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美の壺スペシャル「レトロ建築」

レトロ建築の大ファン・内田有紀さんが、
伯爵の旧邸宅で“世界旅行”
 ▽人気アニメ映画「君の名は。」の背景美術を手がけた
  ポーランド人アーティストが世界に発信する
  「昭和レトロ商店」。制作現場に密着!
 ▽フランク・ロイド・ライトがデザインした
  「テラコッタ」の誕生秘話
 ▽建築家・安藤忠雄さんによる、
  古い建築を未来に残す大胆なデザイン!
 ▽木村多江さんのレトロ探訪
 ▽一人三役!草刈正雄×六角精児のタワマン論争?!
 

 

美の壺 内田有紀のレトロ建築探訪

 

スパニッシュ様式の小笠原伯爵邸

女優の 内田有紀さんはレトロ建築ファン。
趣味はレトロ建築巡りだそうです。
 
内田さんが訪れたのは、
東京新宿区にある「旧 小笠原伯爵邸」(おがさわらはくしゃくてい)です。
礼法の宗家で有名な小笠原家第30代当主で、
旧小倉藩藩主の伯爵 小笠原長幹(おがさわら ながよし)の本邸として
昭和2年(1927年)に竣工。
設計者はジョサイア・コンドルの弟子の
曽禰達蔵(そね たつぞう)と中條精一郎(ちゅうじょう せいいちろう)です。
 
邸宅は、当時、米西海岸で流行していた
「スパニッシュ様式」の鉄筋コンクリート造です。
内田さんは正面玄関の「ガラスの庇」がお気に入りだそうです。
室内は、パティオ(中庭)に面して
大きなガラスの扉がいくつも設けられていて、
内部と外部の境界を曖昧にしています。
内田さんはそのパティオ周りの建物の光と影に萌えるのだとか。
 
 
 
 
 
  • 住所:〒162-0054
       東京都新宿区河田町10−10  
  • 電話:03-3359-5830
 

美の壺1.建物で味わう世界旅行

 
建築史家・江戸東京博物館研究員の米山勇(よねやま いさむ)さんが
東京のレトロ建築 を案内してくれました。
 

英ヴィクトリアン様式・日本最初のオフィスビル
「丸の内旧三菱一号館」赤レンガの一丁倫敦

東京・丸の内にある「三菱一号館美術館」。
現在の建物は、明治27(1894)年に竣工した
日本初のオフィスビル「三菱一号館」を再建したものです。
 
「三菱一号館」は、
明治政府の建築顧問であった英国人建築家・
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)設計の
英ヴィクトリアン様式の煉瓦造の建築物でした。
 
「三菱一号館」の一番の特徴は、「赤れんが」。
本来構造材として使う赤れんがを外壁の装飾として取り入れたのは
当時としては画期的な手法でした。
19世紀の英国では
外壁に赤れんがをそのまま出すスタイルが流行していました。
英国出身のコンドルは、
当時英国で流行していた赤れんがを外壁とする
「ヴィクトリアン様式」で建物を設したのです。
 
その後17年間で丸の内には赤れんがのオフィスが次々と建ち、
一丁(約100m)の間に生まれた華やかなオフィスの街並みは
まるでロンドンのような景観になったため、
「一丁倫敦」(いっちょうろんどん)と呼ばれました。
 
「第1号館」は老朽化のため、昭和43(1968)年に解体されますが、
 
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、
2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。
 
  • 住所:〒100-0005
       東京都千代田区丸の内2丁目6−2  
  • 電話:03-5777-8600
 
 

アメリカン・ルネッサンス「明治生命館」

皇居に面してある「明治生命館」(めいじせいめいかん)
竣工したのは、昭和9(1934)年のことです。
設計は、岡田信一郎(しんいちろう)・捷五郎(しょうごろう )兄弟で、
構造設計は、内藤多仲(ないとう たちゅう)によって行われました。
 
「明治生命館」は終戦後、
アメリカ極東空軍司令部(FEAF)として使用するために
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、
昭和31(1956)年に返還。
そして、平成9(1997)年5月に昭和期の建造物としては初めて
国の重要文化財に指定されました。
 
