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美の壺スペシャル「昭和レトロ」

<番組紹介>
若者に大人気の「花柄グラス」。
なぜ若手デザイナーは、
昭和デザインをリバイバルさせた?
 
▽テレビから掃除機まで、
 昭和の家電の変遷を徹底解剖!
▽クリームソーダやプリンアラモード、
 ナポリタンまで「昭和グルメ」の魅力とは?
▽銭湯の富士山を1日で描き上げる、
 銭湯絵師のスゴ技に密着!
▽渋谷でラジカセとカセットが流行?!
▽タブレット純が語る
 「昭和歌謡」の奥深い世界
▽木村多江は黒電話・赤電話と“レトロ放談”!
 
<初回放送日:令和4(2022)年7月30日>
 
 
 

美の壺1.花柄といる時が一番幸せ

花柄の器「アデリアレトロ
(石塚硝子デザイナー・杉本光さん、桐本夏樹さん)

 
東京・表参道には、若者達に大人気の
「昭和レトロ」のショップがあります。
店内には、カラフルでポップなガラスの器が
並んでいます。
中でも人気なのは、
かつて昭和の家庭で親しまれた石塚硝子の「ADERIA(アデリア)」のグラスです。
 
 

aderiacompany.co.jp

 
石塚硝子は、文政2(1819)年創業の
老舗ガラスメーカーです。
当時は尾張藩主からの注文として
ビードロ細工を手掛け、
以降、明治・大正・昭和と
ガラスを製造してきました。
 
昭和36(1961)年からは
食器事業への本格参入し、
花柄をプリントしたグラス
ADERIA(アデリア)」を販売。
親しみやすいデザインと手頃な価格で広まり、
昭和40年代半ばから50年代の始めにかけて、
昭和の食卓を彩ることになりました。
 
 
かつて昭和の家庭で親しまれた
ADERIA(アデリア)」のグラスが、
今のライフスタイルに寄り添った
テーブルウェアとして蘇りました。
懐かしくて新しい。
昭和のカワイイを詰め込んだレトロな器、
アデリアレトロ」です。
 
 
この懐かしさ漂う「昭和レトロ」のガラス器を
手掛けたのは、昭和を知らない若いお二人の
デザイナー、杉本光さんと桐本夏樹さんです。
花柄や風船など、当時人気のあったデザインを
アデリアレトロ」として4年前に復刻しました。
 
 
杉本さん、桐本さんは、「昭和レトロ」は
モチーフや何もかもが自由で、
手描きでタッチも柔らかく、
画面一杯に配した柄はインパクトがあると
おっしゃいます。
 
 
食卓を華やかしたいという思いが
現代の制作者に伝わってきます。
店を訪れた人は、「使うとテンションが上がり懐かしい感じがする」とその印象を語っていました。
 
 
 

ちゃぶ台から
ダイニングキッチンへ

 
昭和21(1946)年より連載が始まった
国民的人気漫画の『サザエさん』。
 
 
その画中で家族が集まる場に欠かせないのが
「ちゃぶ台」です。
昭和に入ると、全国的に「ちゃぶ台」が普及し、
一家団欒の象徴となりました。
 

 
 
昭和30年代に入り、
都市に人口が増加して団地が出来ると、
家族の団欒の場には変化が見られるように
なりました。
「ちゃぶ台」から「ダイニングキッチン」へと、
家族の団欒を変化させたのです。
 

 
東京・八王子にある
「UR都市機構集合団地歴史館」は、
集合住宅の歴史と技術の変遷を辿ることの
出来る施設です。
 
こちらの歴史館には、
昭和32(1957)年に東京板橋区に出来た
「日本住宅公団(現在のUR)」発足当時の
代表的な昭和30年代の中層集合住宅であった「蓮根団地」が再現されています。
 
 
当時、「日本住宅公団(現在のUR)」は、
戦後の住宅不足解消を目的に
大規模団地を作るだけでなく、
新しい生活スタイルの提案も行っていました。
その1つが、建築学者・西山夘三(にしやま うぞう)が提唱した「食寝分離」のプランです。
 

