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美の壺「青森の手仕事」 <File 569>

<番組紹介>
ファッションブランドが新作のテーマにした、
津軽地方の伝統工芸「こぎん刺し」。
幾何学模様に秘められた魅力とは?
 
 ▽若者たちも愛用する
  「津軽塗」のスタイリッシュなアクセサリーとは?
 ▽秘密は卵?!
  雪国に多彩な色と模様をもたらした伝統技法に密着!
 ▽セレクトショップで大ブレイクのカラフルな
  「ガラス工芸」。
  漁業用の浮き玉の技法で、
  桜や雪、夏の風物詩「ねぶた」などを鮮やかに表現!
 
<初回放送日:令和4(2022)年11月11日(金)>
 
 
 

美の壺1.「こぎん刺し」~時が織りなす幾何学模様~

 
 

現代的なこぎん刺し(「matohuまとふ
服飾デザイナー 堀畑裕之さん・関口真希子さん)


www.youtube.com

 
 
令和元(2019)年に開かれた国内最大級のファッションイベント
Rakuten Fashion Week TOKYO 2019AW」で、
青森県・津軽地方に伝わる「こぎん刺し」を使った
「コ-ギン ステッチ(CO-GIN STITCH)」が登場しました。
 
 
発表したのは、人気ブランド「matohu(まとふ)」の服飾デザイナー、
堀畑裕行(ほりはた ひろゆき)さんと 関口真希子(せきぐちまきこ)さん。
堀畑さんと関口さんは文化服装学院で出会い、
卒業後は企業のパタンナーとしてパリコレクションに携わった後、
ともに渡英してロンドンコレクションに携わり、
帰国後の平成17(2005)年に「matohu(まとふ)」を設立。
服を通して日本の美意識を表現し続けてきました。
今回発表した「コ-ギン ステッチ(CO-GIN STITCH)」は、
麻布に木綿の糸で刺す伝統的な手法をウールに置き換え、
「新しいこぎん刺し」を目指しました。
 
「『こぎん刺し』の本来の目的は2つ。
 1つは、農作業の時などに津軽の寒い風を防ぐ『防寒』。
 もう1つは、身近な家族を飾るための『装飾』。
 そういう2つの役割をもう一度取り戻せたら良いと
 現代のデザインに落とし込みました。」
 
デザインは現代的ですが、
「柄」は伝統的な幾何学模様のものです。
 
「いろんな柄の中から選んだのですが、
 今見ても、すごくモダンで可愛いなあと思います。
 この辺もちょっと雪の結晶みたいな感じ。
 
 名も知れない女性達が200年300年かけて作ってきたデザイン。
 それを今生きる私達が纏うのは、
 命の繋がり、連続性そのものを纏っているだと。
 じんわり感じる感動がある。」
 
  • 住所:〒112-0014
       東京都文京区関口1丁目35−17
       山水ビル
  • 電話:03-6805-1597
  • オンラインショップ
 
 

(佐藤陽子こぎん展示館館長・佐藤陽子さん)

 
「こぎん刺し」が生まれたのは江戸時代のことです。
当時、津軽では、(北国の津軽では綿の栽培が困難なため)
農民が「木綿」を着用する事は厳しく制限されていました。
 
「木綿」の着用を許されなかった農民が着用していたのは、
自家製の麻で作った「麻布」(あさぬの)でした。
その自家製の「麻布」だって貴重なもの。
麻を布にするのは大変な作業と長い年月が掛かるため、
たとえ自家製の「麻布」でも粗末には出来ない、
とても貴重なものでした。
そのような貴重な「麻布」を少しでも長持ちさせるために、
麻糸で「刺し子」をして補強。
更に、極寒の津軽で少しでも寒さを防ぐために、
糸を幾重にも刺すなど刺し方にも工夫するようになり、
様々な模様が生まれました。

 
また、どこからか綿を手に入れ、自分で紡いで糸にし、
その綿糸で刺すことが一部の人によって行われるようにもなりました。
 

 
綿糸によるこぎん刺しが急速に普及することになったのは、
紡績糸が出回り、割安に手に入れられるようなった
明治中期になってからです。
農家の娘達は、5~6才ともなればこぎん刺しの手ほどきを受け、
競って手の込んだ美しいこぎんを刺すようになりました。
娘達の嫁入り道具の一つになりました。
更に、元々は普段着であり同時に労働着であったこぎんも、
晴れ着としても珍重されるようになり、
祭礼や盆踊りの時などには見事なこぎんを着ることが、
何事にもまして大きな誇りだったようです。
 

