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福島県「会津本郷焼」


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「会津本郷焼」 は
「陶器」、「磁器」の両方を製造している、稀少な産地です。
「陶器」は伝統的な飴釉や自然灰釉を使用した
素朴で親しみやすい深い味わいがあります。
一方「磁器」は東北では最古の白磁の産地で、
呉須による染付や和洋絵の具による彩画などが多数あります。
 

 
「東北最古の窯場」と言われる「会津本郷焼」の発祥は、
今からおよそ420年前の承応2(1593)年に、
当時の藩主・蒲生氏郷公が
会津若松の黒川城(現・鶴ヶ城)の改築の際に
播磨国(兵庫県)から瓦工を招き、
瓦を焼かせたのが起源と言われています。
 
江戸時代の初期、藩主保科正之の時代には茶道が盛んになり、
その器物を焼かせるため、
美濃国瀬戸より陶工の水野源左衛門を招き、本郷に窯を開かせました。
源左衛門は、期待の応えて 会津本郷で良質な粘土「的場粘土」を発見。
器作りに務めて会津本郷焼の礎を築きました。
 

 
一方磁器の起源は、1800年のことでした。
それに先立つ1770年頃に、
本郷村で良質な原土「大久保陶石」が発見されたことから、
磁器を作ろうとした藩では、
江戸から陶師を招いて磁器を作らせようとしましたが、あえなく失敗。
そこで、佐藤伊兵衛を有田に潜入させます。
命がけで技術を習得した伊兵衛の帰国後、藩は備前式登窯を築きました。
藩では「会津本郷」に奉行所を置いて藩の産業として力を入れ、
良質の茶器、器、壺類を焼かせ、焼き物作りを保護・育成したため、
「会津本郷焼」は会津藩の御用窯として栄えました。
 
会津美里町の常勝寺の境内には、
会津本郷焼の発展に尽くした人々が祀られている
「陶祖廟」があります。
会津本郷焼の
「陶祖」である水野源左衛門と「磁祖」である佐藤伊兵衛の
陶像と位牌が祀られている他、
その後、磁器を真白く焼く方法を発見した手代木幸右衛門など、
陶磁器功労者22名の木牌を奉置されています。
大正5年の本郷大火によって一度焼失したものの、
翌年に、陶業者有志によって再建されました。
毎年9月16日に、年に一度だけ扉が開かれ、
会津本郷焼の陶祖の供養を行う 「陶祖祭」が開催されています。
 
 
やがて時代は移り、
戊辰戦争による打撃、壊滅的な不況などが本郷を襲いましたが、
再起を誓った陶工達が一丸となり、
明治中期には欧米各国へと製品を輸出するまでに復興を遂げました。
しかし、大正5(1916)年)に起こった大火により
製陶工場の大半を焼失、次第に衰微していきました。
 
 
再び「会津本郷焼」の名が浮上したのは、
昭和30年代の「民芸ブーム」の時でした。
1958年にブリュッセルの万国博覧会で、
宗像窯の「鰊鉢」がグランプリを受賞したことも弾みとなりました。
これらが、会津本郷焼のイメージを一気に民芸陶器へと結びつけ、
現在へと繋がっています。
 
平成5(1993)年には国の「伝統的工芸品」に指定されました。
また、令和3(2021)年には「地域団体商標」にも登録されました。
 


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「会津本郷焼」は、
瓦焼の流れを汲む「土物(陶器)」と
大久保陶石を原料とした「石物(磁器)」とがあります。
陶石を原料とした焼き物は、関東以北唯一の磁器の産地となっています。
 
会津本郷焼は、急須、土瓶、目皿、花器が有名ですが、
特に急須は、明治の末期に本郷の陶工が茶ごしの部分を発明し、
急須の出の良いことで日本一の折紙付になりました。
 

 
「会津本郷せと市」
毎年8月の第1日曜日に「会津本郷せと市」が開催されています。
(令和3年は中止)
明治の後期に会津の高野山と言われている八葉寺の例祭に
参拝する人達へのお土産として
会津本郷焼各窯元の弟子達が、道路にむしろを敷いて
商品を安価で販売したのが始まりと言われています。
現在では、会場となる町の目抜き「瀬戸町通り」に
会津本郷焼の窯元や様々な産地の窯元、漆器や
地元の野菜直売所・食べ物屋台など、約100軒の露店が並びます。