 
それまで日本の住宅には畳が敷かれ、
「ちゃぶ台」を出せば「食事をする場」になり、
「布団」を敷けば「寝室」になるという、
1つの部屋が様々な用途に使用出来る造り
でした。
 

 
 
西山夘三(にしやま うぞう)は、
庶民住宅の住み方を調査し、
どんなに部屋数の少ない小住宅でも、
「食事をする場所」と「寝る場所」を分離しようとする傾向が極めて強いことを突き止め、
「食寝分離」を基礎とした
住宅計画論を展開していました
(「住居空間の用途構成に於(お)ける食寝分離論」昭和17(1942)年)。
 

 
戦後、「日本住宅公団(現在のUR)」は
西山の「食寝分離」の考え方を取り入れて、
2つの寝室とダイニングキッチン(DK)に、
浴室を備えた「2DK」を標準設計として採用。
「蓮根団地」は、この2DKの思想を反映した
最初期の団地でした。
 


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昭和35年(1960)に制作された
記録映画「新しい都市」には、
当時の団地の様子が収録されています。
家族でダイニングキッチンを囲み、
紅茶にサンドイッチを食べるのが
憧れだったようです。
 


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なお、八王子にあるUR都市機構の
「集合住宅歴史館」は
令和4(2022)年3月31日で閉館し、
北区赤羽台にて
「URまちとくらしのミュージアム」として
新しく生まれ変わります。
「URまちとくらしのミュージアム」[PDF]は
令和5年9月の開館(一般公開開始)予定です。
 
UR都市機構 集合住宅歴史館
  • 住所:〒192-0032
    東京都八王子市石川町2683-3
  • 電話:042-644-3751
 
 

食卓を華やかに囲む魔法瓶
(坂下清さん)

 
昭和40年代に入ると、
調理器具や食器に花柄のデザインが登場し、
食卓やキッチンが華やぎます。
その最たるものが「魔法瓶」でした。
 
 
「花柄魔法瓶」のデザインを手掛けたのは、
早川電機工業(現・シャープ)の坂下清さん
です。
 

 
坂下さんは、通産省が主催していた
雑貨コンクールの「卓上魔法瓶」の部門に
当時、堺にあった「ナショナル魔法瓶」という
メーカーから応募したところ、入選。
そのため、早川電機に勤務する傍ら、
週末の会社の休みには、
「ナショナル魔法瓶」で
新商品の開発などに関わるようになりました。
 
 
欧米への渡航経験もあった坂下さんは、
日本で、ジメジメした土間から
ダイニングキッチン型の台所に
変わったことから、
「魔法瓶」もそれまで主流だった
ブリキ製の寸胴型のお茶缶のようなものから、ブーケや海外の食卓を飾る花をヒントに
「魔法瓶」を花柄で飾ろうとしたのです。

 

坂下さんが注目したのは、
日本人が古くから慣れ親しんだ花柄の
「京友禅」でした。
「魔法瓶」のボディを展開した
扇形の型紙に描くことは、
着物の裾模様と同じではないかという
イメージがあったからだそうです。
そこで「京友禅」の作家に依頼して
デザインを描いてもらい、
「魔法瓶」に花柄模様を取り込みました。
 
 
坂下さんは、デザインは生活に潤いを与える
大切な要素だとおっしゃいます。
「花柄魔法瓶」は人気を集め、
「魔法瓶」から「電子ジャー」へと
どんどん広がっていきました。
多くのメーカーから花柄がデザインされた
調理家電が発売され、昭和の食卓は花柄ブームとなりました。
 

 
 

美の壺2.暮らしを変える家電のかたち

大阪中之島美術館

 
約40年もの準備期間を経て、
今年(令和4(2022)年)2月2日、
大阪市北区の中之島エリアにオープンした
(おおさかなかのしまびじゅつかん)では、
19世紀後半から21世紀の現代までの
近代美術や現代美術を
多岐に渡って収集・保管・展示しています。
 

 
 
大阪に集積する家電企業や住宅建材企業などの
「工業デザイン」の製品を
戦後の日本のライフスタイルや
社会行動、価値観をかたちづくってきた
主要な構成要素のひとつと考え、
(IDAP)を設置。
黎明期・発展期の家電デザイン関係者の
オーラルヒストリーによる「記憶」や
製品の情報の「記録」を蓄積・保存・調査し、
ウェブにより紹介したり、シンポジウムなどを開催しています。
 
