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美の壺「悠久を染める 和更紗」<File 506>

<番組紹介>
インドの更紗(さらさ)を、
日本独自の染めものに発展させた「和更紗」
 
 ▽煎茶の一茶庵宗家が、
  とっておきの和更紗を公開!
  和更紗づくしの茶会も!
 ▽使う型紙は200枚以上!
  型紙と刷毛(はけ)の技が生み出す、
  極上の着物
 ▽気鋭の職人がよみがえらせる、
  1400年前のデザイン
 ▽佐賀・鍋島藩が門外不出とした
  「鍋島更紗」。
  昭和に発見された秘伝書の謎とは?!
 ▽鍋島更紗を受け継ぐ人間国宝、
  木版の圧巻の技!
 
<初回放送日:令和2(2020)年6月26日 (金)>
 
 
 
鮮やかな色彩のエキゾチックな模様の染め物
「和更紗」(わさらさ)
 
「和更紗」とは、桃山時代から江戸時代に
インドから渡ってきた更紗 (「日本古渡更紗」)を
模倣して作られた日本製の更紗を指します。
何枚もの型紙を重ねていくことで、
鮮やかな色彩で繊細な模様が生まれた、
木綿の染色布のことをいいます。
 
煎茶の世界では、
エスプリの効いた和更紗の華が開きます。
九州・鍋島藩では、
門外不出の和更紗の秘伝書があったとか。
鍋島の美意識が現代に蘇ります。
新進気鋭の和更紗職人が1400年前の文様に
挑みます。
今回の「美の壺」では、「究極の手仕事」と
言われる「和更紗」の魅力を探っています。
 
 

美の壺1.「異国」
    ~憧れを染める~

 

文人と和更紗
(一茶庵宗家・佃 一輝さん、梓央さん)

 
 
大阪・天満橋のビル街の一角に、
江戸時代半ばから文人達の間で広まった
煎茶の世界を今に伝える茶室があります。
こちらで「文人会 一茶庵」(ぶんじんかい いっさあん)
宗家・佃一輝(つくだ いっき)さんが
茶会の準備をしていました。
 
佃さんによると、煎茶道では
「更紗」を好んで使うのだそうです。
江戸時代の文人達は舶来の裂(きれ)を大切にし、
煎茶の道具を包んだり、
掛け軸の表具に使ったりしていました。
 
「和更紗」(わさらさ)のルーツは、
「インド更紗」です。
「インド更紗」の起源は古く、
B.C.3世紀頃には既にインドで
木綿の栽培及び染織が始められていたと
言われています。
インドで生まれた「インド更紗」は、
重要な交易品として扱われ、
全世界に広がっていきました。
 
日本には、大航海時代に、
ポルトガルやオランダからの貿易船によって
もたらされました。
色鮮やかで異国情緒ある「更紗」は新鮮で、
異国に憧れる茶人達を魅了し、
仕覆や帛紗などの茶道具として加工されたり、
煎茶の茶会でも珍重されてきました。
 
今回の茶会に使われる
「茶銚」(ちゃちょう)と呼ばれる、
China宜興(ぎこう)の急須には、
「インド更紗」の仕覆を合わせます。
更紗模様に金を重ねた「金更紗」という
贅沢なものです。
 
茶銚(ちゃちょう)
「横手」の急須に対し、注ぎ口と持ち手が
一直線上にある、ティーポット型の「後手」の急須のこと。
 
 
煎茶碗を包んでいた「仕覆」(しふく)は、
江戸時代に作られた、扇子の模様がリズミカルにちりばめられた「和更紗」です。
 
「インド更紗」は次第に、日本人好みの模様が
作られるようになっていきました。
「扇手」や「紋尽くし」などは、
日本でしか発見されていない独自の模様です。
 
 
「和更紗」三昧の茶会が始まりました。
点前をするのは、息子の梓央(しおう)さん。
 
 
江戸時代、煎茶を嗜んだ
「文人墨客」(ぶんじんぼっきゃく)は、
漢詩を詠み、南画を愛でるなど、異国の文化に
親しみました。
「和更紗」を様々に敷き詰めて、
エキゾチックな魅力に酔いしれたのです。
 
