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美の壺スペシャル「日本のお弁当」

<番組紹介>
江戸の女性が芝居見物で楽しんだ、
幻の重箱弁当が200年ぶりに復活!?
 
 ▽京都の一流料理人が四季を詰め込んだ絶品弁当!
 ▽旅情かきたてる「駅弁」。
  かけ紙に秘められた意外な歴史!
 ▽山で働く人々を支えてきた手作り弁当箱“めんぱ”
 ▽鳥にシマウマに日本列島?…親子で作る秀逸なデザイン!
 ▽木村多江は“激レア”弁当を探し小豆島へ!
 ▽未来警察が草刈正雄を逮捕!?
 
天高く馬肥ゆる秋。
お弁当食べるなら、秋空の下で食べるのが最高!!
青空の下でかぶりつく「大きなおにぎり」、
山で一仕事終えて頬張る「とうきびごはん」、
そして芝居見物の合間に舌鼓を打つ「幕の内」・・・。
日本には、楽しくて美しいお弁当が沢山あります。
今回は、そんな全国各地の弁当の魅力が特集されました。
 
 

美の壺1.四季をいただく

 
秋の京都。
絶景を巡る観光の旅に欠かせない物と言えば、
行楽弁当。
まず駅に隣接するデパ地下で、お弁当を散策。
普段はなかなか足を運べないような
京都の名立たる料亭や仕出し店の豪華弁当が勢揃いしています。
憧れの店の弁当を好きな場所で楽しむのが、
今時の旅のスタイルなのだそうです。
 

 
見た目にも鮮やかな京料理を味わう贅沢なひと時。
思わず「迷い箸」をしてしまいます。
おかずは、春夏秋冬その都度、旬の物に入れ代わるため、
飽きることがないんだと言います。
京都のお弁当には、四季折々の景色が詰め込まれています。
 
 

「京趣味 菱岩」(五代目当主・川村岩松さん)


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弁当箱の中に季節をどう封じ込めるのか・・・・。
並々ならぬこだわりを持つのは
京都の仕出し店「菱岩(ひしいわ)の5代目・川村岩松さんです。
川村さんに、秋に相応しい行楽弁当を作っていただきました。
 
旬の素材に恵まれた秋は、料理人にとって腕の見せどころ。
この秋口から冬の、
寒い時の方が身が締まって、脂が乗って美味しい
赤い皮目が鮮やかな「ぐじ」を入れたいなあと思っているんですけど。
 
「ぐじ」
 
 「甘鯛」の福井県・京都府における地方名です。
 中世より主に福井県の若狭地方で水揚げされ、
 
陸路で京の都に運ばれ、帝にも献上された高級魚です。
身が柔らかくて傷みやすいので、その調理の仕方によって
板前の腕が試されるのだそうです。
 
 
それから、秋が旬の「子持ちの鮎」を飴色に煮詰めます。

 
「栗の実」は、くちなしの実で秋らしく黄色に染めます。

 

 
更に、盛り付けにも工夫を凝らします。
京都おばんざいの定番「だし巻き卵」を旬の魚に合わせます。
「だし巻き卵」はいろんな物を食べた時に、
いい意味で中和してくれるので、絶対必要なような気がすると
川村さんはおっしゃいます。
「だし巻き卵」の優しい黄色に、鮮やかに焼けた「ぐじ」の赤。
全体の調和も考えながら、季節の味を詰め込んでいきます。
 

 
仕上げに秋が深まると出回る「金時にんじん」を添え、
もみじ狩りでしっとりと味わいたい、
「秋の二段重」が出来上がりました。
 

 
「春はもうちょっと入れるんですけれど、
 秋口なので、
 そこまでたくさん入れないようにしたつもりなんですけれど。
 強調し過ぎるのは、京都人の嫌うところなんです。
 さりげないのが、しんみりとした感じの方が
 いいんじゃないでしょうか。」
 

 
  • 住所:〒605-0088
       京都府京都市東山区西之町213
  • 電話:075-561-0413
 
 

お辨當箱博物館(「半兵衛麩」11代目当主・玉置辰次さん)


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五条大橋を東に渡り、五条通から問屋町通を南へ少し下がったところに
元禄2(1689)年創業のお麩の専門店「半兵衛麸」の本店があります。
 