 
学芸課長の植木啓子さんによると、
戦後出来た電気掃除機や電気炊飯器などは、
高い価値がつかないため、失われやすいそう
です。
後世に遺すためにも、アーカイブ化を進め
その構想やアイデアを保存・記録していきたい
とおっしゃいます。

 
  • 住所:〒530-0005
    大阪市北区中之島4丁目3番1号
  • 電話:06-6479-0550(代表)
 
 

パナソニックミュージアム


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昭和28年頃の家電のPR映画には、
当時の最新家電を使った庶民の憧れの生活が
描かれています。
 
大阪・門真市にあるパナソニックが運営する
企業博物館「パナソニックミュージアム」には
昭和20年代後半に登場した
庶民にとっての「三種の神器」と呼ばれた
「白黒テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」
展示されています。
 


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学芸員の川原陽子さんによると、
日本で作った経験のなかったものは
海外のものを習い、
一から部品の作り方から勉強して、
日本独自のものを作ったそうです。
 

 
昭和28(1953)年に始まった
テレビ本放送開始時には、
街頭で楽しんだテレビも、
「東京オリンピック」が開催された
昭和39(1964)年には、一家に一台、
茶の間に置かれるようになりました。

更にブラウン管は小さくなり、
木材を使用したまるで家具のような
「家具調テレビ」が出来るなど、
日本独自のものへと成長しました。
 

 
「暮らしを豊かにしたい」という
開発者の思いが繋がったのだと
紹介して下さいました。
 


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・「松下電工社歌」  歌:藤山一郎(昭和6年3月制定)
・「松下電工行進曲」 歌:木村彦治
 
  • 住所:〒571-8501
    大阪府門真市門真1006
  • 電話:06-6906-0106
 
 

デザイン家電(村上正師さん)

 
昭和50年代になると、
テレビゲームの人気により
家電も変化を遂げます。
インテリアとの調和を考えた
「デザイン家電」が登場しました。
 
オーブントースター、ヘアードライヤーなど
全ての家電をブルーに統一したシリーズは、
今まで家電に縁のなかったユーザーに向けて
開発したそうです。
 
家電メーカーでデザインを担当した
村上正師さんによると、
これから独立する男性をターゲットに絞り、
企業戦士が一人になった時に、
緊張から解き放たれた時に
カジュアルでリラックスした
馴染むような生活道具として考えられました。
アメリカのカレッジライフをイメージした色に
丸みを帯びたデザインが親しみを感じます。
 
「ライフスタイル」
という言葉が使われ始めた時で、
生活者に寄り添う道具としての
顔を作りたかったと
当時を振り返っておっしゃっていました。
 
 
 

美の壺.木村多江アワー
「昭和レトロ放談」
(ゲスト・黒電話さんと赤電話さん)

「木村多江アワー 昭和レトロ放談」。
今回のゲスト、まず最初は「黒電話」さんです。

 
「黒電話」さんは、
昭和37(1962)年に登場した電話機で、
正式名称は「600形自動式卓上電話機」と
言います。
「話す」と「聞く」が一体化したもので、
完成された電話機と呼ばれています。
カール状の電話コードは、
もつれを解消した優れモノでした。
そしてもう御一方は、
昭和41(1966)年に登場し、
「公衆電話」として親しまれた
「赤電話」さんです。

ダイヤル直通で市外通話も出来るため、
街頭には「赤電話」さんで通話する人々が
多数いたそうです。
故郷にでも電話していたのでしょうか。
「赤電話」さんの「赤」の色は、
「色相5R、明度4、彩度13」と、
こだわりの鮮やかな赤色です。
 
 


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「赤電話」さん、なんと昭和45(1970)年には、
「赤い電話」という曲もリリースしています。
歌詞は公募されたもので、6200点より親しみのあるものが選ばれました。
歌うは、当時大人気であった島倉千代子さん。
 

 
個性的なゲストのお二方でした。
 
 

美の壺3.笑顔もたらす あのころの味

昭和メニューの喫茶店
(東京・六本木の喫茶店「ALMOND」)


