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美の壺スぺシャル「家具」

<番組紹介>
今回の美の壺スペシャルは「家具」がテーマ
 
 ■ 世界の名品から日本伝統の家具まで
 ■ 若い世代に大人気!
   釘を使わない丸ちゃぶ台は
  “用の美”の結晶
 ■ 民芸家具の職人技が作り出す
   心地よさの秘密とは?
   経験が削り出す極上の座り心地
 ■ 歌舞伎俳優、中村隼人さんの
   鏡台に秘められた伝統への思い
 ■ 雪国の気候が生み出す「たんすの女王」
 ■ 祖母の思い出の家具の修理に密着。
   家具が織りなす日本の生活を
   切り取ります。
 
<初回放送日:令和5(2023)年4月26日 > 
 
 
 

美の壺1.暮らす:共に暮らす

古民家とアンティーク家具
(「antiques BAGATTO」主宰・塩見奈々江さん)

 
ヨーロッパの古道具を扱う専門店
antiques BAGATTO(アンティークス・バガット)
営む塩見奈々江(しおみ ななえ)さんは、
栃木県足利市にある明治35(1902)年に建てた
築121年の古民家に暮らしています。
 
塩見さんは東京で生まれですが、お母様が
アンティークジュエリー店を経営していた関係で、
幼い頃から海外に出掛けたり、
英ロンドンに住んでいたこともあるそうです。
また、伊フィレンツェの大学への留学を機に、
18歳から10年間はイタリアで暮らしました。
 
ヨーロッパの人達が古い家に住む姿に憧れ、
日本で同じように出来ないかと8年前に
夫の塩見和彦(しおみ かずひこ)さんとともに
東京から足利へ移住して来ました。
現在は、実店舗は持たずに、
東京と栃木県足利市を行き来しながら、
イベントや展示会での販売を中心に活動しています。
 
古民家は、購入した当時はかなり劣化していた上に、
昭和期にべニヤ板を使ってリフォームしていたところ
もあったため、何年もかけて修復をしたそうです。
 
そうして生まれ変わった古民家は、一見、
昔ながらの日本家屋をそのまま再現したようですが、
ディテールに目を凝らすと、
英国やイタリアの田舎の家の香りが
そこはかとなく漂っていることに気付きます。
 
玄関を入ると広がる大きな土間、
そして土間から続く和室の続き間には、
塩見さんがコツコツと集めた
お気に入りのアンティーク家具が
置かれています。
 
 
土間には、カナダ製の薪ストーブ。
その前には1860年代の英国製の
ウィンザーチェアが置かれています。
この空間に寛げる椅子はどんな感じかを
頭の中でイメージを膨らませていたところ、
それにピッタリ当てはまるものを英国で見つけ、
購入して持ち帰ったそうです。
 
 
和室には、畳、縁側、火鉢と、一見すると、
懐かしい日本のお茶の間のようですが、
韓国の「バンダジ」という半閉櫃を置いて、
その中に、テーブルクロスや毛布など、
沢山の布物を収納しています。
 
奥のダイニングスペースにある
テーブル、椅子、食器棚はイタリア製です。
これだけいろいろな国のものがあるのに、
全く違和感なく調和しているのは、
その全てが無垢な自然素材で出来た古道具だから。
 
 
割と素朴なものを好むという塩見さんは、
家具の年代や国を問わず、気に入ったものを
使っています。
パッと見て、どこの国のものなのか
よく分からない方が好きだとおっしゃいます。
そして、あまり主張しない家具を選ぶことで、
全体が調和するのだそうです。
 
鏡台のように見えるのは、
古民家に残されていた箪笥と
英国の古い鏡を合わせたものです。
異なる国で作られた家具ですが、
まるで初めからセットであったかのように
組み合わされています。
 
家具選びで塩見さんが最もこだわるのは、
「空間に合わせること」。
家具だけを切り取るのではなく、
家と一緒にその空間作りの一部として
コーディネートすることです。
日常に必要なものの中で暮らしていくということは
凄くホッとするとおっしゃっていました。
 
 

古い日本家具の専門店
アンティーク山本商店」山本明弘さん)


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東京世田谷区にある「アンティーク山本商店」は
アンティークの和家具を専門的に扱うお店です。
 
創業は昭和20(1945)年。
店内には、江戸時代後期から、明治・大正に、
昭和の初めから昭和30年代くらいまでの時代家具が、
常時2500点程並んでいます。
隣接する工房では、職人さん達が一点一点大切に
修理を施しています。
 
