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岐阜県・「飛騨家具」

 
 
飛騨地方は
東に飛騨山脈、西に両白山地と険しい山に囲まれ
面積の約95%が森林となっています。
豊かな自然を背景に縄文時代から
高度な木工加工や建築技術を育んできました。
 
 

飛騨の匠

 
岐阜県高山市は日本の有数の家具の産地です。
「飛騨の家具」は
1300年前の奈良・平安時代まで遡ることが出来ます。
 
「飛騨工制度」は、古代における租税制度の中で、
飛騨国1国のみに対して特別に定められた制度です。
養老2(718)年に制定された「養老令賦役令」の「斐陀国条」には、
庸、調といった税の代わりに
年間100人程の「匠丁」(技術者)を都へ派遣することが定められています。
 

 
厳しい労役に耐え、真摯で並はずれた腕を誇った彼らの技は絶賛され、
いつしか「飛騨の匠」と賞賛されるようになりました。
そして、薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など
幾多の神社仏閣の建立に関わり、
平城京・平安京の造営にも活躍して
日本建築史の黄金時代の一翼を担ったのでした。
 
かにかくに 物は思はじ飛騨人の 
打つ墨縄の ただ一道(ひとみち)に
 
この『万葉集』の歌は、飛騨の匠が墨縄で付けた一本の線に、
作者が自らの一途な恋心を重ねたものです。
『万葉集』が作られた奈良時代、
既に「飛騨の匠」が
よい腕を持った大工としての代名詞であったことが伺えます。
 
平安期の記録には、
国家的儀式や行事を執り行う大極殿や、
天皇のもてなしの施設である豊楽殿などの
造営にまつわる話が記されています。
元慶元(877)年平安宮大極殿再建工事が始まり、
「飛騨の匠60人へ賜餐(しさん=高貴な人から食事を賜る)があった」。
元慶3(879)年には、大極殿完成「飛騨の匠20人ほどが祝宴を賜る」など、
平安時代の歴史書『三代実録』には幾つかの記録が残されています。
 
「飛騨の匠」の派遣は平安時代末期頃に終演を迎えますが、
他国に類を見ない、優れた木工職人を派遣した国として位置づけられ
「飛騨の匠名工伝説」は全国各地に残っており、
現在も語り継がれています。
 
現在、奈良の橿原市に飛騨町がありますが、
高山の町並みを思わせる小ぎれいな木造家屋が軒を連ね、
また大和路には飛騨と共通する地名が多いことから、
飛騨から上京した人たちが現地に留まり、
土着化したものとも考えられます。
 
時は下って戦国時代。
豊臣秀吉の命を受けて天正14年に飛騨入りした金森長近は、
高山城や国分寺などを再興し、高山の町造りを始めます。
千利休の茶会では筆頭頭であるほどの茶人であった長近は、
町造りに当たり、京都の町並みを模範としました。
金森家3代を継ぐはずであった重近は、
茶道具として飛騨の匠である高橋喜左衛門に木地を造らせ、
御用塗師の成田三右衛門に透き漆を塗らせ、
「春慶塗」と命名しました。
 

 
飛騨の豊富な森林資源に目をつけた徳川幕府は
元禄5(1692)年、
金森家を出羽に移封し、「天領」とします。
「飛騨の匠」達の長い伝統と、培われた技術が脈々と受け継がれて、
江戸時代後期に花開いたのが
「高山祭」()や「古川祭」に見られる豪華な屋台です。
 
毎年10月9日・10日に開催される「秋の高山祭(八幡祭)」は
去年に続き、中止が決定しました。
 


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この絢爛豪華な屋台は、外観の美しさだけでなく
曳いた時に前後左右に左右に揺れ動くところに風情があります。
屋台彫刻は技を競い合った
「一位一刀彫」(いちいいっとうぼり)が施されています。
 

 
この卓越した匠達の技は
明治、大正、昭和、平成そして令和の匠へと脈々と受け継がれ、
飛騨の家具作りの原点として今日に至っています。
 
 

飛騨家具の歴史

 

 
家具の五大産地の中でも、
飛騨以外はタンスや鏡台などの
「箱物家具」から始まった産地であるのに対し、
飛騨は家具の中で最も難しいと言われる椅子などの
「脚物家具」の産地です。
 
