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美の壺スペシャル 「昭和レトロ」

<番組紹介>
若者に大人気の「花柄グラス」。
なぜ若手デザイナーは、昭和デザインをリバイバルさせた?
 
 ▽テレビから掃除機まで、昭和の家電の変遷を徹底解剖!
 ▽クリームソーダやプリンアラモード、ナポリタンまで
  「昭和グルメ」の魅力とは?
 ▽銭湯の富士山を1日で描き上げる、
  銭湯絵師のスゴ技に密着!
 ▽渋谷でラジカセとカセットが流行?!
 ▽タブレット純が語る「昭和歌謡」の奥深い世界
 ▽木村多江は黒電話・赤電話と“レトロ放談”!
 
初回放送日: 令和4(2022)年7月30日
 
 
 

美の壺1.

花柄の器「アデリアレトロ
(石塚硝子デザイナー・杉本光さん、桐本夏樹さん)

 
東京・表参道には、
若者達に大人気の「昭和レトロ」のショップがあります。
店内には、カラフルでポップなガラスの器が並んでいます。
中でも人気なのは、かつて昭和の家庭で親しまれた
石塚硝子の「ADERIA(アデリア)」のグラスです。
 

aderiacompany.co.jp

 
石塚硝子は、文政2(1819)年創業の老舗ガラスメーカーです。
当時は尾張藩主からの注文としてビードロ細工を手掛け、
以降、明治・大正・昭和とガラスを製造してきました。
昭和36(1961)年からは食器事業への本格参入し、
花柄をプリントしたグラス「ADERIA(アデリア)」を販売。
すると、親しみやすいデザインと手頃な価格で広まり、
昭和40年代半ばから50年代の始めにかけて、
昭和の食卓を彩ることになりました。
 

 
かつて昭和の家庭で親しまれた「アデリア」のグラスが、
今のライフスタイルに寄り添ったテーブルウェアとして蘇りました。
懐かしくて新しい。昭和のカワイイを詰め込んだレトロな器、
アデリアレトロ」です。
 

 
この懐かしさ漂う昭和レトロのガラス器を手掛けたのは、
昭和を知らない若いお二人のデザイナー、
杉本光さんと桐本夏樹さんです。
花柄や風船など当時人気のあったデザインを
「アデリアレトロ」として4年前に復刻しました。
 

 
杉本さん、桐本さんは、
「昭和レトロ」はモチーフや何もかもが自由で、
手描きでタッチも柔らかく、
画面一杯に配した柄はインパクトがあるとおっしゃいます。
 

 
食卓を華やかしたいという思いが現代の制作者に伝わってきます。
店を訪れた人は、
「使うとテンションが上がり懐かしい感じがします。」と
印象を語っていました。
 

 
 

ちゃぶ台からダイニングキッチンへ

 
昭和21年より連載が始まった国民的人気漫画『サザエさん』。
画中で家族が集まる場に欠かせないのが「ちゃぶ台」です。
昭和に入ると、全国的に「ちゃぶ台」が普及し、
一家団欒の象徴となりました。
 

 
 
昭和30年代に入り、都市に人口が増加して団地が出来ると、
家族の団欒の場には変化が見られるようになりました。
「ちゃぶ台」から「ダイニングキッチン」へと、
20年の年月が家族の団欒を変化させたのです。
 

 
東京・八王子にある「UR都市機構集合団地歴史館」は、
集合住宅の歴史と技術の変遷を辿ることの出来る施設です。
 
こちらに、昭和32(1957)年に東京板橋区に出来た
「日本住宅公団(現在のUR)」発足当時の
代表的な昭和30年代の中層集合住宅であった「蓮根団地」が
再現されています。
 
 
当時、「日本住宅公団」は、
戦後の住宅不足解消を目的に大規模団地を作るだけでなく、
新しい生活スタイルの提案も行っていました。
その1つが、建築学者の西山夘三(にしやま うぞう)が提唱した
「食寝分離」のプランです。
 