 
本日の茶会に飾られた「掛軸」は、
18世紀初頭の文人・頼山陽(らい さんよう)
友人の南画家・浦上春琴(うらかみ しゅんきん)
宛てたお礼の手紙です。
 
「昨日一緒に遊びに行って、
 帰りがけに思わず花柳界に遊びに行って、
 家を通り過ぎてしまったね」
という色っぽい内容のものです。
その色っぽい内容の軸を飾るのが、
ほころび始めた小花模様の「和更紗」です。
赤と桃色の花が散りばめられています。
 
煎茶道具飾りの下に敷く「茶具褥」(さぐじょく)にも
花柳界の女性達のきらびやかな衣装をイメージ
した和更紗を敷き詰めました。
更紗1枚で世界観が変わるという佃一輝さん。
1滴のお茶を飲んで、イメージを広げていく
面白さがあります。
 
 

江戸更紗
(三代目更勝・青木章三さん)

 
東京都葛飾区堀切ある和更紗の工房
「三代目更勝」(さらかつ)は、
江戸時代末期に創業し、
戦後、名工・三代目更勝の青木新太郎氏が
絹地に「更紗」を施すという
現代の「江戸更紗」の基礎を作りました。
4代目の青木章三さんは、
名人の父より技を引き継ぎ、
伝統の技とモダンで現代にマッチした色合いを
融合させました。
 
 
青木さんの朝は、
土間に水をまくことから始まります。
染める前に湿度を上げないと、
色が上手く出ないのだそうです。
湿度を保つために、
工房はむき出しの土間になっています。
 
工房には、「型紙」が水に浸してありました。
江戸時代、異国から入ってきた「更紗」を
日本でも作りたいと、職人達が目を付けたのが
小紋を染める際に使う「型紙」の存在でした。
型を用いて摺る技法が生まれ、
量産が可能になっていきました。
 
青木さんは、まず輪郭となる線を染めますが、輪郭だけでも4枚の「型紙」を使います。
最初の1枚だけでは、まだ線が繋がっていませんが、「型紙」を重ねることで、線が繋がり、
模様が出ててきます。
 
「型紙」は少しでもズレてしまうと
台無しになってしまいます。
「型紙」には、「星」と呼ばれる小さな印が
記されています。
その「星」は模様の中に隠すという
先人の知恵が刻まれています。
対角線にある「星」を合わせれば、
型紙を何枚重ねてもズレることはありません。
 
壁には、代々使い継がれてきた「刷毛」(はけ)が並んでいます。
「和更紗」には、鹿の毛を使った専用の
「丸刷毛」が使われます。
力を入れず、型の隅々まで色を挿していくと、
色が入り、模様が浮かび上がってきます。
 
 
模様の中に模様を重ねて染めた
「染めの超絶技巧」とも言われる
「寄裂模様」(よせぎりもよう)は、
様々な更紗文様を集めて構成した染め方で、
一枚の布を数種類の文様に染め分けます。
数倍の手間が掛かり、神経も使います。
 
青木さんの最高傑作では、
200枚以上の型紙が使われています。
思いを重ねて輝く和更紗の魅力です。
 
三代目更勝
  • 住所:〒124-0006
    東京都葛飾区堀切3丁目28-6
 
 
 

美の壺2.「意匠」
    ~時を超えるデザイン~

「和更紗」江戸デザイン
(本の装丁家・熊谷博人さん)

 
本の装丁家・熊谷博人(くまがい ひろと)さんは、
「和更紗」を装丁に使ったことがきっかけで、「和更紗」を蒐集・調査を始め、
今では「和更紗」の研究家としても活躍されています。
 