 
3代目店主・山本明宏さんによると、
古い日本家具の魅力は
長く使えるということ、
一見シンプルなのに存在感があり飽きが来ないこと、
デザイン性と材料や作りの良さ
とおっしゃいます。
 
昭和30年代に作られた、
何とも言えない色合いと味わいを持った
「本箱」を紹介していただきました。
 
材料はナラ材です。
側面まで全て1枚板で作られているため、
しっかりした作りになっています。
食器棚、自分のコレクションの収納、
衣類を畳んで入れたりと、
「本箱」以外にも
様々な用途に利用することが出来ます。
 
扉の縁は、木目の向きを変えて
単調にならないよう工夫されている他、
取手をつける場所には線を入れて
デザイン性を高めているなど、
シンプルな中にも、職人の遊び心が
随所に散りばめられています。
 
 
 
店の一番人気は、昭和30年代に作られた
「丸卓袱台」(まるちゃぶだい)です。
卓袱台の一番の特徴は「折り畳める」こと。
狭い日本の部屋に合わせた工夫です。
 
折り畳み式のこの卓袱台は、
「折り畳み式の2組の脚」「天板」
「脚を収納する幕板」
「跳板(脚を固定させる2枚の脚押さえ)」で
構成されています。
釘を使わずに、なるべくコンパクトにという
発想の元に作られた構造です。
 
 
脚を取り付ける時は、組み立てた状態で、
天板に付けます。
これはとても技術のいる仕事なのだとか。

脚を支える棒は形を少し変え、デザイン性も追求。
天板の縁に彫ってある溝は、お茶をこぼしても
床に垂れないよう機能性も考えられています。
 
時間がゆっくりしていた時代、
ひとつの卓袱台を丹精込めて作った昔の職人達。
何気ない日常を、より便利に、
少しでも豊かにしようという
職人の思いが込められています。
 
 
  • 住所:〒155-0031
    東京都世田谷区北沢5丁目6-3
  • 電話:03-3468-0853
 
 

お気に入りの丸ちゃぶ台
(岩崎杏さん)

 
岩崎杏(いわさき あんず)さんのご自宅を訪ね、
最近ご購入されたというミニサイズの
「丸卓袱台」(まるちゃぶだい)を見せていただきました。
 
岩崎さんは 、何かを食べたり、本を読んだりする
ための「台」を探していたそうですが、
なぜか新しいものを探していた時には
ときめきを感じませんでした。
 
そこで、古くて丸い「卓袱台」を購入。
深い色、誰かが使ってきた傷など、
新しいものには出せない深みがあると、
大変お気に入りのご様子。
 
 
岩崎さんは元々古いものが好きで、
築50年のアパートに暮らしています。
最近は「アナログレコード」にはまっていて、
聴くのは、中森明菜さんや山口百恵さんなど
昭和のアイドルだそう。
 
 
古いから良いという訳ではなくて、
新鮮さを感じるのだとおっしゃる岩崎さん。
購入した「丸卓袱台」も、
単に「ノスタルジー」に留まるだけではない
魅力があるとおっしゃいます。
 
まずは、畳めるところが便利。
ご飯を並べた時に丁度良い大きさなところも
気に入っているそうです。
お気に入りの家具と暮らすことで、
心地良い空間が生まれ、心が豊かになるそうです。

 

美の壺2.「すわる」
すわって、触って、眺めて

 

椅子の名品(椅子研究家・家具デザイナー・織田憲嗣さん)

 
日本の家具デザイナーで椅子研究家としても知られる
織田憲嗣(おだ のりつぐ)さんは、
現在、「旭川家具」の産地として名を馳せる
北海道旭川市に隣接する東神楽町の森の中に佇む
織田邸で暮らしていらっしゃいます。
 

織田さんは、長年に渡って、
優れたデザインの家具を収集・研究し、
「椅子」は1400脚超の他、
「テーブル」「照明」「カトラリー」なども
8000点も所蔵しています。
これらは「織田コレクション」と呼ばれ、
一部は東川町に寄贈されています。
 

higashikawa-bunnkazai-archive.jp

 
織田さんは20代から、「椅子」の魅力にはまり、
50年かけて集めてきました。
 
「椅子」は、人間の体に最も近い道具です。
家具のデザインの中で、最も難易度の高い家具で、
小さな建築とも呼ばれています。
 
「椅子」は、様々な体型や座り方に合わせながら
強度を持たせ、かつデザインします。
使えるという実用性も備えているだけでなく、
そこに置いておくだけで美しいという
鑑賞の機能もある、実に奥の深い世界です。
 
