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美の壺「うるわしの漆」 <File 521>

<番組紹介>
ユネスコ無形文化遺産決定!美と実用を兼ね備えた「漆」
 ▽シェア2%、希少な国産漆の質の高さに迫る
 ▽岩手県浄法寺町・天台寺の御山御器。
  「漆の一滴は血の一滴」漆かき職人に伝わる言葉
 ▽輝きも音も上質なスピーカー。完成は100年後!?
  床も壁も漆の家~福井県鯖江市
 ▽尾鷲山師の相棒、強さを誇る漆のまげわっぱ
  ・驚きの使い方とは?
 ▽江戸から現在、そして未来へ続く技のリレー
  ・日光東照宮 
<初回放送日:令和2(2020)年12月11日>
 
日本の食卓を彩る和の器。
中でも昔から愛されてきたのが、漆の器です。
漆は縄文時代から使われてきた日本最古の天然塗料です。
食器は勿論、様々な工芸品や装飾品に、輝く床も漆塗りです。
巨大建造物にも、漆はふんだんに使われています。
今回の「美の壺」は、
日本文化の美を高め、守る、漆の奥深き世界が紹介されました。
 
 

美の壺1.生きている森の滴

 

天台寺から広まった浄法寺塗

岩手県二戸市浄法寺は、
縄文遺跡の赤い漆が飾りについた石刀が見つかるなど、
古くから漆の産地として名高い町です。
 
 

 
奈良時代に開山したとされる
地元の人が「御山」(おやま)と呼ぶ古刹・天台寺には、
漆塗りの器が伝えられています。
「御山御器」(おやまごき)と呼ばれるもので、
飯椀、汁椀、お菜の椀など、
僧侶達が日々の食事に使うため自ら作ったのが始まりとされています。
 
その素朴なふだん使いの器はやがて庶民に広まり、
「浄法寺塗」と呼ばれる漆器の起源となりました。
 
  • 住所:〒028-6942
       岩手県二戸市浄法寺町御山久保33
  • 電話:0195-38-2500
 
 
 

漆掻き職人(搔子)・山崎菜見子さん


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現在、国内で流通している漆の97%以上が輸入によるもので、
国産はわずか3%。
そのうちの約70%がここ、浄法寺で生産されています。
 
町の山にある漆林で、20年程かけて育てた漆の木から、
6月から10月にかけて漆を採ります。
「漆」とは、漆の木に傷をつけた時、
そこから分泌・浸出する樹液のことを言います。
植物を含む全ての生物には、個体維持の本能があります。
漆の木に傷をつけると、その傷口から乳白色の液体(漆)が滲み出て、(樹液を掻き採らなければ)傷口を塞ぐように、
そのうち漆は黒く変色して固まります。
人間の血液と同じように、漆もこのようにして樹液を保護する訳です。
 
 
漆の木から樹液を集める仕事を
「漆掻き」(うるしかき)と言います。
「漆掻き」(うるしかき)には、ある掟があるのだとか。
最初は、今から(傷を)付けますよというので、
チョンと付けるだけで、この漆は採りません。
最初に付ける短い傷は、
これから樹液を頂きますというご挨拶なんだそうです。
 
そしてひと夏をかけて少しずつ、長い傷を付けていきます。
樹皮を一息に削り、中心に細い傷をつけると、
じわじわと樹液が滲み出てきます。これが漆。
そして傷をつけた木は3~4日休ませて、
元気が回復するのを待つのだそうです。
滲み出た樹液をヘラで搔き取ります。
これが「漆掻き」(うるしかき)と呼ばれる由縁です。
 
一本の木から採れる漆は、ひと夏でほんの200cc程と、
とても貴重なものです。
昔から、漆掻き職人(掻子)は「漆の一滴は血の一滴」と呼んで
大切に扱ってきました。
 
漆の木から掻き採った漆の樹液は、
木屑やごみをろ過して取り除きます。
これが「生漆」(きうるし)と呼ばれるものです。
その後、「生漆」は桶の中で2週間程かけて発酵・熟成されます。
まるで、お味噌の仕込みですね。
 

