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島根県・石州和紙

「石州和紙」(せきしゅうわし)は、
島根県の西部・石見(石州)地方で製造されている
約1300年もの長い歴史を持つ和紙です。
 
主要な製造過程は全て手作業で行われ、
きめ細かく強靭で品格があり、長期保存に耐えうる特性を持ちます。
そのため、文化財修理、書道や賞状の用紙、石見神楽の面や蛇胴など
様々な用途に用いられています。
 
「重要無形文化財」「伝統的工芸品」の指定を受けている他、
「ユネスコ無形文化遺産」にも登録されています。
 
 

「石州和紙」

島根県の西部にある浜田市三隅町(みすみちょう)は、
三隅川の河口にあって、西側は日本海に臨む、
古くから「石州和紙」で知られる紙漉きの里です。
「三隅」という地名は、
「水が澄む、みずすみ」に由来すると言われています。
水がきれいで、軟水という手漉き和紙に必要な条件を満たし、
更には風当りの少ない盆地であるため、
原料となる「楮」(こうぞ)は良質でグングン育つのだそうです。
 

 
 
「石州和紙」(せきしゅうわし)は、
原料に「楮」(こうぞ)「三椏」(みつまた)「雁皮」(がんぴ)
食物の靭皮繊維を使用し、
補助材料としてネリに「トロロアオイ」の根の粘液を使い、
竹簀や萱簀を桁に挟んで「流し漉き」により作られます。
他の産地では取り除かれる楮の皮と芯の間の
「あま皮」と呼ばれる部分を敢えて使っているため、
仕上がった和紙は、独特の光沢と、薄い緑色を帯びた風合いがあり、
しかも強度があります。
 

 
生産の最も多い「石州半紙」は、
地元で栽培された良質の「楮」(こうぞ)のみを使用して漉かれた、
微細で強靭で光沢のある和紙です。
「楮」(こうぞ)は、楮・三椏・雁皮の中でも繊維が長く、
簡単には破れないとても丈夫な和紙です。
 
そのため現在は、文化財を修復する際に用いられています。
絵画や書物の破損した部分に、
和紙を貼り付けるなどの方法で補強するのです。
正倉院、京都本願寺、名古屋城など、
名立たる歴史的文化財の建具の補修に石州和紙が使われています。
最近では、国内だけでなく、
欧米の美術作品や貴重な文献の修復にも和紙が用いられ、
大英博物館やボストン美術館など、
日本美術のコレクションを持つ世界各地の美術館からの発注も多いそうです。
 

 
また、石見地方に古くから伝わる伝統芸能「石見神楽」の衣装には
石州和紙がたくさん使われていて、
神楽の花形とも言える大蛇(おろち)のからだ「蛇胴(じゃどう)は、
竹と石州和紙のみで作られているそうです。
 

 
昭和44(1969)年には「石州半紙」が国の「重要無形文化財」、
平成元(1989)年には「石州和紙」が
経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に指定を受けました。
また、平成21(2009)年9月30日に「石州半紙」が
「ユネスコ無形文化遺産」として登録されました。
その後の平成26(2014)年11月27日に、「石州半紙」と同じく、
原料に楮(こうぞ)のみを用いるなどの伝統的な手漉和紙技術で、
国の重要無形文化財に指定されている
「細川紙」(埼玉県小川町・東秩父村)、「本美濃紙」(岐阜県美濃市)と共に
ユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に
「和紙:日本の手漉和紙技術」として、再度登録されています。
 

 
 

「石州和紙」の歴史

 
『日本書紀』によると、
推古18(610)年に日本に紙の作り方が伝わったとされています。
 
寛政10(1798)年に発刊された
石見国の紙問屋であった国東治兵衛が著した
紙漉きの教科書『紙漉重宝記』(かみすきちょうほうき)によると、
和銅2(709)年に国司としてこの地に赴任して来た柿本人麻呂が
人々に紙漉き(かみすき)を教えたことにより
「石州和紙」の始まったとされています。
それ以後、約1300年もの間、石見(石州)地方では
手漉き和紙が漉き続けられ、守られてきました。
 

 
文献に「石州(石見)」の名が登場するのは、
延長5(927)年に編纂された『延喜式』で、
「中男作物に紙を四十張」
(20才前後の男子が作って納さめる郷土の産物に紙を四十枚)と
義務付けられた42ヶ国のうちの一つとして石見国が記載されています。
 
鎌倉時代頃より石見国を二分する勢力であった吉見氏と益田氏が
競ってそれぞれの領地で製紙を活発に行い、
江戸時代に入ってからは、津和野・浜田両藩において
徹底した紙専売を行なって製紙を奨励した結果、
「石州和紙」の中でも特に「石州半紙」は、
書道の半紙や商売の帳簿、傘、玩具などに使われる実用的な紙として
日本全国に普及しました。
 
