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美の壺「語りの芸術 講談」<File 503>

<番組紹介>
神田伯山の襲名で、大ブームの「講談」。
神田伯山流の、
美しい言葉の見極め方と美文調の語りは必見!
 
 ▽講談師初の人間国宝・一龍斎貞水が
  「語りの極意」を語る!
 ▽講談に欠かせない「張り扇」。
  350年の歴史を持つ和紙から生まれる最高の音
 ▽「釈台」コレクターの講談師による、
  究極の一台とは?!
 ▽上方講談界の重鎮・旭堂南陵。
  愛蔵の浮世絵や資料から時代を読み解く!
 
<初回放送日:令和2(2020)年4月10日>
 
 
 
今、講談に魅せられ、寄席に通う人が増えています。
「講談」は史実を基に客観的な視点で語っていくのが特徴です。
語りに調子をつける「張扇」(はりおおぎ)に使われているのは、
350年の歴史を持つ和紙。
「釈台」は、木工職人の緻密な作業で、一台ずつ生み出されます。
「釈台」を愛する講談師の音のこだわりにも迫ります。
さあ「美の壺・講談」の回。何が読まれるんでございましょうか。
とくと、その目でご覧下さいませ。いよいよ始まりでございます。

 

美の壺1.美文調を味わう

 

講談師・一龍斎貞水さん

 
 
講談師・一龍斎貞水(いちりゅうさい ていすい)さんは、
役者志望で、幼い頃からラジオを聴き、
演芸に親しんでいた貞水さん。
寄席の楽屋に出入りするうち、
五代目・一龍斎貞丈から
「ちょっと噺できるか」と声をかけられ、
学生服姿で初舞台を踏んで喝采を浴び、
講談の道へ進みました。
 
キャリア65年。
その語りは、多くの人を引きつけてきました。
特に、「怪談モノ」を読ませれば当代随一と言われ、
迫力ある声と表情に、照明や音響、大道具などを効果的に用いた
「立体怪談」を得意とします。
「鬼平犯科帳」に取り組んだ他、
軍談物から世話物まで幅広い芸域は高く評価されて、
平成14(2002)年、
講談界初の重要無形文化財(人間国宝)となりました。
 
16歳で、五代目・一龍斎貞丈に入門した貞水さん。
師匠の台本を一字一句書き写すこと、1000冊。
耳からも覚え、講談ならではの語りを会得していったと
いいます。
 
講談で誰もがまず最初に稽古をする演目は
軍記物『三方ヶ原軍記』。
武田信玄と徳川家康の合戦の物語で、
家康の唯一の負け戦です。
 
臨場感溢れる修羅場を読むことで、
語る、話す、読む、謳うなどの調子を学び、
腹から声を出すことで声を鍛えるとともに、
正しい発声を習得するようになるそうです。
 
一龍斎貞水(いちりゅうさい ていすい)さんは
残念ながら、令和2(2020)年12月3日、
肺がんによる肺炎のため永眠されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
 
 

講談師・神田伯山さん

 
今年2月、ある講談師の真打ち昇進に
大きな注目が集まりました。
神田松之丞改め「神田伯山」(かんだ はくざん)さんです。
神田派の祖とも言われる名跡「神田伯山」は、
代々、名人が受け継いで来ました。
 
「五代目は五代目でね、本当にお上手なんですけどね。
 結構、会報誌とか見るとね、人の悪口とか書いてあんですよ。
 俺も人の悪口よく言うんでね、あ~ 似てんなと。
 二代目は二代目で、ある種どっか似てんですよね。
 違う人間なんですけど、寄せなきゃとかって思わないうちに
 『あれ?何か似てるなみんな』」
 
 
伯山さんの語りの原点は、
高校生の時にラジオで聞いていた「落語」です。

 