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「生漆」が、漆塗りの職人である
「塗師」の小田島勇さんもとに送られました。
塗師は精製業者から漆を仕入れるのが一般的ですが、
浄法寺町では漆掻き職人(掻子)から直接、漆を買い付けるそうです。
 
「これ いいですよね。
 やはり1年ぐらい 置くと、とろ~っとした感じになって。
 これが最後の仕上げ塗りする時は、
 非常に塗りやすいのかなって思いますね。」
 
発酵が落ち着いた「生漆」(きうるし)は、
漆に含まれる水分を飛ばす「クロメ」という作業と、
漆の成分を均一化するために行う「ナヤシ」の工程を経て
半透明の飴色の液体塗料「透漆」(すきうるし)に精製されます。
この「透漆」(すきうるし)をベースにして、
朱や黄、白などの顔料を加えて「色漆」にしたりするなど、
漆は多種多様の材料へと色や特性を変えていきます。
 

浄法寺塗の専門店「滴生舎」(岩手県二戸市浄法寺町)

滴生舎(てきせいしゃ)は町中の「浄法寺塗」のお店です。
滴生舎(てきせいしゃ)
元々、漆の木が豊富な地であった浄法寺。
藩政時代は、漆は盛岡藩の貴重な産物であり、
明治時代には、漆掻き職人の多かった「越前衆」と呼ばれた
福井県今立地方からの出稼ぎ職人が岩手へと進出し、
漆生産量は増加しました。
しかし第二次世界大戦後は、
時代や生活様式の変化、価格の安い輸入漆の増加に伴い、
浄法寺の漆は困難な時代を迎えました。
そんな中、浄法寺漆を使う、
「浄法寺うるし」にこだわった漆器製作の拠点として、
平成7(1995)年に、
二戸市浄法寺漆芸の殿堂「滴生舎」をオープン。
ここには、5人の塗師が浄法寺塗を制作する工房がある他、
「浄法寺うるし」の歴史や文化を紹介しながら、
地元塗師の作品を展示販売を行っています。

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「浄法寺うるし」で塗られる
朱色の器はどうやって生まれるのでしょうか?
 
「浄法寺塗」の特徴はすっきりとシンプル。
毎日使っても飽きの来ない器です。
 

 
生漆を温めて水分を蒸発させた均質で透明度の高い
「透漆」(すきうるし)を準備します。
浄法寺の漆は「透け」が良く、
木地にダイレクトに塗った時に木目の透け具合が良く、
透明度の高い仕上がりになるそうです。
 
ここに朱色のもとになるベンガラに加えて、
漆をベンガラに馴染ませるように練っていきます。
ベンガラの粒子を細かく滑らかにするために更に練り、
準備完了です。
まず伸縮を防ぎ、防水性のある漆器にするために、
木地にたっぷり漆を染み込ませる
「木固め」という作業を行ったお椀に
ベンガラの漆を薄く均一に塗っていきます。
漆を塗ったら紙やすりで表面を研磨し、
また漆を塗って研磨するという「塗り重ね」を7回も繰り返します。
塗り重ねることで、器は滑らかな手触りを身にまとっていきます。
 

 
「浄法寺うるし」は、浄法寺の漆は発色度も良く、
赤なら赤、黒なら黒そのものの色がキレイに表現出来るそうです。
そして、塗り終わった後も変化していく、魔法の塗料なのだそうです。
 
「木のぬくもりも感じますし、
 やっぱり、漆の温もりというのもねあるんですよね。
 触った時って、しとっとするんですよね。
 漆器はね、特にね。それをずっと使っていくと、
 今度変化して、艶が出てくるというか、色も変わってくるんですよね。
 それでもしとっとするんですよね。何か すごく心地良いっていうか。」
 
使えば使うほど艶が増し、手に馴染む不思議の器。
漆が生きている証しです。
 
  • 住所:〒028-6941
       岩手県二戸市浄法寺町御山中前田
       23-6
  • 電話:0195-38-2511
 
 

