美芳宏さんと息子の聖司さんの
親子2代で伝えています。
 
自慢のだしは、息子の聖司さんが利尻昆布をベースに
最後まで飲めるだしをひきます。
「鰹節」は、3種類使います。
「木枯節」をベースに、「枯さば節」でコクを出して、
「枯宗田節」で香りを出します。
うどんにだしが一気に滲み込むように、粉状に削って使っています。
 
 
「おあげ」を仕込むのは、3代目の父・芳弘さんの仕事です。
芳弘さんは、大型の鍋に油揚げを10枚並べてそれを10段重ね、
昆布、砂糖、塩などで味付けをして、
「二番だし」で炊いていきます。
 
うどん、おあげ、だしが三位一体となり、
伝統の「きつねうどん」が出来ました。
だしの風味がたまりません。
 
うさみ亭マツバヤ
  • 住所:〒542-0081
       大阪府大阪市中央区南船場3-8-1
  • 電話:06-6251-3339
 
 

精進料理の研究家・藤井まりさん


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「だし」の起源には諸説あります。
その中の一つに中国から伝わる精進料理にある説があります。
美の壺 「精進料理」<File 434>にも出演された
精進料理研究家の藤井まりさんにお話を伺いました。
 
藤井まりさんは精進料理を分かりやすく、
家庭でもつくりやすいレシピとともに紹介し、
国内外で精進料理の普及に努めていらっしゃいます。
鎌倉・稲村ヶ崎で料理教室を主宰する他、
全国各地で料理教室や講演活動を行っています。
 
 
藤井さんが精進料理を始めたのは、36年前。
きっかけは、臨済宗の僧侶であったご主人
故・藤井宗哲(そうてつ)さんと始めた精進料理教室でした。
それまで藤井さんは、本格的に料理をしたこともなかったそうです。
 

 
宗哲さんは、鎌倉の建長寺を始め数々のお寺で
「典座」(てんざ)として精進料理を提供する仕事を任されていました。
そんなご主人は、精進料理の専門家として
各宗派の精進料理をまとめた書籍『精進料理大事典』など
数々の本を出版する一方で、
自宅である「不識庵(ふしきあん)を開放して、
精進料理塾「禅味会」を開催し、多くの人を招きました。
ご主人亡き後、その遺志を受け継いで精進料理研究家となり、
平成4(1992)年には北京に留学。
Chinaの精進料理研究や食と心の問題をライフワークとしています。
 

 
 
精進料理のだしは4つあります。
「大豆」「昆布」「シイタケ」「切り干し大根」です。
どのように作るのか教えていただきました。
 
まず「大豆」を焦げ目がつくまで炒った後、水を加えて煮出します。
そこにお米に加えて、「大豆」の炊き込みご飯を作ります。
「大豆」のだしは、甘みがあるので煮物などに適しているそうです。
「昆布」と「シイタケ」の合わせだしは、
だしの材料を一緒に混ぜて「けんちん汁」を作りました。
 

 
精進料理のキーワードに「一物全体」があります。
これは素材の全てを食べることを指していて、
だしを取った材料も全て食べます。
大根は葉っぱも皮も食べましょうということ。
ゴミを出しません。
 

 
藤井さんは、精進料理は飽きの来ないホッとする味だと言います。
自然からの恵みをいただく心が宿っています。
 

 
  • 住所:〒248-0024
        神奈川県鎌倉市稲村ガ崎3-12-25
  • 電話:090-4961-5383
 
 
 

美の壺4.先人の知恵は時をこえて

 

醤油(湯浅醤油の「角長」・7代目加納恒儀さん)


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日本の食卓になくてはならない調味料に「醤油」があります。
和歌山県有田郡湯浅町は「醤油発祥の地」と言われています。
「金山寺味噌」(きんざんじみそ)の上澄み液が
醤油の元になったと言われています。

 
「金山寺味噌」(きんざんじみそ)は、
味噌汁に使う味噌と違い、
大麦・大豆・なす・瓜・生姜・しそが入った
自然発酵のおかず味噌(なめみそ)です。
調味料として使うのではなく、
そのまま食べることが出来る味噌で、
元々は冬に食べる為に
夏野菜を使って作った保存食で、
その樽に溜まった液体「溜まり」は
日本の醤油の元祖と言われています。
 
