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美の壺「大空に舞う トキ」<File488>

<番組紹介>
飛んだ時に見せる美しいトキの翼の色
 ▽「とき色」の着物に染織家が桜の枝で挑む!
 ▽世界中で上演された上海歌舞団の舞台「朱鷺(とき)」。
  プリンシパルが4年かけてみいだしたトキの表現とは?
 ▽佐渡の土で、トキを制作し続ける陶芸家のレリーフ紹介!
 ▽原点は日本最後のトキ「キン」。
  日本画家がトキを絵の中で飛ばす!
 ▽かつて日本の空から消えたトキ。
  復活を支えた教師が記録した、貴重な映像公開!
 
<初回放送日: 令和2(2020)年7月24日>
 
 
佐渡の空を舞う「トキ」。
学名を「ニッポニアニッポン」と言います。
その美しさは、多くの人の心を捉え続けてきました。
染色家はトキの羽の色を追求。桜の枝から「鴇色」を再現しました。
陶芸家はトキの羽ばたく姿に魅かれて、レリーフで表現。
日本画家は絵の中でトキを自在に飛ばします。
 
 

美の壺1.内に秘めた品格の色

 
 

伊勢神宮「須賀利御太刀」

 
「朱鷺」(トキ)の学名は「ニッポニアニッポン」。
その美しさは多くの人の心を捉え続けてきました。
伊勢神宮には、日本人が「朱鷺」を特別な鳥と考えてきた
証しが伝えられています。
式年遷宮の度に新調され、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)に奉納される太刀
「須賀利御太刀」(すがりのおんたち)です。
(つか)の部分に「朱鷺」の羽根が飾られています。
一千年以上前に定められ、受け継がれてきました。
 
 

トキ保護監視員・佐藤富士美さん

トキは今、新潟県佐渡市で命を繋いでいます。
トキは僅かな物音ですぐに逃げてしまう、
とても警戒心の強い鳥です。
佐渡の人達はそんなトキを見守ってきました。
北陸建材・代表の佐藤富士美さんもその一人です。
 

hokuriku-kenzai.co.jp

 

佐渡市では、
市民のトキ目撃情報の収集とトキに関しての意見集約を目的に
市民監視員制度を設置。
佐藤さんは、平成21(2009)年に
野生のトキを見守る「トキ保護監視員」に就任。
保護監視員をしているうちにトキの美しさに魅せられ、
一眼レフカメラと望遠レンズを購入し、トキの写真を撮り続けています。
 


www.youtube.com

 
「翼を広げた際に見せる桃色の羽、その羽の色が最高」
と語る佐藤さん。
佐渡の豊かな自然に映えるトキの羽の美しさを写真にとどめ、
「佐渡の宝 いのちを育む島 鳥・花・いきものの楽園」という
写真集を自費出版しています。
 

 
 

環境省希少種保護増殖等専門員・岡久雄二さん

佐渡自然保護官事務所でトキの生態を見守る
環境省希少種保護増殖等専門員の岡久雄二(おかひさ ゆうじ)さんは、
羽の色について調査を重ねてきました。
 
「おそらく野生下に存在する
 エビやカニの赤い色素を取り込んで、
 羽の色に入れることによって
 鮮やかな色を発現していると思われます。
 内側の翼にだけが赤い色が残るのは、
 紫外線に当たらないからだと考えられています。」 
 

共立女子大学教授・長崎巌さん

 
トキの羽の色について、
共立女子大学博物館長で服飾研究者の長崎巌(ながさき いわお)さんに
解説していただきました。
「トキは日本では古くから知られ、
 奈良時代の720年、『日本書紀』に
 トキ(桃花鳥)が地名の一部として記載されているのが
 トキの由来になっている、というのが私の考え方です」とおっしゃいます。
 
長崎さんが研究で使っている、江戸時代の着物の色見本帳
『手鑑模様節用目録』(てかがみもようせつようもくろく)。の中に
「鴇羽色」(ときはいろ)が載っています
長崎さんは、トキの羽の色が当時の人々に愛されていたと考えています。
 

 
フラミンゴみたいに全身あの色だったなら
日本人は「とき色」という名前をつけて愛することはなかったのでは。
飛翔した時にだけ美しく見えるというところに品格を感じて、
色の名前が付けられたのでは、と長崎さんは考えています。
 
「鴇鼠」 ときねず  
「鴇色」 ときいろ  
「鴇羽色」ときはいろ 
「鴇唐茶」ときがらちゃ
「鴇浅葱」ときあさぎ 
 

www.kyoritsu-wu.ac.jp

 

染織家・諏訪好風さん

今もトキの羽の色を追求している 染色家がいます。
山形県米沢市の染織家の諏訪好風(すわ こうふう)さんです。
諏訪さんは、安政5(1858)年創業の染織工房
野々花染工房(ののはなそめこうぼう)の5代目です。
諏訪さんはトキの羽の色を追求しています。
 