美の壺2.輝きが奏でるハーモニー

 

朱色が映える漆塗りのスピーカー「kripton(クリプトン)
(スピーカー開発者・渡邉勝さん)

 
鮮やかな朱色に輝くスピーカー。
実はこれも漆塗りです。
インテリアとしても美しいのですが、
狙いはそこだけではありません。
 
 
 
漆のスピーカーを開発したのは渡邉勝さんです。
渡邊さんはクリプトンのオーディオ事業部長で、
スピーカーの音決めを担当しています。
 
クリプトンが初めて漆塗りのスピーカーを発売したのは、
平成22(2010)年。「KX-3Uシリーズ」でした。
 
「スピーカーの中身はみんな同じです。
 スピーカーは木製のキャビネットに使う塗料で音質が変わります。
 良い音を求めて行き着いたのが、「漆」でした。」
 

 
従来の化学塗料による塗装に対して、
日本古来の漆は植物性塗料のため、
同じ植物性の木製エンクロージャーとの親和性が高く、
潤いのある、芳醇な和の音(ジャパニーズテイストのサウンド)を
存分に味わうことが出来ます。
 


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呂色師・江尻浩幸さん(江尻呂色店)

漆は工芸品に塗るのが普通で、
スピーカーに塗ったものは珍しく、
kripton(クリプトン)のスピーカーも、
工芸品を作っている職人さんに塗っています。
 
漆のスピーカーは輪島で仕上げられます。
スピーカーに漆を塗るのは、
石川県輪島市にある
「江尻呂色店」の呂色師・江尻浩幸(えじりひろゆき)さんです。
 
 
 
「漆」と言えば、
濡れたような漆黒の肌を思い出しますが、
この艶やかな肌を作り出すためには、
丁寧で念入りな研磨が欠かせません。
その研磨を繰り返して艶を出す仕上げの技を
「呂色仕上げ」と言います。
 

 
漆芸では、磨き上げには研磨剤として
「呂色炭」(ろいろずみ)を使います。
柔らかく、きめの細かい炭です。
「呂色炭」(ろいろずみ)を使って丹念に磨いていきます。
漆を塗ったばかりの表面をよく見ると、刷毛の跡がありますが、
刷毛目が目立たなくなってきました。
 
更に生漆を塗り、炭で研ぎ、磨き粉で磨く。
これを何度も繰り返して、鏡のような漆の層で包んでいきます。
漆は艶やかな姿と、耳に心地よい音の演出家でもあります。
 
因みに、江尻浩幸さんは
石川県無形文化財「御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)のメンバーです。
 


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江尻呂色店
  • 住所:〒928-0254
       石川県輪島市名舟町ト部18番地
  • 電話:0768-34-1733
 
 
 

越前漆器工房「漆琳堂


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「越前漆器」で知られる福井県鯖江市の高台には、
漆職人の守り神である「漆器神社」があります。
「漆器神社」の境内の中には、漆の見事な天井絵が描かれています。
およそ50年前に職人達によって奉納された作品です。
(普段は非公開)
 
 
鯖江と言えば「メガネの産地」として有名ですが、
実は越前は日本最古の漆器の産地で、
「越前漆器」はレストランや宿で使われる
「業務用漆器」の国内シェア80%以上を占める日本一の産地です。
 

 
 
このように越前漆器が発展出来たのは、
「生漆」の代わりに「柿渋汁」、
「地の粉」の代わりに「炭粉」と
伝統的な素材を省きつつも品質を保つのに成功したこと、
また合成樹脂や化学塗料を取り入れ、
安価かつ丈夫な器の大量生産に対応出来る体制を構築してきたことなど、
伝統に捉われずに新しい技術を求めてきた、
職人達の工夫の賜物と言われています。
 