 
それまで日本の住宅には畳が敷かれて、
「ちゃぶ台」を出せば「食事をする場」になり、
「布団」を敷けば「寝室」と、
1つの部屋が様々な用途に使用出来る造りになっていました。
 

 
 
西山夘三(にしやま うぞう)は、庶民住宅の住み方を調査し、
どんなに部屋数の少ない小住宅でも、
「食事をする場所」と「寝る場所」とを分離しようとする傾向が
極めて強いことを突き止め、
「食寝分離」を基礎とした住宅計画論を展開していました
(「住居空間の用途構成に於(お)ける食寝分離論」昭和17(1942)年)。
 

 
戦後、「日本住宅公団」がこの「食寝分離」の考え方を取り入れて、
2つの寝室とダイニングキッチン(DK)に、浴室を備えた
「2DK」を標準設計として採用。
「蓮根団地」は、この2DKの思想を反映した最初期の団地でした。
 


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昭和35年(1960)に制作された記録映画「新しい都市」には、
当時の団地の様子が収録されています。
家族でダイニングキッチンを囲み、
紅茶にサンドイッチを食べるのが憧れだったようです。
 


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八王子にあるUR都市機構の「集合住宅歴史館」は
令和4(2022)年3月31日で閉館し、都心へ移転することになりました。
 
UR都市機構 集合住宅歴史館
  • 住所:〒192-0032
       東京都八王子市石川町2683-3
  • 電話:042-644-3751
 
 

食卓を華やかに囲む魔法瓶(坂下清さん)

 
昭和40年代に入ると、食卓やキッチンが華やぎます。
調理器具や食器に花柄のデザインが登場します。
その最たるものが「魔法瓶」でした。
 

 
「花柄魔法瓶」のデザインを手掛けたのは、
早川電機工業(現・シャープ)の坂下清さんです。
 

 
坂下さんは、通産省が主催していた雑貨コンクールの
当時、堺にあった「ナショナル魔法瓶」の「卓上魔法瓶」の部門に
応募したところ、入選。
それで早川電機の仕事の傍ら、週末の会社の休みには
「ナショナル魔法瓶」の新商品の開発などに関わるようになります。
 
 
欧米への渡航経験もあった坂下さんは、
日常生活で花柄が溢れている欧米のように、
日本でもジメジメした土間から
ダイニングキッチン型の台所に変わったことで、
「魔法瓶」もそれまで主流だった
ブリキ製の寸胴型のお茶缶のようなものから、
ブーケや海外の食卓を飾る花をヒントに
「魔法瓶」を花柄で飾ろうとしたのです。
 

坂下さんが注目したのは、
日本人が古くから慣れ親しんだ花柄の「京友禅」でした。
「魔法瓶」のボディを展開した扇形の型紙に描くことは、
着物の裾模様と同じというイメージがあったからだそうです。
「京友禅」の作家に依頼してデザインを描いてもらい、
「魔法瓶」に花柄模様を取り込みました。
 
 
坂下さんは、
デザインは生活に潤いを与える大切な要素だとおっしゃいます。
「花柄魔法瓶」は人気を集め、
「魔法瓶」から電子ジャーとどんどん広がっていきました。
多くのメーカーから発売され、昭和の食卓は花柄ブームとなりました。
 

 
 

美の壺2.暮らしを変える家電のかたち

大阪中之島美術館

 
約40年もの準備期間を経て、
今年(令和4(2022)年)2月2日、
大阪市北区の中之島エリアにオープンした
大阪中之島美術館(おおさかなかのしまびじゅつかん)では、
19世紀後半から21世紀の現代までの
近代美術や現代美術を
多岐に渡って収集・保管・展示しています。
 

 
 
大阪に集積する家電企業や住宅建材企業などの
「工業デザイン」の製品を
戦後の日本のライフスタイルや
社会行動、価値観をかたちづくってきた
主要な構成要素のひとつと考え、
(IDAP)を設置。
黎明期・発展期の家電デザイン関係者の
オーラルヒストリーによる「記憶」や
製品の情報の「記録」を蓄積・保存・調査し、
ウェブにより紹介したり、シンポジウムなどを開催しています。
 
