MENU

美の壺「日本の国石 ヒスイ」 <File413>

縄文時代から日本人と密接に関わってきた、
ロマンあふれる宝石「ヒスイ」
 ▼白?緑?紫?さまざまな色に輝く不思議
 ▼精霊の力を宿すと信じられたヒスイの勾玉(まがたま)に、
  古代の人々が託した思いとは?
 ▼東大寺仏像の宝冠飾りを最後に
  歴史の表舞台から消えたヒスイ。
  1200年後に再発見されるまでの物語!
 ▼和菓子、ガラス…輝きに魅せられた驚きの創作!
 ▼ヒスイに刻まれた、亡き母の思い出とは?!
 
 

 
平成28(2016)年9月、
日本を代表する国の石「国石」が決定しました。
選ばれたのは「翡翠」(ヒスイ)でした。
国産の美しい石であり、
縄文時代から、日本人の生活文化と深い関わりがあったことなどが
選ばれた理由でした。
 

 
ヒスイの主な産地は、新潟県糸魚川市とその周辺です。
翡翠は、精霊の力を宿すとされ、
古代より様々に加工されて勾玉などが作られてきました。
今もヒスイは大切にされ、装いに彩りを添えてくれます。
 
今回の「美の壺」では、
その日本の国石「ヒスイ」の
神秘の輝きに秘められた謎が解き明かされました。
 
 

美の壺1.浮かび上がる古の色

 

 
なぜ、糸魚川市周辺でヒスイが採れるのでしょうか。
この辺りの地形の成り立ちに秘密がありました。
 
ヒスイは5億年前の「古生代のカンブリア紀」に、
海底プレートが沈み込んだ地下数十kmの所で、
高い圧力と、およそ500度の温度などの条件が揃った時に、
ナトリウム・アルミニウム・ケイ素・酸素などが結合して、
奇跡の石「ヒスイ」が出来ました。
 
およそ2500万年前、
日本列島がアジア大陸から離れる時に出来た巨大な裂け目が
「フォッサマグナ」です。
フォッサマグナの西端には大きな断層があり、
これが日本列島の東西境界、「糸魚川静岡構造線」です。
ちょうどここで、古い地層と左側の新しい地層が押し合い、
ヒスイを含む古い地層が盛り上がって、「明星山」が出来ました。
この明星山の麓では、ヒスイが大量に見つかっています。

ヒスイは一般に緑色と思われがちですが、
実は、様々な色があります。
純度が高いヒスイは 白。
そこに鉄が僅かに入ると緑になります。
チタンが入ると薄紫に。
更に鉄とチタンの両方が入ると青になります。
 

 
  • 住所:〒941-0056
       新潟県糸魚川市一ノ宮1313
  • 電話:025-553-1880
 
 

長者ヶ原遺跡(長者ヶ原考古館)

 
糸魚川市周辺のヒスイは、
縄文時代から奈良時代にかけて全国に広まりました。
出雲大社には、緑に輝く「勾玉」が伝えられています。
この勾玉には、紐を通すための穴が開けられています。
硬いヒスイに、当時、どのように加工したのか、長い間謎でした。
その答えが、糸魚川市の「長者ケ原遺跡」にあります。
 

 
「長者ヶ原考古館」には、
人類が初めて道具として使ったという貴重なヒスイが収蔵されています。
ヒスイに詳しい、糸魚川教育委員会の木島 勉さんが説明してくれました。
 

 
美しいヒスイを古代の人は道具として使っていました。
角張ったところに細かい傷があることから、
「敲石」(こうせき、たたきいし)として使われていたと考えられています。
ヒスイは、鉱物の中でも、重くて壊れにくい性質があるからです。
 
「敲石」(こうせき、たたきいし)
石器時代の石器の一つ。
食料などをすり潰し、または打ち砕く道具。
丸い自然石を使ったものが多い。
 
長者ケ原遺跡」からは、
穴の底にへそのような高まりのあるものがたくさん出ています。
それは、何か管状のものを回転させて穴を開けたことによる痕跡だと
推定されます。
 

 
木島さんは、管状のものとは竹で、
竹の先端に研磨剤となる石英の粉のようなものをつけて
穴を開けたのではないかと考えています。
1時間に1mm程度と、かなりの根気のいる作業だと思ってます。
遺跡からは他にも、加工に使った様々な道具が出土しています。
ここは ヒスイの一大加工場だったのです。
 
