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静岡県・駿河下駄

静岡の下駄の起源は、
遠く登呂遺跡の田下駄に始まり、
江戸時代になって、町民階級の履物として庶民の暮らしに普及しました。
明治時代に入ると、職人はその時代にあった下駄を作るようになり、
下駄に漆を塗った「塗下駄」や、
桐の柾経木(まさきょうぎ)を張った「張下駄」が生まれました。
 
 

駿河張下駄

 
「駿河張下駄」は、細かな細工を施した「張下駄」です。
それは全国的に見ても静岡のみであり、
非常に珍しく、価値のあるものです。
 
明治に入って
桐の柾経木(まさきょうぎ)を張った「張下駄」が生まれました。
「張下駄」の増加に合わせて、
「張屋」(はりや)という職業も成り立つようになりました。
 
戦後は、柾経木張りの技術を活かして、
「張下駄」に張る素材は増え、
紙布(しふ)、布、和紙、突板(つきいた)、畳(イグサ織り)、
竹皮、印刷した浮世絵等様々な素材を張るようになりました。
 
「駿河張下駄」は履いた時に、
経木や紙布が足にソフトな感触を与え、 履き心地が非常に快適です。
 
 

「駿河塗下駄」(するがぬりげた)

 
「駿河塗下駄」は、
漆塗りの上に更に蒔絵を施したきらびやかな下駄です。
 
明治初期に、本間久治郎という下駄職人が
大衆向けの下駄に塗りを施したのが始まりと言われています。
 
本間久治郎は、明治17(1884)年21歳の時に、
安倍奥の杉板材を焼いて磨いた「杉の焼下駄」を商品化、
更に明治20(1887)年24歳の時には、
高下駄、吾妻下駄、日和下駄などの大衆向けの下駄に
漆塗りした高級塗下駄を開発し、大量生産をして全国に普及させました。
元々静岡では漆器生産が盛んで、その技法を応用したものです。
それが全国で評判を呼び、
「静岡と言えば”駿河塗下駄”」と言われるほどに人気を博しました。
 
明治から大正時代にかけて
輸出漆器として名を上げていた静岡の漆器が
第一次世界大戦後に輸出が不振になったことにより、
漆器の木地、塗り、蒔絵の職人達が塗下駄製造に転換して、
それぞれに趣向を凝らした製品作りを競ったことが
更なる発展を促す契機ともなりました。
 
「駿河塗下駄」には、
静岡の漆器の特色である各種の「変り塗り」が応用され、
蒔絵の加飾にも様々な創意工夫がなされています。
そのため、戦後の生活様式の洋風化などにより
下駄の需要は減少しているにも関わらず、
高級塗下駄産地静岡は、依然として全国首位の位置にあり、
現在も、伝統を受け継ぎながら質的な向上を目指して、
努力し続けています。