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イッピン「雅でモダン、木版の技 京都・紙製品」

<番組紹介>
ポップな模様と色使いが評判の紙製品がある。
京都の木版画職人が、1枚1枚和紙を手ずりしたもの。
金という特殊な色の上に色をのせていく、
京都独特の特殊な技法に迫る。
 
ポップな模様と色使いが評判の紙製品。
京都の木版画職人が、1枚1枚和紙を手ずりしたものだ。
王朝文化を育んできた京都では、
襖紙にみやびな模様を施したり、
豪華本を出版したりする際、
金や銀、また雲母から作ったキラを紙にすりこむ
木版画の技法が発達してきた。
最近では、洋室に合うランプシェードや、
自由な使い方ができるプリント和紙などに、
この伝統の技法が使われている。
京都ならではの木版画の技を紹介する。
 
<初回放送日:令和(2023)年1月27日>
 
 
「京からかみ」とは、美しい模様が彫られた木版に、
一から作った唐紙を当てて、刷ったものです。
 
 

1.「丸二」摺師・工藤祐史さん


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「唐紙」(からかみ)とは、元々Chinaから輸入した紙のことです。
遣唐使時代に輸入され、和紙がまだない時代から使われていました。
その後、遣唐使廃止により輸入されなくなると、
貴族達が詩や和歌を書き、写経をする「料紙」(りょうし)として、
「唐紙」に代わって国内で生産した「からかみ」が
京都で作られるようになりました。
「からかみ」は、
和紙に木版手摺によって写し取られる美しい装飾紙を指し、
平安時代に和歌を筆写するための
「詠草料紙」(えいそうりょうし)として用いられたことが
起源とされます。
 
鎌倉、室町時代の頃からは建築様式の変化に伴い、
衝立や屏風、やがて襖や壁紙などの室内装飾に
用いられるようになりました。
 
江戸時代には花開き、神社仏閣のみならず、
武家や公家、町人や茶人などに幅広く愛でられた文化となりました。
 

 
「唐紙」は主に「京からかみ」と「江戸からかみ」に分かれます。
「京からかみ」は従来の唐紙製作の技法を受け継ぎ、
手摺りによる加飾を主としています。
一方「江戸からかみ」は、
江戸時代に「京からかみ」から独自の発展をし、
粋な町人文化を反映しものです。
 
「唐紙」は、鳥の子紙や黒谷和紙などの「和紙」に、
雲母(きら)や胡粉(ごふん)などを粉末状にして
布海苔(ふのり)を混ぜた「絵の具」を用いて、
木版摺りの技術で文様をつけた加工紙です。
 

 
・雲母(きら)
 花崗岩の中の薄片状の結晶を粉末にしたもの。
 独特の光沢と白さがあり、上品に光を反射させます。
 
・胡粉
 ハマグリやカキの貝殻を砕いて粉末状にしたもの。
 顔料や岩絵具に混ぜて使います。
 
・篩(ふるい)
 唐紙独特の道具。
 杉などの細長い薄板を丸めた枠に
 寒冷紗やガーゼを張ったものです。
 これを使って絵具を版木に移します。
 
 
摺師(すりし)の工藤祐史さんによると、
版木に乗せる絵の具の調合が何より大事だといい、
雲母を砕いた「キラ」が光を反射して模様を光らせます。
 
「キラ」に顔料、布海苔(ふのり)と呼ばれる接着剤を加えて
水で溶かし、
篩(ふるい)という道具に塗りつける。
篩(ふるい)をペタペタと版木に押し当てることで、
広範囲かつ均等に絵の具を乗せることが出来ます。
 
 
工藤さんは、絵の具の水分が適量だと、
版木に篩(ふるい)を押し当てた際に
特徴的な音がするとおっしゃいます。
水分量が多いと、柄は不明瞭になるそうです。
 
和紙を版木に当てた後の手の感覚も重要で、
機械では味わい深い濃淡を作り出せないそうです。
 
  • 住所:〒600-8076
       京都府京都市下京区泉正寺町462
  • 電話:075-361-1321
 
 
 