熊谷さんの「和更紗コレクション」は、
江戸から明治にかけての布や着物など、
1000点以上に及びます。
 
表に着る着物と下に着る着物の間に着る
「間着」(あいぎ)と呼ばれる着物に
華やかな色と柄の「和更紗」が用いられています。
江戸時代後期、幕府は贅沢を禁止する
「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)を発令して、
着物に関して身につけられるのは、
素材は「麻」「綿」、色は茶」「鼠」「藍(納戸色)」のみ
に限定しました。
ならばと、木綿に思いっきり派手な柄を染めて着るのが、江戸のお洒落術でした。
 
「火事と喧嘩は江戸の花」。
「火消」は当時、人々が憧れた職業でした。
「火消」は頭巾を被り、頭から水をかぶって
消火・救出に当たりました。
この頭巾の裏側にもお洒落な「和更紗」が
使われています。
 
「和更紗」で人気の柄は花模様。
それも日本伝統の四季折々の花ではなくて、
「楽園」に咲いているような、
エキゾチックな花模様が好まれました。
好奇心が布一面に溢れています。
 
 

期待の和更紗職人・中野史朗さん

 
石川県輪島市の中野史朗(なかのしろう)さんは、
「和更紗」の伝統を受け継ぐ期待の職人さん
です。
 
中野さんは、建築設計事務所に勤務の後、
手仕事の職人に憧れて「型染め」の世界に
飛び込みました。
「和更紗」ならではの、
何枚もの型を重ねて細かい模様を多色染めする
伝統的な技法を残したいという思いから、
平成25(2013)年に和更紗職人として独立しました。
 
中野さんの仕事に欠かせないのは、
7mにも及ぶ「長板」です。
2017年に亡くなられた師匠で江戸小紋師の
藍田正雄さんから譲られた大切な宝物です。
藍田さんの職人の歴史が染み込んだ
樅木(もみのき)の一枚板です。
 
その「長板」に布を張り、制作が始まります。
染めているのは、江戸時代の「和更紗」にも
しばしば登場する「雨龍」(あまりょう)という
模様です。
「雨龍」は、Chinaの想像上の動物で、
日本では水神として崇められる龍です。
 
「江戸時代の『和更紗』は、
 動物なども割と自由に図案化されていて、
 この雨龍も『これ龍です』と言わないと
 分からない紋様化させた面白さがあります。
 龍がこんなに可愛らしくて、
 先人のデザイン力は凄い」
 
この「雨龍」の紋様は、家紋の他、
小紋柄にも多く見られます。
中野さんは帯の模様にしたり、
お守りの模様にも使っていました。

 

中野さんは今、古典の名品を
「和更紗」で表現しようとしています。
中野さんが参考にしたのは、
法隆寺に伝わる1400年前の織物、
国宝『四騎獅子狩文錦』(しきししかりもんきん)
4人の狩人が獅子に向かって矢を射る場面です。
 
江戸時代には、「ベンガラ」などの
顔料を使って染めていたことから、
中野さんも胡粉や藍など天然の顔料に
こだわって染めてます。
中野さんが目指すのは、
悠久の時を感じさせる優しい色合いです。
21枚の型紙を重ねて文様に命を吹き込み、
1400年の時を超えて、
「和更紗」に蘇った馬上の狩人。
時代を超えて、また一つ物語が生まれました。
 
「型紙と言うのは、
 作成する中で必ず制約があり、
 割と不自由なところが多いのですが、
 その中で動きのあるような染め物が出来ると
 良いな」
抱負を語る中野さんでした。
 
 
 

美の壺3.「秘伝」
    ~よみがえる幻の技~

「鍋島更紗」の復活(鈴田照次)