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かつて待ち合わせ場所と言えば、
六本木交差点のシンボル
ALMOND(アマンド)」でした。
待ち合わせ時やお酒の後に、
アマンドのケーキとコーヒーで
時間を過ごすことが、
当時の「六本木スタイル」として
人気を博しました。
昭和21(1946)年に東京・新橋に喫茶と甘味の店として誕生し、
昭和24(1949)年からは、
後に「アマンドピンク」と呼ばれる
当時では斬新な発想の「ピンク」を基調としたお店作りが評判を呼びました。
今では当たり前となった、おしぼりの提供、
店頭にパラソルを置く、彫刻や絵画を飾るなど
といったことはアマンドが始めたと言われて
います。
その後、新橋から有楽町、
六本木、銀座と店舗を増やし、
本格的な「洋菓子と喫茶文化」を広めるなど、昭和を彩ってきました。
 
店の自慢は、
「昭和レトロ」の喫茶メニューです。
クリームソーダやプリンアラモードが
今、若者に人気です。
 

 
 
このように昭和を彩ってきた
ALMOND(アマンド)」ですが、
時代の流れと共に厳しい時がありました。
 
そこで平成29(2017)年に、
創業70年を迎えるに当たって、原点に立ち返り「昭和メニュー」の復刻を決意。
新たな挑戦を打ち出しました。
その名も「アマンド昭和パーラー」プロジェクト
です。
 

 
代表取締役・勝俣勉さんによると、
創業当時、「甘い物で人を幸せにしたい」
というのがオーナーの理念でした。
そして今でも「昭和メニュー」には、
人に安心感を与え、和ませる要素があると
おっしゃいます。
 
取締役の御園真道さんによると、
40もの「昭和メニュー」の復刻するに当たり、
在籍したコックさんに尋ねたり、
誰も知らないメニューは、
それを扱っているお店に食べに行ったことも
あったそうです。
 
そして「昭和メニュー」は手数は掛かるものの、
見た目は良いと感じたそうです。
それが「昭和の美学」なのだとも思ったそう
です。
今後も、このひと手間掛けた美味しさが
伝えられればとおっしゃっていました。
 
 
 

デパートの大食堂
(岩手県花巻市・マルカンビル大食堂


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JR花巻駅から徒歩15分、
岩手県花巻市の商店街には、今でも
「昭和グルメ」が楽しめる場所があります。
マルカンビルの6階にある
昭和48(1973)年に開業した
デパートの大食堂です。
 
昭和の時代、デパートは
時代を先取りした上質な商品が揃い、
屋上には遊園地があり、
最上層階には大食堂がつきものでした。
「旧マルカン百貨店」も
そんなデパートのひとつとして
花巻市民に愛されてきましたが、
惜しまれつつ、
平成28(2016)年に閉店しました。
 


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その6階にあった展望大食堂が、
花巻の人々による署名や改修費の調達により、
平成29(2017)年2月に復活しました。
かつての「マルカン百貨店」があった
そのままの場所にです。
エレベーターの扉が開き
一歩店に足を踏み入れれば、
そこは昭和の大食堂が広がっています。
 

 
 
「昭和レトロ」な面影が漂う
店内の雰囲気は閉店前のまま。
ショーケースにずらりと並ぶ料理サンプル、
テーブルにイス、照明、箸立てなどの調度品は
全て旧マルカン百貨店から
そのまま引き継いだものだそうです。
 
ラーメンや寿司、洋食、
ソフトクリーム、パフェ・・・など
メニューは何と130品以上、
これも閉店前と同じです。
レトロな料理サンプルを眺めて
メニューを選んだら、
レジで食券を購入しましょう。
 
広々とした食堂内には
テーブルが580席もありますが、
平日でもお昼時には満席になることも
あるそうです。
それが週末ともなれば、
食券を購入する人の行列が
6階から階段づたいに
1階まで続くこともあるそうです。
 