 
学芸課長の植木啓子さんによると、
戦後出来た電気掃除機や電気炊飯器などは、
高い価値がつかないため、失われやすいそうです。
後世に遺すためにも、アーカイブ化を進め
その構想やアイデアを保存・記録していきたいと語っていました。
 

 
  • 住所:〒530-0005
       大阪市北区中之島4丁目3番1号
  • 電話:06-6479-0550(代表)
 
 

パナソニックミュージアム


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昭和28年頃の家電のPR映画には、
当時の最新家電を使った庶民の憧れの生活が描かれています。
 
大阪・門真市にあるパナソニックが運営している企業博物館
昭和20年代後半に登場した
庶民にとっての「三種の神器」と呼ばれた
「白黒テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」が展示されています。
 


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学芸員の川原陽子さんによると、
日本で作った経験のなかったものは
海外のものを習い、一から部品の作り方から勉強して、
日本独自のものを作ったそうです。
 

 
昭和28(1953)年に始まったテレビ本放送開始時には、
街頭で楽しんだテレビも、
東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年には
一家に一台、茶の間に置かれるようになりました。

更にブラウン管は小さくなり、
木材を使用し、まるで家具のような「家具調テレビ」が出来るなど、
日本独自のものへと成長しました。
 

 
「暮らしを豊かにしたい」という
開発者の思いが繋がったのだと紹介して下さいました。
 


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・「松下電工社歌」  歌:藤山一郎(昭和6年3月制定)
・「松下電工行進曲」 歌:木村彦治
 
  • 住所:〒571-8501
       大阪府門真市門真1006
  • 電話:06-6906-0106
 
 

デザイン家電(村上正師さん)

 
昭和50年代になると、テレビゲームの人気により
家電も変化を遂げます。
インテリアとの調和を考えた「デザイン家電」が登場しました。
 
オーブントースター、ヘアードライヤーなど全ての家電を
ブルーに統一したシリーズは、
今まで家電に縁のなかったユーザーに向けて開発したそうです。
 
家電メーカーでデザインを担当した村上正師さんによると、
これから独立する男性をターゲットに絞り、
企業戦士が一人になった時に、
緊張から解き放たれた時にカジュアルでリラックスした
馴染むような生活道具として考えられました。
アメリカのカレッジライフをイメージした色に
丸みを帯びたデザインが親しみを感じます。
 
「ライフスタイル」という言葉が使われ始めた時で、
生活者に寄り添う道具としての顔を作りたかったと
当時を振り返っておっしゃっていました。
 
 
 

美の壺.木村多江アワー「昭和レトロ放談」
(ゲスト・黒電話さんと赤電話さん)

「木村多江アワー 昭和レトロ放談」。
 
今回のゲスト、まず最初は何と「黒電話」さんです。

 
「黒電話」さんは、昭和37(1962)年に登場した電話機で、
正式名称は「600形自動式卓上電話機」と言います。
「話す」と「聞く」が一体化したもので、
完成された電話機と呼ばれています。
カール状の電話コードは、もつれを解消した優れモノでした。
そしてもう御一方は、昭和41(1966)年に登場し、
「公衆電話」として親しまれた「赤電話」さんです。

ダイヤル直通で市外通話も出来るため、
街頭には「赤電話」さんで通話する人々が多数いたそうです。
故郷にでも電話していたのでしょうか。
「赤電話」さんの「赤」の色は、
「色相5R、明度4、彩度13」と、こだわりの鮮やかな赤色です。
 
 


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「赤電話」さん、なんと昭和45(1970)年には、
「赤い電話」という曲もリリースしています。
歌詞は公募されたもので、6200点より親しみのあるものが選ばれました。
歌うは、当時大人気であった島倉千代子さん。
 

 
個性的なゲストのお二方でした。
 
 

美の壺3.笑顔もたらす あのころの味

昭和メニューの喫茶店(東京・六本木の喫茶店「ALMOND(アマンド)」)


