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美の壺「民藝のやきもの」<File540>

<番組紹介>
人気料理家ワタナベマキさんが
「洋にも和にも合う!」と愛用する
民藝の器とは?!
 
 ▽江戸時代から一子相伝で作られる
  「小鹿田焼(おんたやき)」の技
 ▽ポップな模様の「スリップウェア」。
  フリーハンドで描く一期一会のデザイン
  とは?
 ▽陶芸家バーナード・リーチ直伝の、
  コーヒーカップの取っ手付け
 ▽東京のセレクトショップでヒットした
  ブルーの器。
 
陶芸家・河井寛次郎に薫陶を受けた釉薬の
こだわりとは?!
 
<初回放送日:令和3(2021)年6月4日>
 
 
「民藝」とは、「民衆的工藝品」の略語で、
思想家・柳 宗悦(やなぎ むねよし)によって作られた言葉です。
柳宗悦は、大正末期から昭和にかけて
全国を回り、各地に伝えられてきた
名もなき職人が作り続けてきた
庶民のための日用品を見い出しました。
そこには「鑑賞のための美術品」とは異なる
「機能的で健康的な美しさ」があります。
柳は、これを「用の美」(ようのび)と表現し、
その素晴らしさを広く世に伝えました。
今回の「美の壺」では、
そんな「民藝のやきもの」が紹介されました。
 
 

美の壺1.暮らしを彩る素朴な風合い

 

料理家・ワタナベマキさん

料理家のワタナベマキさんの食器棚には、
民藝のやきものがたくさんあります。
イチオシは「小鹿田焼」(おんたやき)の器です。
 
「小鹿田焼」の大皿に、
鶏モモ肉のソテーにアスパラガスを添えて。
チーズケーキにだって合います。
料理を選ばない器です。

 
「小鹿田焼」のすり鉢で
アンチョビとニンニクをすりおろしたら、
オリーブオイルとワインビネガーをかけて
パクチーをどっさり盛りたらそのまま食卓へ。
食べる前に和えます。
すり鉢が洒落たどんぶりにもなります!
道具としても使い勝手が良いだけでなく、
器にもなる優れものです。

 
 

一子相伝 小鹿田焼(おたんやき)の窯元へ

 
大分県日田市の中心部から車で約30分、
山手に進んだ場所にある皿山地区には
「世界一美しい民窯」とも言われる
「小鹿田焼」(おたんやき)の窯元があります。
 
「小鹿田焼」(おたんやき)は、
今から約300年前の宝永2(1705)年に、
福岡県の有名な焼物「小石原焼」(こいしわらやき)の技術が伝授されて誕生。
「小鹿田焼」は、以降、300年の長きに渡り、
天領・日田の地で誰にも知られず、ひっそりと
作られてきました。
 
そんな「小鹿田焼」でしたが、昭和6(1931)年、
民藝の父・柳宗悦がこの地を訪れたことを契機に
世に知られることになりました。
柳は『日田の皿山』で「小鹿田焼」を紹介すると
「小鹿田焼」の名は一気に広まりました。
 
更に戦後、英国の陶芸家のバーナード・リーチが
この地を訪れたことから、「小鹿田焼」の名は
世界に伝わることとなりました。
 
平成7(1995)年には、機械を使わず、
開窯当時のままの技法で作られることから
「重要無形文化財」に指定されました。

 
黒木家・柳瀬家・坂本家の
三家体制で制作されています。
開窯以来変わらず、
「小鹿田焼」では全工程が手作業で行われ、
その技術は「一子相伝」(いっしそうでん)です。
つまり、他所(よそ)から弟子をとらず、
親から子へ、その家族の中だけでしか伝承され
ません。
更に、作家個人の名前を器に入れない
「無記名作品主義」を貫いており、
現在9軒ある「小鹿田焼」の窯元は共同で
「小鹿田焼」というブランドを守っています。

 

小鹿田焼の技(坂本浩二窯・坂本浩二さん)


www.youtube.com

 
窯元の一つ「坂本浩二窯」では、
平成26(2014)年に父親の一雄さんが引退し、
浩二さんが6代目の当主となり、
平成26(2014)年の春からは
息子の拓磨さんも窯に加わって親子で
「飛び鉋」や「刷毛目」などの伝統的な技法を用いて
豆皿から尺皿、花瓶や植木鉢から
甕や大壺といった大物まで幅広い作品を
作り出しています。
 
