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美の壺「めでたきかな鶴」<File 553>

<番組紹介>
特別天然記念物に指定されて70年の「タンチョウ」。
タンチョウ専門のカメラマンと追う、鶴ならではの極上の姿!
 
▽俵屋宗達はじめ多くの芸術家を魅了してきた鶴の姿。
 鶴の文様に秘められた吉祥の意味とは?
▽「天と地をつなぐ存在」といわれる鶴。
 着物デザインのセオリーとは?
▽今年20年ぶりに式年造替が行われる奈良・春日大社の若宮。
 国宝「金鶴」の復元プロジェクトに、彫金の人間国宝が挑む!
 
<初回放送日:令和4(2022)年4月8日(金)>
 
 
 

美の壺1.北の大地に羽ばたく

 

タンチョウを撮る(カメラマン・和田正宏さん)


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カメラマン・和田正宏(わだまさひろ)さんは、
タンチョウを被写体とした作品で知られるカメラマンです。
和田さんは鶴居村出身。
タンチョウの魅力に取りつかれ、
昭和43(1968)年から撮影を始め、
昭和60(1985)年に初の個展「タンチョウの四季」を開催。
写真集『北の大地 タンチョウ』などを発表して
世界的に注目されました。
その後、和田さんの写真を見て
多くの人達が鶴居村を訪れてきたことから、
平成12(2000)年に自然愛好家のためのホテル「TAITO」を
オープンさせました。
 

 
ホテル内にはご自分のギャラリーを併設し、
和田さんが撮影したタンチョウヅルを展示しています。
タンチョウの内面の美しさを映し出すような作品は、
風景の中に佇む主人公として映し出されています。
 

 
 
「タンチョウ」は日本の野鳥の中では最大級で、
全長は1m40cm、翼を広げると2m40cmもあります。
「タンチョウ」は漢字で「丹頂」と書きます。
「丹」は赤い、「頂」はてっぺんという意味で、
頭のてっぺんが赤いためこの名前がつきました。
日本では7種類のツルが観察されていますが、
国内で繁殖するのは「タンチョウ」だけです。
 

 
江戸時代には北海道から沖縄県まで全国に分布していましたが、
明治時代にかけての乱獲や湿原の開発などで激減。
環境省によると、昭和27(1952)年に確認出来たのは
およそ30羽にとどまり、
その後、国際自然保護連合(IUCN)により
「絶滅危惧種」としてレッドリストに登録されました。
そこで、タンチョウが多く生息していた
釧路湿原周辺の地元住民が立ち上がり、
穀物などを給餌する取り組みを始めたことから、
現在は1900羽程にまで回復したことから、
IUCNでは令和3(2021)年12月に絶滅危機レベルを1段階引き下げました。

www.env.go.jp

 
和田さんによると、
「鶴の一声」とは雄の鳴き声で
それに呼応して雌が発する声が「鶴の二声」なのだそうです。
外見だけでは雄と雌の区別が難しいのです。
 

 
WADA MASAHIRO ART SQUARE
  • 住所:〒085-1203
       北海道阿寒郡鶴居村鶴居西1丁目5-1
  • 電話:0154-64-3111
 
 

タンチョウヅルの1日を密着

番組では和田さんの撮影に密着しました。
早朝より訪れたのは、タンチョウの「ねぐら」です。
タンチョウは真冬でも凍らない水が流れる地を見つけ、
カエルや水生昆虫を食べます。
気温はマイナス16℃で霧氷の見られる環境です。
8時を過ぎると餌を求めタンチョウが集まります。
多い時には200羽も集まることがあるそうです。
 


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タンチョウとその生息地を保護するため設置された
日本野鳥の会」が運営する施設
チーフレンジャーを務める原田修さんが
餌の給仕について紹介して下さいました。
 
鶴居伊藤タンチョウサンクチュアリ」の土地の大部分は、
昭和40年から40年間に渡り給餌活動をしてきた
鶴居村の酪農家の伊藤良孝さんが提供したものです。
それを日本野鳥の会が伊藤さん意思を引き継ぎ
現在に至るそうです。
 
サンクチュアリでは、11月の中旬から3月下旬にかけて、
タンチョウ給餌場の一つとして給餌が行われています。
サンクチュアリ内のネイチャーセンターでは、
タンチョウの鳴き声や行動についての解説を聞くことができます。
 
夕方5時頃、タンチョウはねぐらに戻り、1日が過ぎました。
北海道の大自然は、
極寒の地ならではの厳しさと優美さをタンチョウが伝えてくれています。
 
  • 住  所:〒085-1200
         北海道阿寒郡鶴居村雪裡南
  • 電  話:0154-64-2620
  • 開館期間: 10月~3月
  • 開館時間: 9時00分~16時30分
  • 休館日 : 火・水曜日(祝日除く)
         4~9月、年末(12/26~30)
  • 入館料 : 無料
 
 

美の壺2.吉祥を運ぶ

 

「吉祥」の鶴


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Chinaで鶴は、千年生きるめでたい生き物として喜ばれ
「吉祥」の象徴とされていました。
そんな文化が奈良時代、日本に伝わり絵画などの題材として描かれてきました。
京都国立博物館所蔵の俵屋宗達の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」には、
今にも飛び立ち、舞う姿の金銀の鶴が137羽も描かれています。
 


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伝統文様研究家の成願義夫(じょうがんよしお)さんに
鶴をモチーフとする吉祥柄について伺いました。
鶴は、夫婦仲が良く一対で描かれています。
また、息のあった「あうん」の呼吸になぞられてもいます。
 
鶴の文様は様々なものがあります。
「向かい鶴」は、丸い円の中に番の鶴が描かれ夫婦円満を表現しています。

 
「鶴と亀甲」は長寿を願ったもの、

 
「雲鶴」は宮中の文様として用いられたものです。

 
  • 住所:〒605-0931
       京都市東山区茶屋町527
  • 電話:075-525-2473
 
 