  • 住所:〒941-0056
       新潟県糸魚川市一ノ宮1383
  • 電話025-553-1900
 
 

不空羂索観音の宝冠のヒスイ(奈良県・東大寺法華堂)

 
道具として使われていたヒスイは、
やがて その美しさから、身を飾る装身具となりました。
ヒスイの神秘的な色を
古代人も特別な思いで見つめていたものと思われます。
  
奈良県・東大寺法華堂にある
国宝「不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)
奈良時代の初めに出来ました。
その頭上の宝冠には、ヒスイが使われています。
ところが、ヒスイはこの輝きを最後に
歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
 
糸魚川市の石の博物館「フォッサマグナミュージアム」の
元・名物館長の宮島宏さんが説明して下さいました。
因みに、宮島さんは「ジオパーク」という言葉の生みの親でもあります。
 
縄文時代の7 000年前から以後以後5000年に渡って、
ヒスイは日本中で使われました。
ところが奈良時代、今から1200年程前に使われなくなってしまいます。
奈良時代の前に日本に仏教が伝来しました。
聖徳太子などは仏教で世の中を平和にしようとが考え、
そのためには、それ以前の非常に大事な石であったヒスイを
敢えて使いたくないといった意図が働いたのではないかと
宮島さんは考えています。
 

 
東大寺の 「不空羂索観音」の冠は
その過渡期を表す最後のヒスイの 輝きだったのかもしれません。
そうして歴史の闇に消えたヒスイでしたが、
1200年の空白の後、再び、人々の前に姿を現すのです。
 
  • 住所:〒630-8211
       奈良県奈良市雑司町406−1
  • 電話:0742-22-5511
 
 

美の壺2.受け継がれていく輝き

 

相馬 御風(そうま ぎょふう) ヒスイの再発見

 
歴史から消えたヒスイ。
そんなヒスイが再発見されたのは、昭和に入ってからのことでした。
そのきっかけを作ったのは、糸魚川市に住む一人の文学者・
相馬御風(そうま ぎょふう)でした。
御風は、 「春よ来い」など、童謡の作詞家としても知られている人物です。
御風は『古事記』や『万葉集』を紐解く中で、ある歌に注目しました。
 
『万葉集』
「沼名川の底なる玉 求めて得し玉かも
 拾ひて得し玉かも 惜しき君が老ゆらく惜しも」
 
(現代語訳)
 沼名川の深い川底にある玉。
 探し求めてやっと得た玉なのだ。拾い求めてやっと得た玉なのだ。
 この大切な玉のようにかけがえもなく尊い君。
 そのわが君が老いてゆかれるのは、なんとも切ない。
 
御風は、
「沼名河」は、神話の時代にこの辺りを治めていた沼河比売に由来し、
「底なる玉」は「ヒスイ」を指しているのではないか、と考えました。
 
「沼河比売」(ぬなかわひめ)
『古事記』や『出雲風土記』などの古代文献に登場する
高志国(現在の福井県から新潟県)の姫であると言われています。
『古事記』では出雲国の八千矛神(大国主神の別称)が
沼河比売に求婚に来たとあり、
『出雲風土記』では大国主命が奴奈宜波比売命と結婚して
御穂須々美命を生み、この神が美保に鎮座していると記されています。
 
御風の予想は間もなく的中します。
昭和13年、御風の思いを知る知人の手によって、
小滝川の中流で、ヒスイが発見されたのです。
昭和31年に天然記念物に指定され、
ヒスイ峡など保護区域での採取が禁止されました。
 
 

亡き母の思い出のヒスイ(扇山ヨシコさん・和博さん)

新潟から富山にかけての海岸線。
ここでも ヒスイに出会うことが出来ます。
長い年月をかけて川から海に流れ着くヒスイがあるのです。
 
扇山和博さんは、
地元、市振海岸を知り尽くしたヒスイ探しの名人です。 
ヒスイの見分け方を 伝授してもらいました。
ヒスイは硬い石ですから、
軟らかいと丸くなるので丸い石は「ヒスイ」ではありません。
ちょっと角張った、他の石と比べて重い石が「ヒスイ」です。
また、緑色のイメージに捉われ過ぎて緑色の石を探して
うちに持って帰ってみると、真っ白になっちゃう石もあるそうです。
通称「狐石」。
狐にだまされないようにしないといけません。
 