近代、アメリカでは
ギリシャ・ローマを模範とするスタイルが流行。
「アメリカン・ボザール」とか
「アメリカン・ルネッサンス」と呼ばれるものです。
「明治生命館」は、その「アメリカン・ルネッサンス」に
影響を受けたデザインになっていて、
まるでギリシャ神殿のような、威厳溢れる造になっています。
 
外観で特に目を引くのは、コリント式の巨大な柱。
柱頭には、アカンサスの華やかな彫刻が施されています。
 
入り口を入ると、重厚な柱が当時のまま26本並びます。
天井には「ロゼット」と呼ばれる花形飾りがびっしり。
職人がひとつひとつ彫り出したもので、
外も中も秩序統一を保つデザインで、威厳と信用の獲得を求めたのです。
 
  • 住所:〒100-0005
       東京都千代田区丸の内2丁目1−1 
  • 電話:03-3283-9252
 
 

パリ アール・デコ様式「旧朝香宮邸」
(東京都庭園美術館 )

東京・白金にある「東京都庭園美術館」(とうきょとていえんびじゅつかん)
昭和8(1933)年に建設されたアール・デコ様式の「旧朝香宮邸」と
その空間を活かした展覧会、緑豊かな庭園を楽しめる美術館です。
 
外観はモダニズムの流れを汲んだシンプルなデザイン。
玄関に入ると、ルネ・ラリック(René Lalique)作の
「ガラスレリーフ扉の女性像」という、
放射状に広がる左右対称の翼を持つ4体の女性像が出迎えてくれます。
このガラスレリーフを始め、
邸内は20世紀にパリで流行した「アール・デコ 」と呼ばれる
装飾様式で彩られています。
 
旧皇族の朝香宮鳩彦王は、大正11(1922)年に渡仏、
パリ郊外で交通事故に遭ったことから
看病のため急遽渡仏した允子妃とともに
怪我の療養のため、
大正14(1925)年まで長期滞在を余儀なくされました。
ただ、フランス滞在が長引いたことで、
フランス文化により長く触れることになりました。
 
当時のフランスは、「アール・デコ」の全盛期。
「アール・デコ」とは、
1925年に開催された
「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」
(略称「アール・デコ博」)の略称に因んで、
一般に「アール・デコ」と呼ばれるようになった
建築を始めとしたデザイン様式の一つです。
 
アール・デコ特徴としてまず挙げられるのは、
「直線的」なデザインです。
それに加えて、ある点から放射する線や正円や円弧、
更には連続的な波模様といった、
「対照的」で「幾何学模様」のモチーフも
アール・デコ建築の特徴として挙げられます。
 
朝香宮鳩彦王夫妻は
「アール・デコ博」で本場の装飾芸術に触れ、
その様式美に魅せられたことから、
自邸の建設にあたり、
フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、
アール・デコの精華を積極的に取り入れました。
 
「旧朝香宮邸」は、内装もフランス直輸入のものを用いています。
来客室の扉は、マックス・アングラン(Max Ingrand)の
「エッチング・ガラス扉」。
 
次室(つぎのま)で存在感を放つ白磁の置物は
フランス・セーブルで作られた
アンリ・ラパン(Henri Rapin)の「香水塔」です。
これは、照明部分に香水を垂らして香りを楽しみました。
連続する渦巻きは、アールデコ特有の装飾です。
空調設備を隠すラジエーターカバーまで幾何学的デザイン。
隅々まで趣向が凝らされた、
日本に現存する代表的なアールデコ建築です。
 
  • 住所:〒108-0071
       東京都港区白金台5丁目21−9  
  • 電話:03-3443-0201
 
 

美の壺2時代を映す、店の顔

 