 
 
使うのは「桜」の枝です。
雪の重みで折れた枝を譲り受け、染料にします。
細かく刻んだ桜の小枝を煮出す作業を10回程繰り返します。
そして、毎回微妙に異なる赤い色の中から「鴇色」を探ります。
 

 
「鴇色」をいかに見極めるか、諏訪さんは味で判断します。
色の見極め、諏訪さんはなんと液を舐めて、
味で判断しているのです。
ピリッとする方が「赤み」が出て、
逆に刺激がないと「黄色み」が出るそうです。
 

 
染液が出来たら、色むらが出ないよう絹糸に手早く移していきます。
「鴇色」は日本人の心に残っていく代表する色のひとつという諏訪さん。
染め上がった絹糸で 「鴇色」の桜の花びらがあしらわれた着尺が完成。
トキの舞う姿が蘇りました。
 
  • 住所:〒992-0033
       山形県米沢市福田町2-3-61
  • 電話:0238-23-0748
 
 
 

美の壺2.大空を再び

 

舞劇「朱鷺(とき)」(上海歌舞団)

上海歌舞団(しゃんはいかぶだん)による舞劇「朱鷺(とき)」。
Chinaの伝統舞踊にバレエやコンテンポラリーダンスの要素を融合させた
舞台で、China・日本・アメリカなどで200回以上、上演されています。
 
 

トキ博士・佐藤春雄さん

 
「トキ博士」と言われた佐藤春雄さんは
学校の教師をしながら
「佐渡朱鷺愛護会(現・佐渡とき保護会)」を発足させ、
トキの保護に努められた方です。
 
残念ながら、平成26(2014)年12月9日にお亡くなりになりましたが、
亡くなるまで調査を続け、トキの保護に生涯を捧げた半生でした。
息子の辰夫さんが、在りし日の姿を語って下さいました。
 

 
かつて、トキは日本各地に生息していました。
ところが近代化に伴い、羽や肉を目的に乱獲され、数は激減。
絶滅の言葉も囁かれるようになりました。
そんな中、トキが最後まで生息していた佐渡で、
佐藤春夫さんが調査を開始します。
その輪は、やがて多くの広がっていきました。
 
当時、トキの生態は、ほとんど知られていませんでした。
農薬を使用しない田んぼの生き物を 食べていること。
カラスが天敵だということ。
佐渡中を駆け巡り、突き止めていきました。
しかし昭和40年代、佐渡も開発が進み 森や田んぼが減少します。
佐藤さんは少なくなったトキを追い求め、記録に残します。
こうした成果は後に、日本やChinaのトキ繁殖の礎となりました。
春雄さんがトキを追い始めてから、およそ70年。
多くの人々の努力が実り、水田には小さな生き物が戻ってきました。
今、400羽以上のトキが、佐渡の空を舞っています。
 
 
 

美の壺3.心象風景を描く

 

池田脩二(いけだ しゅうじ ) さん


www.youtube.com

 
新潟港と佐渡を往来する佐渡汽船フェリー「ときわ丸」。
その船内のロビーで乗客を迎えてくれるのは、
およそ縦3m横2mの朱鷺の陶器のレリーフです。
佐渡の土を材料にした陶器には、
大空と波間を最後の5羽のトキが羽ばたいています。
佐渡で生まれ育った陶芸家の池田脩二さんが手掛けました。
 
池田さんは、40年間、佐渡の土でトキのレリーフを作り続けてきました。
モチーフとしたのは、子供の頃に近所の田んぼで出会った幼いトキです。
鉄分の多い赤土と少ない白土をブレンドして、
心象風景の時の姿をレリーフとして生み出します。
こうして生まれたトキは、今もいろいろな場所で羽ばたいています。
池田さんは佐渡市で朱鷺オカリナの里「城南窯」を主宰しています。
併設したカフェでは景色と作品が楽しめます。
 
  • 住所:〒952-1325
       新潟県佐渡市窪田15−12
  • 電話:0259-57-2368
 
 

日本画家 本多孝舟(ほんだ こうしゅう) さん

 
本多孝舟さんの作品「朱鷺飛翔 北山崎」。
東京・世田谷にある天台宗の富元山瑞泉院 眞光寺
こちらの寺では4年前に、襖絵をトキにしました。
大空へ飛び立とうとする一瞬の姿が、繊細な筆遣いで描かれています。
手掛けたのは、日本画家の本多孝舟さんです。
本多さんは29歳の時に佐渡で初めてトキを見て、
トキに魅せられ、それ以来40年もの間、トキを描き続けています。
本多さんは 現在は佐渡にしかいないトキを
東京や岩手など各地の風景とともに、描いています。
本多さんの心を捉えたのは 日本最後のトキ「キン」です。
 

 
キンは2003年に死ぬまで35年間、
佐渡の保護センターで飼育されてきました。
年齢は人間でいえば100歳前後。
 


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