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イッピン「日本刀とのゆかりを生かして 島根・鉄製品」

<番組紹介>
島根県出雲地方は、日本刀に欠かせない玉鋼の産地。
そのゆかりを生かして
日本刀と同じ手順で作ったぺティナイフ。
また、刀の鍛え方を参考にしたフライパン作りを紹介。
島根県出雲地方は、
日本刀に欠かせない鋼鉄、玉鋼を生み出す唯一の場所だ。
そのゆかりを生かして、
地元の鍛冶師たちが台所用品を作った。
一つは日本刀と同じ材料、同じ手順で作り上げた
ペティナイフ。
しかし、一つだけ大きな壁にぶつかる。
それをどう乗り越えたのか?
また、コロナ禍で家食が注目される中、
評判を呼んだ鉄のフライパン。
カギは鉄の鍛え方だが、それは刀匠だった父や祖父の技と知恵を随所に生かしたものだった。
 
 
 
<参考1> たたら製鉄


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山深く豊富な森林資源と良質な砂鉄に恵まれた島根県奥出雲は、
『古事記』に伝わる八岐の大蛇退治伝説の地であり、
宝剣の「草薙剣」が
大蛇の尾から現れたと言われることからも分かるように、
古くから製鉄の技術が発達し、優れた鋼の産地でした。
 

 
 
日本に「鉄」が伝来したのは、
遅くとも弥生時代と言われています。
そして日本で本格的に製鉄が開始されたのは、
約1400年前からの5世紀から6世紀にかけてでした。

そして「鉄」生産の原料は、
初期段階においては「鉄鉱石」でしたが、
日本では「鉄鉱石」より「砂鉄」の方が豊富であったため、
次第に「砂鉄」が使われるようになっていき、
土で作った炉に「砂鉄」を入れて「鉄」を作る
日本独自の「たたら製鉄」が確立し、
日本独自の技術として発展を遂げていきました。

 
「たたら製鉄」とは「砂鉄」と「木炭」を原料として、
粘土製の炉の中で燃焼させることによって
鉄を生産する製鉄法です。
古代は「野だたら」といって、採鉄地に移動しては
露天で自然の通風を利用して銑鉄を得るという形で行われ、
森林資源を取り尽くすと他の場所に移動していました。

中世、近世と歴史を経る中でたたら製鉄の炉は次第に大型化し、
近世には「高殿」と呼ばれる建物の中で
固定して営まれるようになりました。
 
 
また近世には、「鉄穴流し」(かんなながし)という
山中にある「山砂鉄」を効率よく採集する方法が考案されたことから、
大量の砂鉄採集が行なわれるようになりました。
 
更に、江戸時代に「天秤鞴」(てんびんふいご)が開発されると、
鉄の生産能力が飛躍的に向上したのは勿論、
生産される鉄の質も向上しました。
こうして幕末から明治時代初期にかけて
「たたら製鉄」は最盛期を迎え、
出雲から輸出されていた「銑鉄」と「玉鋼」は、
東アジア全体の7割を占めていたとも言われています。
 

 
 
しかし明治に入り、西洋から安価な洋鉄が輸入されるようになり、
続いて日本国内でも洋式高炉による製鉄が本格化するようになると
次第に衰退し、
遂に大正12(1923)年には一斉に廃業に追い込まれました。
 

 
第二次世界大戦時の軍刀生産のため、
島根県内に「靖国鑢」(やすくにたたら)が創設され
一時的な復活はあったものの、
それも終戦とともに再度廃止、以後長期間に渡って途絶えました。
 

 
戦後の日本刀作成では、
「靖国鑢」で精製された「玉鋼」の残存分が用いられていましたが、
昭和40年代には、ほぼ底を尽きてしまいます。
重要無形文化財としての「日本刀の鍛錬技術」を保存するためにも、
原料である「たたら製鉄」で造られた「玉鋼」が必要となり、
昭和52(1977)年、「日本美術刀剣保存協会」は
旧「靖国鑢」の施設(安来製作所 鳥上木炭銑工場とりかみもくたんせんこうじょう)を復元、
「日刀保たたら」(にっとうほたたら)として復活しました。
同時に文化財保護法の「選定保存技術」として選定され、
国の保護のもと、今日までたたらの炎が守られています。
 