 
半兵衛麸」は、御所の大膳亮をしていた玉置半兵衛が、
京の町にて麸屋を始めて以来330余年、
原料と製法にこだわり、伝統の味わいを守り続けています。
昭和初期築の京町家で営む茶房では、
おくどさんや井戸が残る通り庭や坪庭などがあり、
その奥に、お食事が出来る部屋があります。
 

 
半兵衛麩 本店
 
 
そして「半兵衛麸」の2階にある「お辨當箱博物館」には、
代々の当主が蒐集してきた
江戸時代のお辨當(弁当)箱のコレクションが
300点以上が展示されています。
11代目の当主・玉置辰次さんに
四季折々に使った行楽用の弁当箱を見せて頂きました。 
 

 
秋の「紅葉」と共に楽しむ弁当箱は、
勿論、紅葉の柄。
紅葉は赤や黄色で鮮やかに描かれたり、
輝く水面に浮かべたり・・・、秋の情景を飾ります。
春は「お花見」、弁当箱はひと際華やかです。
春の風に桜が散り乱れています。
初夏は風流に「蛍狩り」です。
漆の箱に埋め込まれた金属が、ホタルを表現しています。
凝りに凝って、季節を楽しんだのです。
 
「日本というのは、ありがたいことに四季がある。
 やはりそれを大事にしないといけない。
 このお弁当箱には、箸傷が付いてますから、
 みんな使ってるんですよ。
 喜んで食べた後の証拠が全部残ってるんです。
 紅葉を見て、今年もちゃんとキレイに照ってくれたなあと、
 紅葉してくれたなという 感謝の気持ちを表さないかん。
 京都人、日本人としての感性みたいなもんでしょうね。」
 
巡る季節に感謝して頂くのが、京都の弁当の流儀です。
 

   
   

 
  • 住所:〒605-0903
       京都府京都市東山区上人町433
  • 電話:075-525-0008
 
 
 

美の壺2.芝居を楽しむおもてなし

 

歌舞伎座の幕の内弁当「ほうおう花道弁当」

 
東京・銀座にある「歌舞伎座」には、
今日も贔屓の俳優や好きな演目を目当てにファンが集っています。
 
一幕目が終わると、ちょうどお昼時。
客席のそこかしこで、箸を持つ人の姿が見受けられます。
これも、歌舞伎座ならではの風景。
幕間に一息、お弁当の時間です。
定番は「幕の内弁当」。
幕間に食べることから、名付けられました。
 

 
「幕の内弁当」には、劇場ならではの工夫が凝らしてあります。
まずは 折箱のサイズ。
女性の膝の上にも置ける大きさです。
ごはんは箸で取りやすい俵型で、
おかずもそれぞれ一口で食べられる大きさに調理してあります。
更に、くず餅などの甘いデザートまで添えられています。
 
「お芝居自体が大変華やかな演目でございますので、
 その途中の幕間のお時間に召し上がっていただくお食事も
 華やかさを感じていただいて、
 お芝居の余韻に浸りながら舌鼓を打っていただければ、
 我々としては最高ですね。」
 
芝居見物を楽しむために、
舞台だけでなく、弁当にも演出が施されていました。
 
  • 住所:〒104-0061
       東京都中央区銀座4丁目12−15
  • 電話:03-3545-6800
 
  • 住所:〒104-0061
       東京都中央区銀座4丁目13番11号
       松竹倶楽部ビル3F
  • 電話:03-3545-8600
 
 

民俗学者・神崎宣武さん

 
江戸の庶民にとって、歌舞伎は最高の娯楽でした。
朝、めかし込んで芝居小屋へ出かけ、
一日がかりで楽しんだそうです。
 
「芝居より何がなくても酒がさきさき」といった川柳があるぐらい、
当時、芝居を見るということは、食べながら見ることで、
それが、江戸の庶民の楽しみだったようです。
でも女性達は、パクパク乱暴に食べる訳にはいきません。
特に桟敷席は、全体から見えているのですから、なおのこと。
 

 
 
「幕の内弁当」のルーツともいうべき
江戸時代の「三重の重箱」が再現されました。
当時の風俗を綴った書物『守貞謾稿』を見ると、
「三重の重箱」には、
ごはんは握り飯にして焼いた物。
それから、蒲鉾に蒟蒻、焼き豆腐などが入っていたようです。
 

 
 

江戸の伝統料理(人形町・料亭「よし梅」)

 
江戸の伝統料理も手掛ける、人形町の料亭「よし梅」
若女将の高野さんに協力してもらって、
「三重の重箱」の真相に迫りました。
若女将の閃きから、「女性が喜ぶ見た目」をテーマに
当時の料理本などを参考に調理法を探ります。
 
