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美の壺「秋まっさかり 栗」<File 568>

<番組紹介>
江戸時代の旅人も食べた!?
伝統の和菓子「栗きんとん」
 
▽砂糖を使わない栗そのものの味わいが人気の
 季節限定のメニュー
▽大きく甘い栗を育てる
 栗農家のこだわりの栽培法
▽名料理人が腕をふるう野趣あふれる栗料理
▽風味豊かな栗ご飯をつくる匠の技を大公開
▽人気のロックバンド
 「Novel bright(ノーベルブライト)」の
 ギタリスト、沖聡次郎さん登場!
 沖さんが作った栗の木のギターその音色とは
 
<初回放送日:令和4(2022)年10月14日>
 
 
 

美の壺1.産地が育む風味を楽しむ

 

岐阜県・中津川の「栗きんとん」
(「御菓子所 川上屋本店」五代目・原 潤一郎さん)


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岐阜県中津川市は、
いにしえより東山道の要衝にあり、
江戸時代には、中山道45番目の宿場町
「中津川宿」として東濃地方随一の商業の町
として栄えました。
 
そんな岐阜県中津川市は、
昔から「栗どころ」として知られ、
山栗を使った菓子が各家庭で作られてきました。
その中で生まれたとされるのが
「栗きんとん」です。
 

 
中津川市内の14軒の和菓子店では、秋になると、
一斉に各店自慢の「栗きんとん」が並びます。
蒸した栗に砂糖を加えただけのシンプルな
栗菓子で、素材の持ち味がそのまま生かされた
味わいが魅力です。
江戸時代には、旅人にも振舞われました。
 

 
現在も、当時の町並みの面影が色濃く残る
中津川の、「枡形」という直角に二度曲がった
道の間にあるのが、江戸末期の元治元(1864)年
創業、中津川が誇る「栗きんとん」の名店

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新栗が出始めると、店は俄かに活気づきます。
五代目・原 潤一郎(はら じゅんいちろう)さんは、
子供の頃から「栗きんとん」作りを見て育ちました。
栗の香りを嗅ぎながら、
「あー、今年も栗の季節がやってきた。」と思ったそうです。
 

 
「栗きんとん」のこだわりは「色」と「風味」。
蒸した栗に、風味が損なわれないうちに砂糖を加え、それを木綿の晒しの茶巾(ちゃきん)で包み、親指で挟んで絞ったら、栗の形にしていきます。
茶巾で形を整える職人を「絞り手」と呼びます。
繁忙期には80人にもなるそうです。
「絞り手」さんは手際良く作っていますが、
キレイな茶巾のシワが入った栗の形にするのは
熟練は必要です。
力を入れ過ぎると硬くなり、
弱過ぎてもヒビ割れるため、
力加減を覚えるのが難しいのだそうです。
 
砂糖以外余分なものは一切加えていないので、
3日間しか持ちません。
栗きんとんが食べられるのは、
新栗が出始めてから4カ月間しかありません。
シンプル故に、栗の美味しさが決め手となる「栗きんとん」です
 
  • 住所:〒508-0041
    岐阜県中津川市本町3-1-8
  • 電話:0573-65-2072
 
 

日本のモンブランの誕生
(東京・自由が丘の洋菓子店
「モンブラン(MONT-BLANC)」)


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栗の代表的なスイーツと言えば、
「モンブラン」。
「モンブラン」は、昭和8(1933)年創業の
東京・自由が丘にある洋菓子店「モンブラン(MONT-BLANC)」の創業者で菓子職人の
迫田 千万億(さこた ちまお)さんが
「モンブラン」という名の
フランスの郷土菓子をアレンジして生まれた
日本独自の黄色い「モンブラン」です。
 
 
無類の登山好きであった迫田千万億さんは、
登山と菓子の見聞を深めるために、
二十代で渡欧しました。
そして、仏東部の街・Chamonix(シャモニー)から
初めて見たヨーロッパ最高峰・モンブラン峰の
美しさにいたく感銘。
是非ともその名を冠した洋菓子店を
日本に作りたいと決意します。
そのため、モンブランの登山口のある
シャモニー市の市長に会いに行って
「モンブラン」の使用許可を得たり、
現地で「モンブラン」をホテル名に使用していた
ホテルの社長さんにも直接会って、
日本で「モンブラン」を使用する許可を取り、
帰国して、30歳の時にその名を屋号にした店を
オープンさせました。
 
 
看板商品に考案したのが、
同山を模した栗の生菓子でした。
欧州では古くから、生クリームに
栗のペーストをのせたデザート
「モンブラン(Mont Blanc)」が食されていました。
ところがこの「モンブラン」は、
風味の強い渋皮や洋酒を使ったもので、
日本人好みの味ではありませんでした。
 