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かつて待ち合わせ場所と言えば、
六本木交差点のシンボル「ALMOND(アマンド)」でした。
待ち合わせ時やお酒の後に、
アマンドのケーキとコーヒーで時間を過ごすことが、
当時の「六本木スタイル」として人気を博しました。
「ALMOND(アマンド)」は、
昭和21(1946)年に東京・新橋に喫茶と甘味の店として誕生し、
昭和24(1949)年からは、後に「アマンドピンク」と呼ばれる
当時では斬新な発想の「ピンク」を基調としたお店作りが
評判を呼びました。
今では当たり前となった、おしぼりの提供、店頭にパラソルを置く、
彫刻や絵画を飾るなどもアマンドが始めたと言われています。
その後、新橋から有楽町、六本木、銀座と店舗を増やし、
本格的な「洋菓子と喫茶文化」を広めるなど、昭和を彩ってきました。
 
店の自慢は、「昭和レトロ」の喫茶メニューです。
クリームソーダやプリンアラモードが今、若者に人気です。
 

 
 
昭和を彩ってきた「ALMOND(アマンド)」ですが、
時代の流れと共に厳しい時がありました。
そんな時、原点に立ち返り
「昭和メニュー」の復刻をすることにしたのです。
その名も「アマンド昭和パーラー」プロジェクト!
平成29(2017)年、創業70年を迎えて新たな挑戦を打ち出したのです。
 

 
代表取締役・勝俣勉さんによると、
創業当時、甘い物で人を幸せにしたいというのがオーナーの理念でした。
そして今でも「昭和メニュー」には、
人に安心感を与え、和ませる要素があるとおっしゃいます。
 

 
取締役の御園真道さんによると、
40もの「昭和メニュー」の復刻するに当たり、
在籍したコックさんに尋ねたり、
誰も知らないメニューは扱っているお店に食べに行ったり
したこともあったそうです。
 
「昭和メニュー」は、
手数は掛かるものの、見た目は良いと感じたそうです。
そしてそれが「昭和の美学」なのだとも思ったそうです。
今後もひと手間掛けた美味しさが伝えられればと
おっしゃっていらっしゃいました。
 
アマンド 六本木店
 
 

デパートの大食堂(岩手県花巻市・マルカンビル大食堂


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JR花巻駅から徒歩15分、岩手県花巻市の商店街には、
今でも「昭和グルメ」が楽しめる場所があります。
マルカンビルの6階にある「マルカンビル大食堂」は、
昭和48(1973)年に開業したデパートの大食堂です。
 
昭和の時代、デパートは時代を先取りした上質な商品が揃い、
屋上には遊園地があり、最上層階には大食堂がつきものでした。
「旧マルカン百貨店」もそんなデパートのひとつとして
花巻市民に愛されてきましたが、
惜しまれつつ、平成28(2016)年に閉店しました。
 


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その6階にあった展望大食堂が、
花巻の人々が署名や改修費の調達に奮闘した結果、
マルカンビル大食堂」として平成29(2017)年2月に復活しました。
かつての「マルカン百貨店」そのままの場所です。
エレベーターの扉が開き一歩店に足を踏み入れれば、
そこは昭和の大食堂です。
 

 
 
「昭和レトロ」な面影が漂う店内の雰囲気は閉店前のまま。
ショーケースにずらりと並ぶ料理サンプル、
テーブルにイス、照明、箸立てなどの調度品は
全て旧マルカン百貨店からそのまま引き継いだものだそうです。
 
ラーメンや寿司、洋食、ソフトクリーム、パフェ・・・など
メニューは何と130品以上、これも閉店前と同じです。
レトロな料理サンプルを眺めてメニューを選んだら、
レジで食券を購入しましょう。
広々とした食堂内にはテーブルが580席もありますが、
平日でもお昼時には満席になることもあります。
週末ともなれば、食券を購入する人の行列が
6階から階段づたいに1階まで続くこともあるそうです。
 