日刀保たたら
 
 
<参考2>玉鋼(たまはがね)

 
「玉鋼」(たまはがね)とは、
たたら製鉄の「鉧押し法」(けらおしほう)という
製鉄法により精製された、
ごく僅かにしか作ることの出来ない貴重な「鋼」(はがね)です。
 

 
原料の「真砂砂鉄」(まささてつ)約10tから
「鉧」(けら)として出来るのは約2.5t、
更に良質な「玉鋼」はそのうち約900kgしか得られないと言われており、
「玉鋼」がいかに貴重な素材かが分かります。
また「鉧押し法」は鉄を精製するのに3昼夜かかることから、
別名「3日押し」とも呼ばれています。
 

 
精製された鉄は、炭素量が多ければ「硬度」が増す一方、
「粘り」は落ち、折れやすくなってしまいます。
日本刀の原料となる「玉鋼」は炭素量が1~1.5%程度とされ、
非常に純度が高い鋼です。
そのため、「玉鋼」は非常にやわらかく伸びやすい性質を持っていて、
普通の鉄は力を加えると比較的容易に形を変えられますが、
「玉鋼」は熱を加えないと変形出来ないほどの硬度を誇ります。
日本刀が「折れず、曲がらず、よく切れる」と称されるほど
強靭な武器であったのはこのためです。
 

 
更にごく僅かに含まれている不純物も、
「折り返し鍛錬」と呼ばれる、叩いては伸ばし、重ねて、
また叩いては伸ばし、重ねるの作業を15回ほど繰り返すことで
徐々に分散・細分化されていきますので、
日本刀はより粘り強くなり、地鉄に美しい文様が生まれ、
研ぎ性を高められているのです。
 


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  • 住所:〒692-0011
       島根県安来市安来町1058
  • 電話:0854-23-2500
 
 
 

1.雲州幸光刃物(楠 亀代徳さん)

 
古来、奥出雲地方では、村の鍛冶屋により、
玉鋼と和鉄による鍛造で、優れた切れ味の農工具刃物造りが盛んでした。
 
雲州幸光刃物(うんしゅうゆきみつはもの)は、
江戸時代後期の1834(天保5(1834)年に
初代・勝蔵が鍛冶屋を創業したのが始まりです。
「幸光」(ゆきみつ)の号は、三代目の幸市が
農具刃物や包丁を専門に生産した時代に名付けられました。
現・五代目の楠 亀代徳(くすのき きよのり)さんは、
今なお、刃物造りの伝統の技を保持しながら生産研究を続けています。
 
楠さんは、「玉鋼」を使ってペティナイフ
「玉鋼本焼きペティーナイフ」「玉鋼割込三層ペティナイフ」を
製作しています。
玉鋼の包丁はとても高価なのですが、
ペティナイフであれば、
お手頃の価格に値段を抑えることが出来るためです。
 
 
炉の中で玉鋼を熱しては叩いて伸ばし、
更に切れ目を入れて折り返すことで、いくつもの層が出来ます。
そうして、長さ3㎝、厚さ7㎜の玉鋼の板を叩いて、
12㎝、厚さ1~2㎜のペティナイフの形を成形します。
 
次は、「焼き入れ」という工程を行います。
まず、刀身に、粘土や木炭、砥石の粉などを混ぜて作った
「焼刃土」(やきばつち)という土を
(むね)の方には厚く、刃の方には薄く土を塗ります。
そうしたら、炉の中で熱した後に一気に冷やします。
こうすることで、
土の薄い部分は炭素が鉄の中に閉じ込められて硬くなりますが、
厚い部分は炭素が逃げ出して柔らかくなります。
 
