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兵庫「出石焼」(いずしやき)


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「出石焼」(いずしやき)は、
「但馬の小京都」、兵庫県の豊岡市出石町で作られている磁器です。
白磁の「出石焼」は、「白よりも白」とか「白過ぎる白」と言われるほどの
透き通るような白さをもつことで高い評価を得ています。
また「出石焼」の器に盛る「出石皿そば」は300年余りの伝統を持ち、
観光客にも人気です。
 
 

1.歴史

  

 
「出石焼」の歴史は、垂仁天皇時代(紀元前29年~西暦70年)に
新羅より天日槍命(あめのひぼこのみこと)
陶士を従えて但馬出石に到来し、永住の地と定めて
衣食住に必要な食器類を焼いたことに始まったと
伝えられています。
 

 
最初の「出石焼」は、
天明4(1784)年に出石の商人である長谷治郎兵衛と伊豆屋弥左衛門が
「桜尾窯」(土焼(つちやき))を開いたのが始まりと
伝えられています。
日本六古窯の1つであった丹波から久八という職人を雇い、
更に京や大坂からも陶工を雇い入れ、
松割木の払下げや資金貸与など出石藩の援助を受けて、
陶器の茶碗などの日常生活用品や
出石藩主に贈答するような花生けなどを焼いていたようです。
ところが、操業開始して間もない天明8(1788)年に桜尾窯が火災するなど、
出石焼創窯は苦難に満ちた船出でした。
 

 
寛政元(1789)年には、白焼きを始めようと思い立った
二八屋珍左衛門(にはちやちんざえもん)が、
出石藩より援助を受けて有田に赴き陶器の製造法を学び、
有田の陶工を連れ帰りました。
しかし資金面で苦しくなった珍左衛門は丹波に移り、
残された陶工が珍左衛門の意志を受け継ぎ、
出石町の土焼き職人となったことで、
出石磁器が伝承されることとなりました。
 

 
そしてこの頃、柿谷や谷山で
白磁の原料となる良質の陶石「柿谷陶石」が発見されたことから、
寛政11(1799)年に出石藩は窯の直営に踏み切り、
本格的に磁器の生産が始まりました。
 

 
柿谷陶石の採掘は、京都市にある「日本陶料株式会社」という業者が行っており、近年も採掘しています。
ここで採掘される陶石は、とても質が良いとされ、
出石だけでなく、京都の京焼や清水焼でも上質な陶石として取引されています。

 
 
磁器生産が始まると、出石藩は窯業を重要産業と位置付け支援をし、
天保年間(1830~1844)を中心に民間の窯が多く開かれました。
日本海の販路を使って出石の磁器が全国へと広がっていきました。
この頃の出石焼は、伊万里焼の風が強く、
青い文様が描かれた「染付」の雑器が主流でした。
 
 

 
 
明治9(1876)年に、明治維新の廃藩によって失職した
士族の師弟達が集められ、
「盈進社」(えいしんしゃ)が設立されると、
「盈進社」では、佐賀県より鍋島藩窯の御細工職人だった
柴田善平ら名工3名を招き、指導を受けました。
写実的で精緻な細工を施した白磁や瑞々しい絵付けの染付がつくられ、
明治10年に「パリ万国博覧会」や「第一回内国博覧会」に出品されると、
賞賛を浴び、一躍「出石焼」の名を高めました。

現在の白磁の「出石焼」は、明治に入って
「盈進社」(えいしんしゃ)の創業により始まったもので、
それ以前の染付磁器を主にした江戸時代のものは
「古出石焼」と呼ばれています。
なお、盈進社は明治18年に廃業しています。
 
不景気により、明治18(1885)年に盈進社は廃業しますが、
明治32(1899)年、石川県より友田安清氏を招き、
県立陶磁器試験所を開設し、「出石焼」は更に改良されます。
明治37(1904)年の「セントルイス万国博覧会」にて金賞を受賞し、
「出石焼」は世界に多く知れ渡ることになりました。
(明治39(1906)年、試験所閉鎖)
 

 
明治以降、出石焼は上物(柿谷陶石による花瓶等の美術品)と
並物(飛谷陶石による雑器)がつくられていましたが、
主に大衆的日用雑器を量産販売していました。
また、純白の生地がそのまま生かされた
硬質の電気絶縁硝子は品質が良く上質のもので、
昭和に入り生産されていました。
戦中は金属品の代用品として手榴弾やボタンなども作られました。
 

上物としては、磁胎に彫刻の飾り花や、人物像を彫りつけたり、
透かし彫りをしたり、細工の細かい花瓶、置物が作られました。
 
現在は、作家活動をする人あり、伝統の白磁彫刻を極める窯あり、
軽やかな日常の器を作る窯ありと、
白磁をめぐる多彩な試みが展開されています。
昭和55年(1980年)には「国の伝統的工芸品」に指定されています。
 