 
食堂で一番人気は、
箸で食べる「ソフトクリーム」です。
くるくると10段も巻かれた
圧巻のビジュアルを誇り、
高さは何と約25㎝。
テーブルに置かれた
レトロな箸立てと背を並べる程の高さです。
販売当初は一般的な大きさでしたが、
テレビ取材の際、
お客さんに喜んでもらいたいと
「盛りを良くして」が口癖であった
旧マルカン百貨店の創業者の言葉を思い出したスタッフが張り切って
ソフトクリームを10段巻いたのが始まりなのだそうです。
 
 
厨房が見えるカウンター式キッチンから
次々と提供される料理も
閉店前そのままの味が楽しめます。
「マルカンラーメン」と
ナポリタンにトンカツがのった「ナポリかつ」が
今でも不動の人気メニューです。
ボリューム満点の作り料理を
お手頃価格で味わうことが出来ます。
 

 
店長の菊池英樹さんは、
これからも変わらず
お腹一杯になる商品を作っていきたいと
豊富を語って下さいました。
昭和の趣が香る食堂は、大人には懐かしく
子供達の目には新鮮に映りそうですね。
 

 
  • 住所:〒025-0087
    岩手県花巻市上町6−2
  • 電話:0198-29-5588
  • 営業時間
    平 日:11:00~15:30(15:00 L.O)
    土日祝:11:00~18:30(18:00 L.O)
  • 営業時間(8/11~8/15)
    11:00~18:30(18:00 L.O)  
    <8/10営業、8/16振替休業>
 
 

美の壺4.町の中のタイムカプセル

銭湯MAP『銭湯図解
(画家の塩谷歩波さん)

 
お湯に浸かる人々やフロントから浴室まで
昭和の銭湯を描いたイラストエッセイ集
『銭湯図解』。
 
描いたのは、小杉湯番頭兼イラストレーターで
設計事務所出身の塩谷歩波(えんやほなみ)さんです。
建築の図法「アイソメトリック」を用いて、
銭湯の建物内部を精密な俯瞰図で描いています。
 

sentozukai.jp

 
塩谷さんは、早稲田大学大学院で
建築専攻した後、有名設計事務所に勤めるも、
体調を崩してしまいました。
 
休職中に通い始めた銭湯に救われました。
銭湯のイラスト「銭湯図解」を
SNS上で発表するとこれが評判を呼び、
新聞、テレビ、ラジオなどでも取り上げられ、
令和元(2019)年には『銭湯図解』が書籍化されました。
都内を中心に、24軒の銭湯の図解を
カラーで掲載するとともに、
見どころ、味わいどころが
エッセイで紹介されています。
 
掲載の銭湯
  1. 東京・高円寺 「小杉湯」:ホーム銭湯
  2. 東京・北千住 「大黒湯」:銭湯の原風景
  3. 東京・荒川  「梅の湯」:女友達を連れて行く銭湯
  4. 東京・日暮里 「斉藤湯」:まっすぐ真面目な銭湯
  5. 東京・鶯谷  「萩の湯」:銭湯のテーマパーク
  6. 東京・戸越銀座
        「戸越銀座温泉」:ご飯がおいしくなる銭湯
  7. 東京・押上  「大黒湯」:露天の王様
  8. 埼玉・川口  「喜楽湯」:古くて新しい銭湯
  9. 東京・町田  「大蔵湯」:現代銭湯建築の傑作
  10. 東京・練馬  「久松湯」:銭湯建築のニューウェーブ
  11. 東京・蒲田  「桜 館」:春に行く銭湯
  12. 東京・日本堤 
       「湯どんぶり栄湯」:贅沢な銭湯
  13. 東京・成田東 「吉の湯」:遠足したくなる銭湯
  14. 京都  「サウナの梅湯」:京都に浸る銭湯
  15. 三重・伊賀  「一乃湯」:マニアが焦がれる銭湯
  16. 東京・墨田区 「薬師湯」:お風呂のエンタメ
  17. 東京・蒲田 「蒲田温泉」:昭和を味わう銭湯
  18. 東京・武蔵境「境南浴場」:泣きに行く銭湯
  19. 東京代々木上原「大黒湯」:代々木上原の異世界
  20. 千葉・習志野 
      「クアパレス習志野」:銭湯界のエデン
  21. 名古屋   「平田温泉」:愛情につかる銭湯
  22. 徳島     「昭和湯」:会いに行きたくなる銭湯
  23. 東京・大崎  「金春湯」:実家みたいな銭湯
  24. 東京・東上野 「寿 湯」:はじめての銭湯図解
 
