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美の壺「唯一無二の山 富士山」<File 579>

<番組紹介>
撮影した富士山30万枚!
海外の有名雑誌の表紙も飾った
富士山写真家の撮影法とは?
 
 ▽「聖徳太子絵伝」から狩野派、北斎まで。
  富士山はどう描かれてきたのか?
 ▽生涯1500枚もの富士山作品を生み出した
  近代日本画の巨匠・横山大観。
  そのの思いとは?
  ▽トイレットペーパーからマッチ箱まで
   集める富士山コレクターの富士山鑑賞法
  ▽有田焼の窯元が、明治の創業以来ずっと
   富士山の器を作り続ける理由とは?!
 
<初回放送日:令和5(2023)年5月10日>
 
 
 

美の壺1.千変万化を楽しむ

 

富士山フォトグラファー・TAKASHIさん


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兵庫県朝来市(あさごし)にある
令和5(2023)年3月11日から5月7日に、
『井上浩輝・TAKASHI写真展〜大自然に流れる
「時」の中での出会い〜』が開催されました。
 
井上浩輝(いのうえひろき)さんは、
キタキツネを中心に、北海道の美しい風景や野生動物達を撮影している写真家さんです。
 
 
一方、TAKASHIこと中澤隆さんは、
日々変化する「富士山」を様々な角度から捉え、幻想的且つダイナミックに表現する
富士山フォトグラファーです。
 
 
  • 住所:〒679-3423
    兵庫県朝来市多々良木739-3
  • 電話:079-670-4111
 
 
中澤さんは、12年前の平成23(2011)年の初夏、
初めての富士山撮影で、雲海富士の絶景と、
霧から現れた富士山の前を
朝日で輝きながら泳ぐ白鳥に出会って以来、
富士山を専門に写真を撮り続けています。
 
 
海外のビジュアル雑誌の表紙を飾るなど、
国内外で活躍なさっている中澤さんが、
これまで撮影した富士山の数は30万枚以上。
中澤さんは、富士山の魅力は形の美しさだと
おっしゃいます。
円錐形の山は、世界にたくさんありますが、
裾野までキレイに広がる山は珍しいそうです。
 


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中澤さんは自らの目を通して、
独自の視点で富士山に挑んでいます。
 
深みのある静謐な「ブルーインクシリーズ」と
いう、万年筆のインクカラー「ブルーブラック」
の深いブルーで富士山を表現した作品群が
あります。
一度見ると忘れられない、
夜明けの静寂のような凛とした色合いです。
富士山の色を取り、
色からの印象がなくすことで、
逆に存在感が増し、富士山の神秘性が
強調されています。
 
 
また「長時間露光」という、
シャッタ時間を長くする撮影方法により、
幻想的な雰囲気を出しているのも
中澤さんの作品の特徴のひとつです。
富士山の魅力は、四季折々、時間帯、
見る角度によって表情を変えてくれると
おっしゃいます。
それは、富士山のなせる技だと思えるくらい
不思議な光景だそうです。
 

富士山の撮影

番組では、中澤さんの撮影に密着しました。
まず、訪れたのは、山梨県笛吹市にある
新道峠(しんどうとうげ)です。
こちらは、河口湖から富士山が広く見渡せる
絶景の場所です。
 
 
早朝5時40分、日の出前と日の入り後に
空が青くなって河口湖がブルーに染まる
「ブルーアワー」と呼ばれる時間帯です。
日の出直前の富士山が僅かに色づき
刻々と色が変わっていきます。
天候によって雲がダイナミックに出る時は、
ドラマチックに撮れるそうです。
午後、中澤さんは静岡県富士宮市北部にある
朝霧高原(あさぎりこうえん)に向かいます。
ここからは「大沢崩れ」を臨むことが出来ます。
 
「大沢崩れ」とは、富士山の真西面にある
大規模な浸食谷のことで、
幅500m、深さ150m、火口付近から
標高2200mまで続くという大規模なものです。
しかも現在も、毎年10トンダンプ3万台分もの
土砂が崩落し続けています。
 


