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イッピン「デニムに愛をこめて 岡山県・倉敷のジーンズ」

<番組紹介>
初の国産ジーンズを作った町、岡山県倉敷市児島。
ここで生産されるジーンズは、
ごつごつとした厚手の生地。
はけばはくほど独特の風合いが出てくるので、
「自分の歴史を作っていく」ジーンズといわれる。
古い機械でデニム生地を織り、
アンティークのミシンで縫う。
使われなくなっていた機械を、職人たちが再生させて
使っている。
そして糸にもある秘密が!
地元のクリエーターたちがジーンズに込めた「愛」を、
俳優の平岳大が探る。
 
<初回放送日:平成25(2013)年6月11日 >
 
 
岡山県倉敷市児島は日本有数のジーンズの生産地で、
およそ40のメーカーが集まっています。
 
 

1.児島ジーンズストリート

 
倉敷市の児島地区は古くから繊維産業が盛んなエリアで、
日本で最初のジーンズが作られた
「国産ジーンズ発祥の地」であり、
「ジーンズの聖地」と言われています。
 
そんな児島地区には、「児島ジーンズストリート」と言って、
「旧野﨑家住宅」から野﨑の記念碑までの約400mの通りに
地元ジーンズメーカーが軒を連ねています。
味野商店街の空き店舗を利用した町おこしの一環として
平成21(2009)年に誕生しました。
 
 
 

2.セルヴィッチジーンズ

 
「セルビッチジーンズ」を扱っているお店がありました。
 

 
「セルビッチジーンズ」とは、
旧式の織機「シャトル織機」で織り上げられ、
デニム生地の端に「耳」と呼ばれる部分とほつれ止めが
施されているものを指します。
 
最初は「セルビッチ」のほつれ止めは
無色や白色が主流でしたが、
リーバイス社がほつれ止めに赤い糸を使うと
それが人気を博しました。
そしてこのほつれ止めの赤いラインは
通称RED TAB「赤耳」と呼ばれて、
「セルビッチジーンズ」の象徴として、
愛好家達の間で親しまれています。
 

 
「耳付きジーンズ」は1870年代にアメリカで生まれました。
当時はファッションとしてではなく
作業着として履かれていたので、
生産効率を考えて、生地末端の処理を行わずに済むように
このような耳付きを使用したことが始まりでした。
 
因みに「赤耳」は
「セルビッチジーンズ」の大きな特徴ですが、
セルビッチ=赤色という訳ではなく、
青色や白色の糸が使われたものなど、
様々なバリエーションもあります。
 

 
「セルビッチデニム」は
運転速度が遅い旧式の織機で織るため、
1本のデニムを作るのに、
通常のデニムの5倍以上の時間が必要です。
また、織機によってクセがあるので
個々に調整と時間を必要とします。
そのため、腕のいい職人がいないと
美しいデニムを織ることは出来ませんし、
職人自身が技を身につけるまでに時間も掛かります。
更に旧式織機は生産が既に終わっているので、
部品の調達は全てオーダーメイドか自分達で製作する必要があり、
苦労が絶えません。
 
また、旧式の織機を使った「セルビッチデニム」は
80cm巾の生地しか織ることが出来ないため、
1本のジーンズを作るのに、
通常のデニムよりも2倍以上の生地が必要になるため、
値段も高くなります。
 

 
このように、生産効率が悪く値段も高い
「セルビッチジーンズ」ですが、
「セルビッチジーンズ」が愛されるのには理由があります。
ジーンズ愛好家を訪ね、
ジーンズのコレクションの一部を見せいただきました。
 
一つは「セルビッチジーンズ」の裾をロールアップした時に
チラリと見える「赤耳」。

 
それから、ジーンズを履いた状態でお風呂に入り生地を揉むことで
自分の体にフィットしたデニムを作り上げることが出来ることです。
まあそこまでしなくても、
洗濯で縮んだ後、しばらく履き続けていれば
自分の体型に合う形に馴染んでいきますからご安心を。
 

 
そして「セルビッチジーンズ」が愛される最大の理由は、
穿きこむほどに、オリジナルの味わいが生まれることです。
セルビッチデニムは旧式織機で、
ゆっくりと空気を含ませながら手作業で織るため、
織り方が不均等になり、生地表面がデコボコになります。
これは一見デメリットのように感じますが、
この生地のデコボコが、穿き込んだ時に「アタリ」と呼ばれる
絶妙な色落ちを生み出します。
フロントの股部分に出来るアタリは「ヒゲ」、
ジーンズの後ろ見頃の膝裏に出来るアタリは「ハチノス」と
言います。
この現代の高性能な織機では表現出来ない、
独特の味わいが生まれるのが
「セルビッチジーンズ」の最大の魅力です。
 

 
このようなビンテージ感のある風合いは、
古い機械でしか出せません。
職人は、この機械で作る難しさは音を聞きながら
全て勘によって作業を進めなくてはなりません。
「セルビッチデニム」は、職人と機械の見事な二人三脚で
作られているのです。
 