「小鹿田焼」の「陶土」は、
全て集落周辺の山から採ってきた「土」です。
鉄分が多く含まれているため赤みや黒みがあり、
出来上がりは素朴で温かみがあります。
 
この「土」を共同で1カ月余りかけて
材料の「陶土」にしていきます。
集落の中に流れる川の水の力を利用した
「唐臼」(からうす)と呼ばれる装置で
2~3週間打ち続いて搗き上げます。
それを水に浸し、更に泥上になったものを濾して
鉢で乾燥させると、材料の「陶土」が出来ます。
 
他の土を混ぜると手間は省けるのですが、
地元の土だけを使うのが300年続いた伝統なの
です。

 
「坂本浩二窯」の坂本浩二さんは、
この日は「大皿」を作っていました。
 
「若い頃には、
 力だけでがむしゃらに作っていましたが、
 そうではなく、土に任せて
 力を抜いてろくろのスピードに体を合わせれば
 不思議と器が出来るのです。」
 
「刷毛目」(はけめ)は、
足の力で蹴轆轤(けろくろ)を回しつつ、
刷毛に化粧土をつけたら、それを小刻みに
打ち付けながら模様をつけていきます。
土には鉄分が多く、焼くと刷毛を当てた部分が
黒くなります。
土の特性を活かした模様です。
 

 
「小鹿田焼」のもう一つの代表的な技法
「飛び鉋」(とびかんな)は、蹴轆轤を回しながら
生乾きの化粧土に小さなL字型の鉋(かんな)
先を当てて表面に削り目をつけていきます。
職人の知恵と工夫が刻まれた模様です。

もう一つの代表的な技法「流し掛け」は、
スポイトなど、化粧土や釉薬を垂れ流せる容器を使って、一定の高さから入れた化粧土や釉薬を落とし、模様をつくる技法です。
 
坂本浩二窯
  • 住所:〒877-1241
    大分県日田市源栄町174
  • 電 話:0973-29-2467
 
 
 

美の壺2.使いやすくて美しい

 

「スリップウェア」を楽しむ
丹窓窯・市野茂子さん)

 
民藝の中でも人気のある
「スリップウェア(Slipware)」を作る
窯元の一つが兵庫県の丹波篠山市の窯元
「丹窓窯」(たんそうがま)です。
現在は、8代目・市野茂子さんが日本にしかない
「スリップウェア」の製作しています。
 
「スリップウェア」は、生乾きの素地に
「スリップ」と呼ばれる化粧土をかけ、
上から櫛目や格子などの模様を描いたものです。
18世紀~19世紀の英国で盛んに作られましたが、
その後は、廃れてしまいました。
 
英国で途絶えていた「スリップウェア」を
日本の「丹窓窯」にもたらしたのは、
柳宗悦らと共に日本の民藝運動を牽引した
英国人の陶芸家、バーナード・リーチです。
 

 
昭和42(1967)年に「丹窓窯」を訪問した際、
「丹波焼」の「墨流し」という技法が
「スリップウェア」に似ていたことに
興味を持ったバーナード・リーチは、
茂子さんのご主人で、
7代目の市野 茂良(いちの しげよし)さんを
「 (「リーチ窯」のあったイギリスの)
 セントアイヴィスに来ないか」と誘います。
市野さんは一家で渡英し、リーチが復刻に
力を入れていた「スリップウェア」を直々に
学びました。
 
平成23(2011)年に茂良さんが亡くなった後は、
茂子さんが後を継いで「スリップウェア」を
追い求めています。
 
「ちょっと線がゆがんだりもするけど、
 焼くと面白いなと思います」と茂子さん。
一期一会の模様、
リーチと柳が伝え広めた技法「スリップウェア」
が日本で花咲きました。 
 
丹窓窯
  • 住所:〒669-2135
    兵庫県丹波篠山市今田町上立杭327
 
 

バーナード・リーチに学んで
(布志名焼「湯町窯」福間琇士さん)