大阪商人は帳簿や商品にとって何より大切な顧客台帳に
石州和紙を利用していました。
そして火事が起こった場合でも
一早く顧客台帳を井戸に投げ込んで焼失を間逃れ、
井戸から引き上げても
紙が破れたり溶けることがなく無事であったことから、
商売が再開出来たと言われています。

「石州和紙」は、
ほとんどが一家一舟の農閑期の副業であり、冬の仕事でした。
明治・大正時代、紙の需要が拡大したことから、
明治22(1889)年、紙漉き業者は6377戸もあったそうです。
しかし、機械すき和紙の参入などにより減少し始め、
昭和15年には664戸、昭和23年には279戸、
また戦後は高度経済成長による人手不足により、
農閑期の冬仕事に出稼ぎに出て紙を作る労働力が減少し、
紙漉きを廃業するところが多くなり、
昭和40年には60戸まで減少しました。
更に生活様式の変化による需要の衰退も相俟って、
現在は三隅町の4軒のみになってしまいました。
 
しかし「石州半紙技術者会」では、
三隅町を中心に住む職人の手で紙を漉く技術や技法を
一貫して守り通すだけでなく、
若手後継者育成にも積極的に努めています。
 
昭和61年8月12日には「石州和紙協同組合」を設立し、
平成20(2008)年10月には「石州和紙会館」をオープンさせました。
石州和紙会館」では、後継者育成のため
石州和紙の技術や技法の研修が行われているだけでなく、
日本に留まらず世界に向けて
日本の和紙の魅力を伝える情報発信も行われています。
石州和紙の展示・販売の他、紙すき体験も出来ます。
 
  • 住所:〒699-3225 
    島根県浜田市三隅町古市場589
  • 電話:0855-32-4170
 
 
 

「石州和紙」の特徴


www.youtube.com

 
 
「石州和紙」(せきしゅうわし)の一番の特徴は、
「日本一丈夫な和紙」と言われるほど
強靭で良質な仕上がりであることです。
その秘密は「原料」と「製法」にあります。
 
「石州和紙」の原料は、「楮」「三椏」「雁皮」です。
「楮」「三椏」は三隅の地元で栽培されたものを使用し、
「雁皮」は野生のものを使用しています。
 

               <イメージ:三椏(みつまた)>
 
それぞれに味わいが異なり、最も上質の紙は「雁皮紙」です。
光沢があり半透明に仕上がり、
書画用紙や賞状用紙、染め紙、便箋などまで多種多様に製品化されています。
 
 
「三椏紙」は紙肌が柔軟で滑らかで温雅な光沢を持ち、
書道用紙や印刷用紙等に適しています。
「楮」は庶民の紙で強靭です。
 

 
以前は、和紙づくりは分業で行われていましたが、
近年は、楮を栽培する農家や専門の問屋が減っているため、
原料の栽培から収穫、加工、販売までの全てのプロセスを
各工房が担わなければならなくなっています。
 
「楮」や補助材料の「トロロアオイ」を栽培し、
12月か1月に刈り取りを行います。
蒸気で蒸して表皮を剥ぎ取り、
剥いだ黒皮は束にして自然の風で乾燥させた後、貯蔵してきます。
その後、黒皮を半日程水に浸け柔らかくしたら、
包丁で一本一本丁寧に表皮を削りますが、
この時強靭さを出すために、
表皮と白皮の間の「あま皮」部分を残しておきます。
煮窯で2度煮、塵を取り、繊維を叩いて砕き、
漉き舟に水と紙料、トロロアオイを混ぜて均等に攪拌して、
ようやく「紙漉き」の作業を始めます。
 

 
「数子」(かずし)「調子」(ちょうし)「捨水」(すてみず)
三段階の工程が基本。
素早くすき舟の紙料をすくい上げ、簀全体に和紙の表面を形づけます。
紙料を深くすくい上げ、前後に調子を取りながら、
繊維を絡み合わせて和紙の層を作ります。
 
「流し漉き」により繊維を絡み合わせることで、
日本でも最高クラスの強靭さが生まれるのです。
 
甘皮を使った「石州和紙」の紙の色は少し黄味がかりますが、
時を経るにつれ白く美しくなっていきます。
 
 

三隅町にある和紙工房

・住所:〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場683-3
・電話:0855-32-1166
 
・住所:〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場957-4
・電話:0855-32-0353
 
・住所:〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場1694
・電話:0855-32-1141
 
・住所:〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場1752
・電話:0855-32-0349