更に、東京・高円寺にある
「小杉湯」に声をかけられて、
番頭として働くようになりました。
 

 
塩谷さんは、これまで全国60軒以上の銭湯を
描きました。
全国には多くの銭湯がありますが、
全く同じ銭湯はありません。
 

note.com

 
滋賀県大津の銭湯には今でも、
「オカマ」と呼ばれる椅子式のドライヤーや
「コイン式マッサージ機」があります。
また、三重県伊賀にある
昭和25(1950)年創業の銭湯には、
花柄のタイル貼りやモザイクの
浴槽があります。
 
「昭和レトロ」は絵になると
塩谷さんはおっしゃいます。
人との交流や開放的な空間に癒されますね。
 


www.youtube.com

 
 

富士を描く(銭湯絵師・中島盛夫さん)


www.youtube.com

 
「銭湯」は、家風呂が出来るまで
庶民の生活には欠かせない存在でした。
昭和43(1968)年当時は、
全国に1万8千軒近くの銭湯がありました。
 
東京・中野にある銭湯は、
昔ながらの風景が残っています。
浴槽の背景にある富士山の絵です。
背景の絵を描くのは、
全国に数人しかいない
銭湯専門の絵師・中島盛夫さんです。
東京オリンピックのあった昭和39年から
今まで58年間、
中島さんは、銭湯の絵を描き続けています。
 

 
取材に訪れた日は、数年に1度の
浴室の絵の塗り替え作業の日でした。
絵を描けるのは、休業日の1日だけです。
どんな構図にするのか当日、現場で考えます。
絵の上からローラを走らせて描きます。
材料はペンキ、
使う色は青・白・黄・赤の4色のみです。
手早く色を混ぜて、様々な色を出します。
前回、川だった背景が
海に変えられていきます。
縦2.5m、横12mの風景が描かれました。
まるでその場に行ったような景色です。
ここでいろんな人の交流が繰り広げられるの
ですね。
 

 
そう言えば、以前、美の壺スペシャル
「レトロ建築」で紹介された
東京・大田区の住宅街にある
昭和32(1957)年に建てられた宮造りの外観の
老舗銭湯「明神湯」(みょうじんゆ)の浴場には、
縦2.6m、横15mの巨大な富士山の壁画が
ありましたね。
こちらは、銭湯絵師・丸山清人(まるやま きよと)さんが描いたペンキ画です。
 

omotedana.hatenablog.com

 

美の壺5.音楽を味わい尽くす

ラジカセの魅力
(東京渋谷のラジカセ専門店「デザインアンダーグランド」店主・松崎順一さん)

 
若者に人気の「昭和レトロ」は
音楽の世界にもあります。
今、カセットテープが
再び静かなブームとなる中、
「ラジカセ」も
往年の名機達も改めて脚光を浴びています。
 

 
「ラジオ」と
「カセットテープレコーダー」が
一体化した
「ラジオカセットレコーダー」
(radio cassette recorder)、
通称「ラジカセ」は、
ラジオを聞いていて
好きなところを自由にテープに収録し、
また好きな時に自由に再生出来ることから、
昭和40年代半ばから50年代にかけて
一世を風靡しました。
 

 
取っ手が付いていて持ち運ぶことが出来、
電池で動くためどこでも使うことが出来、
「ラジオ」と「カセット」を
一体化することにより、
複数の機械を持たなくても良いことが
発売当時は画期的な製品でした。

 
また、手のひらサイズで磁器テープを使った
「カセットテープ」は
繰り返し録音が可能で、
テレビの歌番組などで好きな曲が流れると、
テレビの前にテープレコーダーを置いて
「カセットテープ」に録音しました。
また、深夜放送を聴いたりするのに
使われるようになりました。
 

 
「ラジカセ」は、発祥こそ
海外(フィリップス社)でしたが、
その後、日本の各家電メーカーが競って
個性的な「ラジカセ」を続々と投入し、
日本で独自に発展させたものが
世界へ広まっていった、日本発の文化です。