  • 住所:〒699-1802
      島根県仁多郡奥出雲町大呂1004-3
  • 電話:085-452-1260
 
 
 

2.鍛鉄のフライパン「鍛月」(鍛冶工房弘光・小藤宗相さん)

 
 
鍛冶工房弘光(かじこうぼうひろみつ)は、
江戸時代にルーツを持ち、10代に渡り続く鍛冶工房です。
プレス成形による大量生産が可能になった現代においても、
木炭による火で鉄を熱し、
1つ1つを職人が金鎚で叩いて自在に造形する
昔ながらの鍛造を行っています
 

 
古来の鉄の灯り器具の復元に取り組むとともに、
現代の生活に寄り添える鉄製品をデザイン、製作しています。
 

 
鍛冶工房弘光が手掛けた作品は、
シンプルでありながら、繊細で、
眺めているだけでうっとりするような美しさがあるばかりでなく、
機械では決して生み出すことの出来ない温かみがあります。
 
 
 
そんな鍛冶工房弘光が新たな挑戦として制作したのが、
鍛鉄のフライパン「鍛月」です。
 

 
細部には、これまで蓄積されてきた伝統の技と知恵が
随所に生かされています。
 

 
例えば、持ち手と本体を叩いて接合する「かしめ留め」は、
江戸時代から受け継ぐ伝統の技で、
わずか0.5mmでもズレると接合が出来ないという繊細さを要す、
熟練の職人だからこそ為せる技です。
「かしめ留め」により、
溶接より遥かに耐久性が上がり、
見た目にも美しく出来上がっています。
 

 
打ち鍛えて造られた『鍛月』は形が丸いだけでなく、
その名の通り、表面にはまるで満月のような模様が生まれ、
鍛えた証として唯一無二の表情をまとっています。
 
 
鉄は熱のまわりがよいため食材に火が通りやすく、
旨味をぐっと引き出してくれます。
また、平たく浅い形状と扱いやすいサイズのため、
調理をしたらそのまま食卓に出すことも出来ます。
 

 
鉄という素材が持つ魅力が存分に発揮されている
フライパンです。

 

 
 

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3.鐵泉玉鋼 ペティナイフ(奥出雲前綿屋 鐵泉堂)


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田部家は、紀州熊野から吉田に入部して
11代に渡って武士を務めた後、
1460年より「たたら製鉄」を生業とし、
宝暦4(1755)年からは松江藩の鉄師頭取として、
重要な役割を担っていました。
しかし明治時代以降に安価な洋鉄の輸入により
島根のたたら製鉄は大きな打撃を受け、
田部家も大正末期にたたらの火を消すこととなりました。
平成28(2016)年、田部本家第二十五代目当主・長右衛門さんが、
たたらを中心とした事業の再構築と地域づくり、
「たたら吹き」の復活を宣言。
令和元(2018)年5月プロジェクト発足と同時に、
約100年の刻を超えて「田部家のたたら吹き」が実施されました。
現在は春と秋の年間2回のたたら吹きを中核としながら、
大小様々なイベントや事業に取り組んでいます。

同年10月には島根県雲南市吉田町に「鐵泉堂」をオープン。
「たたら吹き」で造られた貴重な「玉鋼」で
ゴルフパターや包丁、靴べらなどの製造・販売をしています。
 

 
 
「ペティナイフ」は、エッジ部に「玉鋼」を使用した、
汎用性が高く、一般家庭でも普段使いが可能な小ぶりな洋包丁です。
 
「玉鋼」は島根県唯一の刀匠・小林俊司さん(小林日本刀鍛錬場こばやしにほんとうたんれんば)が
鍛錬したものを使用しています。
日本刀と同じ原料を用い、日本刀と同じ工程を経て生まれた包丁は
見た目にも美しく、まさに現代に蘇る刀剣と言える逸品です。
「切られたことに気付かない」程の切れ味と言われた
日本刀の世界を体感することが出来る、至高の包丁です。
 

 
 
 
 

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