「美の壺」では、織田さんお気に入りの
デンマークのミッドセンチュリーの椅子の名品が
紹介されました。
 


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Chieftain Chair(チーフテンチェア)
【デザイン:Finn Juhl / 1949】
織田さんのお気に入りの1つ。
デンマークを代表するデザイナー・
Finn Juhl(フィン・ユール)の手によって
1949年に誕生した椅子
初めて写真で見た時に衝撃を受けたという
名作椅子です。
堂々としていて威厳を感じます。
特徴は、背もたれと後ろ脚を三角形にする
ことで、十分な強度を持たせていること。
肘掛けは独特のアーチ形をしていて、
デザイン性と手を置いた時の心地良さを
追求しています。
広めの横幅と後ろに沈みこんだ座面と
逆三角形の背もたれが威厳を醸し出して
います。
1番のポイントは後ろ脚の耳の部分。
座ると包まれるような座り心地。
単に機能性だけでは済まされない
満足感を得ることが出来ます。
 
 
PP-501 / The Chair(ザ・チェア)
【デザイン:Hans J. Wegner / 1949】
1960年アメリカ大統領選の討論会で、
ジョン・F・ケネディが座り、
「The Chair (ザ・チェア)=椅子の中の椅子」と
呼んだことから、世界中にその名が知られる
ようになった「PP-501」。
背もたれから肘掛けにかけてねじれた曲線が
体を優しく包んでくれます。
 
 
Propeller Folding Stool
(プロペラスツール)
【デザイン:Jørgen Gammelgaard/1970】
 
デンマークのデザイナー、
ヨルゲン・ガメルゴーがデザインした
「Propeller Folding Stool」 (プロペラスツール)
呼ばれる折り畳みの椅子。
X字を作り出すプロペラのような形状が
まるでオブジェのようです。
 
 

椅子と暮らす家(椅子研究家・家具デザイナー・織田憲嗣さん)


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織田憲嗣(おだ のりつぐ)さんは、
「椅子」好きが高じて、
「椅子」を中心とした家具のための家を作りました。
 

 
リビングルームには、
至る所に50脚余りの椅子が置かれています。
織田さんは、お気に入りの椅子や家具を
どのように配置するのかを決めてから、
部屋を設計したそうです。
 
椅子は50脚以上もありますが、その時の気分で
どの椅子にも腰掛けます。
どれほど貴重で、どんな名品であろうとも、
必ず使うという織田さん。
使ってみないと本当の良さは分からないのだそう。
 
織田さんのお気に入りの場所は「長椅子」。
愛犬がいた頃は、
先を争ってこの長椅子に座ったそうです。
脚の間に愛犬が座り、食後にうたた寝をするのが
至福の時でした。
 
外の景色をゆっくりと眺めるために作られた部屋も
あります。
 
「椅子はそれぞれの時間、それぞれの場所で、
 それぞれ違う喜びを与えてくれます。
 椅子は最も身近な存在で、
 生きる目的を教えてくれました。
 飽きたことはありません」
 

 
 

椅子の歴史

古来より「椅子」は権力の象徴でした。
 
ツタンカーメン王の「黄金の玉座」

 
例えば、古代エジプトのツタンカーメン王の
「黄金の玉座」(ぎょくざ)
 
左右の肘置きには、正面を向いた獅子(ライオン)の
彫り物が施されています。
きっと王様をお守りするための「魔除け」の役割を
担っていたのでしょう。
 
黄金に輝く背もたれには、王宮の部屋で寛ぐ
ツタンカーメン王と王妃・アンケセナーメンの姿が
描かれています。
 

 
フランス、ルイ15世様式の椅子

 
18世紀中頃のフランスは、
「太陽王」と呼ばれたルイ14世の曾孫、
ルイ15世が統治している時代でした。
 
そしてヴェルサイユ宮殿では、
ルイ14世期に完成した古典主義的荘重さを持つ
「フランス・バロック(ルイ14世様式)」に替わり、
曲線による動的な外観や軽妙さ、左右非対称意匠、
シノワズリー(東洋趣味)導入等を特徴とした
「ロココ様式(ルイ15世様式)」が流行しました。
そして、座り心地の良さも考慮された「玉座」が
作られるようになりました。
 