・・・・
200年の時を超えて、「幕の内弁当」が再現されました。
豆腐は梅肉を混ぜた白味噌を塗った上にケシの実を付け、
蒟蒻には赤味噌をたっぷり塗って、田楽にしました。
卵焼きには、海老とネギを入れて華やかに。
煮物は亀甲型の縁起良い形にして、見た目にも楽しく詰め込みました。
 
その下の段には、小振りの焼きおにぎりを詰めました。
焼いているので、お箸で取りやすいし、
切って食べるにも崩れにくく、
四角いので取った時に転がりにくくなっています。
 
最後の段には、羊羹と干菓子を贅沢に詰め込みました。
「砂糖を使った物は、特に江戸まで遡ると一番の贅沢です。
 最後にお菓子っていうのは、食べても食べなくても、
 やっぱりあるだけで可愛くて楽しくて。」
 
あれもこれも、好きな物やかわいい物を目一杯詰め込んた、
昔も今も、開けるのがワクワクする楽しいお弁当です。
 

 
  • 住所:〒103-0013
       東京都中央区日本橋人形町1-18-3
  • 電話:03-3668-4069
 
 
 

美の壺スペシャル.小豆島の激レア弁当「わりご弁当」

 
いつも 「美の壺」のナレーションを担当している木村多江さん。
木村さんは、(年間)300日はお弁当を食べているそうです。
それも10分ぐらいで、もう ブワーッと。
弁当を味わう暇もない木村さんに、
番組から、小豆島の「激レア弁当」がプレゼントされました。
 
・・・・ということで、
木村さん、瀬戸内海に浮かぶ香川県小豆島にやって来ました。
更に、島の中央部・中山地区に向かいました。
 

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年に1回しか食べられないお弁当、それは「わりご弁当」でした。
「割盒」(わりごう)とは、小豆島に伝わる弁当箱のことです。
大きな箱の中に小さな弁当箱が20ぐらい入っていて、
たくさんのお弁当を一度に運んで、大勢で食べるお弁当です。
 

 
 
中山地区では、毎年10月に地元の人々がこぞって参加する
中山農村歌舞伎」が行われています。
その歴史は300年以上と古く、
役者さんから化粧、浄瑠璃、衣裳など、全て島の人達が担当しています。
 
お伊勢参りに出掛けた島の人々が、
荒天で船が出ずに大阪で船待ちしていた時に、
上方歌舞伎の華やかな世界に触れ、歌舞伎の名場面を描いた絵馬や衣装を島に持ち帰り、神社に奉納しました。
歌舞伎の人気は島中に広がったことから、上方から旅回りの一座や振り付け師を招くなどしていましたが、次第に島人自ら演じるようになりました。
中山の舞台は、昭和62年3月に「重要有形民俗文化財」に指定され、平成24年3月には茅葺き屋根の全面ふき替え工事が行われました。
 
年に一度、「わりご弁当」を持ち寄って、
芝居見ながらみんなで弁当を食べる。
それも歌舞伎の楽しみのひとつです。
 


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激レア弁当の中身を求めて、木村さんが次に向かったのは、
日本の棚田百選」にも選ばれた
700枚を超える田んぼ「中山千枚田」です。
 

www.town.shodoshima.lg.jp

 
棚田では丁度、稲刈りが行われていました。
木村さん、
今年出来た刈りたてのお米「キヌヒカリ」をもらっちゃいました。
名水百選「湯船の水」の湧き水を利用した
「中山千枚田」のお米は、
山に囲まれ、昼夜の寒暖差が大きいために、粘りと甘みもあります。
 


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「中山農村歌舞伎」は、
毎年10月に五穀豊穣の恵みへの感謝とお礼を込めて、
棚田の近くの春日神社への奉納歌舞伎として行なわれているものです。
ですから、「わりご弁当」は棚田から穫れた新米で作られています。
さあ、それでは「わりご弁当」を作っていきましょう。
本来の時期よりちょっと早いんですが、
地元の方にお願いして、20人前を作ってもらうことにしました。
居ても立ってもいられず 木村さんも参戦。
今年取れたばかりの棚田の新米で「突き飯」を作っていきます。
 