そこで迫田 千万億さんは、
土台をメレンゲからカステラにして、
その中には、カスタードクリームで包んだ栗を
丸ごと一粒入れました。
そしてヨーロッパの茶色の栗でなく、
日本人の口に合うように
和栗の「甘露煮」(かんろに)にクリームを加えた
黄色くて繊細な甘さのマロンクリームを、
和菓子のあんこを絞る
「小田巻」(おだまき)という道具を使って
紐状にしたマロンクリームをこんもり
載せました。

包装紙は迫田さんと交流のあった
洋画家の東郷青児氏によるオリジナルデザイン
です。
洋菓子がまだ特別な存在だった頃。
父親が持ち帰った
東郷氏の包み紙を見た子供達が
「モンブランのケーキだ!」と
飛び上がって喜んだというエピソードも。
店内には、東郷の絵が飾られています。
 

 
迫田さんは「モンブラン」の名を広めるために
商標登録をしなかったそうです。
日本人に愛されてきた「モンブラン」は
今も進化を続けています。
 
洋菓子店「モンブラン」は、現在も東京自由が丘でモンブランの老舗店として愛されています。
現在は、千万億のひ孫に当たる、
4代目の迫田直幸さんが
初代のレシピを守りながらも改良を加えて
作り続けています。
 
自由が丘一丁目29番地区再開発事業のために
令和4(2022)年12月31日に閉店していましたが、
今年、令和5(2023)年2月10日に仮店舗が
グランドオープンしました。
自由が丘駅前再開発が終了するまでの約4年間、
仮店舗営業となります。
仮店舗の移転先は、カトレア通り沿いで
サンセットアレイ通りとヒルサイド通りの間
ぐらいの場所になります。
 
 

期間限定モンブラン「栗の点心 朱雀」
(長野県小布施町の老舗の栗菓子店
 「小布施堂」・市村 次夫さん)


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長野県小布施町(おぶせまち)
「栗のまち」として知られています。
江戸時代には、将軍への献上品になるほど
良質な栗が育てられてきました。
そして今でも栗のスイーツを求めて、
多くの観光客が訪れます。
 

 
明治時代から続く
老舗の栗菓子店「小布施堂」は、
栗鹿ノ子(くりかのこ)有名ですが、
新栗の季節の40日間しか味わえない
限定メニューがあります。
 

 
栗の点心 朱雀(くりのてんしん すざく)
言います。
砂糖を一切使っていない、栗そのものを
味わうことの出来るモンブランです。
 

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採れたての新栗を蒸して裏ごししたものを、
砂糖も何も加えずに、そのまま栗あんの上に
ふんわりと盛ったものです。
栗本来の素朴な味と栗あんの上品な甘さを
一緒に楽しむことの出来る
特別なメニューです。
4代目店主の市村次夫(いちむら つぐお)さんに
説明していただきました。
 

 
市村さんによると、「栗あん」の仕込みは、
栗の香りが1番強い時期に、
1年分の「栗あん」を作るそうです。
「栗あん」は、甘ければ良いというものでは
ないそうです。
香りの強い内にあんこにするのが
勝負だそうです。
 
その「栗あん」は砂糖と混ぜて作りますが、
その前に、お客様に食べてもらったら
いいのではと考えて生まれたのが
期間限定モンブラン「栗の点心 朱雀」です。
 
砂糖で味を調整していないため、
その時々で味が違うのですが、
「お客様が「うまい」と言ったら
 「栗のおかげです」と答えておけ!」と
半分冗談交じりに従業員に話しているのだ
そうです。
 

 
  • 住所:〒381-0293 
    長野県小布施町 808
  • 電話:026-247-2027
 
 
 

美の壺2.名人の技が生む秋の至福

 

京都府京丹波町「丹波栗」
(「丹波栗マロンファーム
三代目・山内 善継さん)

 
昔の丹波国(現在の京都府中部、
兵庫県東辺の一部・大阪府北辺の一部)で
採れる秋の味覚「丹波栗」(たんばくり)
鬼皮の色が黒く、大粒で甘みが強く、
ホクホクした食感が特徴で、現在、最上級品として市場で高い評価をされています。
 
日本原産の「栗」は、縄文時代から
種実栽培されていたとも言われています。
最初に文献に栗について記載されたのは
『古事記』です。
 
 
奈良時代から平安時代になると、
「栗」は宮廷貴族の食べ物として、穀物・果物の中で最も重要視されるようになり、
献上品や物納品としての「栗」づくりが盛んになりました。
特に、丹波国は天領や寺社領地が多く、
宮廷や寺院との繋がりが深かったことから
「栗」づくりが発達したと考えられます。
平安時代に編纂された律令書
『廷喜式』(えんぎしき)にも、「丹波の栗」が
朝廷に納められたと記されています。
「栗」は「米一升栗一升」と言われ、
米と同等とされていました。
そして、栗が大きければ枡入れる栗が
少なくて済むことから
大きい栗が作られるようになったそうです。
 