 
 
天文4(1535)年、湯浅の醸醤家・赤桐三郎五郎が醤油を始めて大坂に出荷。
その後、大阪への出荷は年々増え続けます。
徳川御三家紀州藩が保護したことから、
醤油造りは湯浅のの中心産業として発展。
近世になると、湯浅の醤油は房総を始め日本全国に広まり、
文化文政期、人家が1000戸程の湯浅には、
92軒もの醤油屋が軒を並べるほどになりました。
 
今では町内で数軒の醸造業者が残るのみとなりましたが、
工場で大量生産される醤油ではなく、
当時と同じ金山寺たまりを原料に1年以上かけてじっくりと手仕込みする
伝統的な製法と味わいは脈々と受け継がれています。
 
 
 
天保12(1841)年創業し、令和3(2021)年に創業180年を迎えた
醤油蔵「角長」(かどちょう)では、6代目の当主・加納 誠さんが、
7代目となる長男・恒儀(つねのり)さん、長女の夫・岡部隼人さんとともに
創業当時の建物や古い道具類を今に受け継ぎ、
「湯浅たまり」という 伝統の製造方法で醤油造りを行っています。
 

 
 
7代目の恒儀(つねのり)さんに、天保時代そのままの、
170年以上の歴史がある醤油蔵を案内していただきました。
 
国産の大豆と小麦に種麹菌を混ぜて4日程寝かせた後、
そこに塩と水を合わせ、吉野杉の大きな仕込み桶の中で
「諸味」(もろみ)をつくります。
1年から1年半をかけて「諸味」の攪拌作業を繰り返し、
かき混ぜて空気を送ることで発酵を促進させます。
 

 
樽も仕込み蔵も創業当時のものです。
170年以上を経た蔵の天井や梁の至る所には
「蔵付き酵母」が住み着き、醤油の醸造を促してくれます。
 
「醤油って生き物でね。
 美味しい醤油を育てるのは蔵と蔵に棲みついた酵母菌。
 毎年異なる菌の様子をうかがいながら醸します。」
 
少しでもやり方を変えると味が変わってしまうと
恒儀さんはおっしゃいます。
お祖父様の代に屋根を張り替えたことがあったのだそうですが、
その時は桶が発酵しなかったことがあったのだそうです。
 

 
発酵した「諸味」(もろみ)を手作業で搾った「生醤油」を
赤松の薪で3時間じっくり炊き、灰汁を取ったら、
香り高い醤油の完成です。
 
恒儀さんは、同じ環境で作れるうちは作っていきたい
とおっしゃいました。
 

 
 
 

職人醤油」オーナー・高椅万太郎さん


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群馬県前橋市の「職人醤油」は、全国の醤油が並ぶ醬油の専門店です。
 
 
店内には、オーナーの高椅万太郎(たかはしまんたろう)さんが
日本各地、東北から九州までの400以上の醤油蔵を訪問し、
セレクトした100種類程度の醤油が
全て100mlの小瓶で統一して販売されています。
 

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ぽん酢など蔵元の通常サイズ(大きいサイズ)の商品や
みりん、味噌の取り扱いもあります。

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高椅さんは、醤油の嫌いな人は少ないとは思いますが、
醤油を使い分けている人は少ないので、
是非、味比べをして欲しいと思って、小瓶にして販売しているそうです。
 
醤油には、白、淡口、甘口、濃口、再仕込み、たまりなど
様々な種類があります。
高椅さんは、食材によって使い分ける「ワイン」のように
醤油を使い分けることを提唱しています。
 
白身や味が淡泊なものには、
旨味を抑えて塩分濃度を高くしている
「白醬油」や「淡口醬油」が適しています。
 
赤身のマグロには、「再仕込み醤油」や「たまり醤油」。
濃厚な味わいになります。
 
照り焼きには、「たまり醤油」、
卵かけごはんには「甘口醤油」が卵を引き立ててくれます。
 
このように、醤油は使い方によって可能性は広がると
高椅さんはおっしゃいます。
 
日本の風土と暮らしの中で生まれた醤油は
和食の伝統そのものなのですね。
 
 
  • 住所:〒371-0013
       群馬県前橋市西片貝町5丁目4−8
  • 電話:027-225-0012
  • 職人醤油ストア
 
 

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