 
食堂で一番人気は、箸で食べる「ソフトクリーム」です。
くるくると10段も巻かれた圧巻のビジュアルを誇り、
高さは何と約25㎝。
テーブルに置かれたレトロな箸立てと背を並べる程の高さです。
販売当初は一般的な大きさでしたが、テレビ取材の際、
お客さんに喜んでもらいたいと「盛りを良くして」が口癖であった
旧マルカン百貨店の創業者の言葉を思い出したスタッフが張り切って
ソフトクリームを10段巻いたのが始まりなのだそうです。
 
 
厨房が見えるカウンター式キッチンから次々と提供される料理も
閉店前そのままの味が楽しめます。
「マルカンラーメン」と
ナポリタンにトンカツがのった「ナポリかつ」が
今でも不動の人気メニューです。
ボリューム満点の作り料理がお手頃価格で味わえます。
 

 
店長の菊池英樹さんは、
これからも変わらずお腹一杯になる商品を作っていきたいと
豊富を語って下さいました。
昭和の趣が香る食堂は、
大人には懐かしく子供達の目には新鮮に映りそうですね。
 

 
  • 住所:〒025-0087
       岩手県花巻市上町6−2
  • 電話:0198-29-5588
  • 営業時間
    平 日:11:00~15:30(15:00 L.O)
    土日祝:11:00~18:30(18:00 L.O)
  • 営業時間(8/11~8/15)
    11:00~18:30(18:00 L.O)  
    <8/10営業、8/16振替休業>
 
 

美の壺4.町の中のタイムカプセル

銭湯MAP『銭湯図解』(画家の塩谷歩波さん)

 
お湯に浸かる人々やフロントから浴室まで
昭和の銭湯を描いたイラストエッセイ集『銭湯図解』。
 
描いたのは、小杉湯番頭兼イラストレーターで
設計事務所出身の塩谷歩波(えんやほなみ)さんです。
建築の図法「アイソメトリック」を用いて、
銭湯の建物内部を精密な俯瞰図で描いています。
 

sentozukai.jp

 
塩谷さんは、早稲田大学大学院(建築専攻)を修了後、
有名設計事務所に勤めるも、体調を崩してしまいます。
休職中に通い始めた銭湯に救われ、
銭湯のイラスト「銭湯図解」をSNS上で発表するとこれが評判を呼び、
新聞、テレビ、ラジオなどでも取り上げられ、
令和元(2019)年には『銭湯図解』が書籍化されました。
都内を中心に24軒の銭湯の図解をカラーで掲載するとともに、
見どころ、味わいどころがエッセイで紹介されています。
 
掲載の銭湯
  1. 東京・高円寺 「小杉湯」:ホーム銭湯
  2. 東京・北千住 「大黒湯」:銭湯の原風景
  3. 東京・荒川  「梅の湯」:女友達を連れて行く銭湯
  4. 東京・日暮里 「斉藤湯」:まっすぐ真面目な銭湯
  5. 東京・鶯谷  「萩の湯」:銭湯のテーマパーク
  6. 東京・戸越銀座
        「戸越銀座温泉」:ご飯がおいしくなる銭湯
  7. 東京・押上  「大黒湯」:露天の王様
  8. 埼玉・川口  「喜楽湯」:古くて新しい銭湯
  9. 東京・町田  「大蔵湯」:現代銭湯建築の傑作
  10. 東京・練馬  「久松湯」:銭湯建築のニューウェーブ
  11. 東京・蒲田  「桜 館」:春に行く銭湯
  12. 東京・日本堤 
       「湯どんぶり栄湯」:贅沢な銭湯
  13. 東京・成田東 「吉の湯」:遠足したくなる銭湯
  14. 京都  「サウナの梅湯」:京都に浸る銭湯
  15. 三重・伊賀  「一乃湯」:マニアが焦がれる銭湯
  16. 東京・墨田区 「薬師湯」:お風呂のエンタメ
  17. 東京・蒲田 「蒲田温泉」:昭和を味わう銭湯
  18. 東京・武蔵境「境南浴場」:泣きに行く銭湯
  19. 東京代々木上原「大黒湯」:代々木上原の異世界
  20. 千葉・習志野 
      「クアパレス習志野」:銭湯界のエデン
  21. 名古屋   「平田温泉」:愛情につかる銭湯
  22. 徳島     「昭和湯」:会いに行きたくなる銭湯
  23. 東京・大崎  「金春湯」:実家みたいな銭湯
  24. 東京・東上野 「寿 湯」:はじめての銭湯図解
 