 
しかし実用性の高い綿布が普及するにつれ、
「こぎん刺し」は急速に衰え、衰退してしまいました。
 
 
青森県津軽地方の「こぎん刺し」は、
今も津軽の暮らしに根付いています。
青森県弘前市にあるは、
青森県弘前市の佐藤陽子さんも「こぎん刺し」を続けて50年。
小物やタペストリーを制作されています。
更に自宅の一部を改装して「佐藤陽子こぎん刺し展示館」を開館、
常時200点の作品を展示し、ワークショップを開催しています。
 
佐藤さんは、
「布と針と糸そして刺す気力さえあれば出来るのがこぎん刺し」
とおっしゃいます。
麻の生地と木綿の糸を使うのが伝統のやり方。
生地の横糸に沿って刺していきます。
「こぎん刺し」の多くが、1目・3目・5目などのように、
奇数で刺す模様です。
模様をふっくら立体的にするために、
1段刺し終えるごとに糸にゆとりを持たせます。
 
出来上がったのは「猫の足」という模様。
猫の肉球を図案化したのでしょうか。
 

 
「こぎん刺し」には、
身近なものを題材にした模様がたくさん伝わっています。
「ふくべ  (=ひょうたん)」、「だんぶりこ(=とんぼ)」、
「てこな  (=ちょうちょう)」など、
それぞれ、津軽弁で親しみやすい名前がつけられ、
縁起を担いだり願いを込めたりして愛用してきました。
 

 
 
長さ2mのタペストリーは、
佐藤さんが1300時間を費やして制作した大作です。
伝統的な模様にアレンジを加えて、モダンな景色を作り出しました。
 
近年は冬でも出かけれられる時代になりましたが、
布に向き合っている時間そのものが至福の時間だという佐藤さん。
その1針1針が温もりを伝えています。
 
  • 住所:〒036-1323
       青森県弘前市真土東川199-1
  • 電話:0172-82-3367
 
 
 

美の壺2.「津軽塗」~雪国に百花繚乱の華やぎ~

 
 

津軽塗のピアス(「KABAカバ」アクセサリーブランド「SUCOSiすこし」)

 
今、若者達の間で注目を集めているアイテムがあります。
耳元で揺れる漆のカラフルな色が目を引くこのピアスは、
青森の伝統工芸「津軽塗」(つがるぬり)で出来たピアスです。
 
「津軽塗」とは、青森県弘前市を中心に、
江戸時代から300年以上受け継がれてきた
青森県を代表する伝統工芸の漆工芸品です。
青森県で唯一、国の「伝統的工芸品」に指定されている他、
「重要無形文化財」にも指定、
「重要無形文化財保持団体」にも認定されています。
 
 
 
KABA(カバ)」は令和元(2019)年に誕生した
「津軽塗」の新しいブランドです。
弘前市にあるグラフィックデザイン事務所「マス グラフィックス」の
プロデューサー・池田守之(いけだ もりゆき)さんが立ち上げました。
 
池田さんは、平成23(2011)年に弘前市立博物館で開催された
「津軽塗」のイベントに参加した際、
職人の高齢化や担い手不足、
若い職人が生計を立てることも難しい現状を知り、
ショックを受け、何か貢献出来ないかと思いました。
 
そこで、津軽塗の研究・開発に取り組んでいる
地方独立行政法人「青森県産業技術センター弘前工業研究所」の
デザイン推進室の協力の元、
平成26(2014)年度、
任意団体「津軽塗新ブランド創設プロジェクト」を設立。
「津軽塗」の若手職人のスキルアップや伝統の継承・発展、
また津軽塗の新しいブランド創設を目的に活動を開始しました。
 