「Windsor Chair」(ウィンザーチェア)

 
近代的な「椅子」のルーツとなったのが、
イングランド南東部に位置するウィンザー地方で
ターナー(轆轤職人)が作り始めた
実用家具「カントリーチェア」を起源とする
「Windsor Chair」(ウィンザーチェア)です。
 
製造当初は屋外用の「ガーデンチェア」として
使用されていたウィンザーチェアですが、
頑丈で機能的な作りをしているだけでなく、
シンプルで美しいデザインのものが多かったため、
19世紀の初めからは公共施設(学校や市役所)や
パブ、レストランなどの飲食店で使用され、
また一般家庭でも使用されるようになり、
英国人の暮らしに溶け込んでいったそうです。
 
その機能性とデザインは、日本を始め、
世界中に影響及ぼしました。
 
日本で、本格的に「椅子」が作られるように
なったのは、江戸時代末期から明治にかけてです。
外国から入ってきた洋家具を
大工達が見よう見まねで作り始めました。
 

ウィンザーチェア
(「 松本民芸家具」常務取締役・池田素民さん)

 
「松本城」の城下町として栄えた長野県松本は、
江戸時代から300年以上の歴史を持つ家具の産地
です。
大正末期には、日本一の和家具の生産高を
誇りましたが、第二次世界大戦後に衰退、
廃絶の危機に晒されます。
転機となったのは「民藝運動」との出会いでした。
民藝運動の提唱者である柳宗悦(やなぎ むねよし)
当時の松本家具の苦況を惜しみ、産地を激励。
 

昭和19(1944)年に創業した
「松本民芸家具」(まつもとみんげいかぐ)
創始者・池田三四郎(いけだ さんしろう)
柳宗悦の講演を聞き感銘を受け、
技術をより発展させようと世界の民芸家具を学び、
新たな家具製作に取り組み始めました。
 
まず、戦後に職を失い、
バラバラとなっていた家具職人達を集め、
時代に合わせた椅子やテーブルなどの洋家具を
ミズメザクラを主要材に用い、
伝統的な技術を洋家具づくりに応用して
製作し始めました。
その代表作が「ウィンザーチェア」です。
 
英国人の指導を受けながら、
英国のウィンザーチェアと
米国開拓時代のウィンザーチェアを手本とした
「松本ウィンザーチェア」が昭和28(1953)年に
誕生しました。
 
 
現在でも、当時の工法を守りながら作り続けられ、
民藝運動の精神を今に受け継いでいます。
 
現在、「松本民芸家具」の常務取締役の
池田素民(いけだ もとたみ)さんに
家具工房の製作工程を見せていただきました。
素民さんは、池田三四郎のお孫さんです。
 

 
椅子の座面を職人さんが丁寧に手で彫っています。
椅子の座面は、1番お尻のところが深く、
膝にかけてなだらかに立ち上がっています。
それらは全て職人の手の感覚で彫られていきます。
 
座面のなだらかな角度は、
先輩が作った椅子を見て触って、
感覚で覚えていくとおっしゃいます。
手のひらに全神経を集中させ、
経験と技術で作っていきます。
 
作業することおよそ1時間で
お尻から膝にかけて滑らかな座面が完成しました。
そこには手仕事だからこその魅力がありました。
 
人が日常で使う「椅子」。
触り心地に優しさがあるとか、
姿かたちに変化があるのが、手仕事の魅力。
人の手で微妙に変化をさせながら形を作っていくと、
朝の光と夕方の光の中では違う姿に映ります。
時間が経ってくると、
使い込まれた感じも変わってきます。
その見え方の変化が
飽きのこないものに繋がっていくのだと
池田さんはおっしゃいます。
 

 
ウィンザーチェア最大の特徴は、
背もたれのアーチ。
材料の木を水に浸して柔らかくし、
30分程蒸気で蒸して曲げやすくするのです。
曲げるのは、職人2人掛かりで手作業で行われます。
曲げる形も全て職人の手作りで行われていました。
 
手作業にこだわることで、日々の生活に、
座るだけでない豊かさを与えてくれます。
座って、触って、眺めて、喜びを与えてくれる。
それが「椅子」なのです。

 
  • 住所:〒390-0811
    長野県松本市中央3-2-12
  • 電話  :0263-33-5760
  • 営業時間:9:30〜18:00
  • 定休日 :無休 [年末年始のみ休業]
  • ネットショッピング
 