「看板建築」
マテウシュ・ウルバノヴィチ さん

アニメ「君の名は。」の背景を手掛けた
ポーランド人アーティスト・ウルバノヴィチさんが描く
看板建築イラストの製作現場に密着しました。
 
マテウシュ・ウルバノヴィチさんは
ワルシャワにあるポーランド日本情報工科大学で
学士号を取得後、神戸芸術工科大学へ留学。
卒業後は、
アニメ制作会社「コミックス・ウェーブ・フィルム」に入社、
新海誠監督の2016年の大ヒット映画「君の名は。」の
背景美術を担当して一躍有名になりました。
 
また、東京にある古き良き建物のイラストを
2016年にインターネット上で発表すると話題となり、
「東京店構え」として書籍化されています。
 
来日して10年のウルバノヴィチさんが夢中になっているのが
大正から昭和にかけて建てられた「レトロ商店」。
中でも、「看板建築」(かんばんけんちく)が大好きなんだそうです。
 
看板建築・ 創業100年を超えるパン屋さん
「築地 木村屋」
ウルバノヴィチさんが訪れたかわいいパン屋
「築地 木村屋」(きむらや)は、
明治43(1910)年に「銀座木村屋」よりのれん分けされた、
築地で100年以上の歴史を持つ老舗のパン屋さんです。
 
現在の店舗は、関東大震災後に建てた大正時代の建物です。
罌粟(けし)あんぱんが名物で、牛すじ玉ねぎカレーパンも人気。
他にもシベリア、サンドウィッチやラスク、ドーナツなどがあります。
 
  • 住所:〒104-0045
       東京都中央区築地2丁目10−9   
  • 電話:03-3541-6885
 

東京小金井市「江戸東京たてもの園」

東京・小金井市にある「江戸東京たてもの園」。
「看板建築」という用語を命名した
建築家・建築史家の藤森照信さんが館長を務める博物館です。
 
こちらは、
平成5(1993)年に東京都江戸東京博物館の分館として開園し、
現地保存が不可能な文化的・歴史的価値の高い建造物を
移築・復元し、保存・展示し、
貴重な文化遺産として次代に継承しています。
その「東ゾーン」に、
個性的な看板を掲げたレトロな商店が6軒つらねている一角があります。
2階建てが許されない時代に、
マンサード屋根と呼ばれる屋根で3階建てを実現するなど、
様々な制約をかいくぐって自分達の町を作った最後の時代だといいます。
 
  • 住所:〒184-0005
       東京都小金井市桜町3丁目7−1  
  • 電話: 042-388-3300
 
 

美の壺3.時が重ねた心地よさ
     ~ 木村多江のレトロ建築探訪

 

昭和の面影を残す銭湯「明神湯」

木村多江さんんが訪れたのは、
東京・大田区の住宅街にある老舗銭湯「明神湯」(みょうじんゆ)です。
昭和32(1957)年に建てられた宮造りの外観の銭湯で、
丸山清人絵師の手による富士山のペンキの壁画や
古いマッサージ器などレトロな雰囲気がなんとも魅力的です。
 
木村さんがまず圧倒されたのが、
神社や寺を思わせる重厚な外観です。
あちこちに、日本の伝統的な建築の技が取り入れられています。
煙突の下の巨大な瓦屋根は、緩やかな曲線を描く「唐破風」(からはふ)
屋根の妻飾りには、火除けの願いを込めたという
「懸魚」(げぎょ)と呼ばれる飾り板。
東京の銭湯を代表する建築様式で、
「宮造り」(みやづくり)と呼ばれています。
 
中へ入ると天井が高く、開放的な空間が広がります。
案内してくれたのは、
銭湯の2代目の大島昇さん・みつ子さんご夫妻です。
 
立派な木材で作られた天井は
「折上格天井」(おりあげごうてんじょう)というもので、
壁から支輪が湾曲して立上げられていて、曲線が優雅です。
普通の格天井よりも手間が掛かる、格式の高いつくりです。
更に経年変化により、木材の色が深みを増し、
美しい木目が味わい深くなっています。
 
木村さんが見つけた「お釜のドライヤー」は、
昔のパーマ屋さんにもあったという、
頭の上からすっぽりかぶせる形になっていて、
一方にグルグル回るので、手を添えながら乾かすのだとか。
 
