<番組紹介>
京都は、レトロ喫茶店の宝庫!
▽あの喫茶店のコーヒーに、
砂糖とクリームが入っている理由とは?
▽学生街の老舗喫茶店。心地よさの秘密は、
人間国宝が手がけた「特製テーブル」!
▽芸妓・舞妓のコーヒーブレイクに密着!
▽俳優・高倉健が通いつめた喫茶店の「特等席」
▽京都でいち早くアフタヌーンティーを始めた、
「明治の洋館」
▽江戸時代の町家では、
「清水焼」でいただく極上の一杯!
<初回放送日: 令和元(2019)年11月29日(金)>
国内外から多くの観光客が訪れる古都・京都の
数ある観光スポットの中で、今、注目を集めているのが喫茶店です。
戦災を免れた京都には
戦前に作られた喫茶店が当時の雰囲気のまま残されています。
京都はコーヒーの消費量がトップクラス。
趣向を凝らした店がそこかしこに。
京町家を生かした喫茶店。
店主自慢のコーヒーは清水焼で頂きます。
明治の洋館を受け継ぐ店では、こだわりのアフタヌーンティー。
稽古の合間の芸妓さんに舞妓さん。
そして 映画スターにも愛された京都の喫茶店。
今回の「美の壺」は、その魅力を味わう回です。
美の壺1.心づくしのひとときを味わう
砂糖とクリーム入りの有名喫茶店「イノダコーヒ」
堺町三条には80年以上愛されてきた喫茶店があります。
昭和15(1940)年に創業し、
「京都の朝はイノダコーヒの香りから」というフレーズもある
京都を代表する老舗の喫茶店「イノダコーヒ」です。
「コーヒ」?「コーヒー」?
「イノダコーヒー」は誤りです。
これは、京都ではかつて他店も含め
「コーヒ」と書いていた習慣が残っているためです。
火災を経て再建され、
平成12(2000)年にリニューアルオープンした本店は、
町家風の外観ながら、店内はエレガントでモダンな趣。
ホテルのロビーのような吹き抜けと大きな窓が開放的で、
ローズウッドの壁やシックなインテリアが
大人の落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
ブラウンが基調の空間に柔らかい印象をもたらしている
白いテーブルとゆったりとした椅子は、
創業当時から使われていたデザインを復刻・継承したものです。
屋外には、庭を眺められるテラス席もあります。
ヨーロッパのカフェをモデルに作られた一角もあり、
皆さん、お気に入りの席で楽しんでいます。
居心地の良さに引かれて通ううちに、
客同士が顔馴染みになることも多いのだそうです。
勿論、 コーヒーの味も常連客が店に通う理由です。
「アラビアの真珠」と名付けられた、
モカをベースとしたブレンドコーヒーが店の定番です。
ミルクと砂糖を予め入れて提供しています。
創業当時、客が会話に夢中になってコーヒーが冷めてしまい、
砂糖とミルクが上手く混ざらなかった事が
きっかけとなったのだそうです。
(今は、ブラックや砂糖少なめ、抜きにも対応してくれます。)
昭和15(1940)年6月、画家でもあった猪田七郎(いのだしちろう)は
現・本店の場所で、コーヒー豆など輸入食品の販売を始めました。
そして、戦後すぐの昭和22(1947)年の食糧不足の時代に、
猪田は一早く本物のコーヒーを提供しようと思い、
小さな喫茶スペースをオープンしました。
(現在、本店の南側にある白い建物の「メモリアル館」です)
コーヒーがうどんやラーメンよりも高価だった時代。
一杯でも満足してもらえるよう、工夫を凝らしました。
その一つがコーヒーカップです。
保温性を高めるため、ぽってりと厚みがあり、
脚が付いているのあるものを特注。
改良を重ねながら、今も使われ続けています。
軽食にも仕掛けがあります。
運ばれてきたのは、銀色の洋食器。
何と、蓋(クローシュ)がついています。
「蓋をとってもよろしいですか?」
美味しい香りの湯気がふわりと立ち上がります。
ナポリタン(イノダでは「イタリアン」と言います)です。
「皆さん、開けた瞬間に”ワアッ!”て、そういうお声を頂きますので、
私達も開けがいがあるんです。」
- 住所:〒604-8118
京都府京都市中京区
堺町通三条下ル道祐町140 - 電 話:075-221-0507
- 営業時間:7時~18時(LO17時30分)
- 定休日 :無休
- 店の隣に提携駐車場あり
学生街の老舗喫茶店、京大北門前「進々堂」
京都は日本有数の学生街でもあります。
大学のそばには、学生行きつけの喫茶店があります。
京都大学の北門前に店を構える喫茶店「進々堂」(しんしんどう)。
日本人のパン職人として初めてフランスパリに留学した
創業者・続木 斉(つづき ひとし)が
「大学の先生や学生達が勉強出来るような場所に」と、
昭和5(1930)年に創業。
カルチェ・ラタンのカフェをイメージして造ったという店舗は、
当時と変わらぬ装いを今も残しています。