 
寛政5(1793)年創業の越前漆器工房「漆琳堂(しつりんどう)
伝統を守りながら新たなチャレンジを続けています。
食洗機では洗えないのが当たり前な漆器の世界で、
食洗機が使える漆器」の開発に成功しました。

 
敢えて漆らしい色ではない水色でモダンな風合いを出します。
ポップなカラーが印象的な「aisomo cosomo」や、

 
毎日の暮らしの中で使いやすいお椀を提案していく
お椀やうちだ」など、
現代の生活に合う漆の洋食器やカラフルな漆器を作っています。

 
漆器のみならず和紙や木工、焼き物といった
北陸各地の技術を生かしたものづくりの総合ブランド
RIN&CO.(リンアンドコー)」なども展開しています。

 
何と自転車までもが漆塗りです。
 
 
漆師・内田徹(うちだ とおる)さんは「漆琳堂」の8代目です。
生まれてからずっと漆に囲まれてきました。
内田さんのご自宅は、55年前 6代目の祖父が建てた夢の家です。
「ここが拭き漆の床になります。壁も全部漆塗りになっております。」
それはまさに漆の館です。
 
平成16(2004)年の豪雨で、床上浸水の被害に遭ったことから、
修理の際、床の仕上げを「拭き漆」に改装しました。
「拭き漆」とは、木地に漆を塗って布で拭き取る作業を繰り返し、
木目を生かして仕上げる技法です。この床は7回も塗り重ねました。
「1回じゃこの風合いにもならないし、
 2回、3回でもこの風合いにはならないんで。
 何度も繰り返すことによって、
 この艶が生かされるような塗り方になってきます。」
 
漆塗りの引き戸を開けて座敷に入ると、天井も見事な「拭き漆」です。
「漆がもったいないなと思って拭き取りを甘くすると、
 キレイに仕上がらないんで。
 拭き取る時は、本当に漆を取る気持ちで取らないと、
 最終的に、キレイに仕上がらないのが特徴で。」
 
床の間には「呂色仕上げ」が施されていました。
55年前の建築時よりも、輝きが増しているそうです。
 
「漆って、塗ってから塗って終わりじゃなくて、
 塗ってからが、だんだん塗膜が硬くなるんで。
 漆の完成って、100年後って言われるぐらい。
 徐々に硬度がどんどん硬くなっていくんです。」
 
親子3代の時を経ても、まだ完成しない漆の家。
楽しみが続きます。

 
  • 住所:〒916-1221
       福井県鯖江市西袋町701
  • 電話:0778-65-0630
 
 

美の壺3.木を守る鎧

 

漆で守られた「尾鷲わっぱ」
(尾鷲わっぱ職人・「ぬし熊」四代目・世古効史さん)


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三重県尾鷲市は、
江戸時代から最高級の建築材として名を馳せてきた
「尾鷲ヒノキ」の産地です。
尾鷲地方は大変雨が多く、そのため地方に比べて
木目が細かく大変美しい良木が育ちます。
 

 
ヒノキを育てる男達は「山師」と呼ばれてきました。
「山師」が手にしているのは漆塗りの「尾鷲わっぱ」です。
重労働の山師のお腹も満足させることの出来る
大ぶりの弁当箱です。
 

 
明治20年創業の「ぬし熊」四代目・世古効史(せこ こうし)さんは、
尾鷲でたった一人のわっぱ職人です。
木地作りから漆塗りまで45行程の全てを1人で
脈々と受け継がれてきた昔ながらの手法で手作りで、
尾鷲独自の曲げわっぱ「尾鷲わっぱ」を仕上げています。
 

 
山師ならではの、驚きのわっぱ使い方があるのだとか。
漆塗りのわっぱに、まず味噌とネギ、そして水を入れ、
そこに何とカンカンに焼いた石を投入!
でも漆が剥がれることも、わっぱが傷むこともありません。
「尾鷲わっぱ」はとても丈夫なんですね。
 