そして気になるのが、あの風格のある「木の番台」。
今では番台自体がない銭湯も多く、
残っているのは、「明神湯」さんが加入する「池上組合」でも
1軒のみだそうです。
お客様の高身長化に合わせて20cm高くしたものの、
ほぼ昭和32年の建設当初のままの番台です。
子供の頃から一度座ってみたかったという木村さん、
初番台です。
 
浴場には、縦2.6m、横15mの巨大な富士山の壁画。
銭湯絵師・丸山清人(まるやま きよと)さんが描いたペンキ画です。
 
昔ながらの「釜場」(かまば)も現役。
大島さんは今も木材が揃う限り、薪で湯を沸かしています。
お客さんにも薪で沸かしたお風呂はよく温ったまるッと
好評だそうです。
釜場の仕事は重労働ですが、
お客さんも「無理はしないでね」と気遣ってくれるそうです。
 
いつまでも続けて欲しい昔ながらの銭湯。
木村さんも、初めて来たのに懐かしさに包まれたひとときでした。
 
  • 所在地:〒145-0066
        東京都大田区南雪谷5丁目14−7 明神湯  
  • 電 話:03-3729-2526
 
 

「自由学園明日館」
フランク・ロイド・ライト

次に木村さんが訪ねたのは、「自由学園明日館」(みょうにちかん)です。
入口で入館券を買えば、中を見学することが出来ます。
木村さんは「喫茶付きの券」を購入しました。
 
家のような雰囲気がすると感想を述べる木村さん。
広報の岡本真由美さんにお話を伺います。
「明日館」は、大正10(1921)年)に、
羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、
アメリカが生んだ20世紀を代表する建築界の巨匠、
フランク・ロイド・ライトと高弟の遠藤新により、
設計・建設されました。
 
食堂でティータイムです。
重要文化財でお茶を飲んでも大丈夫?と不安になった木村さん。
副館長の福田竜さんにお話を伺いました。
床を見ると、女性のヒールの後でボコボコに凹んでいますが、
建物は人が楽しく集まってこそ生かされるという考えです。
現在はいわゆる「動態保存」の文化財として
見学、公開講座、結婚式、コンサート、雑誌の撮影などで
利用可能なのだそうです。 
 
  • 住所:〒71-0021
       東京都豊島区西池袋2丁目31−3 
  • 電話:03-3971-7535
 
 

美の壺4.手仕事が生み出す華やぎ

 

京都市北区にある船岡温泉の「マジョリカタイル」

京都市北区にある
レトロ建築ファン憧れの銭湯「船岡温泉」(ふなおかおんせん)
大正12(1923)年に料理旅館「船岡楼」の付属浴場として営業を開始し、
昭和22(1947)年からは本格的に銭湯として営業しています。
 
格天井の脱衣所は当時の面影を残しています。
欄間の上には、
「マジョリカタイル」と呼ばれるハイカラなタイルが貼られていて、
それは脱衣所から浴室への通路の壁一面にまで繋がっています。
 
「マジョリカタイル」 は、
明治末期から昭和初期にかけて作られた国産タイルです。
特徴は、多彩な色使いと立体的でぽってりとした質感。
かつて地中海・マヨルカ島を経由して運ばれた
色鮮やかなスペインの器に因んで「マジョリカタイル」と呼ばれました。
 
  • 住所:〒603-8225
       京都府京都市北区紫野南舟岡町82−1 
  • 電話:075-441-3735
 
和製マジョリカタイルの復元
愛知県常滑市にある
INAXライブミュージアム」の尾之内さんにお話を伺いました。
 
スペインのマヨルカ島に由来する「マジョリカタイル」。
当初、タイルは、豊富なデザインと上品な美しさから
世界中の人気を博していたイギリス製のものを輸入していましたが、
高価過ぎることもあって、国産化に挑戦します。
ある材料を使って工夫を凝らすことによって、
国産のタイルが生まれました。
 