2.「竹笹堂」5代目竹中健司さん


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明治24(1891)年、「老舗手摺匠 竹中木版」は、
1200年もの歴史ある「木版印刷」の摺りを担う工房として、
京都で創業しました。
 

 
竹笹堂(たけざさどう)は、
「竹中木版」の5代目竹中健司さんが
「このままでは木版印刷は技術継承もできなくなり、
 周辺産業も衰退する」と
危惧して立ち上げた、工房兼ショップです。
本来分業制であった、絵・彫・摺の工程を一つの工房で出来る
唯一の工房です。
 
 
京都には、料理屋・お菓子屋・和装品などの
商業的木版印刷を必要とする老舗が数多くあり、
その摺り物に携わるとともに、その包装紙などのパッケージや
JR西日本の寝台列車TWILIGHT EXPRESS 瑞風のポスターのようなものなど、
新しいデザインで展開した作品商品は、
その技術は国内外から高く評価されています。
 

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「竹中木版」6代目の原田裕子(はらだゆうこ)さんは、
大学在学中に「竹中木版」の門を叩き、
5代目・竹中健司さんに師事して修業を積み、
大学卒業後は「竹笹堂」に入社し、数々の制作に携わり経験を重ね、
その実力を認められ、
「竹中木版」の6代目・摺師(すりし)を襲名しました。
 

 
原田さんは、「絵師」「彫師」「摺師」それぞれの役割を
1人で一貫して行うことから「木版師」(もくはんし)とも
呼ばれています。
 
原田さんは、木版画を活かしたオリジナル商品を強化すべく、
木版画デザイナーとしても活躍しています。
本の装丁やテキスタイル、生活雑貨まで多岐に渡ります。
最初に担当したのは「ブックカバー」。
飾って楽しめるモダンな「季節の木版画」シリーズも誕生しました。
また、柄が繋がる「連柄」(れんがら)版画は、
その軽やかなパターンがタオルやスマホケースなど
多様に展開されています。
 

 

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また「竹笹堂」では、全国の自社仏閣に眠る
「古版木」や「古版画」の修復・復刻事業なども手掛けています。
最近では、世界で1番古い木版印刷「百万塔陀羅尼経」の復刻を始め、
仏画・教本などの復刻修復、
「嵯峨本」(さがぼん)木活字の復元制作、
浮世絵木版画の研究復刻など、
木版印刷伝来の技術を読み解く制作を数多く行っています。
 

 
江戸時代に京都で作られた「嵯峨本」は贅を凝らした印刷本で、
「竹中木版」の初代も「嵯峨本」に携わったと伝えられています。
 
江戸時代初期、王朝文化の復興を目指し出版された
「嵯峨本」(さがぼん)とは、京都の嵯峨の地を舞台に、
慶長・元和(1596~1624)にかけて、
本阿弥光悦や角倉素庵(すみのくらそあん)らの一派が
刊行した書物で、「光悦本」「角倉本」とも呼ばれています。
光悦は、行・草書体の漢字と平仮名よりなる「木活字」、
2字、3字、稀には4字を繋げた「連綿体」と呼ばれる活字を
作った他、鹿や蝶、梅などの模様を雲母(きら)で料紙に摺るなど、表紙や挿絵、装丁にも美術的かつ工芸的な意匠を施しました。
「嵯峨本」により、金や銀などで装飾された和紙に版画を施す技法は、ますます発達していきました。
 


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師にして工房「竹笹堂」の5代目である竹中健司さんは
「京版画」の第一人者で、絢爛豪華な作品を発表しています。
 

 
版画に用いる絵の具の多くは、摺ると和紙に染み込んみますが、
金の絵の具は粒子が大きいので染み込みにくいため、
金の膜の上に色を重ねていくのですが、
そのためには絶妙な力加減が求められるのだそうです。
そうすることにより、絵筆で描いたのような伸びやかな線や
擦れた線まで表現することが出来るそうです。
 

 
竹中木版 竹笹堂
  • 住所:〒600-8471
       京都府京都市下京区綾小路通
       西洞院東入ル新釜座町737
  • オンラインショップ
 

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