 
多くの窯元がある島根県。
ここにも柳やリーチは足繁く通いました。
大正11(1922)年創業の布志名焼(ふじなやき)の窯元「湯町窯」が作る「エッグベーカー」は、
50年来のロングセラーです。
「湯町窯」に「エッグベーカー」を勧めたのも
バーナード・リーチでした。
窯元の新しい試みとして提案したものでした。
 

 
コンロに網を敷き、
その上に「エッグベーカー」を乗せたら、
玉子をポンと割り入れ、蓋をして弱火で約5分。
玉子の周りが白くなったら、
黄身に火が通っていないうちに火を止めます。
蓋をしたまま4~5分蒸らすと、
半熟でフワフワとした卵焼きの出来上がり。
一緒にお野菜やベーコンも入るサイズ。
そのまま受け皿に載せて食卓に。
アツアツのまま頂くことが出来ます。
 
バーナード・リーチがもう一つ、
熱心に指導したのは「コーヒーカップ」でした。
 

 
「ウェットハンドル」と呼ばれる把手の付け方には
大変苦労をされたそうです。
把手は指1本がちょうど入る大きさになるようにします。
小さいと当たって熱くなるのです。
生えているように把手を付け、
カップの内部はスプーンで混ぜやすいように
丸みをつけます。
そうすると自然と美しくり、力強さも出ると、
指導を受けました。
使いやすいものこそ美しい、
「用の美」ってこういうことなのですね。
 

 
布志名焼「湯町窯」
  • 住所:〒699-0202
    島根県松江市玉湯町湯町965-1
  • 電話:0852-62-0726
 
 
 

美の壺3.受け継ぎ広げる

 

手仕事の器を扱って
(「マルクス」店主・久保田直さん)

東京の吉祥寺には、日本の手仕事による
素朴な暮らしの道具を提案するお店「マルクス」があります。
民藝にまつわる物や伝統工芸・地場産業の品から郷土の食品までを扱っています。
このお店には、おうちごはんを少しでも楽しいものにしたいと、手仕事の器に魅かれる買い求める人達が集まっています。
 
店主の久保田直(くぼたただし)さんは、
8年前にこの店を開きました。
この店のオープンしたきっかけは、
大手インテリアショップバイヤー時代に
バーナード・リーチの器に出会ったことでした。
触った時の土の感触が心地良く、
手触り感が手のひらにしっくりときて、
「あー、和むな~。」
という気持ちになったそうです。
 
当時の久保田さんは、
「バーナード・リーチって誰??」
というくらいだったそうです。
現在、久保田さんは、かつての柳やリーチのように全国の窯元を訪れています。
 
  • 所在地:〒180-0004
    東京都武蔵野市吉祥寺本町2丁目18-15 
    武蔵野カントリーハイツ112号
  • 電 話:0422-27-2804
 
 

民藝を学び現代に伝える
(「出西窯」多々納真さん)

 
深く透明感をたたえた青。
窯元の名を冠して
「出西ブルー」と称されています。
東京などのセレクトショップが扱い、
人気が出た民藝の器です。
「出西ブルー」を生み出した窯元は
島根県の出雲市にある「出西窯(しゅっさいがま)です。
こちらの窯元は、総勢24名が働く大所帯です。
ベテランもいれば、陶工を志して全国から
集まってきた若者も数多くいます。
 
出西窯(しゅっさいがま)は、
昭和22年、農家の若者5名が生きていくために
陶器づくりを目指したことから始まります。
壁にぶつかった時に出会ったのが
柳宗悦の掲げる「民藝」の理念でした。
 
島根出身の民藝運動家で陶芸家の
河井寛次郎(かわいかんじろう)に教えを請い、
「用の美」を説く河井の言葉に感銘を受け、
普段使いの器作りを決意し、研究を重ねます。
 
作っては河井に見せ、指導を受けまた作る
という師弟関係が河井の晩年まで続きました。
 
 
特に力を入れたのは「釉薬」でした。
原料の種類や配合、濃度や焼き方を
様々試しながら、理想の色を探し求めます。
そして平成元年から本格的に取り組み始めた
深く透明感のあるブルーの釉薬は、
窯元の代名詞となりました。
日本海の凄く晴れた海の青を表現した器です。
今日も陶工達は、より良いブルーを、
器を生み出そうと模索しています。
 

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