 
 

美の壺3.組む:木を組む 伝統を継ぐ

 

「鏡台」(歌舞伎俳優・中村隼人さん)

 
歌舞伎俳優にとってなくてはならないのが
「化粧前」(けしょうまえ)と呼ばれる鏡台です。
2代目・中村錦之助(なかむら きんのすけ)のご長男で、
歌舞伎俳優の初代・中村隼人(なかむらはやと)さんも
「化粧前」は特別な存在で、仕事のスイッチを入れてくれる場所とおっしゃいます。
 
隼人さんは、7年前に自分用の「化粧前」を
新しく誂えました。
 
子役の頃は、祖父で美貌の女形であった
4代目・中村時蔵(なかむらときぞう)から受け継いだ、
子供用の鏡台を使用していました。
通常、歌舞伎役者は、子役から大人の役を
やるようになったタイミングで、
父親や祖父が使っていた「化粧前」を
譲り受けることが多いそうですが、
萬屋(よろづや)一門は人数が多く、
「化粧前」が全て行き渡ってしまっていたため、
1番末っ子の隼人さんは新調することにしました。
 

 
隼人さんが誂えた愛用の「化粧前」は、
大きな鏡と「虎杢」(とらもく)と呼ばれる
木目が特徴の、釘を一本も使わない
「指物」(さしもの)と呼ばれる工法で
作られています。
引き出しの取手に装飾したのは、
屋号・萬屋(よろづや)の家紋「桐蝶」です。
この家紋が隼人さんの「化粧前」であることの
証です。
材料はナラの木。
大胆な木目「虎杢」もこだわりの1つです。
使いやすいようにと、化粧で使う刷毛を
吊るす場所も多めにしつらえました。
鏡は何段階かに傾けることが出来、
最大限に倒すと、立って姿見(すがたみ)として
使うことが出来ます。
 
 


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隼人さんは自らデザインを考え、
職人と打ち合わせを重ね、
およそ2年の歳月をかけて作り上げました。
 
「化粧前」を製作するに当たり参考にしたのは、
大叔父で昭和の大スター、
萬屋錦之介(初代・中村錦之助)が
若い頃に作った「化粧前」です。
60年程の歴史がある「化粧前」は、
とてもカッコ良く、ずっと憧れていました。
 
平成19(2007)年、
お父様が2代目「錦之助」を襲名した時に、
初代・錦之助さんの「化粧前」も受け継ぎました。
隼人さんはその襲名披露公演に出演した縁もあり、
すごく親近感が沸いたそうです。
 
隼人さんはその「化粧前」の形を参考に、
写真を撮って、図面を引いてもらい、
様々な要望を伝えて作ってもらいました。
 
隼人さんは「化粧前」が完成した時のことを
昨日のように覚えています。
最初は言葉が出なかったとおっしゃいます。
そして、喜び、感動、責任感と、
様々な感情が次々に湧いてきて、
「こういう鏡台を持ったからには、
 何とかひとかどの役者にならなきゃいけない」と
決意を新たにしたそうです。
 
歌舞伎は伝統芸能であり、伝承芸能。
自分が尊敬して敬ってる先輩から、
歌舞伎の演技の技や技術を教えてもらって、
それを伝えていく演劇です。
 
「化粧前」もまた、
受け継がれていかなくてはいけないもの。
和の心、日本人の心を感じるし、
大事にしていきたいとおっしゃいます。
 
萬屋錦之介さんの「化粧前」を見て、
いつか使ってみたいと思っていたように、
自分も誰かからこの「化粧前」を使いたいと
思ってもらえような役者を目指したいと
おっしゃっていました。
 

 

江戸指物(「渡辺和家具製造」指物師 ・渡辺光さん+渡辺久瑠美さん)

中村隼人さんの鏡台を製作したのは、
東京都荒川区にある江戸指物(えどさしもの)の工房
「渡辺和家具製造」(わたなべ かぐせいぞう)です。
日本伝統工芸士の指物師(さしものし)・渡辺光さん、
お嬢さんの渡辺久瑠美(わたなべ くるみ)さんが
現在、弟子として修行中です。
 
渡辺さんが作る「江戸指物」(えどさしもの)は、
釘を一切使用せず、ノミなどで、
「ほぞ」と言われる凹凸の切込みを彫り込んだ
板状や棒状の木を組み合わせる、
「組み手」という手法で作り、漆で仕上げられます。
 
