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神奈川県「横浜焼」

 
開港間もない横浜の地に全国の陶工達が集い、
誕生した焼き物が「横浜焼」です。
素地や顔料は
肥前や京都、瀬戸など様々な産地から仕入れ、
主に絵付けのみが施され、
主として海外への輸出向けに製作されました。
 
輸出されると同時に、
海外の宝石のような洋食器も持ち込まれ、
これまで見たこともないデザイン、形状、そして華やかな色使いに
職人達は伝統だけに縛られない自由な発想で、
和と洋の感性と最高技術を取入れた、
今までの日本の陶磁器にはない焼き物「横浜焼」を誕生させ、
世界を相手に腕を競うようになりました。
 
明治時代になり、
日本を訪れ、または万国博覧会を通して
日本の美術工芸品に魅せられた欧米の人達。
外国の人々の好みを反映し、
神業とも言うべき超絶技巧を凝らした品々が製作されました。
中でも、京都から移窯してきた宮川香山は
いち早く「眞葛焼」(まくずやき)を築き、
横浜焼の先駆者として名を轟かせました。
その精巧華麗な作品は
1873年の「ウィーン万国博覧会」での名誉金牌受賞を初め、
あらゆる国内外の大博覧会で最高賞を受賞。
横浜には一時、400人程の陶工が集まり、
「世界の横浜焼」として輸出されていました。

  

  • 住所:〒221-0052
       神奈川県横浜市神奈川区栄町6−1
  • 電話:045-534-6853
 
窯元の多くは関東大震災や空襲により途絶えてしまいましたが、
現在もなお、
「横浜焼」を名乗り、活動を続けている窯元がいくつかあります。
 
横濱増田窯」は、昭和40(1965)年に数名の職人と共に開窯した
和食器でも洋食器でもない 「ヨコハマの焼き物」を製作している
窯元です。