京都市内にある現役の喫茶店の中では最も古く、
90年近くもの間、学生の憩いの場として親しまれてきました。
この日も友人同士で放課後に集まって勉強する姿が。
そしてノートの傍らには、カフェオレ。
「学校の図書館とかもよく使うんですけど、
こっちとかに来た方が特別感というか。」
この店の代名詞とも言えるのが、
学生達のために作られた長テーブルと長椅子です。
京都出身の漆芸・木工の作家で人間国宝の黒田辰秋が手掛けました。
店の創業者・続木 斉(つづき ひとし)が
清水坂にあった黒田の工房で見た作品に一目惚れし、
パリ留学での体験をヒントに、製作を依頼したのだそうです。
大人数で使っても耐えられるよう、
木材の中でも丈夫とされる「ナラの木」で頑丈に作られました。
そのテーブルと長椅子は、今でも学生達に大人気。
昔も今も、教室さながらにゼミや研究会が行われています。
そして、クリーム入りの優しい味のコーヒーと
ほんのり塩味のきいたパンが学生達を支えてきました。
こちらでも、創業時から、
予めコーヒーにフレッシュミルクを入れて提供しています。
京都の喫茶店ではしばしば見られるサービスなのですね。
また「進々堂」は日本におけるフランスパン発祥の地でもあり、その存在は全国の喫茶ファンに知られています。
「昔からBGMも流してませんし、
出来るだけ僕らの方からもあまりお客様には声をかけないように
その時間を無駄にしないようにはしてますね。」
創業者の曾孫で、4代目店主の川口さんがおっしゃっていました。
学生街の喫茶店には、心地よい時間が流れています。
進々堂 京大北門前
- 住所:〒606-8224
京都府京都市左京区北白川追分町88 - 電話:075-701-4121
美の壺2.いつもの一杯いつもの席で
先斗町 エスプレッソ珈琲「吉田屋」
鴨川と木屋町通りの間にある花街・先斗町のそばに、
昭和49(1974)年創業の喫茶店「吉田屋」があります。
「吉田屋」という屋号で代々、
和蝋燭屋や油屋、氷屋などを営んでいた家に生まれた谷康二さんは、
在庫を抱えなくていいという理由と、
淹れたてをすばやく提供したいという思いから、
エスプレッソの店を始めました。
康二さんが亡くなった後は、妻のフミ子さんが一人で切り盛りしています。
席はカウンターのみ。
花模様のようなタイルの可愛らしいカウンターです。
常連客は、歌や踊りの稽古の合間を縫ってやって来る
芸妓さんや舞妓さん達です。
店内には、芸妓さんの団扇がずらっと飾られています。
夏になると、自分の名を書いた団扇を配りに来るのだそうです。
先斗町の芸妓・もみ乃さんが注文したのは
豆を独自にブレンドしたコーヒーです。
フミ子さんが、イタリア製のエスプレッソマシンで一杯ずつ作った、
45年前から変わらない店の看板メニューです。
細やかな泡に覆われたコクのあるコーヒーです。
マイカップを店に置くもみ乃さんは、踊りの名手です。
次の稽古に向けての一杯は、「美味しい? よかった。」
先斗町の舞妓の秀華乃(ひでかの)さんは、
ソーダを頼みました。
先斗町の舞妓さんは、1人で喫茶店に行くことが出来ません。
「だから今日は、お姉さんたちと。6月から玉うさぎです。」
喫茶店では、普段の稽古では聞けないアドバイスも。
エスプレッソ珈琲
吉 田 屋
吉 田 屋
- 住所:〒604-8002
京都府京都市中京区木屋町
三条下る一筋目東入石屋町126 - 電 話:075-211-8731
- 営業時間:1:00〜22:00
- 定休日 :毎週火曜日
四条河原町「フランソア喫茶室」
京の繁華街、四条木屋町の四条小橋の西詰を
高瀬川沿いに南へ少し下がったところに「フランソア喫茶室」は、
昭和9(1934)年9月に開業。
昭和16(1941)年には、店の北側にあった町家を買い取って、
尖塔アーチ窓が彩るモダンな外観と、
ドーム型の天井や装飾を施した柱などを
豪華客船のメインホールをイメージしたイタリアンバロック調の内装に
改装。
また、当時まだまだ気軽に聴くことの出来なかった
クラシック音楽を流すお店として、
芸術・音楽好きの文化人や学生が集う店となりました。
戦禍も激しくなると店も休止に追い込まれますが、
戦後、再びサロンとしての役割を担います。
昭和22(1947)年に営業を再開し、
同時に南側の旧店舗に「ミレー書房」を開いて、
一般には入手困難だった洋書や思想・哲学書を販売しました。
更に昭和25(1950)年には、
書店部門の担当者が独立して「三月書房」を創業し、
南側店舗も喫茶室へと改装されました。
そんな文化的雰囲気に魅かれて、
文化人や芸術家達が「フランソア」に集まってきました。
俳優で演出家の宇野重吉さんもその中のお一人でした。
店の定番メニューの「クリーム入りのコーヒー」は、
宇野重吉さんがきっかけでした。