「尾鷲わっぱ」は、
「尾鷲ヒノキ」の厳選した上質部分の木材を使い、
木目を生かして丁寧に曲げ、桜の木の皮を用いて縫い合わせ、
そして幾重にも漆を摺りこんでいきます。
まず「生漆」に緑の顔料で色をつけて「下地塗り」を行います。
勿論、漆も天然素材にこだわり、
一切の混ざり物の無い、一級品を使用しています。
「下地塗り」をすることで、
木地は固く締まり、目に見えない木の細かな凹凸も滑らかになるので、
この後に塗る漆の乗りも良くなります。
 
乾燥させたら、「生漆」を摺り込みます。
しっかりと塗っては摺り込み、
摺り込んでは拭き取る作業を6回繰り返して、
厚い漆の層を作っていきます。
 
「仕上げの塗り」の作業は、埃が入らない特別な部屋で行います。
埃が付いていないかを慎重にチェック。
透明感のある上質な漆をたっぷりと塗って仕上げます。
下地の緑の色が見えなくなるほど漆の層が厚くなりました。
 

 
手荒く扱ってもびくともしない、漆塗りの「尾鷲わっぱ」。
ご飯も傷みにくいと土地の人達は言います。
山の仕事が生んだ力強い漆器です。
 

 
  • 住所:〒519-3625
       三重県尾鷲市向井493−15
  • 電話:0597-22-9960
 
 

日光東照宮の本殿を囲む国宝「東西透塀」の修復
(漆塗管理技術者・佐藤則武さん)

 
栃木県にある「日光東照宮」は、
美術工芸の粋を尽くした豪華絢爛な彫刻に彩られた
江戸時代初期における我が国の代表的建造物で、国宝です。
また、平成10(1998)年には輪王寺二荒山神社とともに、
日光の社寺」として世界遺産に登録されてもいます。
 
 


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漆塗管理技術者の佐藤則武(さとう のりたけ)さんによると、
創建から400年の歴史があるにも関わらず、
今だにその美しい姿を保っているのは、
やはり「漆」のおかげと言います。
豪華絢爛な金箔や彩色の下には漆が塗られていて、
それにより木割れを防いでくれるため、
建物が長持ちするのだそうです。
 
日光東照宮では令和2年から6年かけて、
本殿を囲む国宝「東西透塀」(とうざいすきべい)
大々的な修復(平成の大修理)が進められています。
 
東西透塀(とうざいすきべい)
唐門から、
東透塀ひがしすきべい」は右(東)から、「西透塀にしすきべい」は左(西)から延びて北に折れ曲り、
本殿・石の間及び拝殿を囲む透塀で、「瑞垣みずがき」とも呼ばれています。
総延長は80m、柱間は43間。柱は角柱で黒漆塗。
長押なげし」の表面には亀甲花菱紋が金箔地に密陀彩色で描かれています。
透塀の中央には花模様を透かし彫りにした「花狭間格子はなざまこうし」が配され、
金箔地、透し彫の花弁の表面は緑青、内側を朱塗になっていて、
そのコントラストは優美で、
光線と角度の加減によって色が変化して見えます。
欄間らんま」にも各種の花や鳥などを取り合わせた彫刻が施されています。
彫刻は総数で260程あります。
 
 
傷んだ木材を取り替えるのではなく、
作業は出来る限り、江戸時代のものを残したまま進められています。
まず、生漆に砥粉などを混ぜて粘りを出して「下地塗り」をします。
 
表面を5㎜紙やすりで削ると、
これまでの修復の跡が年輪のように現れました。
三代将軍の家光の時代からのこれまでの修復を分析して、
どんな塗り方をすればいいのかを検討していきます。
 
透塀の彫刻は取り外して塗り直します。
表面の色を剥ぎ、漆で「下地塗り」をします。
表からは見えない部分も丁寧に塗っていきます。
 
江戸時代の木材を現代まで守ってきた伝統の技。
きらびやかな装飾を支える漆は、日本文化の縁の下の力持ちです。
 
 
  • 住所:〒321-1431
       栃木県日光市山内2301
  • 電話:0288-54-0560
 

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