また、東京・高円寺にある「小杉湯」に声をかけられて、
番頭として働くようになりました。
 

 
塩谷さんは、全国60軒以上の銭湯を描きました。
全国には多くの銭湯がありますが、全く同じ銭湯はありません。
 

note.com

 
滋賀県大津の銭湯には今でも、
「オカマ」と呼ばれる椅子式のドライヤーや
「コイン式マッサージ機」があります。
また、三重県伊賀にある昭和25(1950)年創業の銭湯には、
花柄のタイル貼りやモザイクの浴槽があります。
 
「昭和レトロ」は絵になると塩谷さんはおっしゃいます。
人との交流や開放的な空間に癒されますね。
 


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富士を描く(銭湯絵師・中島盛夫さん)


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銭湯は、家風呂が出来るまで欠かせない存在でした。
昭和43(1968)年には、全国に1万8千軒近くの銭湯がありました。
 
東京・中野にある銭湯は、昔ながらの風景が残っています。
浴槽の背景にある富士山の絵です。
背景の絵を描くのは、
全国に数人しかいない銭湯専門の絵師・中島盛夫さんです。
東京オリンピックのあった昭和39年から今まで58年間、
中島さんは、銭湯の絵を描き続けています。
 

 
取材に訪れた日は、数年に1度の浴室の絵の塗り替え作業の日でした。
絵を描けるのは、休業日の1日だけです。
どんな構図にするのか当日、現場で考えます。
絵の上からローラを走らせて描きます。
材料はペンキ、使う色は青・白・黄・赤の4色のみです。
手早く色を混ぜて、様々な色を出します。
前回、川だった背景が海に変えられていきます。
縦2.5m、横12mの風景が描かれました。
まるでその場に行ったような景色です。
ここでいろんな人の交流が繰り広げられるのですね。
 

 
そう言えば、以前、美の壺スペシャル「レトロ建築」で紹介された
東京・大田区の住宅街にある
昭和32(1957)年に建てられた宮造りの外観の老舗銭湯
「明神湯」(みょうじんゆ)の浴場には、
縦2.6m、横15mの巨大な富士山の壁画がありましたね。
こちらは、銭湯絵師・丸山清人(まるやま きよと)さんが描いたペンキ画です。
 

omotedana.hatenablog.com

 

美の壺5.音楽を味わい尽くす

ラジカセの魅力
(東京渋谷のラジカセ専門店「デザインアンダーグランド」店主・松崎順一さん)

 
若者に人気の「昭和レトロ」は音楽の世界にもあります。
今、カセットテープが再び静かなブームとなる中、
「ラジカセ」の往年の名機達も改めて脚光を浴びています。
 

 
「ラジオ」と「カセットテープレコーダー」が一体化した
「ラジオカセットレコーダー」(radio cassette recorder)、
通称「ラジカセ」は、
ラジオを聞いていて好きなところを自由にテープに収録し、
また好きな時に自由に再生出来ることから、
昭和40年代半ばから50年代にかけて一世を風靡しました。
 

 
取っ手が付いていて持ち運ぶことが出来、
電池で動くためどこでも使うことが出来、
「ラジオ」と「カセット」が一体化することにより、
複数の機械を持たなくても良いということで、
発売当時は画期的な製品でした。

 
手のひらサイズで磁器テープを使った「カセットテープ」は
繰り返し録音が可能で、
テレビの歌番組などで好きな曲が流れると、
テレビの前にテープレコーダーを置いて
「カセットテープ」に録音しました。
また、深夜放送を聴いたりするのに使われるようになりました。
 

 
「ラジカセ」は発祥こそ海外(フィリップス社)でしたが、
日本の各家電メーカーが競って個性的な「ラジカセ」を続々と投入し、
日本で独自に発展させたものが世界へ広まっていった
日本発の文化です。

