MENU

福井県「越前焼」(えちぜんやき)

「越前焼」は、日本海に突き出た越前岬のある町、
福井県丹生郡にゅうぐん越前町えちぜんちょう を中心した地域で作られている
陶磁器です。
越前の土の特色を生かした、素朴で頑丈なつくりで
温かみのある土と灰釉の味わいを特徴としています。
 

 
 

越前町


www.youtube.com

 
福井県越前町は、平成17(2005)年に、
旧朝日町・旧宮崎村・旧越前町・旧織田町の4町村が合併し、誕生した
海の幸・山の幸に恵まれたところです。
 

 
全国に名立たるブランド「越前がに」を中核とした港町であり、
かの織田信長一族発祥の地であり、
そして、「日本六古窯」のひとつ「越前焼」の伝統の技が息づく町です。

www.town.echizen.fukui.jp

 
この町で発展した「越前焼」は、
昔から甕や壺、擂り鉢など庶民が使う雑器が多く焼かれており、
現代でも、地元特有の鉄分が多く、
高温にも耐える赤土を生かした技法は引き継がれ、
焼いても割れず、締まりの良く丈夫であるばかりでなく、
その温かさ、素朴な味わいが多くの人に愛されています。
 

 
 
 

「越前焼」の歴史


www.youtube.com

 
「越前焼」の歴史は古く、元々須恵器が焼かれていて、
約1300年前頃の奈良時代には須恵器の産地であったようですが、
約850年前の平安時代末期に「常滑」の技術を導入して、
「焼き締め陶」を作り始めました。
 

 
最初に窯が築かれたのは、
現在「越前陶芸村」のある越前町小曽原で、
「窖窯」(あながま)と呼ばれる
山の斜面をトンネル状に掘った穴を使って、
壺、甕、擂り鉢などを焼き上げていました。
出土した初期の越前焼の多くが
形状・質感・色ともに常滑焼によく似ていることから、
常滑からこの地まではるばるやって来た陶工の集団が
生産を行っていたものと思われます。
 

 
その後、生産地は広がり、
室町時代になると、
更に巨大な「窖窯」が作られるようなりました。
全長25mもある「窖窯」を使い、
甕60個、擂鉢1200個など約5tを一気に焼き上げていたようです。
そして「窖窯」の付近には多くの陶工が集まり、
越前焼生産基地が完成しました。
現在、越前町では、古窯200基以上が発見されており、
中世から焼き物の一大生産地であったことが窺えます。
 
また壺や甕には、玉縁状の口や撫で肩、
「越前焼」独自のヘラで線を引いたような文様や
櫛を使って装飾した櫛描きなどが見られるようになりました。
 
室町時代後期になると、硬くて丈夫な「越前焼」は、
「北前船」(きたまえぶね)によって、
北海道南部から島根県までの日本海沿岸に住む人々の元に運ばれ、
大きな甕や壺は水や穀物の貯蔵、藍染め、銭瓶などとして重宝されました。
こうして「越前焼」は日本海側最大の窯場となり、最盛期を迎えました。
 

 
 
ところが江戸時代に入ると、
次第に「瀬戸焼」などに押されて次第に衰退し、
生産量も縮小して行きました。
江戸時代後期には、甕や壺だけでなく
片口や徳利などの日用食器類も焼かれるようになり、
明治期には信楽や瀬戸、美濃、九谷などの先進地から陶工を招聘して
食器や花瓶作りなどを始めたり、
磁器や色絵陶などを取り入れようともしましたが、どれも定着せず、
明治末から大正時代にかけて窯元の廃業が相次ぎました。
 

 
その「越前焼」が、戦後、再び注目されるようになります。
昭和17(1942)年に丹生郡越前町平等の古窯址を調査した
陶磁器研究家の小山冨士夫氏が、
戦後『陶磁味第一号』(昭和22(1947)年)に、
「越前 窯は日本陶磁史上最も貴重な遺跡のひとつで、
 瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前の日本五古窯に匹敵する
 規模と歴史がある」と発表されたことがきっかけでした。
 

 
また小山氏の指導を受けた
地元の古窯址研究者・水野九右衛門(くうえもん)氏らによって
古窯跡(こようせき)の発掘調査と研究が進められ、
一帯の山々には200基以上の古窯が残り、
平安時代末期から鎌倉、室町、江戸時代にかけて、
甕や壷の生産が行なわれていたことが分かりました。
水野氏が収集した1600点を超える資料は、
国の登録有形文化財にもなっています。
こうした発見により、
「越前焼」の歴史的価値が見直されるようになりました。

bunka.nii.ac.jp

 

 
昭和40(1965)年5月には、県窯業開発振興協議会において、
「平等焼」「織田焼」「ふくい焼」「小曽原焼」など、
地域毎にバラバラであった呼び名を
「越前焼」に統一することが決定されました。
 