その後、敬愛する立川談志師匠の影響で講談にのめり込み、
神田松鯉(かんだ しょうり)さんに入門。
厳しい稽古を自らに課し、スケール感のある語り口で人気を得ます。
 
伯山さんは、現代では使わない
「昔の言い回し」を大切にしています。
 
講談の代表的な演目『赤穂義士伝』(あこうぎしでん)
例にとってみます。
『赤穂義士伝』は、
江戸城で赤穂藩主・浅野内匠頭が
吉良上野介を斬りつけた刃傷事件から
吉良邸討ち入りまでの流れを追った「本伝」、
家来47人の逸話を「銘々伝」(めいめいでん)
事件を取り巻く人々の物語を「外伝」と
分類されています。

 

「銘々伝」の中でも人気の高い名作
『赤垣源蔵・徳利の別れ』は、
討ち入りに加わった弟・赤垣源蔵と
兄・塩山伊左衛門(しおやまいざえもん)
心温まる愛情が描かれていた演目で、次のように始まります。
 
「まんじともえと降る雪の中、
 まとうた赤合羽にまん重笠、
 左の手に下げた徳利は貧乏徳利・・・」
 
「まんじどもえ」?
「卍巴」(まんじどもえ)とは、入り乱れた状態のこと。
つまり「激しく降る雪」のことです。
それを知ってもらうために、
テクニックとしてさりげなく会話に忍ばせます。
 
語りの最大の見せ場は、翌朝の赤穂浪士の様子。
 
「源蔵が討ち入りしたことを知った兄は、
 老僕・市助を走らせます。
 市助は一行の中に源蔵がいるのを見つけ、
 形見の品を渡されて戻ります。
 伊左衛門は市助から一部始終を聞くと、
 源蔵が置いていった徳利を手にし、
 残っていた酒を飲み干しました。
 兄と弟の永遠の別れの話でございます。」
 
講談は 歴史にまつわるお話を
まるで自分が見てきたかのようにお話をする伝統話芸です。
 
 
 

美の壺2.高座を盛り上げる名脇役

 

「張扇」(講談師・宝井琴柳さん)

 
東京・中央区東日本橋の薬研堀不動尊では、
毎年12月28日に講談師がお寺の境内に集まって、
1年間使った「張扇」(はりおうぎ)を焚き上げて供養し、
芸道精進を祈願する会が行われます。
 
講談の道具
落語の小道具は「白扇」と「手拭」だけですが、
講談は「白扇」と「手拭」は同様に使いますが、
それに加えて「張扇」「本」「釈台」など、
様々な道具が使われます。
 
宝井琴柳(たからい きんりゅう)さんは、
「張扇」に人一倍こだわりを持っています。
 
「私達にとって、オーバーな言い方をすると、
 張扇は、釈台を叩いて話のリズムを取り、
 句読点を表すための小道具です。」
 
琴柳さんの「張扇」は28㎝から30㎝。
その日の気分や「釈台」との相性によって使い分けています。
 
多くの講談師は「張扇」を自分の手で作ります。
薄く削った竹を芯にした厚紙を付け、
和紙「西の内紙」を巻いていきます。
通常2枚巻きますが、琴柳さんは5枚巻きます。
厚みが出る分、音が優しくなるのだそうです。
また先端の部分は、竹と紙の間に僅かに空間を開けると、
叩いた時に、その間から音が抜けて、より響くのだといいます。
 
琴柳さんが「張扇」に使う「西の内紙」(にしのうちし)は、
明治時代から続く和紙工房「紙のさと」の
四代目の菊池大輔さんが漉いたものです。
 
「西の内紙」(にしのうちし)は、
茨城県常陸大宮市で作られている350年の歴史を持つ和紙です。
強靱で保存性に優れたその性質から、
江戸では商人の大福帳として用いられていました。
「西の内紙」の原料は地元の「那須楮」から作られます。
「西の内紙」はコウゾのみを原料として漉かれ、
ミツマタやガンピなどが用いられないことに特徴があります。
 
 

「釈台」(講談師・神田山緑さん)

講談で「張扇」とともに欠かせないのが
「釈台」(しゃくだい)です。
 
神田山緑(かんだ さんりょく)さんは、
既に9台もの「釈台」を持っていらっしゃいますが、
また新しい「釈台」を作ろうと考えています。
山緑さんの10台目の「釈台」を作ってくれるのは
木材の産地・長野県木曽地方の
家具木工山戸」の木工職人・山戸 忠さんです。
 