「突き飯」とは、木で出来た四角い型に酢飯を入れて、
木の棒で突き固めて作る料理で、
小豆島の「わりご弁当」には欠かせないものです。
酢と塩に木の棒を浸し、これでごはんを突いていきます。
箱からはみ出さないように、突き具合を調整しなければならない、
意外と難しい技なんです。
結構、力仕事です。
突くほどに味が染み込み、
芝居が始まる夕方には味が馴染んで
ちょうどいい塩梅になるのだそうです。
 
ごはんの次はおかずです。
野菜の煮しめや卵焼きなど、12種類を詰め込みます。
辛めに味付けした 昔ながらのおかずです。
 
作り始めてからおよそ4時間。
20人前の「わりご弁当」が完成しました!
 

www.maff.go.jp

 
出来上がった弁当を携えて、木村さんたちが向かったのは、
農村歌舞伎が行われる春日神社です。
茅葺屋根の舞台では、
1か月半後の本番に向けて、子供達が稽古の真っ最中でした。
弁天小僧など、五人の盗賊が登場する 「白浪五人男」の話です。
さあ、木村さんも頑張った「わりご弁当」のお披露目。
みんなで頂きま~す。
 
木村さ~ん! 激レア弁当を探す旅、いかがでしたか?
「お弁当を探しながら、
 食べることってこういうことなんだっていうことを
 何か学んでいったような気がして。
 こういう棚田が出来て、美味しいお米を作る方がいて。
 このお弁当箱を見せて下さった時に、
 こういうものを「誇りだ」とおっしゃっているのが、
 すごく素敵だなと思って。
 ただ食べるっていうだけじゃなくて、
 心に染み渡るお弁当だったなあっていうふうに思います。」
 
 
 

美の壺3.掛け紙が伝えるメッセージ

 

掛け紙コレクター(元国鉄マン・泉 和夫さん)

 
 
「弁当~、弁当~っ!」
かつては、どこの駅でも見られた駅弁の立ち売り。
折箱に入った駅弁を窓から顔を出して買うのが、
鉄道旅行の楽しみでした。
 

明治18(1885)年7月、宇都宮駅開業と同時に
ゴマ塩おにぎり2個を竹皮で包み、5銭で売り出したのが、
駅弁の始まりと言われています。
やがて、折箱に様々な食材を詰め込むようになると、
弁当の中身を伝えるために「掛け紙」が生まれました。
 

 
元国鉄マンの泉和夫さんは、
日本でも有数の掛け紙コレクターです。
明治時代から現代に至るまで、1万枚以上を収集してきました。
泉さんは、戦前の掛け紙には多くの見どころがあると言います。
 
 

「姫路は、やっぱり国宝ですから、城がこう出てたりする。
 鮎ずしの掛け紙には、清流で泳ぐ鮎の姿が鮮やかに描かれています。
 正月限定の駅弁は、赤を基調にしたおめでたいデザイン。
 サンドイッチの掛け紙は、モダンなイラストにと、
 本当にいろいろあるんですね。」
 
 

長野駅の夏目商店という駅弁屋の掛け紙には、
長野と言えば、善光寺
「中をよく見ますと、善光寺まで十八丁と。
 それから、戸隠山まで五里と出ております。
 この紙を見てですね、
 「あっ 善光寺ってこんくらいなのか」と。
 「今度、じゃあ長野に行ったらば、善光寺にお参り行こうか」
 と気持ちをですね、醸し出すものかもしれません。」
 
 

東海道線の駅弁の掛け紙には、名所旧跡が紹介されていて、
今で言う観光パンフレットの役割もありました。
よく見ると、こんな注意書きも。
「弁当のゴミを 窓から投げ捨てないように」 とのお願い。
こちらは 「カバンに きちんと名前を書くように」。
間違える人が多かったんでしょうか。
 
 
更に「掛け紙」からは、
その時代の世相を読み解くことが出来ると泉さんは言います。
全く同じデザインで、発売日も同じ「昭和13年7月7日」の掛け紙を
2枚持ってきました。
 

一枚は「宮城」で、もう一枚は「京都」で発売されていました。

7月7日、一日限りのお弁当を
鉄道省が提案し、各駅弁屋さんで売ったということが
この紙で分かります。
 
富士山の横に「堅忍」(けんにん)と書かれた掛け紙。
「堅忍」とは、戦争中に使われた、
我慢強く耐え忍ぶというスローガンです。
こうした駅弁が、日本各地で売られていたといいます。
「情報の手段がなかなか時代、
 ただ この一枚の紙によって、そういう情報が収集出来るというのが、
 駅弁の紙の持つですね、当時の魅力なのかなと。」
 