見せてくれたのは、
昭和10年頃に発行された日本のタイルメーカー
「SAJI TILE(佐治タイル)」のカタログです。
船岡温泉のマジョリカタイルも佐治タイルが生産したものです。
 
この時代のタイルのカタログは英語で書かれていることが多く、
輸出を視野に入れて
カタログを作っていたのではないかと考えられます。
明治時代には生産が始まっていた日本製の「マジョリカタイル」は、
昭和初期には、
アジアからアフリカまで広く世界へ輸出されていました。
 
 
では、実際にはどのように作られていたのでしょう。
「INAXライブミュージアム・ものづくり工房」の
中斎紀夫さんに復元をしてもらいました。
見せてくれたのは色付けの作業です。
素焼きした生地に釉薬を塗っていきます。
模様の輪郭は、盛り上げて色が混じらないようにする
「チューブライニング」という技を応用し、
機械でプレスして凹凸を作りました。
釉薬はスポイトを使って、たっぷり盛り上げるように塗っていきます。
最初はイギリスのタイルを模倣することからスタートしましたが、
手元にある原料や設備で、
日本の職人が工夫を重ねて、憧れの色と艶を作り出したのです。
 
帝国ホテルのテラコッタの復元
帝国ホテルのテラコッタを復元したのも
「INAXライブミュージアム・ものづくり工房」です。
かつての帝国ホテルのテラコッタは、常滑で製造されていました。
 
芦澤忠さんがテラコッタの復元作業を見せてくれました。
複雑なデザインのテラコッタ。
当時の記録を基に、石膏の型を作り粘土を成形します。
型に空気が入らないように30分かけて詰め、乾かして型から外します。
更に1時間かけて緻密に形を整えます。
これほどまでに直線的で複雑なデザインのテラコッタは
なかなかない、というほど凝ったデザイン。
主任学芸員の後藤泰男さんは、
ライトが描いたテラコッタの設計図には
細部の装飾が描き込まれていないことから、
ライトの要望に職人応えてデザインを変更していく
現場のやり取りが行われていたのではと推測しています。
世界的建築家と名もなき職人たちが生み出した、
唯一無二の「テラコッタ」です。
 
  • 住所:〒479-0823
       愛知県常滑市奥栄町1丁目130 
  • 電話:0569-34-8282
 
 

テラコッタ
中華料理店「東華菜館」

京都市下京区の四条大橋のたもとにある
中華料理レストラン「東華菜館」(とうかさいかん)は、
ヴォーリズ建築事務所が設計により大正15(1926)年に建てられました。
こちらは、当時普及し始めた、鉄筋コンクリート造の建物です。
壁面を見ると、立体的な模様が貼り付けられています。
国産の「テラコッタ」は、
同じ時代に建てられた建物を華やかに飾っていました。
彫刻作品のような複雑なものから規則的な文様まで、
粘土で思い思いの形に出来るのがテラコッタの魅力です。
様々なデザインが作られ、建築に多彩な個性を与えました。
 
 

美の壺5.レトロを未来へ

 

建築家・安藤忠雄さんによる大胆なデザイン!
「国際子ども図書館」

東京・上野公園内の「国際子ども図書館」(こくさいこどもとしょかん)
明治39(1906)年竣工の「旧帝国図書館」を改修した施設です。
建物は、れんがの壁に石造りのレリーフと、
ルネサンス様式を取り入れた堂々たる明治期洋風建築です。
3階まで吹き抜けになっている大階段は、
開館当時の華々しさを今に伝えています。
 
永田町に「国立国会図書館・東京本館」が建てられてからは
分館として運営されていましたが、
1990年代に用途が見直されて、
児童書専門の図書館として再活用されることになり、
平成14(2002)年、「国際子ども図書館」としてリニューアルされました。
 
改修・設計に携わったのは、建築家の 安藤忠雄(あんどう ただお)さん。
歴史的建造物を出来る限り保全しながらも、
ガラスの箱を挿入するという大胆な方法でリノベーションしています。
100年前の建物を包み込むガラス。
歴史的建築と現代建築が同時に体感出来るようになっていて、
来館した子供達が歴史に興味を持ち、
かつ未来に対する希望も抱けるような空間を作ろうと考えたと語ります。
 