「江戸指物」の特徴は、過度な装飾をせず、
漆塗りを施して、桑や欅、桐などの
木目素材の美しさを最大限に引き出し、
繊細で優美な江戸の粋が感じられると同時に、
非常に丈夫なつくりになっているため、
数十年の使用にも耐えることが可能です。
 
隼人さんの「化粧前」は、
座った時に使いやすい鏡と下の台とのバランス、
そして木目の美しさを自然にアピールすることに
苦労したそうです。
 
「指物」で最も大事である
「組み手」の作業を見せていただきました。
この作業を行うのは、弟子の渡辺久瑠美さんです。
 
ノミだけで凹凸を作っていきます。
決して失敗が許されない作業です。
簡単なところが1つもない。
1つ1つ完璧にやっていかないと完成しない
難しい工程です。
家具が壊れるのは端からなので、
指物の「組み手」は端を狭く、
中央を広く彫って、しっかり仕上げます。
 
「組み手」は、「あり」と呼ばれる
ハの字の形になっていて、外れないように組みます。
また材の両側を斜め45度にカットすることで、
「組み手」を外からは完全に見えないように隠し、
板同士の継ぎ目も、角の一筋のみです。
2枚の板の木目が合わさり、
まるで1枚の板を折り曲げたように見えます。
 
この年になってやっと仕事が分かって
楽しくなってきたという渡辺光さん。
お客様から喜ばれると、
ますますファイトが湧いてくるのだとか。
 
伝統受け継ぎながらも、今を映し出し、
未来へ繋げることが出来るのも、
「家具」の魅力の1つです。
 
  • 住所:〒116-0002
    東京都荒川区荒川3-26-1
 
 
 

美の壺4.しまう:感性を引き出す

 

「桐たんす」


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日本伝統の家具「箪笥」(たんす)
中でも絹のような美しさを持ち、
「箪笥の女王」と呼ばれるのが「桐箪笥」です。
目が詰まった美しい木目。
火災に強く、カビや虫にも強いと言われています。
 

 
会津地方の山間に位置する三島町は、
日本有数の桐の産地として知られる
「桐の里」です。
50年前に結婚して三島町に来た
齋藤令子(さいとう れいこ)さんに
「桐箪笥」を見せていただきました。
 
和室には着物を収めるための「桐箪笥」が
ずらりと並んでいます。
1番古いのはお姑さんから譲られたタンス。
昭和初期のおよそ80年前から受け継がれてきたもので、
現在も使っています。
 
斉藤さんが自分の「桐箪笥」を作ったのは
三島町に引っ越してきてから。
折角、三島にお嫁に来たのだから、
有名な「三島の桐」で作りたいと考えました。
 
かつて三島町では、町中に桐の木が植えられ、
野菜のように桐を育てていました。
桐は成長の早い樹。
女の子が生まれると庭に桐の木を植えて大切に育て、
嫁ぐ時に「箪笥」にして持たせるという風習が
あったと言います。
 
 

桐専門員・矢澤倉一さん

福島県会津地方で生産される桐は
「会津桐」と呼ばれ、
密度が高く、高級品とされてきました。
 

 
 
会津地方は桐栽培発祥の地と言われ、
明治期に大規模な桐苗栽培に成功して以来、
農家の副業として、桐の原木出荷を盛んに行なって
きました。
 
しかし近年は、需要の激減により生産量が減少。
三島町では桐材復活を目指し、平成29(2017)年に
「桐専門員」(きりせんもんいん)を創設して
技術継承に力を入れています。
 
県職員だった矢澤倉一(やざわ そういち)さんも
町が管理する桐林の「桐専門員」になったおひとり。

 
桐は約30年程度で出荷出来る材に成長しますが、
下草刈りや施肥、消毒など、
管理に非常に手が掛かります。
また、樹間を大きく取らなければならなかったり、
病虫害やネズミの害が多いなど、
通常の林業とは異なるノウハウが必要とされます。
 
そこで矢澤さん達「桐専門員」は、
桐苗の栽培をしたり、植栽の管理をしたり、
桐栽培のマニュアルを作成しています。
他にも、現代生活に合った箪笥の提案や、
新しい桐製品の開発などにも注力しています。
小中学校で「森林教室」なども行っています。
 

 
桐の伐採は、木の寿命まで40年から50年置いてから。
雪が降るため、一定の温度で凍害も少なく、
また寒さによって、桐の木は絞まり、
木目が太くはっきりと浮き出た見た目が美しく、
粘りが強い、よい「桐」が出来るそうです。
 