 

あなごめしうえの「あなごの駅弁」(四代目・上野純一さん)


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戦前の掛け紙を復活させて人気の駅弁があります。
明治時代から続く、宮島名物の「あなごの駅弁」です。
発売された明治時代から昭和11年のものまで、
12種類の掛け紙が復刻されています。
 

 
あなごめしうえの」の4代目・上野純一さんが、
今から30年ほど前に手掛けました。
それまでは、大鳥居の写真を載せた掛け紙を使っていました。
「今でも上野さんのお店では、観光客用のお弁当…」と
印刷された掛け紙に
上野さんは、これはないだろうと感じていました。
 
この掛け紙を使っていたのは、昭和50年代。
当時、山陽新幹線の開通により駅に止まる急行列車が激減し、
駅で弁当を販売することはほとんどなくなっていました。
 
明治から続く看板をどう守っていけばいいのか?
そんな時、蔵の奥で食器を包むために使われていた
戦前の掛け紙を偶然発見。
 

 
 
「まあ、それを見つけた時には、正直、鳥肌が立つぐらい。
 石版画の手作りの線の独特の感じが、
 あの頃の私でも分かったなということですね。
 あ、ほんとの歴史が・・・そこにありましたけどね、」
 
上野さんは早速、掛け紙を復刻し、
新たに宮島観光の情報を書き加えました。
100年以上続く心意気。
次の代にも引き継いでいきたいと考えています。
 
「うちも駅弁屋としての名前が
 なくなっていこうとしてた時代なんですよ。
 このラベルを使うというのは、
 ひたすら美味しいあなごを追いかけるっていうことを
 いまだに背中を押しますしね。
 このラベルに出会ってなかったら、
 低い基準で妥協してて、
 今まで 続いてなかったような気がしますね。
 このお弁当の古いラベルの持ってる
 パワーじゃないかなと思いますけどね。」
 
駅弁の掛け紙一枚に、様々な物語が詰まっています。
 
  • 住所:〒739-0411
       広島県廿日市市宮島口1-5-11
  • 電話:0829-56-0006
 
 
 

美の壺4.おいしさを運ぶ器

 

スタジオ木瓜・日野明子さん


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皆さんは普段はどんな弁当箱を使っていますか?
全国の生活道具を紹介している
スタジオ木瓜の日野明子さんは、
弁当箱には他の器にはない特徴があると言います。
 
「職人さんは、
 ぶつけたり落としたりとかしないかとか、
 角をしっかり補強してみたり、
 持ち歩いた時に安定が良くなるようにとか、
 形を考えたりとか、
 他の物を作るより、
 ちょっと気を遣っているところは多いですね。」
 
台所など水回りで重宝されてきた琺瑯製のお弁当箱は、
表面がガラス質のため、
油汚れを落としやすいというメリットがあり、
こってり美味しいオムライスも安心して持ち運べます。
 

 
 
朱塗りの弁当箱は蓋がミソ。
まず蓋を開けるとおかずで、更に開けるとごはんが入っています。
蓋を逆さにして使えば、味噌汁のお椀になります。
家で食事をするように、弁当を味わえるというアイデアです。
 

 
「おかずの汁がごはんに浸透して味が混ざるっていうことを
 諦めないで欲しいと思いますね。
 どうやって持ち歩いて、どういう状態が続くかっていうことを、
 想像力を働かせて、
 一番美味しい状態で、楽しいお昼が食べられるものを
 選んでいただけたらと思います。」
 

 
 

山仕事をする人達の弁当箱「めんぱ」(甲斐安正さん)


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秋田杉の繊細な木肌が美しい、大館の「曲げわっぱ」。
長野・木曽地方では、名産のヒノキを使った「曲げ物」。
山に囲まれた、林業が盛んな地域では、
山仕事をする人達の弁当箱として
地場の木材を使った「めんぱ」が使われてきました。
 

 
 
「めんぱ」とは、宮崎県で主に林業従事者が愛用している
ごはん専用の弁当箱のことです。
おひつとともに、昔から地域に伝わる曲物(わっぱ)です。
 


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17歳から林業に携わってきた甲斐安正さんは、
「木だけは分かる」と、30年前に自分でも作ってみようと思い立ち、
自ら山で集めた木を均一の厚さに削り、茹でて曲げて留めるという工程を、
独学で今の形を作り上げました。
 
