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美の壺 「花火」<File 58>

<番組紹介>
夏の夜を彩る風物詩として、
江戸時代から日本人に愛されてきた花火。
日本の花火は世界に例を見ない、
複雑な光の芸術品といわれる。
数秒間に何度も色を変え、
幾重にも円を重ねる花火は、
花火師といわれる職人たちが発明し、
磨き上げてきた日本ならではのもの。
その秘密は「星」と呼ばれる火薬作りにある。
さまざまな花火を、
職人の技とともに見ていきながら、
この夏、花火を数倍楽しむことができる
鑑賞のツボをたっぷり紹介する。
 
<初回放送日:平成19(2007)年8月3日>
 
 
 

美の壺1.千変万化する色を味わう

 

「打ち上げ花火の色」
(「和火屋」三代目・久米川正行さん)


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夏の風物詩、花火。
毎年、大小5000近くの花火大会が開催され、
日本人に愛されてきました。
 
華麗な色彩、全身に響き渡る音、
そして火薬の香り・・・、
日本の花火は、世界に類を見ない
複雑な美しさを生み出してきました。
 
まずは、「花火の色」に注目です。
一つの花火が次々と色を変化させていくのは、日本ならではだそうです。
 
秋田県大仙市の煙火会社「和火屋(わびや)の三代目・花火師、久米川正行さんは、
シーズン前、何度も花火の試し打ちを行い、
思い通りに色が変化するか、確認します。
 
「変わる瞬間なんですよね。
 我々が見たいのは、変わる瞬間。
 どのように変わっていくか。
 変化もパパパと変えていかないと。
 明るさだけで、変化が分からなかった
 という場合も出てくるんで。
 その辺やっぱり難しいですよ」
 
三色に変化する花火を打上げます。
金色から、赤、そして銀色へ。
わずか数秒の間に移り変わる光の芸術です。
 
和火屋(わびや)は、
江戸末期に大名のお抱え花火師として誕生し、
明治34(1901)年10月4日に
秋田県から煙火製造許可証を取得し、
初代・三之助、二代目・光直、三代目・正行、
四代目・和行へと技術を引き継いで、
現在に至ります。
 
和火屋(わびや)は色にこだわり、
多くの色彩豊かな花火を得意とします。
 
江戸時代の花火は、
「玉屋~、鍵屋~」の掛け声も
賑やかな時代だから、
さぞかし多彩なものだったと
思われるかもしれません。
ですが、実際は「和火」(わび)と呼ばれる
ほの暗い橙色(だいだいいろ)の一色だけの
花火でした。
 
当時の花火は、
硝石(しょうせき)、硫黄(いおう)、木炭など
黒色系の火薬を原料としたため、
炭が燃える時の、
暗い橙色しか出せなかったのです。
 
そうした条件の中でも、花火師達は、
木炭の種類を使い分けて色の濃淡を出すなど、様々な工夫を凝らして独特の花火を作り上げて
いました。
 
現在のような、色鮮やかな花火が
作られるようになったのは、
明治に入り、欧米から
マッチの原料である「塩素酸カリウム」が
輸入されるようになってからです。
「塩素酸カリウム」によって、
ストロンチウムや銅、バリウムなどの
金属化合物が燃やせるようになり、
鮮やかな色が出るようになりました。
 
 
金属 
ストロンチウム
バリウム
ナトリウム
銅とストロンチウムの混合
アルミニウム
チタン合金 金(錦)
 
そうなると、日本の花火は
花火師達の努力により、
大いなる進化を遂げていきました。
特に大正から昭和にかけての時代に
「名人」と呼ばれる花火師達が続々と登場し、
互いに切磋琢磨して、腕を競い合い、
現代の日本花火の基本形を築き上げました。
大仙市の「和火屋」の工場には、
まん丸いボールのような
「花火玉」(はなびだま)
ずらりと並んでいます。
 
 
「花火玉」(はなびだま)の周りには、
丈夫な紙を貼り合わせた「玉皮」(たまかわ)という
ボウルのような半球形の容器になっています。
そしてこの「玉皮」の中には、
「星」(ほし)と呼ばれる火薬の塊が
キレイに詰められています。
 
「星」は全て職人の手づくりで行われます。
この「星」を作る作業のことを
「星掛け」と言います。
具体的には、球状の火薬に、
水で溶いた火薬を加え、
少しずつ大きくしていきます。
適当な大きさになると、天日で乾燥させます。
完全に乾燥させては、再び「星掛け」をし、
数週間かけて完成させていきます。
 
数秒の間に、花火の色を
一斉に変化させるためには、
一人の職人が同じ条件で作った
「星」が必要です。
 
「子育てと同じだってこと。
 そういう気持ちで作らないと。
 『星』ばっかりじゃなく、
 花火ってのは、子育てと同じですよ。
 諦めたり省略したりするとね、ダメ。
 絶対いいものができないから」
 
  • 住所:〒019-1701
    秋田県大仙市神宮寺字福島家下56-1
 
 

美の壺2.真円の菊に目を凝らせ

 

「打ち上げ花火の形」
(花火研究家・小西亨一郎さん)