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日没近くの17時40分、シャッターチャンスが
やってきました。
富士山に雲が掛かり、山頂が夕日で
赤く染まった「紅富士」を撮影しました。
全く同じ瞬間がないのも魅力ですね。
 
 

美の壺2.仰ぎ 気持ちを託す

 

「富士絵」
静岡県富士山世界遺産センター教授・松島仁さん)

雄大で美しい日本のシンボル「富士山」は、
昔から絵画のモチーフとしてもよく取り上げ
られてきました。
 
 
 
その筆頭と言ってまず頭に浮かぶのは、
江戸後期の浮世絵師「葛飾北斎」の
『富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)です。
あらゆる場所から見える富士山を描いた
全46図の大判錦絵からなる名所集です。
 
 


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最初に富士山が描かれたのを確認出来るのは、
平安時代の『聖徳太子絵伝(国宝)』です。
聖徳太子が甲斐国から献上された黒駒に
またがって奈良の都から富士山まで飛んだ
という「甲斐の黒駒伝説」を描いたものです。

emuseum.nich.go.jp

 
室町時代後期の幕府の御用絵師・狩野元信に
描かれたとされる『絹本著色富士曼荼羅図』
薬師如来、阿弥陀如来、大日如来が
山頂に向かって参詣する様子が描かれていて、
富士山が信仰の対象であったことが
伺えます。
 

fuji-hongu.or.jp

 
江戸幕府と富士山の関係を研究している
松島仁さんは、江戸時代は
「徳川将軍と富士山は一体である」という
イメージが浸透していたとおっしゃいます。
将軍が家臣と向き合う時の背景として、
「富士山」の絵が使用されたそうです。
 

www.mtfuji.or.jp

 
「富士山」は外交にも一役買っています。
狩野董川中信(かのうとうさんなかのぶ)
『富士飛鶴図』は、ブキャナン米大統領に
贈答した掛け軸10幅の内の一つです。
「富士山は万国一般に仰ぎ臨む名山だ」
というメッセージが込められていました。
 
  • 住所:〒418-0067
    静岡県富士宮市宮町5-12
  • 電話:0544-21-3776
 
 

「大観と富士山」
(足立美術館学芸員・木佐 布由美さん)

 
「大観と言えば富士」という言葉があるほど、
近代日本画の巨匠・横山大観(よこやまたいかん)
富士山を画題とした作品が有名で、
生涯におよそ1500点も描いたと言われています。

島根県安来市にある「足立美術館」には、
大観の初期から晩年に至るまでの作品が
130点収蔵されていることから、
別名「大観美術館」とも呼ばれるほどに
コレクションが充実しています。
 
 
夏之不二(なつのふじ)
             〔大正9年〕
 
群青による明快な色彩と
雲間に山頂が浮かぶデフォルメされた
大胆な構図が印象的な作品です。
琳派風の装飾性を感じさせます。
 
 
『神州第一峰』(しんしゅうだいいっぽう)
              〔昭和7年〕
 
足立美術館」が所蔵する大観の富士の中で、
唯一の「六曲一双」(ろっきょくいっそう)
屛風絵です。
雲海に浮かぶ富士と太陽が印象的な作品で、
大観が生涯に何度も描いたテーマです。
 
-屏風の数え方-
横に幾つも連なった屏風の面の
それぞれ一つの面を「扇」(せん)と呼びます。
「扇」は向かって右側から左に向かって、
「第一扇」「第二扇」・・・と数えます。
折れ曲がった「扇」の数によって、
屏風の形状は「二曲(きょく)」「四曲」「六曲」
などと数えます。
左右で一組になった屏風は「双」(そう)と数え
対になっていない片割れだけのものは
「隻」(せき)と数えます。
「六曲屏風」(ろっきょくいっそう)は、
六枚折りの屏風が二本の屏風を差し、
屏風の中で最もポピュラーな形です。
 
 