文様の世界(成願義夫さん)

 
成願義夫(じょうがんよしお)さんは、
伝統文様研究家であり、伝統色研究家。
日本で唯一「和」を専門としたデザイン会社
京都デザインファクトリー」を立ち上げ、
文様作家としても活躍をしていらっしゃいます。
 
成願さんの着物の制作現場へお邪魔しました。
鶴は、天と地を繋ぐ生き物で着物の柄としても人気があります。
着物の上半身の柄は
鶴が中へ向かうイメージでデザインをするそうです。
鶴は、日が昇る方向、東に向かっているそうで、
しかも上向きに描くのがご自身の鶴のセオリーだそうです。
 
  • 住所:〒606-8427
       京都府京都市左京区
       鹿ケ谷法然院西町63−6
  • 電話:075-741-7076
 
 

美の壺3.小さき鶴に願いを込めて

 

春日大社の若宮様の鶴


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奈良県にある「春日大社」の摂社「若宮神社」には、
平安時代につくられた貴重な「鶴」があります。
国宝「若宮御料古神宝類」に含まれる
純銀で作られた二羽の鶴「若宮御料古神宝類銀鶴及磯形」と
金の鶴が銀の枝にとまった様子を表現した
「若宮御料古神宝類金鶴及銀樹枝」で、
若宮創建期に、藤原摂関家などの貴族らが奉納したと考えられています。
 
宮司の花山院弘匡さんに
「若宮神社」が出来た背景を教えていただきました。
平安末期、大雨による飢饉や疫病が続いたため、
関白の藤原忠通が保延元(1135)年に若宮社殿を建立し、
それまで本殿に合祀されていた水の神である若宮を分祀。
また、右大将藤原頼長(後の左大臣)らが中心になって
古神宝を奉納しました。
翌年からは「春日若宮おん祭」が行われ、
現在まで途切れることなく続いています。
 
 
 
金の鶴は金無垢で、
翼を広げた状態で銀樹枝上に脚を揃えて立ち、
目や羽根など細部は丁寧な蹴彫りで表されています。
樹枝は二枝あり、銀の細い棒を鍛節して形造り、
枝先は細かく分枝しています。
これは、おそらく松樹を意識したもので、
銀樹は蓬莱山に立つ、松葉と思われます。
 
国宝殿の学芸員の松村さんによりますと、
鶴は実際には松にはとまらないそうです。
 
「蓬莱山」は、古代Chinaの神仙思想の別天地です。
不老不死の仙人が棲む理想郷と言われています。
蓬莱は天上と地上を結ぶ場所で、天上から鳳凰に乗って
神仙が降りてくると言われています。
天上と蓬莱を行き来出来るのは「鳳凰」と「龍」ですが、これを日本的に解釈したものが「蓬莱文様」です。
蓬莱には松・竹・梅の吉祥樹が茂り、四季の花々が咲き、
蝶が舞う常春で、空には鶴が舞い、海には亀が遊ぶという理想郷です。
 
若宮御料の金鶴と銀樹枝は、
このような吉祥の飾り物を神に献ずるために奉納されたものと思われます。
松樹と鶴の組み合わせは、平安時代後期以降、
最もポピュラーな吉祥意匠の一つとなりました。
 

 
  • 住所:〒630-8212
       奈良県奈良市春日野町160
  • 電話:0742-22-7788
 
 

金鶴銀鶴復元プロジェクト(人間国宝の彫金家・桂盛仁さん)


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若宮神社では、本殿を修復する「式年造替」に合わせて、
科学調査の成果に基づき、
平安時代(12世紀)の若宮奉納当初の
「若宮御料古神宝類金鶴及銀樹枝」の復元新調し、
92年ぶりに鶴を復元して、若宮様へお戻しすることになりました。
 
春日大社若宮では、20年に一度、
「式年造替」(しきねんぞうたい)が行われます。
神様がお社ごとに移られることを「遷宮」と言いますが、
春日大社では、本殿はそのままで建て替え修復をすることを「造替」と呼ぶそうです。
 
鶴の復元を行ったのは、
人間国宝の彫金家・桂 盛仁(かつら もりひと)さんです。
 

 
型を作り、本物と全く同じように作ります。
松の枝の部分も純銀で正確に作ります。
桂さんは、国宝の金鶴は本当に美しい鶴だと言います。
その場に本物の鶴がいるような感じがして、
どうやってつくるのだろうかと試行錯誤しています。
何十種類の道具を使い分けてつくりますが、
当時は道具も限られています。
国宝作品と照合しながら細部を修正します。
出来上がった鶴は今年10月に奉納を予定しています。
 
 
 

「金鶴・銀鶴の謎」(奈良国立博物館名誉館長・内藤栄さん)

 
金鶴・銀鶴の復元にあわせ、
春日大社と奈良国立博物館では、共同で研究・調査を行いました。
その結果、鶴の胴体に空洞があったことが判明しました。
 
奈良国立博物館の名誉館長・内藤栄さんによると、
鶴と一緒に保管されていた「洲浜」(すはま)は、
鶴との関係さえ分からなかったそうですが、
今回、最新のCTスキャンの技術で調べた所、
洲浜に銀の枝が刺さっていたのが分かりました。
 
「洲浜」は、河口に出来た三角洲など、
水辺にできる島形の洲。
いわゆる河と海などの接するところで、
曲面の入り組んだ洲の様子を表す言葉で。
 
復元は、現在の調査研究で分かったことを反映させます。
「洲浜」も復元をすることになりました。
木で作り、色も当時のものに着彩をして再現させました。
 

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