宇野さんは、いつも紅茶しか頼みませんでした。
「わしゃぁ、苦いのが苦手でな」
宇野さんのために、店は試行錯誤しました。
そして、ウィンナーコーヒーを参考に、
生クリームにエバミルク(無糖練乳)を混ぜた特製クリームを作り、
それをカップに入れ、そこに熱いコーヒーを注いだところ、
宇野さんにも気に入っていただけ、
以来、多くのお客様にも愛されるメニューとなりました。
- 住所:〒600-8019
京都府京都市下京区
西木屋町通四条下ル船頭町184 - 電話:075-351-4042
北区 高倉健さんが撮影終わりに足繁く通った通った「花の木(HANANOKI)」
烏丸通りと紫明通りの交差点近くの住宅街に、
赤と黒の配色のテントが目を引く喫茶店があります。
昭和41(1966)年創業の「花の木」です。
扉を開けると、古いヨーロッパ映画に出てきそうな
飴色に染まった空間が広がっています。
花模様の壁紙や床の白黒のタイルなどは開店当時のままです。
ここには様々な映画人達が集ってきました。
そして、テーブル5番が高倉健さんの指定席でした。
健さんは、京都・太秦の撮影所で任侠映画の撮影後、
まずは夕飯を食べ、サウナに行き、最後に「花の木」を訪れて、
夜中まで花の木で過ごしていたんだそうです。
カウンターの奥にあるジャン・ギャバンの特大パネルは
健さんからのプレゼント。
お店の壁の上下に、サイズがぴったりハマっています。
健さんのお目当ては、ここのブレンドコーヒー。
染め付けのカップに注がれたコーヒーに舌鼓を打ち、
ホテルまでお持ち帰りされていたこともあったそうです。
当時、アルバイトとして接客をし、
現在は店のオーナとなられた門田貞三さんによると、
健さんはサイフォンで淹れた軽めのコーヒーを好み、
必ず、おかわりをしていたと言います。
喫茶店でコーヒーを楽しんでいる姿は、
映画のイメージとはまた違っていたのだとか。
「スタッフの方とか俳優さん連れてきたら、仕事の話か?
まあ、聞き耳、立ててるわけじゃないし、分かりませんけど。
まあ、一生懸命しゃべりはりますよ。」
「不器用ですから‥」
その後、京都での撮影は減っていきましたが、
健さんは事あるごとに店を訪れていたと言います。
その健さんが亡くなられて5年。
そこには今も、コーヒーの香りが漂っています。
花の木
- 住所:〒603-8148
京都府京都市北区小山西花池町32-8 - 電 話:075-432-2598
- 営業時間:8:00~18:00
- 定休日 :日曜・祝日
美の壺3.いにしえに思いをはせる
東山区 「長楽館(ちょうらくかん)」(村井吉兵衛別邸)
東山区にある京都市最古の公園・円山公園。
その隣に明治42(1909)年に建てられた
実業家・村井吉兵衛の別邸があります。
「明治のタバコ王」と呼ばれていた村井はこの館を迎賓館として使い、
京の迎賓館として、国内外の様々なお客様をお迎えし、
優雅な佇まいの中、華やかなひとときを過ごしたのでした。
その建物を昭和43(1968)年から喫茶店として使い始めました。
中でも人気なのが、かつて応接室として使われていた部屋で頂く
アフタヌーンティーセットです。
村井が持っていた皿を載せるティースタンドが残されていたため、
京都でいち早くアフタヌーンティーを始めたと言います。
この建物は戦後、占領軍に接収され、荒れた状態でした。
それを先代が50年近くかけて修復し、明治期の姿を再現しました。
そして建物を残していく方法の一つとして、喫茶店を始めたといいます。
「110年前のその時、
伊藤博文公がここのお椅子に座らはったんかなとか
イメージとして思って頂けるようなという思いで
使わせて頂いております。」
東山五条 町家の喫茶店「市川屋珈琲」
かつて、「清水焼」の一大産地だった東山五条に、
町家を改装した喫茶店があります。
中へ入ると、柱や梁がそのまま残る落ち着いた雰囲気。
元は江戸時代後期に建てられた築200年を超える町家で、
明治以降は清水焼の窯元でした。
実家であるこの家の老朽化をきっかけに、
4年前、喫茶店として蘇らせました。
「うちの家も、父の代から山科の方に移って作陶を今でもしております。
更地にして新しく作るというのは、簡単なことなんですけども。」
かつて、かまどがあった場所には、コーヒーの焙煎機。
自家焙煎したコーヒーは、父と兄が作った清水焼で。
コーヒー豆の個性に合わせた色と形のカップで出しています。
コーヒーのお供は、旬の果物を使ったフルーツサンドです。
清水焼の器とともに、目でも味わいます。
「私自身もやっぱり清水の窯元の家で生まれたもんですから。」
200年の時を経て受け継がれる空間。
新しい伝統の形がここにあります。
- 住所:〒605-0874
京都府東山区鐘鋳町396-2 - 電話:075-748-1354