そして令和元(2019)年には、
弘前でギャラリー「CASAICO(カサイコ)」を営む葛西彩子さん、
地域資源を活かした新たなビジネスモデルの創出を目指す
「Next Commons Lab弘前」のコーディネーター・森田優子さん、
「弘前市岩木地区地域おこし協力隊」の佐々木直美さん達の協力を得て、
津軽塗ブランド「KABA(カバ)」を設立し、新規市場の開拓や
「津軽塗」の若手職人の感性と技術を生かした新商品を開発しています。
 
 
番組で紹介されていた
「津軽塗」で彩られたカラフルなアクセサリーは、
KABA(カバ)」のアクセサリーブランド
「SUCOSi(すこし)」の漆のピアスです。
 
SUCOSi(すこし)」には、
「~日々の暮らしに“少し”自分らしさを~」をコンセプトとした、
「いかにも津軽塗!」ではなく、さりげなくそれを主張しつつ、
ふだん使いできるふだん使いできる
ネックレス、ピアス、イヤリングなどのアクセサリーが
全部で12種類あります。
 
他に、洋食では「ナプキンリング」、和食では「箸置き」となる
サイコロをモチーフとた「DICE(ダイス)」、
ビールや日本酒、コーヒーなどを飲んだり、スイーツを盛ったりして
楽しむことの出来るフリーカップの
「SHADE CUP(シェードカップ)」があります。
 
 

津軽塗の歴史(弘前市立博物館学芸員・小田桐睦弥おだぎり むつみさん)

 
「津軽塗」が盛んに作られるようになったのは江戸時代中期、
弘前藩の第四代藩主・津軽信政公(1646~1710年)の治世に遡ると
されています。
 
この頃になると、参勤交代制度とそれに伴う街道整備により
流通が発達したことにより、
上方(京都・大阪)や江戸の文物が
地方に伝播していくようになった結果、
各藩がそれぞれの地域の産業を保護奨励するようになり、
日本全国で多くの工芸品が誕生し、普及・発達し始めました。
 
弘前藩でも、信政公も津軽の産業を育成するため、
全国から多くの職人・技術者を弘前に招き、
産業振興を図りました。
 
 
弘前市立博物館の学芸員・小田桐睦弥(おだぎりむつみ)さんに
解説していただきました。
 
藩政時代を通じ「津軽塗」は、
幕府や他藩、朝廷、公家への贈答品として、
また藩主や調度品、寺社の什器、武士の武具などに用いるための
漆器が作られました。
 
これらの高級な漆器を作らせるために、
全国各地から職人を呼び寄せ、様々な技法が取り入れられました。
 
弘前市立博物館には、江戸時代後期から明治時代にかけて
津軽で塗られた塗り見本の板「津軽漆塗手板」(つがるうるしぬりていた)
514枚所蔵されています。
板それぞれに、職人のこだわりが詰まっています。
 
津軽の人は北の果てにいるからこそ、
江戸や上方など他の地域から様々な技法を取り入れて、
発展してきました。
但し、それらを取り入れて真似をするだけではなく、
新しいことを創意工夫して作ろうとする気持ちが
職人さん達の中にあったのではないかと小田桐さんはおっしゃいます。
 
更に、津軽塗のカラフルなデザインが生まれた背景には、
雪国ということがあるのではないかと
小田桐さんは考えているそうです。
白い色で一面閉ざされる冬の時期を経験しているからこそ、
春が来て雪が溶けて様々な色彩が入ってきた喜びというのを
特に津軽の人は感じるのではないかと語っていました。
 
  • 住所:〒036-8356
       青森県弘前市下白銀町1−6
       弘前公園内
  • 電話:0172-35-0700
 
 

唐塗からぬり」(「今漆器工房」津軽塗職人・今年人こん としひと さん)

 
「津軽塗」は、漆匠「池田源兵衛・源太郎」親子によって
創作されたと伝えられています。
 
弘前藩成立から1700年頃までの津軽の漆塗り技法は、
「朱塗」、「黒塗」、「蒔絵」が主でした。
津軽藩四代藩主津軽信政公は藩内の産業育成のため、
全国から様々な職人を招くとともに、
有望な職人を江戸へと派遣して、一流の技術を身に付けさせていました。
 