 
「花火玉」(はなびだま)は、大きく分けて
「割物」(わりもの)と「ポカ物」の2種類に
分類されます。
 
「割物」(わりもの)とは、
玉が破裂して球形に星が飛び散る、
花火大会で最も多く見られる
丸い花火のことです。
「割物」の中でも、
飛び出した星が広がる時に、
尾を引くものを「菊」(きく)
星が点になって広がっていくものを
「牡丹」(ぼたん)と言います。
 

(きく)
【割物】
花火の伝統技術の粋を集めた花火で、スーッと星が尾を引きながら放射状に飛び散って、菊花の紋を描き出します。
花びらの先の色が変化する場合は「変化菊」と呼びます。
牡 丹
(ぼたん)
【割物】
菊と同様に丸く開きますが、尾を引かず光の点を描きながら牡丹のような花を咲かせます。
迫力の点では菊に及びませんが、すっきりとした繊細な美しさがあり、菊より光が鮮やかに出ます。
中でも、マグネシウムなどを使った明るい星を「ダリア」と呼びます。
万華鏡
(まんげきょう)
【割物】
星を一握りずつ包んだものを分散させて玉に詰めた花火です。
包んだ星が開くと同じ色の花弁がまとまって開き、色の光となって万華鏡を覗いたように見えます。

(かむろ)
【割物】
開いた星が流れ落ち、地面すれすれで消える花火です。
おかっぱ頭(禿)に似ていることからこの名前が付きました。

(やなぎ)
【ポカ物】
花火玉が割れると上空から柳の枝が垂れ下がるように光が落ちてくる花火です。
最近では彩色柳など様々な色の柳があり、落ちてくる時に色が変化するものもあります。

(はち)
【ポカ物】
花火玉が割れた時に、火薬を詰めた星がシュルシュルと回転しながら不規則に飛び回る花火です。
その動きはまるで蜂が飛び回っているように見えます。
千 輪
(せんりん)
【小割物】
花火玉が上空で割れた時に、中に詰めた小玉が一瞬遅れて一斉に開く花火です。
いくつもの小さな光の花が開きます。
型 物
(かたもの)
【割物】
光の点や線でハートや笑顔、蝶、土星など様々な形を描く花火です。
型物は球状ではなく平面の花火なので開いた時の向きによっては「線」にしか見えず、形に見えにくいことがあります。
 
大仙市内在住の花火研究家・
小西亨一郎(こにしこういちろう)さんは、
これまで多くの花火大会に足を運び、
あらゆる種類の花火を観てきました。
 
「日本の花火ほど、
 まん丸い花火っていうのは、ないんです。
 球状に上手く広がる、
 飛び散った星が一斉にスパッと消える、
 この状況がですね、決まると、
 オオーッという歓声が沸くと、
 わずか数秒なんですが、それを見極める目。
 それが見えたら、
 本当に花火は楽しくなりますね」
 
 

「菊花型花火」
(「紅屋青木煙火店」花火師、青木昭夫さん)


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「菊花型花火」は、
菊の花びらのように開く花火。
どこから見てもまん丸の花火です。
どのようにして作るのでしょうか。
長野県長野市の「紅屋青木煙火店」の花火師、
青木昭夫さんにお話を伺いました。
 
日本で最も美しい
「菊花型花火」を作るため、
青木さんは「現代の花火の神様」と
呼ばれています。
完璧な真円を求める青木さんは、
僅かな形の崩れも見逃しません。
毎年開催される大仙市の花火競技会では、
多くの花火師が目新しい演出を試みる中、
青木さんは伝統的な「菊花型花火」で勝負し、
優勝を飾ってきました。
 
「紅屋青木煙火店」では、
「花火の神様」と言われた
祖父・儀作さんの代から、
丸い花火を作り続けてきました。
父親の多門さんも著名な花火師で、
昭夫さんは高校時代から父親と一緒に
全国の花火大会に出掛け、
数多くの花火を見て育ち、
父親の間近で薫陶を受けながら
花火師としての修業を積んでいきました。
 
「打上花火」には、「星」と「割薬」(わりやく)
2種類の火薬が使われています。
「星」は空中で光る火薬、
「割薬」(わりやく)は上空で「星」に火をつけ、四方に飛ばすため星を勢いよく飛ばすための
火薬です。
導火線に火がつき、
空中で「星」と「割薬」に引火すると、
「星」は光りながら、
「割薬」の爆発で勢いをつけられて
放物線状の軌跡を描きながら飛び出します。
私達はこの時に光の残像として見える
「星」の軌跡を楽しんでいる訳です。
 
祖父・儀作さんが生み出した
三重の円を描く花火には、
打上げた時に完全な同心円になるように、
「星」と「割薬」が配置されています。
こうした「花火玉」を作るには、
熟練の技が必要です。
 
まずは、一番外側に「星」を並べていきます。
この時、「星」を隙間無く均等に並べないと、
花火の形は歪になってしまいます。
 
「割薬」は、「花火玉」の中で
「星」がズレないようにする役目もあります。
「花火玉」の中心が少しでもズレると、
完全な同心円にはならないので、
注意して並べていきます。
 