「会津桐タンス」(廣瀬充是さん)

福島県大沼郡三島町にある
会津桐タンス株式会社」の桐箪笥の工房で
工程を見せていただきました。
解説してくれたのは、
管理部長の広瀬充是(ひろせ みつよし)さんです。
 
桐材の需要が下火になった昭和59(1984)年、
地域の雇用拡大と地場産業の活性化を計るため、
町と民間の共同出資によって設立されました。
以降、職人の育成や商品開発、販路の開拓、
平成9(1997)年に法人化することで経営を継続しています。
 
 
桐の木は切り出した後、
丸太の状態で約1年乾燥をさせ、
皮を剥いで1本毎の木の特長を活かし、
用途に合わせた厚みで製材します。
 
製材した桐材は、変色を抑えるために
「渋抜き」(しぶぬき)をします。
ボイラーつきの大きな水槽の中に
桐材を一枚ずつ浸し、1週間程煮沸を繰り返して
「あく抜き」をするのです。
これにより桐の中の「渋」によって
桐板が黒く変色するのを防ぐことが出来ます。
 

 
次は乾燥です。桐材を立て掛けて、
3年から4年、雨や雪に晒して天干し、
更に機械乾燥をすることにより
水分含有量を限りなく0に近づけ、
反りを出にくくします。
こうしていよいよ箪笥づくりが始まるのです。
 
三島の桐の木の特徴は、鉋(かんな)を掛けると
絹のような光沢が出ること。
削るのはテッシュ1枚程の薄さです。
削ると美しい輝きが出てきました。
 
丁寧に鉋掛けをしなくてはなりませんが、
桐材は柔らかいので、
鉋の刃はこまめに研ぐ必要があります。
鉋掛けの作業が始まって数分もしないうちに
鉋を交換。

 

染料にとのこを混ぜたものを塗り、
ロウで仕上げて完成です。
木を植えてから半世紀の時間が費やされ、
「箪笥の女王」が誕生しました。
 
  • 住所:〒969-7402 
    福島県大沼郡三島町
    大字名入字諏訪の上394
  • 電話:0241-52-3823
 
 

仙台たんす(金具職人・八重樫榮吉さん)

古くから日本では蓋のついた「長持」(ながもち)
「葛籠」(つづら)といった箱型の収納具を使って
いました。
 
長持(ながもち)
衣類や蒲団、調度品などを入れておく
長方形をした蓋付きの大きな箱。
 
葛籠(つづら)
藤づるあるいは竹・ヒノキの薄板などを
編んで作った籠、またこれに紙を貼り、渋・漆などを塗った箱のこと。
形は長方体が多く、蓋をかぶせて衣類など
を入れました。
 

 
江戸時代中期になると、庶民の生活は向上し、
三越の前身「越後屋」が日本橋に開店すると、
以後、呉服店が増え、庶民も多くの衣類を
持つようになったことから、
次第に「箪笥」(たんす)は普及していきました。
「箪笥」(たんす)は次第に装飾が施され、
華やかさを楽しむようになりました。
 

 
宮城県仙台市の「仙台箪笥」(せんだいたんす)は、
江戸時代末期、地場産業として誕生しました。
 
仙台藩の藩士達が、
内職仕事として「仙台箪笥」を製作し、
所有する大切な刀や羽織・裃に加え、
貴重な文書類などを保管するために、
日常の生活財として愛用していました。

木地は「欅」と「栗」。
釘を使用しない「指物」(さしもの)で作られ、
表面には「漆」(うるし)が塗られ、
杢目が美しく浮き上がっています。
 
そして「仙台箪笥」の特徴、
「飾り金具」を全体に打ち付けることで、
箪笥はより丈夫で長持ちし、
重厚な存在感を醸し出します。

 


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「八重樫仙台タンス金具工房」
(やえがしせんだいたんすかなぐこうぼう)
4代目・八重樫榮吉(やえがし えいきち)さんは、
数少ない手打ち金具職人です。
 
