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美の壺「民藝のやきもの」<File540>

人気料理家ワタナベマキさんが
「洋にも和にも合う!」と愛用する民藝の器とは?!
▽江戸時代から一子相伝で作られる「小鹿田焼(おんたやき)」の技
▽ポップな模様の「スリップウェア」。
 フリーハンドで描く一期一会のデザインとは?
▽陶芸家バーナード・リーチ直伝の、コーヒーカップの取っ手付け
▽東京のセレクトショップでヒットしたブルーの器。
 陶芸家・河井寛次郎に薫陶を受けた釉薬のこだわりとは?!
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「民藝」とは「民衆的工藝品」の略語で、
思想家・柳宗悦によって作られた言葉です。
柳宗悦は、大正末期から昭和にかけて全国を回り
各地に伝えられてきた職人の手仕事を見い出しました。
名もなき職人が作り続けてきた庶民のための日用品。
そこには、「鑑賞のための美術品」とは異なる
「機能的で健康的な美しさ」がある。
柳は、これを「用の美」と表現し、
そのすばらしさを広く世に伝えました。
今回は、そんな「民藝のやきもの」が紹介されました。
 

美の壺1.暮らしを彩る素朴な風合い

 

料理家・ワタナベマキさん

料理家ワタナベマキさんの食器棚には、
民藝のやきものがたくさんあります。
イチオシは「小鹿田焼」(おんたやき)の器。
小鹿田焼の大皿に、
鶏モモ肉のソテーにアスパラガスを添えた一品。
チーズケーキにだって合います。
料理を選ばない器です。
 

 
小鹿田焼のすり鉢でアンチョビとニンニクをすりおろし、
オリーブオイルとワインビネガーをかけて
パクチーをどっさり盛りそのまま食卓へ。
食べる前に和えます。
すり鉢が洒落たどんぶりにもなります!
道具としても使い勝手が良く、器にもなる優れものです。
 

 
 

一子相伝 小鹿田焼(おたんやき)の窯元へ

 
大分県日田市の山間に「小鹿田焼」の窯元があります。
昭和6(1931)年、柳宗悦がこの地を訪れ、
「日田の皿山」で小鹿田焼を紹介したことにより、
小鹿田焼の名は一気に広まりました。

現在、小鹿田焼の窯元は9軒。
江戸時代より一子相伝で作られ、
工業製品が主流になっていく時代を超え、
現代まで生き延びてきました。
 

 
紹介されたのは、窯元の一つ坂本浩二窯です。
地元でとれた土を
川の水の力を利用して砕き、「陶土」を作ります。
その陶土を「唐臼」(からうす)と呼ばれる装置で2~3週間打ち続け、
水にさらして濾します。
沈殿した土を集めて水を抜き、材料の土が出来ます。
土づくりは1か月余り続きます。
他の土を混ぜると手間は省けるのですが、
地元の土だけを使うのが300年続いた伝統なのです。
 
 

小鹿田焼の技(坂本浩二窯・坂本浩二さん)

 
坂本浩二窯の坂本浩二さん。
この日は大皿を作ります。
若い頃には力だけでがむしゃらに作りましたが、
そうではなく、土に任せて
力を抜いてろくろのスピードに体を合わせれば
不思議と器が出来るのです。
次に白い化粧土をかけ、刷毛を手にします。
化粧土が剥がれ、下の土が出てきました。
土には鉄分が多く、焼くと刷毛を当てた部分が黒くなります。
土の特性を活かした模様です。
 

 
小鹿田焼のもう一つの代表的な技法に「飛び鉋」があります。
ろくろに、自作の鉋を当て削ると、模様となりました。
職人の知恵と工夫が刻まれた模様です。
 

 
 

美の壺2.使いやすくて美しい

 

「スリップウェア」を楽しむ(丹窓窯・市野茂子さん)

 
民藝の中でも人気のある「スリップウェア」を作る窯元の一つが
兵庫県の丹波篠山市の窯元「丹窓窯」(たんそうがま)です。
現在は8代目・市野茂子さんが
日本にしかない「スリップウェア」を製作しています。
 
「スリップウェア」は、
生乾きの素地に「スリップ」と呼ばれる化粧土」をかけ、
上から櫛目や格子などの模様を描いたもので、
18世紀~19世紀の英国で盛んに作られましたが、
その後廃れていました。
 
