徳島に伝わる「遊山箱」(ゆさんばこ)は、
四季折々の行事に遊ぶ子供達が掲げた小さな手提げ重箱です。
「遊山箱」は、昭和40年代頃まで、
野山への行楽や雛まつりなどの特別な行事の時に、
徳島の子供達が使っていた3段重ねの木製お弁当箱です。
別名「阿波の玉手箱」とも呼ばれています。
「雛祭り」は一般的に女の子の祭りですが、
徳島では1ヶ月遅れの4月3日に、男の子も女の子も一緒に、
弁当箱にご馳走を詰めて、
遊山やまで弁当を広げて遊ぶ習慣がありました。
徳島ではこれを「遊山する」と言い、
遊山するための弁当箱を「遊山箱」と言いました。
子供のためのお弁当箱ですから
手のひらに乗せられるくらいの大きさです。
「遊山箱」は親が買い与えたり、
兄弟や知り合いから譲り受けたりして、
男の子も女の子も、
誰もが一人ひとり自分の遊山箱を持っていたのだそうです。
普段は仕舞われていましたが、遊山の日だけ持ち出されます。
そこにはこの日だけのご馳走が隙間なく詰められました。
ご馳走の内容は各家庭で多少異なりますが、
上段にはういろうや赤や緑に色づけした甘い寒天、
中段にはお煮しめやゆで卵、下段には巻きずしが一般的だったようです。
勿論、全てお母さんの手作り。
昔、「遊山は春の農始め」と言われました。
「遊山やま」には田の神様がいて、
「遊山やま」と里を行き来して、遊びに来た子供達について里に降りてきて
「田おこし」が始まるという、大切な節句の習わしでした。
地域により、遊び方がそれぞれ違います。
海辺の子は浜に、川辺の子は堤防に、
城下町では眉山や、お友達のお雛様の前で遊山箱を広げます。
普段は農作業で家にいなかった両親もその日だけは家にいて、
子供達のためにご馳走を準備してくれる・・・。
子供の成長を願う親の思いと、
子供にとっては楽しい思い出が刻まれたお弁当箱でしたが、
核家族化などが進行により、
高度経済成長期の頃から次第に使われなくなってしまいました。
ところが、
平成20年に地元の新聞で「遊山箱」が紹介されると、
「遊山箱」が再び注目され、その機能性と可愛らしさから人気が再沸騰。
徳島市内のお店でも大人気となりました。
どこか懐かしく、レトロでかわいいデザインで、
弁当箱としてだけでなく、
宝石箱、小物入れとしても使うことも出来る「遊山箱」。
今ではいろいろなタイプの遊山箱が作られていて、
平成19(2007)年には
「グッドデザイン賞」を獲得している商品
(阿波遊山箱 「Sumi」:坪井工芸)もあります。