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富山県・高岡銅器

 
ものづくりの町として栄える富山県高岡市で、
400年以上の歴史を宿す「高岡銅器」。
日本における銅器の生産額の約95%と、国内最大の規模を誇ります。
 
名前には「銅器」とありますが、
真鍮や青銅などの銅合金以外にも
アルミ合金・錫・鉄・金・銀などの素材で、
卓上置物から花器、香炉、パネル、ブロンズ像、大仏と
小さなものから巨大なものまで、様々な製品が造られています。
 
 

歴史

 
慶長14(1609)年、
加賀藩の2代目藩主・前田利長公が高岡城築城に際し、
城下の繁栄を図る産業政策の一環として、
慶長16(1911)年に鋳物の発祥地である河内丹南から
金森弥右衛門を始めとした、
朝廷に認められた7人の優秀な鋳物師 (いもじ)を金谷町へと招き、
鋳物工場を開設したことに始まります。
 
鋳物師はその期待に応え、鍋や釜などの鉄鋳物を作りあげました。
彼らは砂鉄を溶かす時に
「河内丹南鋳物の起こり ヤガエフ
 今じゃ高岡金屋町 エーヤガフ・・・」と歌いながら、
たたら(大型のふいご)を踏み続けました。
その作業を今に伝えるのが、
毎年6月19・20日に行われる「御印祭」(ごいんさい)です。
 


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当初は鉄鋳物による鍋・釜など、
日用品・鋤 鍬等の農機具が主体でしたが、
江戸中期になると生活・文化の向上により
銅合金の鋳物に彫金を施した
「唐金鋳物」(からかねいもの)の需要が増加し、
特に仏具は寺院に限らず、
一般家庭にも求められるようになりました。
 

 
そうした中で、江戸時代後期になると、
精緻な象嵌に長けた彫金の名工が次々に登場し、
工芸銅器が花開きました。
明治6(1873)年にウィーン万国博覧会で、
金森宗七が「有効賞」を受賞したのを皮切りに、
国内外で多くの名工達が賞を受け、
その精巧な作風により、世界に確固たる地位を築きました。
 
昭和50(1975)年には「国指定伝統的工芸品」指定、
昭和54(1979)年には「特定産業の産地指定」を受け、
平成19(2007)年には、「地域団体商標」として登録されています。
 

 
また、2人の人間国宝を生み出してもいます。
 
金森 映井智(かなもり えいいち)
 
明治41(1908)年2月3日生。
本名は榮一。
高岡工芸学校(現・高岡工芸高校)卒業。
彫金家の内島市平に師事。
象嵌(ぞうがん)技術は、我が国の最高峰のものです。
同時に現代感覚溢れる重厚な作風でも知られています。
平成元(1898)年に、その卓越した技が認められ、
国の重要無形文化財(彫金)保持者に認定されました。
平成2(1990)年には「高岡市名誉市民」の称号が贈られています。
平成13(2001)年11月25日没。
 
大澤 光民(おおざわ こうみん)
 
昭和16(1941)年9月26日生。
本名は幸勝(ゆきまさ)。
富山県立職業補導所卒業。
昭和44(1969)年大澤美術鋳造所創立。
焼型鋳造の高い技術を持ち、
昭和55(1980)年独自の技法「鋳ぐるみ法」を生み出し、
新しい作風をつくり出しました。
日本伝統工芸品展などに出品し、数々の賞を受賞。
平成17(2005)年、
重要無形文化財「鋳金」の保持者に認定されました。
 
 
 

生産工程

 


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高岡を銅器の一大産地として発展させた理由のひとつが
分業制にあります。
原型、鋳造、仕上げ、着色、彫金と工程ごとに分業し、
各職人や製作所が切磋琢磨しながら技術を磨いてきました。
 
1.原型造り
粘土や木などで原型を作ります。
 
2.鋳造
1200度程の炉で溶かした金属を鋳型に流し込み、
目的の形にする技法です。
高岡銅器では伝統的鋳造法として4つの技法
「焼型」「双型」「蝋型」「生型」が指定されています。
 
3.仕上げ
「表面加工技術」と「彫金技術」など様々技術があり、
いずれも高岡銅器を特徴づける技法です。
高岡銅器の名声を高めた要因の一つは、「彫金」の技術です。
長年に渡り、幾多の職人が新しい技法を創案してきました。
 
4.着色

銅器は「錆を鑑賞する工芸」と言われ、
その表情を決定する最後の工程です。
着色の目的は
保存性(金属の酸化を予防)と美化を高めることであり、
下色として、硫酸銅や食酢、食塩などで出来る
「酢煮汁液」などで表面に酸化被膜をつくり、
古銅色・青銅色・朱銅色などの伝統的な着色が施されます。