 
 

3.国産ジーンズの始まり

 
なぜ倉敷市児島でジーンズが作られるようになったのでしょうか。
児島は、奈良時代は瀬戸内海に浮かぶ島の一つで、
当時四国や西国との交通上の重要拠点でした。
 

 
その後江戸時代には、新田開発のために干拓が行われたことから
陸続きの「児島半島」となりました。
ところが元々海に浮かぶ島であったため、
児島の土は塩を多く含み、米作には大変不向きでした。
そこで綿栽培が行われることになったのですが、
児島は雨が少なく温暖な気候であったため綿栽培に最適で、
古くから有名な「三河木綿」に並ぶ高級品として
「児島の綿」が知られるようになりました。
 

江戸時代後期には、
刀の下げ緒や下駄の鼻緒に使われる「真田紐」が
当時大変盛んだった両参り(金毘羅宮と由加神社本宮とを両方参拝)に
訪れた旅人の土産品として全国に広め、
瞬く間にその名が知られていきました。
 

明治に入ると「真田紐」の需要が徐々に減りますが、
「足袋」が児島の新たな木綿織業の主軸になっていきます。
明治15(1882)年には
日本で民間初の紡績所「下村紡績所」が創設され、
ヨーロッパから輸入された動力ミシンによって
大量生産が可能になりました。
大正8(1919)年には、足袋の生産量は1000万足を超えて、
児島は足袋で「日本一」になります。
 
ところが第一次世界大戦後は、
洋装が一般化していったことから
「足袋」は衰退の一途を辿ったため、
代わって「学生服」が産業の中心となりました。
そして「東京五輪 1964」を翌年に控える昭和38(1963)年、
1006万着という史上最高の生産記録を叩き出しました。
 

ところがこの年をピークに学生服の注文が減リ始めます。
そこで目をつけたのが「アメリカ製の中古ジーンズ」でした。
 
これまでの「足袋」や「学生服」で培った
裁断・縫製技術を最大限に生かし、
「自分達にもオリジナルのジーンズが作れるのではないだろうか」
この想いが、
倉敷市児島の国産ジーンズの歴史の始まりとなったのです。
 
学生服メーカーはジーンズを解いて、
縫製や糸の種類を分析し、研究を重ねました。
それから40年様々なジーンズが作られるようになりました。
セミオーダーが出来るジーンズや
日本の伝統を活かした藍染め手織りのジーンズなどもあります。
 
 
 
 

4.ロープ捺染

 
ところで、ジーンズ好きが愛する独特の色落ち「アタリ」は
どのようにして出来るのでしょうか。
 
デニムの糸を染める方法はいくつかあるのですが、
代表的なのは「ロープ染色」という染め方になります。
「ロープ染色」は昔のアメリカが使っていた染色の方法でしたが、
現在米国ではコスト意識が優先され、
80年代以降はほぼ見られなくなりました。
一方日本では、色合いの良い「ロープ染色」が温存され、
日本ジーンズ消費者の満足感を高めながら発展してきました。
 
 
「ロープ染色」とは、糸を束(ロープ状)にして
「インディゴ」という染料に数回繰り返し浸けて染める
方法です。
 

 
「ロープ染色」の特徴としては、
  • 色ムラが発生しにくい。
  • 染色堅牢度がスラッシャー染色に比べて良い。
  • 量産と小ロット両方に対応出来る。
  • 染色前に糸を束ね染色後に分離する工程が必要であり、コスト高。
  • 染色中に糸が切れた場合では、ロープ状である為機械の停止が少ない。
といったことがありますが、
こうして染め上がったデニム用の糸は「表面は紺色」ですが、
糸の中心が染まらない「中白」に仕上がります。
ジーンズの独特の色落ちは履いていくうちに糸の「表面の紺色」が削れ、
中の白が見えてくることで起こるのです。
 

 
 

5.ジーンズ加工

 
昔は、ジーンズを生の状態で
ユーザーの元に届けるのが普通でしたが、
今は「加工」もデザインの一部として、
ジーンズ作りにおいて欠かせない工程となっています。
 
生デニム
英語では「RAW Denim」と言います。
Rawは「生の、加工していない」という意味で、
水洗いを含めた加工が一切施されていないデニムで、
防縮加工もされていません。
 
倉敷では、「ジーンズ加工」の分野においても
世界に誇れる技術を持っています。
 
ジーンズ加工
「水洗い加工(ワンウォッシュ加工)」
60℃程の湯で洗って織物に付いた糊剤や樹脂などを除くものです。
風合いがソフトになっているのが特徴です。
 
「ストーンウォッシュ」
大きなワッシャーの中にジーンズと研磨剤を入れて
洗う方法で、今の洗い加工の主流です。
研磨剤には軽石、セラミック、角ゴム、ウォッシュボールなどが使われ、程よいダメージとワンウォッシュ加工に比べて強い色落ち効果があり、着古したような柔らかな風合いになります。
 