「これで300m開きますから、
 ここで1㎜違うと、その何百倍違う訳です」
 
全体を叩いて、内部の「星」の隙間を詰めて
いきます。
最後に「花火玉」を振って音を聴き、
「星」に対する「割薬」の量が適当かどうかを
確かめます。
 
青木さんの手掛けた
直径約30㎝、重さ約9㎏の10号玉という
サイズの「菊花型花火」が、
打ち上げ筒から垂直に打ち上げられると、
一気に高度約330mの夜空に昇っていきます。
 
その頂点で爆発すると、
花火に詰められた「星」と呼ばれる火薬粒が、
燃えながら飛散します。
飛散距離は最大で約160m、直径約320mもの
球形の大輪の花を夜空に咲かせました。
 
紅屋青木煙火店
  • 住所:〒380-0947
    長野県長野市平柴770-17
 
 
 

美の壺3.火花のうつろいを愛でる

 

「線香花火」
(「山縣商店」五代目・山縣常浩さん)

 
その儚さから、
我々日本人の心を掴んでやまない
「線香花火」。
ここ数年、「線香花火」を楽しむ人が
増えているそうです。
 
「線香花火」は、江戸時代に
日本で生まれました。
藁の先に火薬をつけて、
火鉢や香炉に立てて遊んだのが、
始まりだそうです。
形が仏壇に供える線香に似ていたことから、
「線香花火」の名前がついたと言われて
います。
後に、紙を撚って作ったものも
親しまれるようになりました。
 
国内の花火の産地として有名なのは、
三河(愛知県岡崎市)、
福岡(福岡県の八女市)、
信州(長野県上田市)です。
いずれも強い戦国武将がいた地域で、
武器として火薬を多く保有していたためです。
 
争いとしての火薬が必要でなくなった
江戸時代になると、
鑑賞用としての花火の生産が盛んになり、
後に「線香花火」の産地としても栄えました。
 
大正3(1914)年創業の東京・蔵前の花火問屋
山縣商店」には、国産の「線香花火」が
数多く取り揃えられています。
五代目社長の山縣常浩さんは、
「線香花火」に特別な想いを持っています。
 
 
「0.1gの火薬の世界で、
 あれだけの現象の変化がある訳ですよ。
 ですから例えば人生に例えたり、
 起承転結がある訳ですね。
 そういうものって、
 割合日本人好むじゃないですか。
 それで人気があると思うんですね。
 ですから、子供の世界でなくてね、
 大人の世界の花火だと思いますね」
 
 
 

「線香花火」の復活
(「三州火工」稲垣博さん)


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日本有数のおもちゃ花火の産地、
愛知県三河地方の幸田町にある
花火メーカー「三州火工」の稲垣博さんに
「線香花火」の歴史やその魅力について
話を伺いました。
 
三州火工」さんは、
山縣商店」の山縣常浩さんと連携して、
日本国内で「絶滅」していた純国産線香花火の復活に尽力した花火メーカーです。
 
 
「線香花火」は昭和50年代頃まで、
国産のものが主流でしたが、
1990年代に中国から輸入品が
格安で入ってくるようになると、
国産の商品は減少していきます。
「線香花火」の三大産地(信州・三河・福岡)では相次いで、生産を中止。
国産の線香花火が、市場から消えました。
ただその後、国産の「線香花火」の
復活の動きが起きて、
今では愛知、群馬、福岡など一部の地域で
国産「線香花火」が再び作られるように
なりました。
 
三州火工」さんと「山縣商店」さんも
2年の歳月を掛けて、
何tという単位の原料の調合を繰り返した結果、純国産の「大江戸牡丹」と名付けた
「線香花火」を見事に復活させました。
 
三州火工」さんでは、
和紙を染めるところから、
火薬の配合、撚り、パッケージ詰めまで、
自社で一貫して手作りで行っています。
 
 
稲垣さんによると、
「線香花火」作りで一番難しいのは、
「火薬の配合」だそうです。
火薬は、硝石(硝酸カリウム)、硫黄、
松灰(しょうはい)、松煙(しょうえん)
4つの材料を混ぜ合わせて作ります。
 
「まあまあ自分でこれでOKかなというのには
 2年くらいかかりましたけど。
 やるたびにこういう具合に配合試験をして、
 調合比率を決めています。
 そうでないといい花が咲いてくれない」
 
 
使用する火薬は、わずか0.08g。
線香花火1本あたりの火薬量は僅か0.08g。
火薬の配合次第で火花の表情は
全く変わってしまうため、
出来上がった「線香花火」に実際に火をつけて燃え具合を確認しながら、
火薬の配合の微調整を続けていきます。
 
更に、火薬を包む和紙も重要です。
繊維が長く、薄くて丈夫な和紙を、
適度な硬さにより上げて初めて、
大きく長持ちする火玉を
生み出すことが出来るのです。
 
  • 住所:〒444-0104
    愛知県額田郡幸田町坂崎皇子ケ入3-3
 

<参考> 美の壺「日本の夏 花火」

<初回放送日:令和5(2023)年8月9日>

omotedana.hatenablog.com

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