 
鍋島藩の城下町、佐賀市の佐賀県立博物館には
鍋島藩ゆかりの貴重な品々が残されています。
 
佐賀県立博物館
  • 住所:〒840-0041
       佐賀県佐賀市城内1-15-23
 
和更紗の産地としては、長崎、京都、堺、
江戸、鍋島、天草、彦根などが有名です。
 
鍋島藩の庇護の下に作られた
「鍋島更紗」(なべしまさらさ)は、
献上品としての更紗という意味合いが強く、
参勤交代の時に、江戸への贈答品として
作られたという高価な「和更紗」です。
 
「鍋島更紗」には、他にはない特徴があります。
くっきりと際立つ輪郭線。
深みのある色彩で、濃密に描かれた模様。
しかし廃藩置県後は、技は衰退し、
大正になるとすっかり途絶えてしまいました。
 
昭和34(1959)年、一冊の書物が発見され、
鍋島更紗の秘伝書ではないかと思われました。
型絵染の染色家・鈴田照次(すずた てるじ)氏は
この「鍋島更紗秘伝書」と「見本帖」を基に
鍋島更紗の解明と復元を開始しました。
 
照次さんは、自ら秘伝書をそっくり写し取り、
技の解明に取り組みました。
「鍋島更紗秘伝書」には、模様の染め方や
染料の調合などが書かれていましたが、
どうしても解明出来ない言葉がありました。
「地形」(じがた)と「上形」(うわがた)です。
「鍋島更紗秘伝書」には、
「技の核心部は口伝えでのみ教える」と
書かれているだけです。
 
謎を解くため、照次さんは「更紗」の本場、
インドや東南アジアを旅して、その解明に
奔走します。
そして、インドのベンガル湾沿いの小都市、
マスリパタム(更紗の村)で
「ブロック」と言われる「木型」に出会います。
これを自ら彫り、試し摺りを繰り返す日々。
やがて「地形」「上形」に辿り着きました。
「地形」(じがた)とは輪郭線となる版で、
「上形」(うわがた)とは
更に細かい模様をつける版のことでした。
 
照次さんは「鍋島更紗」の技を解き明かし、
「木版摺更紗」(もくはんずりさらさ)という
独自の手法を確立しました。
 
 
「能古見(のごみ)人形」は、
佐賀県鹿島市で作られている郷土人形です。
昭和20(1945)年、戦後の荒みがちな世の中を
明るく楽しいものにという想いから、
染色家の鈴田照次さんが作り始めたものです。
 

「木版摺更紗」(人間国宝・鈴田滋人さん)

 
人間国宝の鈴田滋人(すずたしげと)さんは、
父・照治さんの技を受け継ぎ、
「鍋島更紗」を更に発展させた作家です。
 
 
「木版摺更紗」(もくはんずりさらさ)は、
文様の輪郭線などを「木版(地形)」による
摺りで行うとともに、
その木版に合わせて彫った「型紙」を用いて
染料や顔料を刷毛摺し、
更に「木版(上形)」で線描き等を摺り出すという
木版摺と型紙摺を併用する独特のものです。
 
鈴田滋人さんは、木版を一つ一つ、自らの手で
彫って作ります。
今回は2つの木版を使って制作します。
まずは木の実のような版に墨を付けて
文様の輪郭を摺ります。
 
「木版摺更紗」の面白さは、
デザインが無限に広がることだと
おっしゃいます。
 
「2つだけの模様の繰り返しだったら、
 単調なリズムになってしまいますが、
 それをくっつけたり広げたりすると
 間と空間が出来、まさにマジック。」
 
2つの木版の連続模様の妙。
着物の場合は、この作業を2000回、3000回と
繰り返すそうです。
 
「木版」が終わったら、
次は「型紙」で染めていきます。
 
2つの「木版」と「型紙」により、
洗練されたデザインが生まれました。
鈴田さんのデザインの源は、
いつも自然界から与えられます。
 
 
「自然の見方っていうのが
 少し変わってきたんですよね。」
 
ムラサキツユクサの花と葉はモダンな図案に。
秘伝の技は時を超えて、
新たな伝統を生み出し続けます。
 
 

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