<特に有名な日本の家具の産地>
  • 旭川家具(北海道旭川市)
  • 静岡家具(静岡県)
  • 飛騨家具(岐阜県高山市)
  • 府中家具(広島県府中市)
  • 徳島家具(徳島県徳島市)
  • 大川家具(福岡県大川市)
 
 
大正9(1920)年のある日、高山に二人の旅人がやってきて来ました。
大阪で西洋の曲げ木技術を学んだ彼らの話に心を動かされた町の有志達は
株を出資し合って西洋家具メーカーを創業しようと決意します。
「飛騨の匠」の技術と
ブナ材に代表される豊富な森林資源、
それに、新しい事に挑戦しようという飛騨人の気概があったことは
間違いありません。
 

 
椅子など見た事もなかった職人達は、
木に対する経験と知識に支えられながら試行錯誤を繰り返し、
2年後に、やはり飛騨の伝統技である「春慶塗」が施された椅子を
世に送り出しました。
 
曲げ木を初めて家具に応用した
トーネットのスタイルを模倣したものから始まり、
やがてオリジナルの折りたたみ椅子やサロンチェアを造り出します。
 

 
昭和10(1935)年にアメリカより来日していた家具バイヤーは
飛騨産業の高い技術に着目し、大量の椅子を発注します。
 
一方で、西海岸より来ていたそのバイヤーは、
丈夫で長持ちする
17~18世紀に英・西・蘭などの植民地に発達した建築・工芸の様式
「コロニアルスタイル」の椅子を持ち込みました。
今まで作製した事のないカタチに当時の技術陣は奮起し、
新しいロクロ切削器を開発し、大量生産体制を整えました。
 
このロクロ機は現在でも使用されていますが、
一部の機械がミズノのバット工場に送られ、
イチローや松井のバットを削り出しました。
 


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戦後は優れたデザインと品質で評判を集め、
数々のロングセラー商品を生み出し、
日本人の暮らしに定着してきました。
そして未利用資源の導入や廃材の利用など、飛
騨産業の新しい試みと創造力は、
今も創業の精神を引き継ぎながら、
更に日本の風土と文化に根ざした家具を産み出そうとしています。
 
 

協同組合 飛騨木工連合会

 
伝統文化の精神性を大切にした上質な家具づくりを通して
「飛騨の家具」のブランド化に取り組んでいます。
その一環として、長年慣れ親しんできた
「飛騨の家具」という名称を保護するため、
飛騨の家具」と「飛騨・高山の家具」という、
二つの地域団体商標を平成20(2008)年1月に登録しました。
 
平成21(2009)年5月には台湾、平成22(2010)年2月にはChinaと、
海外の二カ国でも登録を終えています。
これにより、協同組合 飛騨木工連合会の組合員企業が、
飛騨地域で製造した家具でなければ
飛騨の家具」「飛騨・高山の家具」、更には類語
(飛騨家具、高山家具、飛騨地域の家具、飛騨の民芸家具、
 奥飛騨の家具など地域名と家具が一体になったもの)を
表示・使用出来なくなりました。
 
「飛騨の家具」という商標を使って商品を作ることが出来る
代表的なブランド認定企業は以下の通りです。
 
 
 

飛騨の家具®フェスティバル

 
なお、毎年秋、飛騨・高山において、家具の展示会
飛騨の家具®フェスティバル」が開催されています。
今年、令和3年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、
当初予定していた10月2日~ 6日から
11月15日(月)~ 17日(水)の3日間に変更されました。
企画展示「飛騨の家具®と岐阜の照明」や
各社ショールームのイベントやスタンプラリー等も中止となりましたが、
高山市・飛騨市の各社ショールームでの展示会は開催されます。
とりあえず10月1日から、緊急事態宣言も全面解除されましたので、
よろしければ、いかがでしょうか?
 
  • 開催日:令和3(2021)年11月15日(月) ~ 17日(水)
  • 時 間:AM9:30~PM5:00
  • 会 場:高山市・飛騨市内各社ショールーム [PDF]、
        飛騨・世界生活文化センター
 
 
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