材料は地元産のヒノキです。
1年かけて乾燥させたヒノキを熱湯に浸して柔らかくします。
それから、自家製の型を使って曲げていきます。
冷めて硬くならないうちに、素早く形を整えるのがコツです。
 
丸めた板を繋ぎ止めるのに使うのも、地元の木材。
樺桜の皮で縫っていきます。
硬くて丈夫なことで知られる樺桜の皮を薄く削って使います。
 
「めんぱ」の底板に使うのは、地元のアオスギです。
木の芯に近い、「赤太」と呼ばれる部分を使うと、
長持ちするんだとか。
 
甲斐さんにとって「めんぱ」は、
山で共に働いてきた「相棒」のような存在なのだそうです。
 

 

 

 
 

「とうきびごはん」(藤本和生・徳代さんご夫妻)

 
「めんぱ」は、山で働く人々の暮らしを今も支えています。
藤本和生さん 徳代さんご夫妻は、
65年間、林業やしいたけ栽培を生業にしてきました。
 

 
昔ながらの山のお昼。
箸も山にあるもので作られています。
お昼の主役は、やっぱり「めんぱ」です。
乾燥させたとうもろこしを混ぜた「とうきびごはん」が
たっぷり入っています。
1つの「めんぱ」に二人分。夫婦で仲良く分け合います。
かつてはこの分量を、藤本さん一人で平らげたそうです。
朝から働き続け、やっと一息つく弁当の時間。
「めんぱ」は、ごはんの余分な水分を吸い取るため、
時間が経っても味を損なわないと言います。
 

 
「ほんとに、あの~ めんぱのごはんちゅうのは何ていうかな・・・
 美味しいですかね。ごはんが美味しいから頑張れる。」
 働く人達を支える、頼りになる弁当箱です。
 
 
 

美の壺5.「作って 食べて 繋がって」

 

NPO法人 野外保育の活動

 
横浜市のNPOが主催する野外保育の活動の様子です。
自然の中を元気に走り回る子供達。
午前11時。
ブルーシートを広げて、子供達が座る場所を作り始めました。
ちょっと早いお弁当の時間。
お弁当の時間は特に決まっていません。
子供達は、食べたい時に蓋を開けます。
 
遊んでいる最中に泣き出してしまった女の子。
でも お弁当を手にしたら あら不思議。
お昼も忘れて、遊ぶのに夢中な子供達も、
たくさん遊んだから、その分、お腹もすいてちゃんと食べる。
それぞれ自分に合ったお弁当の時間を過ごします。
 
「遊びと食ってすっごく直結していて、
 何か、しっかり食べられると、
 今日は満足して遊んだんだろうなっていう
 バロメーターとして見てるお母さんがいたりします。
 で、ピカピカだったりすると、
 凄くうれしくて、親子で会話が弾んだりとか。」
 
 

「お父ちゃん弁当」(京都市立芸術大学教授の小山田徹さん)

 
京都市立芸術大学教授の小山田徹さんは、
朝6時半、子供の弁当の準備を始めます。
 
小学4年生のお嬢さん、香月さんが
アイデアとイメージを描いた指示書を父親に渡し、
それを基に、
幼稚園児の息子さん、喜三朗くんの弁当を作っています。
 
香月さんは朝起きると、しばらく考え込んで、
それから鉛筆を手に取って描き出しました。
今回は、カワセミのようです。
絵は10分程で完成しました。
小山田さんは、この絵を基に弁当を作り始めます。
作り始めてから15分。
香月さんが描いたカワセミが本当にお弁当になりました。
 

 
香月さんの絵を基に、
小山田さんが弁当を作るようになったのは
1年半程前からだそうです。
香月さんに、弁当のアイデアを出して欲しいと言ったのが
きっかけでした。
絵のテーマは、香月さんの好きな物や思いついたものなど、
なんでも自由です。スケッチも描きます。
そうしてこれまでに、130以上の弁当を作ってきました。
モチーフには「傾斜地層」「噴火」といった、
普通にお弁当を作っていたのでは
考えつかないのではと思われるテーマもありました。
 
「こうやって、子供達とは
 いろんなことをコミュニケーション出来るようになってるし。
 一緒に見る時にしゃべれたり、
 頭の中を覗かしてもらってるような喜びがあります。
 「今、こんなん気になってんねや」とか。」
 
今日のお弁当も完食でした。
「一粒も残ってなかった。
 何かそういうのは、凄い嬉しいんですよね。」
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