箪笥一棹を製作するに当たり、
付けられる「飾り金具」は平均100個から200個。
モチーフは「龍」「唐獅子」「牡丹」「菊」といった
縁起の良い柄です。
 
厚さ0.6~1.2mmの鉄板・銅板・真鍮板などを
約1300種類もあるという「鏨」(たがね) を駆使して
様々な柄を生み出しています。 

 
「鏨」(たがね)は八重樫さんはオリジナル。
自分だけの線を打ち出すために、
鉛を溶かして自作するところから始めます。
 
作業工程を見せてもらいました。
2週間をかけて、リズミカルに凹凸をつけて、
1枚の柄を作ります。
龍を彫る時に1番難しいのは「顔」だそうです。
自分が「龍」になっている気持ちで彫ることが大切。
職人の感性の全てが引き出され、
「仙台箪笥」が完成します。
 
八重樫仙台タンス金具工房
  • 住所:〒984-0832
    宮城県仙台市若林区下飯田字屋敷北164
 
 
 

美の壺5.思い出:家具に思いを乗せて

家具の修理(「エンストル」社長・今田景子さん)


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京都府宇治市にある「enstol(エンストル)」は、
平成30(2018)年11月にスタートした
オリジナル家具やオーダー家具の製作の他、
家具の修理やリメイクなども行っている
家具工房です。
 
店名の「enstol(エンストル)」とは、
デンマーク語で「椅子」を意味する
「en stol」から付けた名前だそうです。
 

 
「enstol」(エンストル)には、
全国から壊れた家具が持ち込まれます。
それを豊富な家具修理の実績を積んだ
木工・椅子張り・塗装の各職人が心を込めて
修理またはリメイクします。
 
壊れた椅子は、全体的にグラついていたので、
一度バラして、取れてしまった棒だけを
新しいパーツに取り替えて組み直します。
 
家具の修理は1つとして同じものがありません。
状態も材料も千差万別です。
また、キレイにして欲しいというお客様もいれば、
現状を残した状態で直して欲しいというお客様も
いらっしゃいます。
それら様々な要望によって、
技術ややり方も変わってくるため、
テクニックの使い分けが難しいところですが、
「enstol(エンストル)」の職人さん達は、
その家具を製作した職人の思いを汲み取りながら、
客の要望に応えるべく、丁寧に修理をします。

 

 
「革張り」の椅子を明るくてシンプルな「布」に
張り替えると、ガラリと雰囲気が変わりました.
 
座面がボロボロで、骨組みもガタついていた椅子も
以前の面影を残したまま、新たに生まれ変わりました。
 
結婚の時に買った「ダイニングテーブル」は、
生活様式の変化に合わせて、テーブルを小さくして、
「座卓」形式にリニューアルしました。
 
家具の修理は、ただ直すだけではない
「共通点」があると社長の今田景子さんは
おっしゃいます。
買った方が安い場合もあるし、
機能的にも、今の方が良いものも沢山あります。
でも物を直すだけじゃではなくて、
何かしらその時の思い出も蘇るような、
写真と同じようにメモリアルなものなのでは
と語っていました。
 
  • 住所:〒611-0041
    京都府宇治市槇島町月夜3-7
  • 電話:0774-25-3490
 
 
 

「祖母の思い出のキャビネット」(住田菜都子さん)

 
令和4(2022)年12月、今田さんの工房に
古いキャビネットが持ち込まれました。
キャビネットの修理を依頼したのは、
京都府長岡京市在住の住田菜都子(すみだ なつこ)さんです。
 
住田さんは、亡くなられたお祖母様の
田中雅子(たなか まさこ)さんの
遺品の整理をしていた時に、
お祖母様とずっと寄り添ってきた家具を
このまま捨ててしまうことが
あまりにも寂しく、悲しかったことから、
修理して使うことを思い立ちました。
 
キャビネットの取手は欠け、引き出しも傾き、
所々、木は剥がれ、塗装もハゲていました。
 
ただ、住田さんは、新品のようにするのではなく、
今の雰囲気を残して馴染ませるような修理をして
もらうことにしました。
 
一番の難問は、欠けた引き出しの取手です。
欠けた部分だけを切り取り、
木で新しく作り直し、塗装を施しました。
 
1ヵ月後、完成の知らせを受けた住田さんが
工房にキャビネットを取りにやってきました。
とてもキレイに蘇ったキャビネットを見て
大喜びです。
 
住田さんは、お祖母様から頂いていた
誕生日のお祝いやお年玉を封筒に入れたまま
使わずに大切に保管していました。
そのお金をキャビネットの修理代金に充てることに
しました。
 
家に持ち帰ったキャビネット。
棚には、お祖母様との思い出の品々を飾りました。
家具に懐かしい思い出をしまい、
今度はその家具が新しい未来を作ります。

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