 
扇山さんの自宅には、ヒスイのコレクションがずらりと並んでいます。
7年前に亡くなった母、ヨシコさんが集めたものです。
ヨシコさんは生前、朝夕欠かさず海岸に通っていました。
特大のヒスイを大きな自転車の荷台に積んで、
なんとか持ち帰ったのを自慢げに話していたのだそうです。
 
 ↑こちら、重さ25.15kg。価格は2,090,000円
  お買い求めの際は、是非、こちらをポチっと!
 
扇山さんの家には、代々伝わるヒスイの指輪があります。
扇山さんの祖父が海岸で見つけたヒスイを指輪にして
娘のヨシコさんに贈ったものです。
それを今、和博さんの奥様が引き継いでいます。
ヒスイは、この地域、このふるさとの大事な宝石、
宝物なんだなというふうに思いますとおっしゃていらっしゃいました。
 
 

美の壺3.永遠の憧れ

 
ヒスイには、どこか想像力をかきたてる力があるのかもしれません。
 

富山県朝日町の和菓子店「ヒスイ羊かん」

 
糸魚川市に程近い 富山県朝日町の和菓子店「大むら菓子舗」。
店主人の大村邦夫さんは、特別なお菓子を作っています。
30年前、釣りに出かけた大村さんは、ヒスイの原石を見つけて持ち帰ります。
そして、その石をモデルに一口大の羊かん「ひすい羊かん」を作りました。
ひすい羊羹の模様は寒天と砂糖で作る寒氷。
模様が出来たら お茶で作った羊羹を流し込みます。
心地よい歯触りと深い色合いです。
 
 
  • 住所:〒939-0742
       富山県下新川郡朝日町沼保288
  • 電話:0765-82-0422
 
 

ヒスイの工芸品(龍見雄記さん)

「糸魚川ヒスイ工芸翡翠工房」の龍見雄記(たつみ ゆうき)さんは、
様々な色のヒスイを自在に使って工芸品を作っています。
硬いヒスイと格闘する毎日。
穴開けは超音波で行います。
研磨剤となる砂をかけながらの作業です。
ヒスイ加工は、今も根気のいる仕事です。
 
ヒスイのランプシェード、幻想的な雰囲気に包まれます。
そして自慢の一品が、石臼の形をしたヒスイ製のコーヒーミルです。
龍見さんが経営する
「JADE CRAFT かわせみCafe plus/翡翠工房」で楽しめるそうです。
 
JADE CRAFT
かわせみCafe plus/翡翠工房
  • 住所:〒941-0067
       新潟県糸魚川市横町5丁目6−1
  • 電話:025-552-5918
 
 

富山県富山市「世界に通用する新素材開発プロジェクト」(富山ガラス工房)

 
富山市にある「富山ガラス工房」。
野田雄一さんもヒスイに魅せられた人です。 
 

 
野田さんは20年前にヒスイの粉を使った
ガラス制作のプロジェクトを立ち上げました。
世界に通用する新素材開発プロジェクトでの
越翡翠硝子(こしのひすいがらす)の開発です。 
ヒスイの成分を調べると、
ガラスの主原料になるものとよく近いものがあるというのが分かったので、
それを利用すれば富山オリジナルものが出来るのではないかと思ったのが
最初のきっかけでした。
 
ガラスの研究者などの専門家の協力を仰ぎ、
ヒスイの割合やその他の配合成分を追求してきました。
前例のない、新しいガラスの制作は容易ではありませんでしたが、
2年の歳月の末、ようやく理想の調合を導き出しました。
 
一つに溶け合った、ヒスイとガラス。
透明感をたたえた ガラスならではの 緑のグラデーション。
宇宙を思わせる 幻想的な空間。
ヒスイは今も、私達を彼方の世界に誘ってくれます。
 
 
富山ガラス工房
  • 住所:〒930-0151
       富山県富山市古沢152
  • 電話:076-436-2600

f:id:linderabella:20210513110059j:plain