 
京都府京丹波町(きょうたんばちょう)
100年以上続く「丹波栗マロンファーム」の
農林水産省からエコファーマーに認定され、
黄綬褒章を受けるなど、
高い評価を得ている栗作りの匠、
「丹波くり」マイスターです。
日本テレビ「ザ! 鉄腕!DASH!!」など、
メディアにも多数出演しています。
主な栽培品種は、ぽろたん、大峰、筑波、
銀寄、美玖里などです。
 

 
 
栗の収穫に同行しました。
栗の木は水を嫌うため、水田を1m掘って、
水はけの良い栗畑に変えました。
木はよく育つようになったと言います。
 

 
山内さんが栗作りの中で
最もこだわっているのは、
どの枝にも均等に太陽光を当てることです。
剪定して枝の数を減らし、
効率よく太陽の光が当たるようにすると
残った枝に栄養が十分に行き渡り、
大粒の実をつけます。
 
気温が高くなると栗の質が落ちるため、
収穫は「日の出」と共に始まります。
落ちている毬(いが)だけを収穫します。
樹に生っている未熟果はまだまだ味が悪く、
腐りやすいためです。
落果を金ばさみで拾い、
足で毬(いが)をこじあけて実を取り出し、
地道に一つ一つ手で拾います。
丹波地方では、栗が熟してイガが割れる様子を
「笑(えびる)」と言うのだとか。
 

 
山内さんのこだわりは栽培だけにとどまりません。
収穫した栗の糖度を上げるために、
−1℃で3〜4週間程度、
「氷温熟成」(しょうおんじゅくせい)させます。
栗のデンプン質が
「糖」に分解され甘みが増すため、
高糖度の栗になります。
収穫直後より糖度が2倍以上になるといいます。
 
山内さんの好きな栗の1番美味しい食べ方は
「焼き栗」だそうです。
少し焦げ目がつき、鬼皮がパカっと割れて
美味しそうな実が現れます。
山内さんによると
栗そのもの持ち味を味わうには、
焼き栗が最も適しているそうです。
 

 
  • 住所:〒629-1116
    京都府船井郡京丹波町市場山添89
  • 電話:0771-84-0786
 
 

京都「栗料理」
(料理旅館「美山荘」の四代目・中東久人さん)


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京都の奥座敷、左京区花脊(はなせ)
ここにある創業120年以上になる
美山荘(みやまそう)は、
土地の趣をふんだんに取り入れた
「摘草料理」で有名な料理旅館です。
そして、料理研究家・大原千鶴さんの
ご実家でもあります。
 
美山荘」四代目・中東久人さんは、
大原千鶴さんの実弟で、
海外からも高い評価を得て、
ミシュランの星を獲得している料理人です。
 

 
美山荘」の門前には、
中東さんが生まれた時からあるという
大きな芝栗(しばぐり)の木が自生しています。
子供の頃は、秋は学校が終わったら
栗拾いをして遊んだそうです。
栗は最高のおやつでした。
美山荘」は、その栗を採って
お客様に提供することもあるそうです。
 
 
中東久人さんは、「丹波栗マロンファーム」の
分厚くて身が詰まった栗を使って、
極上の料理を作っています。
作るのは秋の定番の「栗御飯」です。
まず、皮と実の間に包丁を入れ引っ張りながら
鬼皮(おにかわ)を丁寧に剥がしていきます。
次にすり鉢に水を入れて、
外側の渋皮(しぶかわ)を包丁でこそげ取ります。
渋皮には栗の風味があるので、
少し残すのがこだわりです。
その後、日に干して水分を抜くことで
糖度が高まり、旨味も増すと言います。
手間を掛けて下ごしらえをすれば、
「栗御飯」の味付けは塩だけで充分。
渋皮の色がついた山の御馳走「栗御飯」です。
 
栗の風味を料理に活かしたいと考えている
中東さん。
「栗御飯」の次は、栗の渋皮煮をつくり
「白和え」にしていきました。
ポイントは豆腐にアケビで甘さを加えること。
更にアケビを器に使って、
秋の味覚をふんだんに盛り込んだ
「栗の白和え」が出来上がりました。
 
栗を素揚げにした「栗チップス」を
(ほお)の葉に漆を塗った皿に、
色とりどりの秋を盛り付けました。
 

 
頂く箸も栗の枝を削ったものです。
その手触りを楽しむことが出来ます。
 

 
山の中の宿の風情を感じてもらうため、
ダイニングの床には
「栗」の木が使われています。
そしてその栗材の表面は、手斧の痕を敢えて残し
それを味わいとしてみなす「名栗」(なぐり)
いう技法で仕上げられています。
お客様にリラックスした雰囲気で
食事をしてもらえるのではないかと思う、
と中東さんはおっしゃいます。
 