山戸さんが「釈台」を作るのは2回目。
今回の注文は、組み立て式の「釈台」です。
前回は「ヒノキ」を使いましたが、今回は「クリ」の木で作ります。
天板の厚みは、音と重さのバランスを追求した1.5㎝。
持ち運びしやすいよう、脚の部分は格子状にして軽く仕立てます。
完成した「釈台」が山緑さんのもとに届きました。
高座で、講談師より目立ち過ぎてはいけないとされる「釈台」。
山緑さんは自分の体格が大きいため、
敢えて見栄えのする木目で、バランスを取りたいと考えたそうです。
 
「めちゃくちゃいいですよ、この響き方といい。
 携帯用でこういういい音鳴るのってね、
 ないので凄くいいですね。」
 
  • 住所:〒399-5607
       長野県木曾郡上松町小川3808-101
  • 電話:0264-52-2156
 
 
 

美の壺3.時代を読み伝統をつむぐ

 

関西の講談師・旭堂南陵さん

 
「講談」の始まりは、江戸時代初期。
「太平記」などの読み物に注釈を加えて語る
「辻講釈」(つじごうしゃく)に由来します。
幕末から明治にかけては、
講談を題材にした浮世絵も多く出版されました。
上方講談界の重鎮、旭堂南陵(きょくどうなんりょう)さんは、
その浮世絵を収集しています。
 

 
南陵さんが最も大切にしている資料の一つが、
明治7(1874)年に出版された講談の浮世絵集(講談本)です。
講談の一場面を
歌舞伎俳優が演じているように描かれています。
 
講談は速記術の発明以降、
特に明治20年代から盛んに新聞・雑誌に連載され、
完結するや直ちにその多くが速記本として
各種の書店から刊行されました。
その人気を支えたのが、幕末から明治にかけて大衆を熱狂させた、
二代目・松林伯円(しょうりん はくえん)です。
伯円が生涯に口演した作品は120作を越えたと言われ、
時代物や世話物も秀でた他、
様々な事件を創作した講談も意欲的に行いました。
 
 
泥棒物を講演して大成功を博したことから
「泥棒伯円」とあだ名され、
明治の世になると
文明開化、西南戦争、自由民権運動といった
時事ネタを自作に取り入れて、
生涯に70作以上の新作講談を生み出しました。
それらは速記者が記録して、本や雑誌として出版されました。
創作講談が様々な娯楽として人気を博していきました。
 
 

創作講談・神田すみれさん

 
埼玉県深谷市にある「渋沢栄一記念館」で、
新しい創作講談に取り組むため、取材をしている講談師がいます。
創作講談に力を入れている、神田すみれさんです。
 
「一万円札になるというので、
 どんな人かなと思って、本を読んだりしたら、凄い人なんですね。
 日本人の持つ良さっていうかね、
 心を大事にして、人のためにも一生懸命という、
 そういうところに凄い惹かれました。」
 
明治、大正時代、多くの銀行や会社を設立し、
近代日本経済の礎を築いた渋沢栄一。
一万円札の新しい顔になるのをきっかけに、
神田すみれさんは渋沢を講談にすることにしました。
 
演目の長さは1時間。
娯楽としても飽きさせないように、会話を中心に描いていきます。
着想から3か月、公演初日を迎えました。
 
「さて、この渋沢栄一は天保11年、1840年、
 武蔵国は血洗島というところに生まれました。
 今の埼玉県深谷市大字血洗島というところでございます。」
 
渋沢栄一が 岩崎弥太郎から一緒に事業をやろうと誘われる場面。
2人の生き方の違いをそれぞれのせりふに込めました。
 
「『資本主義の父』と呼ばれました渋沢栄一の物語。
 これをもって読み終わりと致します。」
 
伝統に裏打ちされた講談師の知恵と工夫。
ここにまた新たな演目が生まれました。
 


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