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兵庫県・淡路島「珉平焼」(みんぺいやき)

「珉平焼」(みんぺいやき)は、江戸後期の文政年間(1818~30)に、
淡路島の南端、伊賀野村(現在の南あわじ市)で、
賀集珉平(かしゅう みんぺい)によって始められた焼き物で、
地名をとって「伊賀焼」とか「淡路焼」などとも呼ばれ、
広く名声を博しました。
 
 
賀集珉平(かしゅう みんぺい)は、
京より京焼の陶工・尾形周平を招いて
色絵の技術とデザインを導入後、
古今東西の様々な技法を写していきました。
 
天保10年(1839)には、当時の阿波藩の御用を務め、
「御用御陶師」を称することを許され、
藩主・蜂須賀公のお手窯として、主に花器、茶器などが作りました。
大坂に販売所を構え全国に販路を拡大するなど、
「珉平焼」は大きく発展しました。
 
 
「珉平焼」の特徴は、幅広いバリエーションにあります。
江戸時代後期の日本で、これほど多くの種類を焼いていた窯は
恐らくなかったのではないかと言われています。
そして、鮮やかな色。カラフルでとてもポップな印象です。
釉薬には鉛を原料とするものが使われていて、
ハッとするような明るい黄色などは鉛特有の発色となっています。
現在の法律では、食品用陶器に鉛含有の釉薬の使用は禁じられていますので、
この目を惹く発色の器は、今ではもう出せない貴重な色となっています。
 
 

 
明治4(1871)年に珉平が没した後、長男が継いだものの振るわず衰退。
しかし、明治18(1885) 年8月に
「珉平焼」を継承して「淡陶社」が設立されると、
明治34 (1901)年3月には、
輸入タイルと同レベルの国産タイルを完成させて、
本格的にタイル生産を開始しました。
 
 
 
現在、このタイル生産はダントー・ホールディングスに引き継がれていて、
令和2 (2020)年8月に、創業135周年を迎えました。