若狭の塗師「池田源兵衛」もその中の一人で、
江戸に出て、蒔絵師・青海太郎左衛門に師事し修行に励みますが、
翌年、江戸で客死しました。
 
源兵衛の子、池田源太郎は父の遺志継いで塗師になり、
亡父と同じように青海太郎左衛門に入門し修業を積みました。
源太郎は師匠から塗技法全般を教わり、
更に青海家秘宝の塗りも伝授され、
息子のいなかった太郎左衛門の養子になり、「青海」の姓を名乗ります。
その後、津軽へ帰ってきた源太郎は、名を「青海源兵衛」と改め、
江戸から「変わり塗り技法」を導入したことから
津軽では新しい塗り技法が行われるようになり、
それが定着し、津軽独特の創造的技法へと発展を続け、
江戸後期にその頂点に達しました。
 
 
 
「津軽塗」の代表的な表現には、
「唐塗」(からぬり)

 
「七々子塗」(ななこぬり)

 
「錦塗」(にしきぬり)

 
「紋紗塗」(もんしゃぬり)があります。

 
 

その中の1つ「唐塗」(からぬり)は、
「津軽塗」の代表的な技法で、生産数が多い、ポピュラーな塗りです。
特徴は、複数の色が浮き上がって見える鮮やかな斑点模様です。
 
何度も漆を乾かしながら塗り重ね、
それを僅かに研ぎ出すことで模様を浮かび上がらせ、
摺り重ねてツヤをつけて仕上げる伝統技法です。
全部で48の工程があり、製作期間は2ヶ月以上も掛かることから、
別名「馬鹿塗り」と呼ばれるほどです。
 
「今漆器工房」(こんしっきこうぼう)
津軽塗職人・今年人(こん としひと)さんに
「唐塗」(からぬり)の技法を見せていただきました。
 
今さんは昭和32(1957)年生まれ。
昭和48(1973)年から塗師・藤田文造氏に師事し、
昭和62(1987)年に独立。
平成6(1994)年に「津軽塗伝統工芸士」に認定されました。
現在は、息子の立(たつる)さんとともに「津軽塗」を作っています。
立さんは「KABA」のモノづくりを支えている若き職人です。
 
 
今さんは昔ながらの手間を掛けて「唐塗」の漆器を作ります。
模様に使うのは、松の煤で黒く色付けした漆です。
漆に卵白を加えて粘りを出したら、紙で濾して不純物を取り除きます。
模様をつけるのは専用のヘラです。
器の大きさや形、デザインに合わせて使い分けます。
 
漆と布で補強したお盆に模様をつけていきます。
そしたら1週間から10日かけて固まるのを待ちます。
 
次に、色漆を塗り重ねて、更に模様をつけます。
今さんは、研いだ時に現れる模様を計算しながら、
ハケを置いて行きます。
 
そして研ぎ出し。
砥石で表面の漆を薄く研いで行きます。
研ぎ出すほどに模様が変化していきます。
赤や緑も現れてきました。
 
一杯塗っているように見えて、塗っている厚さはコンマ何㎜。
どこまで研ぐか、どこで止めるか・・・。
「止め時が大切!」と今さんはおっしゃいます。
 
最後は手を使ってツヤを出していきます。
漆を何層も塗り重ね、研ぎ出すことで生まれた唐塗の模様。
幻想的な景色を作り出しています。
 
「津軽一の千変万化」「万華鏡」と表現する人もいる「唐塗」。
1色使えば、基礎模様を少し変えれば、雰囲気が全然違ってくるので、
作っていて面白い、と今さんはおっしゃいました。
 
今漆器工房
  • 住所:〒036-8141
       青森県弘前市松原東2丁目2-12
  • 電話:0172-87-4529
 
 
 

美の壺3.「ガラス工芸」~ふるさとを映す~

 

セレクトショップ「KISUKEキスケ

 
青森駅ビル「LOVINA(ラビナ)」内にある
セレクトショップ「KISUKE(キスケ)」には、
人気を集める地元の工芸品が並んでいます。
 
中でも多くの人が手に取っているのは、
「青森県伝統工芸品」にも認定されている「津軽びいどろ」です。
 

 

omotedana.hatenablog.com

 
人気の秘密は、色鮮やかなデザイン。
色と模様は、青森の風土をモチーフにしたものだそうです。
 
 
淡いピンクは、弘前城の桜。
まるで春を告げるかのようです。

 
黒みがかった花器は青森の冬です。
八甲田山のザラメ雪をゴツゴツとした大粒のガラスで表現しました。

 
そして9つの色を散りばめたグラスは、
青森の夏の風物詩「ねぶた」をイメージしたものだそうです。

 
 
