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宮城県・雄勝石(おがついし)

「雄勝石」(おがついし)とは、
宮城県石巻市雄勝町の2億3千~5千万年前の地層から産出する、
黒色で光沢がある硬質の石材を言います。
 

 
「雄勝硯」は日本の書道の道具として、
600年以上の歴史を持ちます。
また、近年は硯以外にも雄勝石を使った新しい工芸品も
世界的に評価されています。
 
 

「雄勝石」の歴史

雄勝町は太古は海の底でした。
山からの泥が長い時間をかけて堆積した3億年以上前の地層が、
1億年前の大規模な地殻変動により、地表に押し上げられました。
泥の成分に変化が起き、独特な性質が生まれました。
 
「雄勝石」の歴史は古く、約600年前の室町時代の頃と言われています。
古文書『建網瀬祭初穂料』(たてあみせまつりはちほりょう)の中に、
「ヲカチノスズリハマ」(現在の採掘山「硯浜」)の名が出ていて、
室町時代の応永3(1396)年には既にこの地域で
「硯石」が産出されていたと伝えられています。

その後江戸時代の元和年間(1615~1624年)、
伊達政宗公が鹿狩りのため牡鹿半島を訪れた際に、
「雄勝硯」二面が献上され、賞賛を受けたとの記録が残っています。
 
二代目藩主・伊達忠宗公もその巧みな技に感服し、
雄勝硯師を藩お抱えとした他、
雄勝石産地を「お止め山 (お留山)」として
一般の採石を許さなかったと言われています。
そして江戸時代後期には、既に特産品となっていたようです。
 
明治期になると、日本の近代化と共に、
「雄勝石」を原料としたスレート材の算出、石盤の製造が本格するなど
活気を帯びました。
当時、正規版は日本を代表する輸出品の一つしても数えられるほどでした。
建築資材としても重宝され、
明治期、大正期には多くの建物に雄勝産のスレートが採用され、
経年変化への強さから、今もなお、建築物としてその美しさを留めています。
 

 
その中には、「東京駅・丸の内側駅舎」の屋根材の黒いスレートも
含まれています。
大正3(1914)年の創建時にも、
平成24(2012)年の復元時にも使われています。
復元工事の時には、前年に起こった東日本大震災により
準備した石材が流されてしまったため、
ボランティアなど沢山の方々の手で一枚一枚拾い集められ、
キレイに洗われて、約1万5千枚が納品されました。
それは雄勝町の方々の、復興への希望を託した一歩でした。
 
昭和60(1985)年5月22日には、
国の伝統的工芸品として指定を受けました。
 
平成23(2011)年3月11日の「東日本大震災」により被災し、
未だ厳しい環境下にあると言えますが、
多くの人々の協力の下、生産を再開しています。
 
 

「雄勝石」の特徴

 
「雄勝石」(おがついし)は、
宮城県石巻市雄勝地区の2億3千~5千万年前の地層から産出する
「黒色硬質粘板岩」(こくしょくこうしつねんばんがん)です。
「雄勝石」は「玄昌石」とも呼ばれます。
「玄」は「黒」、「昌」は「美しい」という意味で、
「黒くて美しい」という意味からこの名がつけられたという説もあります。
 
「黒色硬質粘板岩」である「雄勝石」は、
粒子が緻密で均質であることから、
圧縮・曲げに強く、給水率が低いため、
化学作用や永い年月にも変質しないという性質を持っています。
純黒色で光沢があり、
柔らかな黒髪を思わせる女性美を持っています。
また、石肌の自然模様は、
いつまでも見飽きることのない優雅さがあります。
 
その特性を生かして、古くから「硯」の原料として、
近代においては屋根などの「スレート材」として、
近年は高級食器に加工した「雄勝石皿」が人気です。
親しまれてきました。
 
 

雄勝硯

 
「雄勝硯」(おがつすずり)は、宮城県石巻市雄勝で作られている硯です。
伊達藩の庇護を得られたこと、
また、良質な原材料を豊富に採石出来たことから、
生産が盛んになりました。
 
「雄勝硯」は、硯工人が1つ1つ丁寧に手で彫り、磨いて作っています。
光沢のある漆黒で、美しい天然の石肌模様の硯です。
圧縮・曲げに強く、吸水率が低いため、
永い年月にも変質しない性質を持っています。
また粒子が緻密で均質なことから、
「鋒芒」(ほうぼう)が細かくよく立っているため、
墨が擦りやすく、色の出も良いという使いやすさがあります。
 

 
「鋒芒」(ほうぼう)とは、
硯の表面にある目には見えないほどの微細な凹凸のことです。
この微細な凸凹に墨がひっかかってすりおろされる
”やすり”の役割を果たしています。
鋒鋩の鋭さや粗さなど、鋒鋩の状態が墨の出来を
左右します。
鋒鋩は何度も硯を使用するにつれてすり減ってしまい、墨の磨り具合も悪くなります。
磨墨の機能を復活させるためには、砥石をかけなければなりません。
この砥石をかけることを
「鋒鋩の目を立てる」や「目立て」と言います。
 
「雄勝硯」は、国産硯の9割のシェアを占めていました。
特に昭和の後半までは、学童用硯を中心に需要を支えていました。
しかし墨汁の普及から硯の需要が激減し、衰退していきました。
現在は、高級硯に特化した生産となり、
生産量は最盛期の1割程度となっています。
 

 
また職人の高齢化も深刻で、
正式な硯職人は60から80歳代の5人しかいません。
また平成23(2011)年には東日本大震災が発生し、
雄勝町は甚大な被害を被ってしまいました。

 
 

「雄勝石」を利用した工芸品の開発

 
硯職人の高齢化と東日本大震災に被災した雄勝町でしたが、
圧縮や曲げに強く、吸水率が低い「雄勝石」(おがついし)は、
硯のみならず、屋根などの建築資材として使われる他、
テーブルウェアや箸置きなど商品の幅を広げて、
伝統工芸の継承に向けた取組みが
雄勝硯生産販売協同組合」を中心に行われています。
 

www.ogatsu-suzuri.jp

 
平成26(2014)年には、
「雄勝硯」を地域ブランドとして伝統産業を再生復興しようと、
震災復興支援早期審査を利用して地域団体商標の出願を行い、
登録されました。
 

www.jpo.go.jp

 
これにより、「雄勝石」を利用した工芸品の開発にも拍車が掛かり、
「圧縮や曲げに強く、保温性と保冷性にも優れる」特徴に着目し、
生活に密着した雄勝石の魅力を引き出した
調理用プレート、テーブルウェアやクラフト等が開発されました。
 

 
更に、イタリア・ミラノ国際博覧会への石皿の出展や、
仙台市で行われた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議において
酒器「」が披露され、好評を博しました。
 
 
       (道の駅 硯上の里おがつ
  • 住所:〒986-1335
       宮城県石巻市雄勝町下雄勝2丁目17
  • 電話: 0225-57-3211