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大観は、『私の富士観』(朝日新聞1954年)の中で
 
「富士を描くということは、
 富士にうつる自分の心を描くことだ。
 心とは、ひっきょう人格にほかならない。
 それはまた気品であり、気迫である。
 富士を描くということは、
 つまり己れを描くことである。(中略)
  富士を描くには理想を以て描かなければならぬ。
 私の富士も決して名画とは思わぬが、
 しかし描くかぎり、
 全身全霊をうちこんで描いている。(中略)
 富士は、いつ、いかなる時でも美しい。
 それは無窮の姿だからだ。
 私の芸術もその無窮を追う」
 
と富士山への心情を語っていました。
 
更に、
「古い本に富士を『心神』とよんでいる。
 心神とは魂のことだが、
 私の富士観といったものも、
 つまりはこの言葉に言いつくされている。(中略)
 富士は、そういう意味でも、
 たしかに日本の魂だと、その時も思ったことだ。」
 
とも語っていますが、
大観にとって「富士」は日本人の心、
日本の象徴でした。
 
 
  • 住所:〒692-0064
    島根県安来市古川町320
  • 電話:0854-28-7111
 
 
 

美の壺3.いつも そばに

「雪形」
(富士山コレクター・大宮 仁さん)


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富士山や富士北麓の情報発信サイト
富士みずほ通信」を運営する大宮仁さんは、
富士山コレクターとして著名な方です。
 
平成10(1998)年に海外で勤務する仲間に
地元の情報を伝えようとHPを立ち上げ、
富士山関連のものを収集し始め、気がつけば
総数3万点もの富士山グッズを収集し、
国内屈指のコレクターになっていたそうです。
 
 
コレクションを拝見しました。
富士山の登山道が描かれた
トイレットペーパーに、
富士山マークのパチンコ玉、
食品パックに、包み紙、マッチ箱や書籍、
富士山の名前やマークがあるものなど、
富士山に関係する、
ありとあらゆるものがあります。
 
 
 
そんな大宮さんが、今、ハマっているのは、
富士山の「雪形」(ゆきがた)です。
20年前から「雪形」を見つけ出しては
写真を撮って、広報活動に勤しんでいます。
 
「雪形」とは、山肌の残雪や
そこから覗く岩肌などの形を、
人物や動物などになぞらえて、
名前が付けられたものです。
雪が降り始める10月頃から
雪が消える翌年7月の間には
多くの「雪形」が現れては消えていきます。
 
雪形は、古くから親しまれていました。
ほぼ毎年、8合目付近に現れる
「農鳥」(のうとり)は、
田植えの時期を告げる雪形として
地元の人に親しまれてきました。
 
大宮さんは、富士山は友達みたいに楽しませてくれるものだとおっしゃっていました。
 
 

磁器に描かれた富士山
(「深川製磁」深川 真樹生さん)


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佐賀県有田町の「深川製磁(ふかがわせいじ)
明治27(1894)年に深川忠次(ちゅうじ)により、
日本の磁器発祥の地と言われる「有田」で
創業した老舗窯元です。
 
 
1350度高温焼成から生まれる「透白磁」と、
深川製磁」独自の「付け濃み」技法から
生まれる染付(藍色)のグラデーションは、
「深川ブルー」と呼ばれ、世界に誇る
独自の美観を持った作品を生み出しています。
 
 
深川製磁」では、明治の創業以来、
「富士山」をモチーフに
多くの意匠を制作してきました。
創業者の深川忠次は、開窯以前から、
若くして渡欧を重ねていたこともあり、
「世界一のやきものづくり」を目指していました。
そして、有田の伝統的な技法に
欧州から取り入れた先進技術を加え、
日本の美観を表現した独自のデザインを追求。
そして日本の象徴である「富士山」を絵柄に
したのです。
 
 
深川製磁」では、絵付けは筆を使わず
エアーブラシを使います。
型を乗せ、吹きつける量を考えながら
グラデーションを作ります。
焼成温度は、通常よりやや高めの1350℃。
高温で焼くことで、透き通った白さや
富士の青さを表現します。
 
 
深川製磁」の4代目・深川一太さんの
御子息で、現在は副社長の深川真樹生さんは、
100年先も200年先も、
有田焼で美しい富士山を表現できるように
職人と共に研鑽して作り続けたいと
抱負をおっしゃっていました。
 
 

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