「水府」は江戸時代の水戸の別称です。
その水府・水戸は、岐阜、八女(福岡県)とともに
「提灯の日本三大産地」と言われています。
提灯の歴史は古く、その起源は室町時代まで遡ると言われています。
当時、Chinaからもたらされたとされる提灯は、
竹かごに紙を張った折り畳みの出来ない篭提灯のようなものでした。
折り畳みの出来る提灯が使われるようになるのは室町時代末期の頃で、
仏具的な役割をしていたようです。
安土桃山時代から江戸時代初め頃に、
祭礼や戦場での大量使用が要因となって技術革新がなされ、
軽くて携帯に便利な簡易型への発展を遂げました。
更に、江戸時代中期以降にロウソクが大量生産出来るようになると、
武家・貴族などの上流階級の間で使用していた提灯も
一般庶民の実用品として使用されるようになり、
折り畳めて携帯に便利なものや、祭礼用提灯など
多種多様な形状の提灯が人々の生活に浸透していきました。
盆供養に提灯を使う風習もこの頃に浸透したようです。
《参考》
「水府提灯」は水戸藩の産業振興として生まれました。
近郊には、
丈夫な厚い和紙「西ノ内紙」の産地や良質な竹の産地があり、
それらを主材料とし、
一般的な提灯が竹ひごを螺旋状に巻き上げて作るのに対して、
「水府提灯」は篠竹で出来た提灯の内側の竹ひごを
1本1本輪にして糸で結わえる
「一本掛け」という独自の手法で作るため、
大変な手間暇が掛かりますが、
力強く引っ張っても型崩れしないのが特徴です。
「堅牢、質実剛健」であるため江戸の町などで多く用いられ、
現在も、「三社祭」や「神田祭」で使われているそうです。