「ブリーチ加工」(ブリーチアウト)
酸化剤や還元剤を使って、強制的に色を分解させて
濃色から淡色に脱色する加工法です。
色落ちの程度によって、フェード色、ブリーチ色、
スーパーブリーチ色に分けられます。
 
「ケミカルウォッシュ加工」
(アシッドウォッシュ、スノーウォッシュ)
水の代わりに強力な漂白剤(次亜塩素酸ソーダ)に
軽石を浸し、デニム製品と一緒に洗う方法です。
石と生地が擦れて、霜降りのような色ムラが出来上がります。日本で1980年代に爆発的にヒットしました。
 
「バイオウォッシュ」
微生物(バイオ)に生地の表面を食べさせる加工法。
「セルラーゼ」という酵素を使って洗う加工方法です。 かなり色落ち感があり、ヴィンテージな仕上がりになります。「セルラーゼ」は繊維を溶かす作用があるため、繊維を細くさせて生地を柔らかくする効果も期待出来ます。「ストーンウォッシュ」よりも短時間で済むため、製品の痛みが少ないのが特徴です。
 
「ダメージ・クラッシュ加工」
裾や膝部分などに研磨道具や刃物で切り口を入れたりして、デニムに小さな破れを施す加工法。
 
「サンドブラスト加工」
コンプレッサー等で圧縮した空気で砂を吹き付け、
生地を摩耗させる加工法。
 
「シェービング加工」は、
サンドペーパーやホイールサンダーなどを使い、
表面を削って色を落とす加工法。
手作業の為、部分的に用いられる事もあります。
 
ジーンズ加工の工場では、
ジーンズに砂を吹きかけて、
着古した色落ち感を人工的に作っていました。
またやすりで擦ると、
「ヒゲ」と呼ばれる腿の部分のシワが現れました。
電動ヤスリで表面を削り、
破れないように生地のタテ糸のみを削って、
ヨコ糸のみを残す職人技も拝見しました。
こうした技術を駆使した
「ダメージ加工」は芸術の域に達しています。
 
 
 

6.ジーズンの縫製

 
4月下旬、倉敷で開かれているジーンズフェスティバル
「春 児島フェス #せんいさい」。

www.kojima-cci.or.jp

 
ここに、カナダのモントリオールで倉敷ジーンズを扱う
セレクトショップのバイヤーも来ていました。
「日本のジーンズは細かいところまで全てに手が込んでいる」、
「強いジーンズである」と評価していました。
そして、ジーンズストリートにある
少人数でオリジナルブランドを作っている店で
24オンスの厚いゴワゴワな生地を倉敷で作ってもらうおうと、
商談を行っていました。
 
日本の縫製技術はこのように、
海外からも高い評価を得ています。
倉敷では、ジーンズの縫製は
小さな規模の工房を中心に行われてきました。
 
セルビッチデニムを専門に縫う工房を訪れました。
セルビッチジーンズの縫製で一番難しいのは
お尻の縫い合わせだそうです。
こちらでは、今でもおよそ半世紀前のアメリカ製のミシンを
使っています。
たまたま日本に残っていたものを改良したものだそうです。
 
分厚い布を巻き込みながら縫い合わせます。
縫い合わせの違いによって、
履いた時のフィット感が違ってくるのだそうです。
決めの細かい技術と職人の心意気が
世界に誇るジーンズを作っているのです。
 
 

7.graphzero(鈴木徹也さん)


www.youtube.com

 
数多くのジーンズメーカーや工房が集結する児島にあって、
独創的なジーンズで注目されているブランドがあります。
 
鈴木徹也さんが平成16(2004)年に立ち上げた
graphzero(グラフゼロ)です。
graphzero」という名前は、
「グラフのゼロ地点から創り出していく」という思いから
付けたそうです。
 

 
鈴木さんは、自分自身がカッコイイと思える、
児島発のデニムブランドを作りたいと、
生地の企画・製造から手掛け、パターンに合わせて裁断し、
十数種のミシンで縫製を行うという全工程を担い、
仕上げまで一本一本、ほぼ自社内で作り上げています。
 

 
鈴木さんの呼びかけに応じ、プロフェッショナルが集結。
企画、生産、販売まで全てを6人で行っています。
それぞれの分野で秀でた職人がいることで、
時にそれぞれのプロとしての知識や技術で補い合い、
時に意見を戦わせ、互いの力を高めることで、
客の細かいオーダーにも対応すること出来ます。
 

 
ここで確立された「一貫生産」という、
児島ジーンズ業界ではこれまでなかったスタイルは、
時とともにこの地のモデルケースのひとつとなり、
今では多くのブランドに取り入れられています。
 

 
  • 住所:〒710-0055
       岡山県倉敷市阿知2丁目23-7-1
  • 電話:086-441-7063
 

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