外壁だった壁の外側に、ガラス張りの新たなラウンジを付け加えました。
子供達がのびのびと過ごせる開放的な空間になっているラウンジは、
まるで100年前の建物を眺めることが出来るギャラリーのようです。
遠くからしか見られなかった外壁や窓を、間近で観察出来ます。
当時の大工・左官屋・現場監督・設計者など、
100年前の先人たちの仕事ぶりが伝わってきます。
かつて、裸電球の下、大人が読書や調べ物に没頭した閲覧室は、
今は、子供達がどの位置にいても影が出来にくい
光天井の部屋に改装されました。
 

日本最古級の映画館「高田世界館 」と
隣のカフェ「世界ノトナリ」

日本有数の豪雪地帯 新潟県上越市高田。
町には「雁木」(がんぎ)と呼ばれる昔ながらの雪よけの屋根が並びます。
レトロな映画館「高田世界館」(たかだせかいかん)
明治44(1911)年に芝居小屋「高田座」として開業し、
大正5(1916)年に「世界館」と改称して、常設映画館となりました。
以降、名前を変えながらも映画館として営業していましたが、
平成21(2009)年、閉館・廃業。
現在は、NPO法人「街なか映画館再生委員会」によって運営されています。
 
開館から今年で110年。
現役の映画館では最古の建物の一つと言われています。
取材の日は無声映画の上映会が行われていました。
サイレント映画の時代には、活動弁士が立ち興行していたそうです。
 
日本映画の黄金時代を支えた映画館はレトロな佇まいで、
2階席には大正時代の椅子が残されています。
大工の棟梁が腕を振るって、洋風の空間に仕上げられています。
柱は古代ギリシャ建築のデザイン。
天井の木組みも、配置を凝ったモダンな雰囲気。
かつてはシャンデリアも飾られて、
華やかな空気に包まれていたと言います。
 
平成19年(2007年)に発生した新潟県中越沖地震では
映画館も被害を受けて、建物の存続が困難となり
閉館の話が持ち上がります。
「街なか映画館再生委員会」委員長の岸田國昭(きしだくにあき)さん。
当時東京からUターンしていた岸田さんは、
同じ頃に高田の町からデパートが消えていく状況の中で
映画館も消えてしまうことに危機感を抱いたと言います。
岸田さんは「人が集まれる場所が欲しい」と
映画館のオーナーから建物を譲り受け、NPOを設立し
町の人や映画ファンに協力を募り、少しずつ修繕をしていきました。
掃除もボランティアで行います。
地域の人達が携わることで映画館は息を吹き返しました。
 
岸田さんは横浜の大学院で映画を学んでいた
当時26歳の 上野迪音(うえのみちなり)さんを支配人に抜擢。
上野さんは、今では貴重な35ミリフィルムの映写機を使いながら、
最新の上映システムも導入し、
都市部で公開される作品も綺麗な映像で
いち早く見られる環境を整えました。
古いまま映画資料館のようにするのではなく、
お客さんと会話をしたり、何かが生まれる現場にしたいと
語っていました。
 
  • 住所:〒943-0832
       新潟県上越市本町6丁目4−21 
  • 電話:025-520-7626
 
 
映画館の周辺にも変化が起こっています。
隣にある築90年の古い町家は、
「高田世界館」のファン、
大久保喜和さんと佐藤範子さんが共同経営する
カフェ「世界ノトナリ」にリニューアルされました。
映画を見終わった後、
ゆっくりお茶や食事を楽しむ場所が欲しいと始められました。
挽きたての豆で入れたコーヒーや手作りスイーツがいただけます。
今では訪れる客層も広くなり、新たな常連客も増えたといいます。
様々な人たちを温かく迎え入れるレトロな映画館です。
 
  • 住所:〒943-0832
       新潟県上越市本町6丁目4−19 
  • 電話:025-512-4982
 

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