 
当初は、メカニック好きの男性向けの
デザインが主流でしたが、
「サンヨー」さんが
女性向けのラジカセを出すと大ヒットし、
他社でもスリムでカラフルな機種を
登場させたことから、様々なデザインの
「ラジカセ」が生まれました。
 

 
昭和54(1979)年には、「シャープ」が
世界初のカセットデッキが2つ付いた
「ダブルラジカセ」を発売。
「ダブルラジカセ」は、
カセットからカセットへの
ダビング・編集が出来ることから、大ヒット。
自分だけのお気に入りの曲をピックアップした「マイカセット」を作成して、
それをドライブなどで楽しみました。

 

 
同じ昭和54(1979)年には、ソニーから
「ウォークマン」も発売されています。
 
更にソニーでは「ドデカホーン」という
重低音の響くラジカセを発売。
海外では「ブームボックス」と呼ばれ、
米国のヒップホップ文化の中で
大きな役割を果たしました。
 

 
「デザインアンダーグランド」は
そんな「ラジカセ」の専門店です。
元々はインテリアデザイナーをしていた
店主の松崎順一さんが、「ラジカセ」の
メカニックな美しさに魅せられて
平成15(2003)年に開業したお店です。

 
店内には1000台、更に倉庫には3000台の
「ラジカセ」が眠っています。
殆どが廃品ですが、
松崎さんは修理・販売を通して
若い世代にも、古き良き新鮮なデザインの
「ラジカセ」の魅力を伝えています。
松崎さんのお店には、カセットテープを集めている若者の姿もあります。
 

 
松﨑さんによると、「ラジカセ」というのは
ヘッドホンではなく「スピーカー」で聴くものだそうです。
スピーカーで聴くと、他の音と混じった音を、
空気を伝わって体全体、五感で聴くので、
聴く感じも違うのだそうです。
それは、ミュージシャンが行うライブに近い
感覚だそうです。
 

 
また「ラジカセ」には、
操作をするフィーリングがあって、
手間が掛かる方が音源に対して愛おしさを
感じるのだと、
「ラジカセ」愛を語って下さいました。
 
デザインアンダーグランド
  • 住所:〒121-0062
    東京都足立区南花畑5-15
    都営保木間第5団地14号棟
 
デザインアンダーグランド渋谷ベース
  • 住所:〒150-0042
    渋谷区宇田川町12の18
    東急ハンズ渋谷店1Bフロア
  • 電話:03-5489-5111(代)
 
 

昭和歌謡の魅力
(ムード歌謡漫談・タブレット純さん)

 
お笑いタレントだけでなく、歌手としても
活躍されているタブレット純さん。
 
27才の時、ある日突然
「ムード歌謡」の老舗グループ、
「和田弘とマヒナスターズ」に
芸名「田渕純」としてボーカルで加入。
以後2年間、和田弘さんが逝去されるまで
同グループにて活動しました。
 

 
グループ解散後は、新宿ゴールデン街劇場の
コケラ落とし公演に出演したのをきっかけに、
都内のライブハウスにて、ネオ昭和歌謡、
サブカル系のイベント出演し、
歌手として活動される他、
寄席・お笑いライブにも進出し、
「ムード歌謡漫談」という
新ジャンルを確立しました。
 

 
今や、昭和歌謡の知識において
右に出るものはないと言われる
タブレット純さんは、昭和49(1974)年生まれ。
幼少時より、AMラジオを通じて
生まれる前の歌謡曲を聴いて
古い歌謡曲に目覚めます。
思春期は中古レコードを蒐集し、
愛聴・研究に埋没する日々を送ったそうです。

大人の雰囲気漂う「ムード歌謡」に惹かれ、
男女が織りなすドラマチックな曲が
意味も分からないのに好きだった
子供時代でした。
 

 
昭和40年代は、ビートルズの来日をきっかけに
「グループサウンズ」が流行し、
学生運動が激化すると若者達は
「フォークソング」に目覚めました。
 

 
歌は、時代や生活を映し出しています。
昭和が終わり33年経ちました。
この先も「昭和」は
私達の心に語り続けてくれます。

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