様々な色がそれぞれハーモニーを奏でているようですね。
青森の四季の移り変わりにも見えます。
ガラスには、青森の人々の心の風景が映し出されていました。
 
  • 住所:〒038-0012
       青森県青森市柳川1丁目2−3
       ラビナ1F
  • 電話:017-718-7270
 
 

津軽びいどろ
北洋硝子ほくようがらす・工場長の中川洋之さん・ガラス職人の芳賀清二さん)


www.youtube.com

 
津軽びいどろ」を作っているのは、
青森県青森市にあるガラスメーカーの
「北洋硝子」(ほくようがらす)さんです。
 

omotedana.hatenablog.com

 
また、美の壺スペシャル「昭和レトロ」で登場した
ガラスブランド「アデリア」を展開する「石塚硝子いしづかがらす」は
「北洋硝子」の連結グループ会社です。
 

omotedana.hatenablog.com

 
工場長の中川洋之(なかがわひろゆき)さんにお話を伺いました。

 
「北洋硝子」は昭和24(1949)年に創業し、
漁業用のガラス製の浮玉を作っていました。
陸奥湾のほたて養殖などに使われ、
硬くて丈夫という評判が全国に広がり、
そのシェアは日本一を誇っていました。
 
しかし次第にプラスチック製に変わり、浮玉の生産は中止。
ガラス職人達は、浮玉作りで培った高い技能を生かし、
浮玉を作る技術を応用して、花瓶や食器等の創作に取り組み、
昭和52(1977)年に「津軽びいどろ」ブランドを誕生させました。
 

 
青森の四季の風景をガラスで表現した花瓶や器はたちまち人気となり、
現在では、伝統工芸士や青森マイスターなどの認定を受けた
熟練の職人さん達が
器や花入れなど、およそ1000種類を作っています。
 
「津軽びいどろ」の特徴は、
門外不出の独自の調合によって生まれる、
柔らく温かみのある色合いにあります。
 

 
「北洋硝子」では、元々は無色透明なガラスを製造していたのですが、
ある職人が津軽半島の西側に広がる
七里長浜の砂を原料として加えてみたところ、
えも言われぬ深みのある緑色のガラスが誕生しました。
それから職人達は色づくりに没頭していきます。
原料を調合して100種類以上の色を開発しました。
そうして生まれた様々な色ガラスを様々に組み合わせることで、
「津軽びいどろ」は青森県の色彩豊かな自然を表現しています。
 

そして、浮玉作りで培われた「宙吹き」(ちゅうぶき)という技法で
成形していきます。
ガラスの主原料は「珪砂」(けいしゃ)と呼ばれる砂です。
この砂を溶解炉で溶かすと「ガラスの種」になります。
このドロドロに溶けた約1400℃の真っ赤なガラスの種を
少しずつ吹きながら竿の先で巻き取り、
息を吹き込んで膨らませていきます。
 

 
 
40年以上「宙吹き」の技を守ってきたガラス職人の
青森県伝統工芸士の芳賀清ニ(はが せいじ)さんも
浮き玉の経験を生かして花瓶を作っています。
今はこういう花瓶を作っているところがほとんどないのだとか。
 

「青い森の人は我慢強いから、
 少々の事でもめげずに若い子たちも頑張っている、」と
芳賀さんはおっしゃいます。

 
最初から最後まで自分の感覚だけでやるという宙吹きの技法。
難しいのは、温度管理です。
およそ1000度の炉で加熱しながら形にしていきます。
濡れた新聞紙を使って成形していきます。
オレンジ色のガラスに、幾重にも溶け込む黄色や黄緑。
芳賀さんは、紅葉に染まる見事な十和田の秋を描きました。
 

 
北洋硝子
  • 住所:〒038-0004
       青森県青森市富田4丁目29-13
  • 電話:017-782-5183
  • 公式オンラインショップ
  • 工場見学ご予約(TEL:017-782-5183)
 

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