英国で途絶えていた「スリップウェア」を
日本の「丹窓窯」にもたらしたのは、
柳宗悦らと共に日本の民藝運動を牽引した
英国人の陶芸家、バーナード・リーチです。
 

 
リーチは、昭和42(1967)年、丹窓窯を訪問、
丹波焼の「墨流し」という技法が
「スリップウェア」に似ていたことで興味を持ち、
茂子さんのご主人で7代目の市野茂良さんを
「セントアイヴィス (リーチ窯のある英国の地名) に来ないか」と
誘います。
市野さんは一家で渡英し、
リーチが復刻に力を入れていたスリップウェアを、直々に学びました。
 
茂子さんは、夫・茂良さん亡き後、
後を継ぎスリップウェアを追い求めています。
ちょっと線がゆがんだりもするけど、焼くと面白いなと思います、
と茂子さん。
一期一会の模様、リーチと柳が伝え広めた技法・スリップウェアが
日本で花咲きました。 
 
 

バーナード・リーチに学んで(布志名焼「湯町窯」福間琇士さん)

 
多くの窯元がある島根県。
ここにも柳やリーチは足繁く通いました。
大正11(1922)年創業の窯元「湯町窯」の「エッグベーカー」は
50年来のロングセラーです。
この窯元にエッグベーカーを勧めたのもリーチです。
当時、窯元の新しい試みとして提案したのが
「エッグベーカー」でした。
 

 
「エッグベーカー」を火にかけ、
卵を割り入れ、蓋をして、わずかに数分火にかけるだけ。
後は余熱で火が通る。美味しい卵焼きが出来ました。
そのまま受け皿に載せて食卓に。
アツアツのまま頂くことが出来ます。
 

 
リーチがもう一つ、熱心に指導したのはコーヒーカップ。
 

 
「ウェットハンドル」と呼ばれる把手の付け方には
大変苦労をされたそうです。
把手は指1本がちょうど入る大きさになるようにします。
小さいと当たって熱くなるのです。
生えるように把手を付け、
カップの中はスプーンで混ぜるので丸みをつける、
そうすると自然と美しくなる、力強さも出る、と指導を受けました。
使いやすいものこそ美しい、「用の美」ってこういうことなのですね。
 

 
 

美の壺3.受け継ぎ広げる

 

手仕事の器を扱って
「マルクス」店主・久保田直さん

東京の吉祥寺には、日本の手仕事による
素朴な暮らしの道具を提案するお店「マルクス」があります。
民藝にまつわる物や伝統工芸・地場産業の品から郷土の食品までを
扱っています。
ここには、おうちごはんを少しでも楽しいものにしたいと
手仕事の器に魅かれる買い求める人達が集まっています。
 
店主の久保田直(くぼたただし)さんは8年前にこの店を開きました。
この店のオープンしたきっかけは、
大手インテリアショップバイヤー時代に
バーナード・リーチの器に出会ったことでした。
触った時の土の感触が心地良く、手触り感が手のひらにしっくりときて、
「あー、和むな~。」という気持ちになったそうです。
当時の久保田さんは、
バーナード・リーチって誰??というくらいだったそうです。
現在、久保田さんは、
かつての柳やリーチのように全国の窯元を訪れています。
 
  • 所在地:〒180-0004
        東京都武蔵野市吉祥寺本町2丁目18−15 
        武蔵野カントリーハイツ112号
  • 電 話:0422-27-2804
 
 

民藝を学び現代に伝える(「出西窯」多々納真さん)

 
深く透明感をたたえた青。
窯元の名を冠して「出西ブルー」と称されています。
東京などのセレクトショップが扱い、人気が出た民藝の器です。
窯元は島根県の出雲市にある「出西(しゅっさい)」。
総勢24名が働く大所帯。
ベテランもいれば、
陶工を志して全国から集まってきた若者も数多くいます。
 
出西窯は、昭和22年、農家の若者5名が生きていくために
陶器づくりを目指したことから始まります。
壁にぶつかった時に出会ったのが柳宗悦の掲げる民藝の理念でした。
島根出身の民藝運動家で、陶芸家の河井寛次郎に教えを請い
「用の美」を説く河井の言葉に感銘を受け、
普段使いの器作りを決意し、研究を重ねます。
作っては河井に見せ、指導を受けまた作る、という師弟関係が
河井の晩年まで続きました。
 
 
特に力を入れたのは「釉薬」でした。
原料の種類や配合、濃度や焼き方も様々試しながら
理想の色を探し求めます。
そして平成元年から本格的に取り組み始めた
深く透明感のあるブルーの釉薬は、窯元の代名詞となりました。
日本海のすごく晴れた海の青を表現した器です。
今日も陶工たちは、より良いブルーを、器を生み出そうと模索しています。
 
 

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