 
当初はメカニック好きの男性向けのデザインが主流でしたが、
サンヨーが女性向けのラジカセを出すと大ヒットし、
他社もスリムでカラフルな機種も登場するなどしたことから、
様々なデザインの「ラジカセ」が発売されました。
 

 
昭和54年には、シャープが世界初の
カセットデッキが2つ付いた「ダブルラジカセ」を発売。
「ダブルラジカセ」は、
カセットからカセットへのダビング・編集が出来ることから、大ヒット。
自分だけのお気に入りの曲をピックアップした「マイカセット」を収録し、
ドライブなどで楽しみました。
 

 
同じ昭和54年には、ソニーから「ウォークマン」も発売されています。
ソニーは「ドデカホーン」という重低音の響くラジカセを出しました。
 
海外では「ブームボックス」と呼ばれ、
米国のヒップホップ文化の中で大きな役割を果たしました。
 

 
「デザインアンダーグランド」は
そんな「ラジカセ」の専門店です。
元々はインテリアデザイナーをしていた
店主の松崎順一さんが、
「ラジカセ」のメカニックな美しさに魅せられて
平成15(2003)年に開業したお店です。

 
店内には1000台、更に倉庫には3000台の
「ラジカセ」が眠っています。
殆どが廃品ですが、松崎さんは修理・販売を通して
若い世代にも、
古き良き新鮮なデザインの「ラジカセ」の魅力を伝えています。
松崎さんのお店には、
カセットテープを集めている若者の姿もあります。
 

 
松﨑さんによると、「ラジカセ」というのは
ヘッドホンではなく「スピーカー」で聴くものだそうです。
スピーカーで聴くと他の音と混じって聴くので、
空気を伝わって体全体、五感で聴いているので、
聴く感じも違うのだそうです。
それは、ミュージシャンのライブに近い感覚だそうです。
 

 
また「ラジカセ」には、操作をするフィーリングがあって、
手間が掛かる方が音源に対して愛おしさを感じるのだと、
「ラジカセ」愛を語って下さいました。
 
デザインアンダーグランド
  • 住所:〒121-0062
       東京都足立区南花畑5-15
       都営保木間第5団地14号棟
 
デザインアンダーグランド渋谷ベース
  • 住所:〒150-0042
       渋谷区宇田川町12の18
       東急ハンズ渋谷店1Bフロア
  • 電話:03-5489-5111(代)
 
 

昭和歌謡の魅力(ムード歌謡漫談・タブレット純さん)

 
お笑いタレントで、歌手としても活躍されているタブレット純さん。
 
27才の時、ある日突然「ムード歌謡」の老舗グループ、
「和田弘とマヒナスターズ」に芸名「田渕純」としてボーカルで加入。
以後2年間、和田弘さん逝去まで同グループにて活動。
 

 
グループ解散後は、
新宿ゴールデン街劇場のコケラ落とし公演に出演したのをきっかけに、
都内のライブハウスにて、
ネオ昭和歌謡、サブカル系のイベント出演し歌手として活動される他、
寄席・お笑いライブにも進出し、
「ムード歌謡漫談」という新ジャンルを確立して
芸人としても活躍されています。
 

 
今や昭和歌謡の知識において右に出るものはないと言われる
タブレット純さんは、昭和49(1974)年生まれ。
幼少時より、AMラジオを通じて生まれる前の歌謡曲を聴いて
古い歌謡曲に目覚めます。
思春期は中古レコードを蒐集し、
愛聴・研究に埋没する日々を送ったそうです。

大人の雰囲気漂う「ムード歌謡」に惹かれ、
男女が織りなすドラマチックな曲が意味も分からないのに
好きだった子供時代でした。
 

 
昭和40年代は、
ビートルズの来日をきっかけに「グループサウンズ」が流行し、
学生運動が激化すると若者達は「フォークソング」に目覚めました。
 

 
歌は、時代や生活を映し出しています。
昭和が終わり33年経ちました。
この先も「昭和」は私達の心に語り続けてくれます。

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