 

2.出石焼の特徴

 
「出石焼」の特徴は、国内でも珍しい「白磁」という点です。
他の白磁に見られるような青みがかった白や温かみのある白とは異なる、
冷たさが感じられるような透き通った独特の白さを持っています。
 
出石焼の原料には
「柿谷陶石」と呼ばれる良質な陶石が使われますが、
この純白の「柿谷陶石」が、
「出石焼」の神秘的な白さを生み出すと言われています。
 
更に、少しの濁りもなく完成した白磁の表面に彫り込んだ
彫刻の繊細さや美しさも出石焼の大きな魅力です。
花模様などを彫り込んだ茶器、
透かし彫りを施した華麗な花器なども多く見られます。
 
また白いものだけではなく、色釉や染付けを施したものなどもあり、
日常使いしやすい多彩な商品が揃うのも嬉しいポイントです。
 

 
 

3.窯元の紹介

 
 
現在、兵庫県の豊岡市出石町では、4軒の窯元が製造をしており、
窯元それぞれが独自の方針を持ち、様々な「出石焼」を作っています。
 
1. 上田陶器店
窯は出石町福住にあり、敷地内には「徳利窯」があります。
沢山の出石焼の器やアクセサリーなども買い求めることが出来ます。
また「古出石」を始め、明治期の精緻な作品群も展示されています。
 上田陶器店
  • 住所:兵庫県豊岡市出石町八木
  • 電話:0796-52-2002
 
 
2. 虹洋陶苑(こうようとうえん)
出石焼を伝承する白にこだわり、
出石の伝統技で彫刻を施した美しい作品の数々が並ぶ
こちらでは、湯のみ、風鈴、そば皿、そば猪口の絵付け体験が出来ます。
  • 住所:〒668-0225
       兵庫県豊岡市出石町八木57
  • 電話:0796-52-5945
 
 
3. 永澤兄弟製陶所(ながさわけいていせいとうしょ)
永澤兄弟製陶所」は明治から続く製陶所で、
「出石焼」の伝統を大切にしつつ、
柔軟な発想を取り入れた独自の手法で注目を集めています。
ショップ兼ギャラリーが併設されていて、
普段使いしやすそうな食器や酒器の他、
ユニークで美しいフォルムの花瓶や照明器など、
多彩な商品を販売しています。
絵付け体験も行われています。
  • 住所:〒668-0214
       兵庫県豊岡市出石町内町92−1
  • 電話:0796-52-2155
 
 
4. 山本製陶所
「山本製陶所」の器は、普段使いにも馴染みやすいものが多く、
また、花瓶・花器や大皿などもあり、独特の造形や絵付けが印象的です。
店頭には、当主・山本工二氏が造った
ハッと意表をつく人面の外灯オブジェがあります。
 山本製陶所
  • 住所:〒668-0224
    兵庫県豊岡市出石町本町106
  • 電話:0796-52-2437
 
 

4.出石皿そば

 
但馬の小京都・出石には、40数軒の蕎麦屋があります。
伝統ある「三たて」(挽きたて・打ちたて・茹がきたて)製法による
その素朴なコシと風味が「出石皿そば」です。
 

 
出石蕎麦は、江戸時代の宝永3(1706)年に、
信州上田藩の仙石氏がお国替えになった際に、
信州から連れて来た蕎麦職人の技法が
在来の蕎麦打ちの技術に加えられて誕生しました。
 

 
現在の「割り子蕎麦」の形態をとるようになったのは幕末の頃で、
屋台で出す時に持ち運びが便利な「手塩皿」(てしょうざら)
蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われています。
そして、その後始まった「出石焼」の白地の小皿に盛る様式が
確立されました。
 

 
食べ方は、割り子蕎麦のように
小皿に直接つゆをかけるのではなく、
現在では徳利に入ったつゆを1皿分だけ蕎麦猪口に注ぎ、
ネギ、わさび、大根おろし、とろろ、生たまごなど
様々な薬味と一緒に楽しみます。
 
小皿がお箸の高さに積み上げられるまで食べたら
一人前と言われており、
お店にもよりますが15皿~20皿食べることが出来ると
「そば通の証」の称号を得られ、
お店によっては、
食べた枚数により1年間無料などの嬉しいサービスもあるそうです。
 

 
「出石皿そば」は、
まずつゆをお猪口に注ぎつゆの旨みを味わい、
それから蕎麦とつゆだけで麺を味わいます。
次に薬味としてネギとわさびでさっぱりと頂きます。
それから、とろろ、生たまごで違った美味しさを味わいます。
そして最後は、蕎麦湯で締めて、御馳走様!
 

 

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