 
昭和46(1971)年には「越前陶芸村」が建設され、
全国から多くの陶芸家や観光客が集まり始め、
一時はかなり衰退していた「越前焼」は復活しました。
 

昭和61(1986)年には、通商産業省(現・経済産業省)から
「伝統工芸品」として指定を受け、
平成29(2017)年4月には
「日本六古窯」として「日本遺産認定」に登録されたこともあり、
「越前焼」の人気や注目度は一気に加速しました。
 

 
現在、「越前陶芸村」は越前焼生産の拠点となっていて、
一帯には窯元や若手陶芸家の工房などが点在するだけでなく、
越前陶芸公園を中心に、
 

 

www.togeimura.com

  • 住所:〒916-0273
       福井県丹生郡越前町小曽原6-12
  • 電話:0778-32-3200
 
 
 

越前焼の特徴

 
「越前焼」は、数ある焼物の中でも特にシンプルで、
鉄分の多い土が使われているため、
表面が朱色や赤黒い見た目をしています。
 
釉薬(ゆうやく)を使わずに焼かれますが、
高温で焼かれる際に薪の灰がかかり、
それらが溶け合って器に浮き出る「自然釉」も魅力の一つです。
 
 
「越前焼」は、陶器と磁器の中間的な存在である「炻器」(せっき)で、
「焼締め」や「半磁器」とも呼ばれます。
「越前焼」の陶土には、鉄分や粘土と共に
「アルミナ(酸化アルミニウム)」や「シリカ(二酸化ケイ素)」を
多く含んでいることから、
高い温度で焼いても割れず、締まりの良い丈夫な焼き物となります。
水を通さず丈夫なため、壺や甕、酒器や茶器など
日常生活で使う製品を中心に製作されてきました。
 
「炻器」(せっき)
陶磁器の一種で、陶器と磁器の中間的な存在であることから
「焼締め」や「半磁器」とも呼ばれています。
因みに、英語では「ストーンウエア」と言います。
「炻器」は古くから世界各地で生産されてきました。
日本でも古墳時代から「須恵器」(すえき)という土器が作られ、
その後、須恵器の技術を発展させて「備前焼」「信楽焼」などの
「炻器」が開発されました。
 
土を練り固めて焼いた「焼物」は大きく
「土器」「炻器」「陶器」「磁器」の4種類に分けられます。
 
「陶器」は粘土を1000〜1300℃で焼成したもので、
不透光性で吸水性があり、叩くと低く鈍い音ががします。
 
「磁器」は長石や珪石などガラス質を含む石を砕いたものを1300〜1400℃と高温で焼成したもので、半ガラス質でツルッとした質感のものが多く、吸水性はありません。
透光性があり、洋食器のほとんどがこれにあたります。
叩くと金属製の高く澄んだ高い音がします。
 
「炻器」は比較的高温の1100~1300℃で焼成したもので、
「陶器」に比べて素地が固く焼き締まった焼物で、
吸水性はありません。
「磁器」とは異なり非透光性、叩くと濁った音がします。
 
 
「越前焼」には、地元の粘りのある鉄分の多い陶土が不可欠です。
 
地元の田の底にある、
「青ねば」「赤べと」「太古土」(たこつち)と呼ばれる
3種類の陶土を採取し、混ぜ合わせて粘土を作ります。
土の粒子を均一にするために
不純物を除去する「水簸」(すいひ)した後、
粘土中の空気を抜き粘りを出すために「菊練り」をして、
土を作っていきます。
粘土中に空気が入っていると、ロクロ成形中に
プクっと水ぶくれのように空気が表面に出てきてしまうためです。
 
 


www.youtube.com

 
土が出来たら、成形作業に入ります。
越前焼の伝統的な技法「越前ねじたて成形」により行われます。
まず器の底になる土をしっかりと固定して「底土」を作ったら、
その上に太さ5~10㎝・長さ40㎝の紐状にした粘土「より土」を
ねじりながら巻きつけ、何段も積み重ね、
外側に出来た継ぎ目は「はがたな」と呼ばれる鏝(こて)を用いて、
ロクロを回すのではなく
製作者が粘土の周囲を時計回りに廻りながら、
表面を均していきます。
 
この越前独特の「ねじ立て成形」は今なお受け継がれています。
『陶芸越前大がめ捻じたて成形技法』は
福井県の無形文化財にもなっています。
 
形を成形し終わったら、充分に乾燥し、
窯に入れて1200~1300℃の高温で焼き上げます。
非常に高い温度で焼き上げていくため、
水漏れしにくく丈夫な製品が出来るのです。
 
 
 

越前陶芸まつり

 
越前町では、毎年5月の最終土曜・日曜・月曜に「越前陶芸村」において
「陶芸まつり」が開催されています。
窯元が直接販売するため、市価より2~3割安く購入出来ると人気です。
越前地方の特産品バザーや歌謡ショー、郷土芸能の披露、
さつきあげ茶会なども開催されます。