 
料理も内装も「栗」。これぞ究極の栗尽くし。
山の雰囲気を楽しみながら秋を味わう、
贅沢なひとときです。
中東さんの目指す料理は、
自然と共存する料理です。
 
料理旅館「美山荘
  • 住所:〒601-1102
    京都府京都市左京区花脊原地町375
  • 電話:075-746-0231
 
 
 

美の壺3.音楽を魅了する銘木

 

栗の木で出来たエレキギター
(ロックバンド「Novelbright」のギタリスト・沖 聡次郎さん)


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Novelbright(ノーベルブライト)は、
大阪の路上ライブから火がつき、
令和2(2020)年にメジャーデビューを果たした
5人組のロックバンドです。
 

 
バンドの曲を数多く手掛けている
ギタリスト・沖 聡次郎(おき そうじろう)さんが、
デビュー前にバイトをしていた
大阪アメリカ村の練習スタジオで
ギターの演奏をしていました。
ここは、沖さんにとって忘れることの出来ない
大切な場所です。
沖さんの引く美しいメロディーが
メンバーの目に留まり、バンドに加入しました。
 

 
沖さんが弾くのは、オーダーメードで
完成したばかりのエレキギターです。
ボディーの部分には、
なんと「栗の木」が使われています。
日本のテイストを大事にしているという
沖さん。
ギターは「洋材」で作られたものが多いのですが、
「和材」でも作れると聞いて、
オーダーしたものです。
 

 
同じ「和材」であっても、
木材によってギターの音が変わると言います。
「栗」のギターと全て同じ条件で作った
「欅」(けやき)のギターとを弾き比べていただきました。
 
木材によって音に違いがあるそうです。
音を聴き比べてみました。
「欅」のギターの音は、
ジューシーというか太い感じがします。
一方、「栗」のギターの音は、
スッキリというかアクがない感じ。
澄んだ音で美しいイメージです。
 
「栗」のギターの音色が気に入った沖さん。
通常、完成したばかりの新品のギターは
外気に触れたり色々な影響を受けて、
木からだんだん水分が抜けて成長していって、
良い音・良い響きになるため。
ステージで使えるまでには時間が掛かります。
ところが、栗の木で作ったギターは
全然このままを持っていけそうな
新品らしくない音を奏でます。
 
「これが日本材の特徴なんだとしたら、
 凄い革命やと思います。」
栗の木のギターがすっかりお気に入りのようです。
 
 

国産栗材のギター製作オーダーメイドのギター
(「Sago New Material Guitars」高山 賢さん)


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沖 聡次郎さんのエレキギターは、
兵庫県尼崎市にある
高山 賢(たかやま さとし)さんが作りました。
 
高山さんは元々バンドでベーシストとして
プロデビューを目指していましたが、
自分のギターを分解して見よう見まねで
木工の技術を習得し、
ギター職人の道に進みました。
現在は、多くの有名アーティストのギターの
制作に関わっています。
 

 
高山さんは「和材」にこだわり、
特に「栗の木」に注目をしています。
「栗の木」は「耐久性」や「耐水性」が高く、
「丈夫」なのが特徴です。
 

 
高山さんにギターを作る工程を
見せていただきました。
まず、ギターのボディーを象った
アクリルに沿って、材を切り抜いていきます。
栗材を使うボディーは音が増幅する部分で、
「ボディーが鳴ると気持ちいい」と言われる
大切なところ。
高山さんによると、同じ「栗の木」でも、
産地が違うとギターの音色も違ってくるそう
です。
外国の栗の木と比べて、
日本産の栗の木で作ったギターは、
明るくて、キンキンしない
柔らかい優しい感じの音がするそうです。
更に高山さんは、「栗」じゃないと出せない音があるとおっしゃいます。
 

 
視覚や触覚を頼りに、ギターの美しい曲線を
丁寧な手作業で磨き上げていきます。
こうした職人技が理想の1本を作り上げていく
のです。
 

「栗材や和材で楽器を作って、
 ここから新しい音楽生まれて、
 新しい感動が生まれれば、
 その楽器がいい音のスタンダードに
 なっていてくれるんじゃないかな。
 
 沖さんのギターも時間を経ると
 どんどん変わっていくし、
 今後もすごく楽しみ。」
 
更に高山さんは、日本の音楽は日本の材料で作って
世界に届けていきたいと語っていました。
 
 
  • 住所:〒660-0054 
       兵庫県尼崎市西立花町4-15-8
       1階南側
  • 電話:06-6439-6377
  • オンラインショップ
 
 

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